070701
美しき日本といひて戦世のかつて想はむわが総理らの
戦世の美化はなしたし米国と仲良くしたし悩ましきかな
わが国に戦強ひたる米国といひつつ尾をばふるぞかなしき
彼の戦肯ふ大和の魂極みふるあめりかに袖をぬらさむ
(肯ふ=うべなふ)
原爆で戦止むゆえやむなしと言ふも言つたりわが防相の
070702
何処よりわれら来りていづくへぞ去らむとせるか改め思ふ
070705
無窮花と彼の国びとの言ひ来る木槿の白く咲き初めにけり
(無窮花=ムグンファ)
070706
人の世の真実告げて真昼間にカラスが啼くよアホウアホウと
丈高く束の間咲けばむらさきの色ほのかなりアガパンサスは
花訪へば向島なる公園のそぼふる雨に静もりにけり
070707
丈伸びし教へ子の背にその旨を告げれば子らは笑みてふり向く
わが髭を触りに来る<悪童>らテストの前のまじなひと言ふ
中三の数学すらも解きえぬと知りてぞ思ふ過ぎ去る時を
070708
―<NHK「新日曜美術館」で角偉三郎のすでに亡きことを知りて>
知らざりきああ知らざりき彼の器創りし偉人のすでに亡きをば
(偉人=ひと)
わが持てる角の遺せし椀などを洗ひ拭ひてしみじみ見つむ
(角=かど)
070708「角偉三郎はもういない」(詩)
今日の「新日曜美術館」はなんだろう。
テレビをつけた。
角偉三郎だった。
「漆に生涯を捧げた」。
ナレーションの過去形が、気になった。
まさか、と思う。
驚く。
角偉三郎はすでにこの世を去っていた。
2年も前に。
まだ65歳だった。
なんということだ。
知らなかった。
うかつだった。
食い入るように、番組を観た。
喪失感が襲う。
手元にある偉三郎の漆の器を探す。
朱塗大口椀。
朱塗片口。
朱盃二つ。
飾り棚や食器棚から出した。
丁寧に洗い、布巾で拭う。
食卓に並べた。
じっと見つめる。
手にとってみる。
その色、形、手触り。
なんという懐かしさ。
ああ、この偉三郎が死んだ。
死んでいた。
知らなかった。
うかつだった。
さびしい。
角偉三郎がもういない。
角偉三郎はもういない。
さびしい。
070709
―<茨木のり子『歳月』(花神社)に寄す>
亡夫恋ふる三十年を秘めをりて詩人は逝きぬ<歳月>遺し
(亡夫=つま)
070710
夕光に浮かぶ蓮の花眠る眠りをひともいつか眠らむ
(夕光=ゆうかげ、蓮=はちす)
070711
色強きヤブカンザウの八重咲けばもの狂ほしき画家の目となる
070714
人の世の汚れも知らで咲き濡るる木槿の花は白く光りて
070715
二階屋を月十万で借り住まふ異国の女に夕餉招かる
(女=ひと)
戦後建つ安き普請の家なれど楽しみ住まふ異国の女は
飛び交ひし英語の会話半分もわからぬ吾も夕餉楽しむ
見せくるる印に<祚麗瑠>と刻まれしソの字はハハハ践祚の祚なり
(祚麗瑠=ソレル)
*
ひと知るや真夏を前にもみじ葉の色深まりぬ季の狂ひて
(季=とき)
070716
―<不忍池にて>
梅雨晴れの朝に訪へばほの紅き蓮の花はほころびにけり
(朝=あした、蓮=はちす)
一匹のトンボの姿なつかしく飛ぶな飛ぶなとレンズを向ける
蜜求め花から花へ飛ぶ蝶の青き筋追ふ遠き日々より
070717
餌を狙ひコサギは白く池の面の深き緑に染まず立ちけり
コンクリの醜き塔は夏空に束の間美しく聳え立ちけり
*
台風も地震も明日のわが身とて貫く想ひなきぞかなしく
070719
アメリカの殺めし民の血の色もかくやと恐るデイゴの花に
草の葉にしばしを憩ふ緋の色のトンボが夢の色をば想ふ
070720
不意打ちに蜩高く鳴きて知る夏は夏にて悲しみあるを
(蜩=ヒグラシ)
梅雨明けを待つや待たずやアルプスのユリ咲き初めて紅薄く
梅雨明けも待たずに咲ける萩見てぞ可憐にあれど誰よろこばむ
070721
利便をば求め求めてこの国にケータイあふれコンビニあふれ
その昔立ち読みなせる街角のムサシヤ消えてマックとなれば
生き残る街の本屋に立ち寄れど空しく眺む文庫・雑誌を
岩波の書籍そろへし動坂の創文堂もつひに矢の尽く
<イワナミ>の持ちし語感の消え去りて戦恐れぬ人の殖えゆく
*
山百合の気品を伝へ咲き匂ふハイブリッドの花華麗なる
ほの暗き梅雨の木陰にヤブミョウガ首を伸ばして白く咲きける
木洩れ陽がタマアジサイの群落を一瞬照らし消えさりゆきぬ
(一瞬=ひととき)
幼子の駆けくる庭園にあらざれど幼子ありて独り駆けくる
(庭園=には)
070722
夏陽射し束の間照らす池の端で行く末思ふ蚊に喰はれつつ
*
―<アメリカ映画「フリーダム・ライターズ」を観て>
定年を控へ吾なほ共感す映画<フリーダム・ライターズ>に
天職に近きにあるか教職のわれ生徒らを疎むことなく
070723
本の上に本がみづから乗るごとく山なす本のわが周りに
070724
地に落ちし末期の一葉照らしける木洩れ陽強く梅雨終るごと
(一葉=ひとは)
茂る葉を洩れ射す夏の太陽に応えて立てる楠を仰ぎぬ
久々の陽射しに羽の乾きしや川鵜の岩に立ちて啼きをり
070725
水鳥の丸ごと魚呑み込むを見るたび思ふ味はひあるやと
餓えをりし幼き吾のガツガツともの喰ふ姿父は恐れぬ
もの喰ふ哀しき癖を幼子に刻みて戦いまも絶えざる
(喰ふ=くらふ)
*
生ひ茂る木立の向かう光浴びもみじの緑夏を告げをり
070726
建物の一部でさへも写したき街並み稀な美しこの国
(美し=うまし)
070727
何党の宣伝カーぞ狂ひたる絶叫のみを残して去るは
吉凶のいづれに出でむ大敗のアナウンス効果選挙迫りて
*
店前の床に置かれし沈金の小皿に惹かれ自転車降りぬ
沈金の古き塗り皿七客のわれを呼ぶ値は二千円なる
よく見れば吾を呼びける壷ありて益子・小鹿田か一期一会の
070729
光速と音速の差で雷の遠近知れと亡父は教へき
(亡父=ちち)
稲光走れば数を雷の鳴るまで数ふ六十路過ぎれど
天地をどよもす雷雨去りゆけば槿の清く八重咲きにけり
(天地=あめつち)
期待こめわが一票を投じけりこの国覆ふ暗雲去れと
070730
小泉の尻馬に乗る独善の安倍政権を民見放せり
これ以上力を安倍に与へなば危険と知りて民は離れぬ
やうやくに民は気づきぬ現代の笛吹き男連れ行く先を
米国と巨大企業の利益のみ図る政治に民は怒れり
おごりなば民の怒りは汝にも向くを忘るな民主よ民主
*
激動の一夜の陰に巨人死す彼の小田実早すぎる死を
070731
夏の陽を待ちつ咲きなむ紅の愁ひも美しく芙蓉の花の
(美しく=はしく)
ジリジリと鳴く声押さへ風邪ひくやミンミン蝉の鼻詰まり鳴く
ひと夏の夢にしあらむ吾が前を花から花へクロアゲハ翔ぶ
わがために吾妹はぐくむデュランタの花咲き初めぬベランダ飾り
色深き紫匂ふ野牡丹の花咲く頃になりにけるかも
教へ子が発行人なるメルマガの届き驚くネット古書店から
070801
血の色に束の間空を染めゆきてこの星暮るるけふの一日を
(一日=ひとひ)
三代目有象無象の国政を仕切るほころび日々に新し
070802
うつすらと青みを浮かべ静もるる李朝の壷の丸み愛しき
(丸み=まろみ)
梅雨明けの強き陽ざしに野牡丹の色まさりにけりぬ いざ生きめやも
夏雲のビルの谷間にムクムクと巨人のごとく湧き立ちにけり
カラス舞ふ夏雲白き庭園に吾独りをり暇人なれば
070803
クマゼミもナガサキアゲハもヒョウモンもいつしか棲みぬこの東京に
(ヒョウモン=豹紋)
ヒョウ柄の南の蝶飛びじわじわと迫るアジアの夏、東京に
燕の子らは束の間許されて巣籠り太るただに親待ち
(燕=つばくろ)
070804
代々木なる杜の端紅く点々とサルスベリ咲く枝もたわわに
070805
―<「アンリ・カルティエ=ブレッソン 知られざる全貌」展(国立近代美術館)を観て>
真実の顕れ出づる一瞬を捕らへ写せり彼のブレッソンは
モノクロの写真ならでは表せぬ真実ありてブレッソン撮る
*
森道に標識浮かび自転車と散歩の人の交差告げをり
名も知らぬちひさき花のくれなゐに咲くを写しぬ身をばかがめて
070806
ユリノキの樹影ゆらめく陽の強き朝にありてヒロシマ思ふ
(朝=あした)
070807
白咲きの美しくはあれど百日紅たわわに咲けよ夏くれなゐに
(美しく=はしく)
ヒナたちの口開け騒ぐ一瞬に親鳥去りぬツバメ返しに
070808
虫追ひしヤンマのあはれ小魚を狙ふコサギの餌食となりて
望遠で交尾なせるを撮りて知るアブがいのちもかけがへなきを
070809
禊萩の花も咲きけむナガサキを劫火の焼きしあの夏の日に
(禊萩=ミソハギ)
二発もの原爆使ふ彼の国の罪をば問はむわが罪認め
*
いま一度ツバメ児見むと訪ひしかばすでに跡なく巣立ちにしけむ
070810
―<池袋・笹周で一夜ブログ仲間と飲める>
野性味のあふるる鴨も酌み交はす酒、言の葉も一夜うましも
(一夜=ひとよ)
070815
夏空の蒼に染まりて浮かび立つ富士は不二なり影淡けれど
富士の野に蜜吸ふ蝶を追ふわれの虫取り網をカメラに替へて
山中の至るところに丈高くハナウド咲きて夏の盛りぬ
炎天の山道ゆけばたまさかにオニユリ咲きて風にゆれをり
*
戦世に生れし吾らを呼ぶことばなきまま過ぎぬ六十二年
(生れし=あれし)
改憲の歯止め生れしや参院の与党惨敗クーキ変はりて
070817
世直しの鬨の声をばかつて聞く秩父の寺の野仏訪ぬ
070818
一茎のキバナコスモス育みしいのち伝へむ蜜吸ふ蜂の
070819
<認知症><熱中症>と誰名づく言の葉の妙微塵もなくに
*
ノルウェイの初旅控へ体力を増さむと走る猛暑去らねど
五キロほど走れば汗のしたたりて総身濡らしぬ毒素もろとも
懸垂も腕立て伏せも走る前続け来れば回数増しぬ
070820
グリーグとムンクに加へガルバレク生れし国へと明日旅立たむ
070831
フィヨルドを背に懐かしき人集ひ昼餉を食みぬノルゲの夏に
070901
フィヨルドの祖父母の家を別荘に転じて友ら夏に憩へり
目覚むれば親子漂ふ白鳥の姿目に染むフィヨルドの辺に
島多きフィヨルドめぐりノルウェイの友らボートで吾ら連れゆく
070902
フィヨルドの冷たき海に老若の人ら戯れ夏を惜しみぬ
一日に一度はフィヨルドで泳がずば何の夏かと八十路の女言ふ
(フィヨルド=うみ、女=ひと)
070903
ノルウェイの森に昇れる満月の色の深きにこころ満たさる
070904
窓の辺にこころ憎くも花飾る壁板赤きノルゲの家は
070905
やうやくに夏陽の照らすノルウェイの大空仰ぐ広き農地で
070906
田園の教会美しくドライブの吾ら誘ふ蒼空を背に
(美しく=はしく)
伝統のサーモン漁に誘はる宵闇遅きノルゲの川に
070907
晩夏のノルゲの野辺に沈みゆく夕陽惜しまむ旅の終はりに
(晩夏=おそなつ)
070909
雨多きベルゲンの街高きより眺むる能ふ一日の旅で
(一日=ひとひ)
ベルゲンで学ぶトゥナ言ふ二度目だとフロイエン山に登り来るは
吾らまた東京タワーに昇りしは一、二度のみと笑ひ合ひたり
幼子を父の世話なす姿をばしばしば見かくノルゲの街は
裏手より古き家並みに分け入れば迷路のごときブリッゲンなる
070910
シュリンプのランチ頼めば塩茹での甘エビのみが数多あふるる
餌を求め近寄り来るベルゲンのスズメおほらか心体も
070911
旧道をつづらおりにぞ辿り見る蒼空の下スタルハイムを
絶景と言ふほかはなし蒼空にスタルハイムは映えわたりけり
*
ソグネなるフィヨルド深く内陸のここにきはまむ吾らの前で
フィヨルドの内陸深く人住みて古き家並みの色鮮らけき
070.912
河なせる氷の削りかく蒼き海を導く時を思ひぬ
フィヨルドの断崖を背にわづかなる岸辺のあれば人の暮らしぬ
070913
フィヨルドの両岸迫る蒼天に一筋白き飛行機雲の
*
観光のおとぎの街にぞ見えしかど朝に訪へばひと暮らしをり
(朝=あした)
*
集落の消え去る野辺にヴァイキング遺す異形の教会訪ぬ
自らの神々惜しむこころをば異形に籠めむスターヴ教会
(教会=ヒルケ)
なにとなく東洋寺院の気配あり屋根の形に木組の壁に
070914
名前なきバス停ありてノルウェイの人見ぬ野辺に吾ら待ちける
*
倣岸な政治家ありきその孫のひ弱き者を誰ぞ選びぬ
国粋と親米の間を取りきれず溺れゆかむか安倍晋三は
070916
ベルゲンへ向ふ車窓に雪残る荒地見ゆれば人のなほ住む
070917
高地より一気に下る鉄道の駅で仰ぎぬヒョースの滝を
下り立てば轟音飛沫注ぎ降るフロム鉄道ヒョースの滝は
(飛沫=しぶき)
070918
塵芥覆ひつくれる夢島を休日訪ぬ生徒率ゐて
(塵芥=ちりあくた)
生徒らの競技を見つつ周平の『清左衛門残日録』読む
夢島に九月の陽射し降り注ぎ一日で肌は夏に戻りぬ
*
夕されど数多の人ら遅き陽を求めて憩ふ広き芝地に
人影の残り陽惜しみ去りゆかずオスロ市街の昏き芝生に
070919
文字通り独創をもてヴィーゲラン裸像で描く人生すべてを
(人生=ひとよ)
070920
こころ病みノルゲに生きて描きけむムンクのかくも人生(ひとよ)を深く
(人生=ひとよ)
070921
オスロなる労働者街に夕餉をば求めて飲みぬノルゲ・ビールを
070922
会ふことの三度はなきを知り惜しむ八十路五十路の女ふたりは
(三度=みたび、女=をみな)
*
―<ジュゼッペ・トルナトーレ監督『題名のない子守唄』を観て>
イタリアの映画に酔ひて日比谷なる泡盛うまき居酒屋を再々訪ふ
(再々訪ふ=とふ)
070923
アトリエの谷中路地裏古民家で墨絵描きぬ米人<時夢>は
(時夢=ジム。米人の墨絵画家Jim Hathawayの雅号)
070924
窓の端にコスモス咲けばフィヨルドを望む海辺の朝日まぶしき
*
自らのアートを超える落書きを子どもら描くと時夢(ジム)は笑へり
070925
此岸をば彼岸に変へて赤々と夕べに華の炎ゆるを見たり
(此岸=しがん)
070926
フィヨルドの海面光れる窓辺にて朝餉を待ちつ生活思へり
(海面=うなも、生活=くらし)
*
不気味なる花と恐れし吾なれどいつしか好む彼岸の花を
070927
コスモスの花咲き初むるフィヨルドの空を仰げば青く涯てなき
メヒコなる高原に生れ奪はれしコスモスの咲くノルゲの丘に
(生れ=あれ)
フィヨルドの海の辺近く白鳥の泳ぎ寄り来ぬ子らを残して
070929
子らの待つ沖へ去りゆく白鳥の背の白かりきフィヨルドに映え
*
会津への旅の土産にひとり娘の呉るる酒をば惜しみ飲みけり
(ひとり娘=ひとりご)
十四、五度一日に下がり虫鳴ける都の夜半の秋ぞ深めく
花鳥風月への慈愛も濃く、表現に気品があります。特筆したいのは、創作者へのオマージュの作品化、です。たいへん共感するところです。
理性と感性のバランスがよいのでしょうね、髭彦さまの作品の姿は、まるで見事な彫刻のようなのです。おっしゃるとおり、感興がわけば、応用問題として破れのある詠いぶりも試みられてよいでしょうけれど、実は私個人は、この整然としたところが妙に好きなのですよ!というわけで、詠みっぷりをあまり乱さぬよう、これまでの茶々もこれでもおとなしめに入れております。
なお、私にはなんの権威があるわけでもなく、短歌を話題にすればなんとか大先生ともお喋りができる、と慕っているだけです。口ぶりがいっつもえらそー、なのですが、気持ちはですね、「すごーいうまーいすってきー」でしかないので、念のため。
(きゃー勝手にごめんなさーい・・・公開されているから、ちらっと見るだけならかまいませんよね?おふたかたともどうぞおゆるしを!)
嗚呼、なんて素晴らしいんでしょうね!
髭彦さま、これは最大のライバル出現では?(笑)
なんて優れた方々なんだろう。
酔いました。
なみへいさんのところに行かれるのはなんのご遠慮もいりません。
ともかくすばらしいブログです。
ずっと写真の師匠として崇めてきましたが、このところ短歌とのコラージュまで始められ、ぼくもおちおちできないような腕前にちょっとあせっているところです。
ははは。