雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

プラトンも惹かれしならむ花咲きぬ

2008-08-03 22:48:44 | 日々写す



               プラトンも惹かれしならむ花咲きぬ丈高くして白く清楚に


           

                  ハアザミ(葉薊・アカンサス) 小石川植物園にて


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題詠blog2008<012:ダイヤ>から

2008-08-03 17:17:28 | 題詠blog2008から

好きなものを好きだと言えるこの町でダイヤの乱れを愛しく思う(小林ミイ

<好きなものを好きだと言えるこの町>。
おそらく作者は、普段、あるいはこれまで、<好きなものを好きだと言えない町>に住んでいる(いた)のではないでしょうか。
<好きなものを好きだと言えない町>。
それは、他人を信用できない町。
それでいてすべてが整然と動いている町、です。
もちろん、電車のダイヤの乱れなどあろうはずもありません。

作者は、そんな息苦しい町からやっと、あるいは束の間、<好きなものを好きだと言えるこの町>に脱出してきたのです。
生まれ育った田舎ののんびりとした町に戻ってきたのでしょうか。
それとも、外国の町に旅に出たのでしょうか。
いずれにしても、そこではよろいを脱ぎ捨て、ありのままの自分をさらけ出すことができます。
誰もそれを気にしたり、とがめたり、ましてスキを衝いて攻撃してきたりもしません。
そんなおおらかな町なのです。

その代わり、すべてが決められたとおりの場所や時間に、あるものはあり、来るものは来るというわけにはいきません。
おおらかであることの反面は、いい加減でもあるということなのです。
列車のダイヤも然り、です。
そのいい加減な<ダイヤの乱れを愛しく思う>という結句の、いさぎよい断言。
そこに、人々の中に生まれつつある利便至上主義社会に生きることへの疲労と嫌悪、批判が、巧みに表現されているのではないでしょうか。

<数分もダイヤくるはばいら立ちのつのるわれらのどこか狂ひぬ>(髭彦)
僕の題詠歌です。


コメント (4)
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080803 日々歌ふ

2008-08-03 15:10:19 | 日々歌ふ


列島の町村さびれ吹きやまぬ伊吹颪で何が安心
(颪=おろし)

           *

―<2008年8月3日放送NHK「新日曜美術館」シリーズ・創作の現場ドキュメント(2)
鬼才・石山修武「建築にみる夢」を見て>
知らなんだああ知らなんだ文字通り鬼才も鬼才石山修武を
(修武=おさむ)

プラトンも惹かれしならむ花咲きぬ丈高くして白く清楚に


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題詠blog2008<011:除>から

2008-08-03 00:36:46 | 題詠blog2008から

拘うなわたしに構うな 人除けのペットボトルをずらり並べる(和良珠子

今でもたまに、ネコ除けのためらしき水を入れたペットボトルをずらりと並べている、なんとももの侘しい風景を見かけます。
何年か前にテレビのワイドショーが根拠もなく流行らせたのでしょうが、まるで効果がないどころかレンズ効果で火事が起きたりして、すっかりすたれたようですね。
それでもなお、まだたまに見かけるのです。
どうしてだろうと、不思議に思っていました。
この歌を読んで、初めて納得がいきました。
そうか、あれは<ネコ除け>に効果がないのを知らないからではなく、知ってなお、だったのかと!
あれは実は<人除け>だったのですね。
なるほど。
たしかに、今どきなお家の周りにペットボトルをずらりと並べている家は、ちょっと不気味です。
まして、誰かが自分の回りにペットボトルをずらりと並べ始めたとしたら!

作者は、親兄弟か、つれあい、恋人かと激しくいさかい、人を信じられなくなったのでしょう。

<拘うなわたしに構うな 人除けのペットボトルをずらり並べる>

おお、なんというリアリティ!
作者が実際にそうしたかどうかは、もちろん別ですが。

<拘うな>は<かかずらうな>と読みました。


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