ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

カタカムナ考 7

2017-05-01 15:19:15 | 日本語
バベルの塔について、時々拝見している「In Deep」さんの記事にこんなのがあったので紹介します。

http://indeep.jp/all-mankind-may-speak-the-same-language/

世界の言語はほぼ音と意味が共通していることが判明したが、なぜか日本語だけは特殊である・・・もしかすると、日本語に関しては、地球のものではなかったのかもしれない・・(というのは最後の付け足しですが)
というような内容です。

冒頭で、なぜ人類はアフリカから発祥したにもかかわらずたった15万年ほどの間にこれほど多彩な言語(約7千種もある)が生まれたのか、という疑問から始まります。
確かに、バベルの塔の逸話では、神が人間を戒めるために言語をバラバラにして世界に拡散させた、ということになっていますが、
これほどまでに違う言語にする必要があったのでしょうか。そして、なぜ日本語だけが特殊なのでしょう?

一方、映画「ミニオンズ」のミニオンたちはよくわからない言語でしゃべっていますが、意味は大体通じますね。
また、「スター・ウォーズ」のR2-D2だって音でコミュニケートしますが、彼が何を言っているか、大体想像がつきます。
音の高低や間隔などいろんな要素を総合して、人はその音を言語として認識するようです。
あるいはまた、風の音や鳥のさえずりにさえ、何らかの意味を見出そうとする傾向もあるようです。

音は非常に重要な言語の要素で、だからこそ、カタカムナのウタヒでは一つ一つの音に意味が込められていると解釈されるのだと思います。

ということで、またカタカムナに戻ります。


カタカムナ文献を「相似象学会」(楢崎皐月がカタカムナの解読のために作った学会)とは別に独自の方法で解読したのが、
吉野信子氏の『カタカムナ 言霊の超法則』(徳間書店)です。
吉野氏は「相似象学会誌」の中には探し求めているものがないと判断し、独自にカタカムナの解読を始めます。

それは一文字一文字の音を中心とした解読方法でした。
たとえば、「ヒ」とは何か? 
ヒのつく言葉をかたっぱしから集めて並べ、「これらすべての言葉の中にある共通概念は何だろう・・」と自分に問うてみました。

不思議なことに考え続けているとイメージがひらめくのだといいます。

そうして出来上がったのが、「カタカムナ48音の思念表」です。
 
 http://katakamuna.xyz/shinenhyou-detail.html
 (吉野信子氏のHPより)

私はまだカタカムナに詳しくないのですが、
カタカムナの文字一つひとつを音で解読しようとしたのは斬新なアイデアだと思います。

でも、それが正しいかどうかは検証しようがありません。
確かにそういう傾向はあるかもしれないけど、これはあくまでも現代の日本語の音から導きだしたものです。
12000年前の日本語の音が同じだったと言えるのだろうか?
という疑問が残ります。

けれども、この思念表を用いていろんな言葉を解釈すると、
意外な結果が導き出されるのも事実のようです。

似たような経験は私にもあります。
「天気輪」(私が出していた個人誌)で言葉遊びの詩を書いていたころ、
どうしても見つからない言葉について何日も考え続けた挙句、あきらめかけたころ、ふとそれが見つかる、といったことが多々ありました。

その時、私は、
世界がぐるりと回転して、私のほしかった言葉を造りだしたのではあるまいか、
と思ったものでした。

世界というのは私たちが考えるよりも、ずっとフレキシブルに出来ている、とも思いました。

ですから、吉野氏が一つの言葉について考え続けた挙句、こうした思念表が出来上がったというのは、それほど不思議でもない気がします。

「思いが言葉をつくり、言葉にしたことが現実をつくる」と吉野氏の本の中にもあるように。

世界というのは、
「不思議」でできているのですね。


最後に、
ふと、宮沢賢治のこんな言葉を思い出したので、
書いておきます。
  
  わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、
  きれいにすきとおった風をたべ、
  桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
   (「注文の多い料理店」序文より)

バベルのような塔を建てなくても、
私たちは十分豊かな感性に恵まれているのですね。

≪お知らせ≫
近日中に、ゆうきえみのHPを開設する予定です。
ただいま工事中。乞う御期待!



コメント
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