主計(かずえ)町くらがり坂の泉には母の鏡と花を沈めん(
久野はすみ)
金沢には二度しか行ったことがありません。
しかも、考えたら情けないことにその二度とも修学旅行でした。
一度目は、自分が中学生のときで、もう半世紀も前のこと。
兼六園に行ったことしか覚えていません。
二度めは、高校生を引率しての修学旅行で、十数年前です。
山口から裏日本をたどる旅の一応の終点で、兼六園以外には魚市場と武家屋敷を歩いたのがせいぜい印象に残っている程度。
近年建設されて評判の高い21世紀美術館も気になりますし、歴史の重みを感じさせるあの落ち着いた街並みを、今度こそ自分の足でゆっくりと歩き味わいたいと、ときおり思わずにはいられません。
<主計(かずえ)町くらがり坂>。
最初に見たときは、山本周五郎か藤沢周平の小説にでも出てくる地名かと思いました。
調べてみると、その金沢に実在する地名でした。
では作者も金沢のひとかと思いましたが、それにしても<泉には母の鏡と花を沈めん>とはいったい何のことだろうと疑問でした。
<主計町>という変わった地名は、元来は加賀藩士の富田主計(かずえ)の屋敷があったことに由来し、1999年に全国で初めて旧町名の復活に成功したのだそうです。
現在の主計町は、浅野川沿いに美しい格子戸の料亭が立ち並ぶ、金沢を代表する茶屋街のひとつだとか。
とても、修学旅行で歩くところではありませんでした。
<くらやみ坂>というのは、川沿いにあるその茶屋町というか色町に男たちがこっそり下る、細くて急な文字通りの<暗闇>坂だったようです。
写真をネットで見ると、今は石かコンクリートの階段になっていますが、相変わらず細くて急です。
途中に泉が湧くような場所とはとうてい思えません。
<泉には母の鏡と花を沈めん>とはいったい何のことだろうと、ますます疑問が募りました。
その疑問が一挙に解けたのは、このくらやみ坂を隣町に生まれ育った泉鏡花が遊び場にしていたという記事を見つけたときでした。
思わず笑ってしまいました。
言葉遊びの歌だったのですね。
作者のブログを訪ねてみたところ、なんと四国の松山の方でいらっしゃいました。
かなりの想像力とある種のユーモアがないと、こういう歌はなかなか詠めません。
僕にはとてもできない芸当です。
今回は、このほかにも取り上げたい歌がいくつもあって迷いました。
下に、歌だけを挙げさせていただきます(投稿順)。
マラソンをともに走りし青泉さん恙なきやと問うすべもなく(
原田 町)
血縁と遠く離(か)れきて漬けありし泉州水茄子ほろほろと食ぶ(
吉浦玲子)
父の胸うねりし大江健三郎われにあふるる川原泉(
沼尻つた子)
泣かぬ子の小さき瞳の影深く泉のありて我はたじろぐ(
内田かおり)