おかまのよろめき

現役おかまのお店日記&趣味のはなし

大阪暮らし②

2008-10-18 17:28:40 | Weblog
説明会には多くの人が集まっていた

それほど条件が良いというわけでもないのに…

担当者から配られた冊子に目を通すと

仕事内容や心構えなどが懇切丁寧に記されていた

「これを読んで、自分には合わないと思った人は

 帰ってもらって結構です」と

係りの男が告げた

結構厳しい事も書いてあったので

何人かの若者が席を立った

私も思っていたより仕事内容がハードだと感じたが

躊躇している余裕はなかったので

残って説明を聞いた


数日後、私は一着しか持ってなかったスーツを着て

早朝の電車に揺られていた

殆ど始発に近い時間だった

事務所に着くと、先輩添乗員から挨拶があった

あれだけ大勢の希望者が説明会に参加したのに

今回残ったのは10人くらいだった


早速バスに乗って掃除や備品の点検

窓拭きなどを済ませる

これが大体30分はかかるのだ

その後ドライバーさんと共に乗客の待つ場所へと向かう

高校の課外授業だったり

敬老会の一日バス旅行だったりと様々だが

添乗員はバスガイドの様に観光案内はしない

最初に挨拶と注意事項を述べたら後はバスの誘導と点呼だけなのだ

それでは余りにも素っ気無いので

注意事項の時に面白おかしくアレンジを加えて

乗客をリラックスさせるように努めた

これが結構ウケたのだ

ところが私たちの後を走っていたバスの添乗員が

その様子を見ていて後で注意してきた

「お宅のバスだけ盛り上がってると

 他がやり難くなるから余計な事はしないで」

先輩の添乗員で、一番腰が低くて感じの良い人だと思っていた人から

忠告されたのだ

何でそんな事を言うのだろう

乗客は楽しい方が良いに決まってる

増してやココは大阪なのだ

笑いが溢れてる街ではないか

釈然としなかったが、先輩の言う事には逆らえないので

次からはほどほどにしておいた


ある日、私の乗ったバスはかなり遠出をして

車庫に戻って来たのが夜の11時過ぎだった

アパートに着いた時には午前様だった

更に翌朝は一番早い便に乗らなくてはならない

4時に起きなければ間に合わないだろう

ヘトヘトの私は空腹だったが、それよりも取り敢えず寝なくては…

慌てて布団に潜り込んだ為に目覚ましをセットし忘れたのだ

目が覚めたら6時を回っていた

大変だ!すぐさま事務所に電話を入れる

こんな時の為に、予備のバイトを何人か待機させているのだ

しかし、その日に限って予備の人も出払っていた

担当者は電話の向こうでかなりヒステリックだ

どうする事も出来ずにその日は休む事にした

午後になって担当者から連絡があった

「明日から来なくて良いです」

大勢の人に迷惑をかけて弁解の余地はなかった

明日、またバイトニュースとにらめっこだ


















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大阪暮らし①

2008-10-17 16:05:23 | Weblog
大阪に数年住んでいた事がある

実家に戻り自動車免許を取って

どこかでバイトを探していた時期に

高校の同級生にバッタリ会ったのだ

元々大阪出身の彼だったが

事情があって高校3年間はウチの田舎で過ごした

卒業後は大阪に戻ったが、たまたまこの時期

ウチの田舎に遊びに来ていたのだ

私とは特に親しい間柄ではなかったが

卒業後、久々に再会して意気投合したのだ


幼馴染の友人を交えて3人で馬鹿話をしている内に

何となく大阪に住んでみたくなったのだ

アパート探しも彼が手伝ってくれると言う

特に目的も持たず、ただ面白そうと言うだけで

翌日私は彼と大阪へ向かったのだ


彼の親戚が経営していると言うアパートを紹介された

かなり老朽化した物件で日当たりも悪そうだった

その近くにも幾つかアパートがあったので

部屋を見せて貰った

当時は、不動産屋を通さなくても

空室アリの札を下げたアパートに直接行って

交渉する事が出来たのである

面倒臭がりの私は、さっきの物件よりは

少しマシかなと言うだけで契約をしてしまった

ボロアパートには慣れていたし

駅からも歩いて5分以内だし

何より家賃が安かったのである


実家に戻り、早速引越しの準備を始めた

家族は、せっかく帰って来たと思ったら

僅か数ヶ月でまた家を出る私にガッカリしていた

でも東京よりは近いし、何かあったらすぐに

帰って来るからと説得した


引越しも済ませ、ボロアパートの角部屋に

落ち着いた私は早速仕事探しを始めた

畳の上に寝転がってアルバイトニュースをめくる

それにしても日当たりが悪い

しかも築何十年経ってるのか不明だが

部屋が微妙に傾いている気がする

仕事も決まっていない私には

この部屋でも贅沢なくらいだと思うようにして

ひたすらページをめくっていた


観光バスの添乗員と言うのに目が止まった

子供の頃エレベーターガールに憧れていた私は

バスガイドにも似たような思いを抱いていた

添乗員とバスガイドは仕事内容が違うのだが

制服に身を包み、乗客に向かってアナウンスする姿を

勝手に妄想してはウットリしていた

その会社はアパートからはかなり遠かった

でも“コレしかないわ”と早速応募する

説明会があると言うので会場まで足を運んだ

何とそこには大勢の希望者が駆けつけていた

続きは又明日…

















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自動車免許

2008-10-16 16:34:11 | Weblog
店子デビューのホモバーを辞めて実家に戻った私は

自動車免許を取るために、近所の教習所に通った

私自身は車に興味もなく免許を必要としてなかったが

親がどうしてもと勧めるのだ

田舎では買い物に行くのも車がなくては不便だ

親としては、私がこのまま地元で暮らしていくものだと

思ってたようだ


教習所は自転車で10分位の所にあった

時間がたっぷりとある私は

いつも同じ教官に教えて貰えるように

タイムテーブルを調整した

その教官はとても穏やかな初老の男性だった

教習所と言うと鬼の様な教官が荒い口調で

厳しく教えるイメージを持っていたので

その人でホッとした

また教え方も丁寧で安心してハンドルを握る事が出来た


一度だけ、その教官が休みで違う人に教わったのだが

とても感じ悪くて、教え方も乱暴だった

挙句には私がいつも教わっている教官の事まで

持ち出して「教え方が悪い」とまで言い出した

これにはさすがの私もムッとしたが

ここで短気を起こしても仕方ないので

ひたすら我慢した

この男に腹を立てた生徒が

途中で車を降りたと言う話を後で聞いたのだが

誰だって同じ思いを抱くだろう


仮免の日、私は坂道発進で失敗をしてしまったのだ

いつもならスムーズにこなしてた所なのに

緊張してついついミスを犯したのだ

同乗してた他の受験者のオバちゃんが

「頑張って!あせらないで!」と小さく声をかけてくれた

それ以外は何とかクリアして試験は終了した

多分、今回は落ちるだろうと思っていたのだが

合格者の番号が発表された時に

私の後ろで励ましてくれたオバちゃんが

「○○さん、合格してたよ~」と

自分の事のように喜んでくれたのだ

その後は何時間か補習を受けて

本免の試験を受けた

こちらも一発合格だった

運動神経の鈍いこの私が運転免許を取得して

ホントに大丈夫なんだろうか?との思いの方が強く

合格した事の喜びはあまり感じなかった

それでなくてもそそっかしい私なのだ

恐ろしくてハンドルなんて握れない


免許を取って何度も更新しているが

実際に運転をしたのは片手の指でも余るほどだ

仕事上、どうしても車を使わなくてはならず

ペーパー教習にも申し込んだ事がある

だが一度も予約が取れず断念した

この先も恐らくハンドルを握る事はない

免許証はきっと死ぬまでゴールドだろう





















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ホモだらけ

2008-10-15 16:14:50 | Weblog
アイドルのキャラクターグッズを卸す会社で

働いていた事がある

メインは、カメラ小僧(以下カメコ)が撮って来た生写真で

時代は光GENJIの全盛期

コンサート会場の隠し撮りは少々ブレてても

飛ぶように売れていた

カメコは撮ったネガをスピードプリントし

コンサートが終わり会場から出て来た客に

路上でも売っていたのである

ファンは、興奮冷めやらぬまま

今見て来たアックン達の写真に群がったそうである


冬になるとカレンダーの発注が増えるのだ

これがまたかなりの重さになるのだ

事務所の中でそれらを梱包していると

暖房なんて不要だ

そこへ50個入りのマグカップがメーカーから届く

前にも書いたが、ソレを持ち上げた途端

ギックリ腰になった事があるのだ


たまにファンシーショップのスタッフが

直接仕入れに来る事があった

山梨の方のお店だったと思うが

オーナー、スタッフ共にオネエなのだ

外見は普通のオッサンなのだが

狭い事務所の中をああでもない、こうでもないと

動き回るのでホントに邪魔だった

「アラ、かあくんのネームプレート良いわネェ

 これ一個もらっとこうかしら

 あと、この男闘呼組の缶バッチも3つ頂戴」

と、いつもながらセコい買い付けだった 

このオーナーはムッチリした身体をクネクネさせながら

商品を物色するのだがケツがデカいので

よく棚にぶつけては商品を床に散乱させていた

しかも佐川急便のドライバーの来る時間を熟知していて

ウチのスタッフでもないのに

「ご苦労様で~す!」なんて言いながら

荷物の積み込みを手伝っていたのだ


このオーナーの店で働いてるのがヨシタカちゃんと

呼ばれる細身のオネエだった

お料理研究科のマロンちゃんに似ている

彼は鼻にかかった声で

「ごめんなさ~い、正木クンのナマ入荷しましたか?」

が口癖だった

「ウチのお客さんで正木クンのオリキが居るんですけど

 私いつもコンサートに誘われちゃうんですよ」と

聞いてもないのにどうでも良い話を延々喋るのだ

うわのそらで作業を進めていると

「聞いてくれてますゥ?

 それでいつ正木クンのナマ入るんでしょうか?」

正木とは少年忍者のメンバーなのだが

生写真のニーズはあまりなかった

なのでカメコも殆ど撮って来ないのだった

「今度、カメラ小僧の人に聞いときますね」

と気休めの返事が精一杯だった


ところで事務所の上はマンションだったのだが

場所が新宿2丁目の近くだったので

住人の中にもお仲間が居たのだ

ヨシタカちゃんが、事務所の外にある共同トイレから

帰って来てこう言った

「すみません、このマンションってホモの人が住んでるんですか?」

何事かと思って聞いたら

「トイレに入ったら僕の事をじっと見つめる人が居るんですよ

 無視してたら隣に来てオシッコする所を覗くんです

 何だか気持ち悪くて途中で出てきました」

“何、生娘ぶってんのよ

 このマンションでは日常茶飯事だわよ”と思ったが

「すみません、気持ち悪かったでしょ

 たまにそう言う人が出没するんですよ」

とアタシもアンタも住人もホモだらけの職場だったのだ










  










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店子デビュー

2008-10-14 17:23:29 | Weblog
昨日は2丁目デビューの話をしたが

今日は店子(みせこ)デビューの話をしようと思う


私は高校を卒業して専門学校へ入学した

映画やテレビ関係の学校だったのだが

サークルの先輩から就活の厳しさを知らされた時から

この学校を出ても目指している物には辿り着けない事を

感じ取っていた

その頃からハッテン場通いを始め

サウナや映画館へ足繁く通った

卒業が迫り、一応私も何社かを受けた

川崎の方のCMスタジオはアットホームな所で

私の事を気に入ってくれたのだが

やはり、ずっと続けられるかと言うと不安だった

夢は既に諦めていたが、それでも私が働きたいのは

CMスタジオではなかったのだ

そんな時に、ふと薔薇族を眺めていたら

お店の広告ページに従業員募集の文字が…

既に映画館でバイトはしていたのだが

そちらを辞めて2丁目のお店に面接に行った


カウンターだけの狭い店だった

お客は若い男が2~3人

ドアを開けると彼らの視線が一斉に飛んでくる

「すみません、バイトの件で電話した者ですが」

お母さんと呼ばれる初老の男性が

「待ってたわよ~、アンタ見ない顔ね」と話しかけてきた

カウンターの中では渥美清みたいな顔のデブが

「ウチは若い子の集まる店なんだけど

 アンタどう言う子がタイプなの?」

お母さんと夫婦のこの男が、実質的には店を切り盛りしてるようだ

「え~と、年上の人が好みなんですけど」

「それで水商売の経験はあるの?」

「全くありませんが、接客が好きなので頑張ります」

と健気なところを見せておいた

お客として来ていた同年代くらいのポチと言う子が

「明日から来るの?じゃあ僕も来るから頑張ってね」

と励ましてくれた


早速次の日から働き始めたのだが

この店はホントに若い客が多く、たまに高校生も来ていた

当時21歳の私にしては話も合うし働きやすかった

ただ、カウンターで何人かのお客さんのお相手をするので

気の合わない人が来ると、そちらの方はつい疎かになってしまう

常連のお客さんから指摘された

「○○ちゃんは気の合う子が来たらそっちばっかりになるよね」

確かにそうだった

それ以来、苦手なお客さんにも積極的に話を合わせるようにしたが

客の中には「アンタ、趣味じゃないから口ききたくないわ」と

はっきりと嫌な事を言う人も居た

その頃の私はまだ純粋だったので傷つく事も多かった

それでも友達になった子達と店がハネた後遊びに行って発散した


1年くらいして辞める決意をした

水商売が厳しいのは百も承知だったが

嫌な客にも愛想をふりまいてご機嫌を取る事に疲れたのだ

今考えたら、子供っぽく下らない理由だと思うけれど

その時の私には限界だったのだ

それともう一つ、大阪に行ってみたいと言う思いもあった


店を辞める事は客には内緒にしてとお母さんから言われていた

しかし最後の日には、面接の時以来仲良くなったポチも

誰かから聞いたようで駆けつけてくれた

お母さん達にはホントに良くしてもらった

今でも場所を変えてその店は存在するのだが

お母さんは何年も前に他界してしまった

渥美清に似たお姐さんは元気だろうか

昔話をしに今度お店を覗いてみようと思う

















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