雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

ムンクのかくも人生(ひとよ)を深く3

2007-09-20 17:57:41 | 日々写す



          こころ病みノルゲに生きて描きけむムンクのかくも人生(ひとよ)を深く


        

                           「マドンナ」 オスロ、ムンク美術館にて



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9 コメント

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これは胎児とのこと (びっけ)
2007-09-20 18:12:12
強烈ですね!
ところで
描けむ、は、描きけむ、でなくてはまずいかもしれませんね。字数をそろえて描けり、にするか。
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Unknown (すうすう)
2007-09-20 22:07:33
髭彦さん、こんばんは。
訪問はしていたのですが、なかなかコメントを残すことが出来ずごめんなさい!

たくさんの美しい、人たちの笑顔(老若男女を問わず)や異国の風景と、髭彦さんの、お歌を読んでいて色々想う事、感じることとがありました。
それらを上手く表現する言葉が見つからず、アレヨアレヨと日が経ってしまいました。

勿論目の保養をさせていただきました♪
異形の教会や緑の美しさ、フィヨルドの鏡のような海の静謐さ…etc、etc
その場所に立って写真を撮られる髭彦さんが羨ましい~!!
髭彦さんの一連のノルウェイの写真を見ていて、とにかく「勉強したいな」と思いました。
それは好きな植物な事とか、外国の事とか、表面だけではなく、芯にある世界観と云うのでしょうか…。
真面目に接したいなぁと思いました。

このムンクの絵も、ムンクといえば「叫び」しか思い浮かびません。
ほとんど他の作品も知らず、ムンクの人となりもあまり意識したことがありませんでした。
一人一つのことを深く目をむけ、学びたいと思うのです。
長くなっちゃいましたね。

また遊びに来ます♪
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とほほ… (髭彦)
2007-09-20 22:25:39
びっけさん、ありがとうございました。
<描かむ>に直します。
ときどき古文法がわからなくなります。
これからも、よろしく。
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すうすうさん、ありがとうございます (髭彦)
2007-09-20 23:03:02
60を過ぎてはるかな異国を旅をし、夢中で撮った写真と拙い歌のめざしたものの底にある思いを、いみじくもすうすうさんが言い当ててくださいました。

<好きな植物な事とか、外国の事とか、表面だけではなく、芯にある世界観と云うのでしょうか>、<真面目に接したいなぁと思いました>。

うれしいかぎりです。
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でも描いたのは過去だから・・・ (びっけ)
2007-09-20 23:32:02
とほほではないですよ。
文法なんて本質的なことではありませんよ。

ただ・・描かむでは、実はまずいです。
未来を含まないあくまで純粋な推量の「む」、というつもりでも、過去推量の「けむ」がある以上・・・。
(むは未然形に、けむは連用形に、それぞれ接続)

むしろ推量表現をせず断定しても、歌としてはいいんですよ。有名人の作品ですし。

だろうなぁ、という感慨を入れたいお気持ちは理解できるのですが。

人生(ひとよ)を描きけむムンクはも

と句またがりさせて、最後に詠嘆の「も」をつけて字数をそろえる、という手もあります。

ご参考まで。
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お蔭さまで… (髭彦)
2007-09-21 18:23:44
より満足できる改作ができました。
ありがとうございます。

こころ病みノルゲに生きて描きけむムンクのかくも人生(ひとよ)を深く
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ムンクは・・・ (びっけ)
2007-09-21 18:42:39
1908年に神経症をわずらい、1909年にノルウェイに帰りますね。

幼少期に母と姉を結核で喪い、エキセントリックな父に怯えつつ過ごした病気がちな子供だったムンクには、もともと根源的な不安がつきまとっていたのでしょうが、有名な恋愛事件の後の療養生活においては、過去の感情的イメージを捨て去る決心をして、ノルウェーでは穏やかな作品を制作しはじめます。事実は不眠症に悩まされるなど、心の平穏はなかなか訪れなかったようですが。

それまでは「私は自分の病気を捨て去る気にはならない、私の芸術の中には病気のおかげをこうむっている部分がたくさんあるからだ」と書いていましたが、さすがにいい年になって、自分が疲れたのでしょう。

この1908年をメルクマールとしてムンクの作品のもっとも独創性の強い時期の終わりと、一般に広く認められるようになる時期が重なるわけですが、

こうして書いてくると・・・

なんだかよくある話、ですね。

やがて眼を病み、絵を描けなくなったムンクは隠棲、ナチの侵攻、重篤な病いを得て、81歳で死にます。
案外長生きしたんですね。

2万点に及ぶ作品は遺言でオスロ市に寄付されたわけですが、この数(当然質をともなう)を遺すかいなか、それがただの神経症と芸術家の差だわな、と思いました。




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おお、それがいいです! (びっけ)
2007-09-21 18:48:42
先生に生徒が口出しした甲斐のある結果が出ました。
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芸術家における… (髭彦)
2007-09-21 23:03:49
狂気と天才の関係は、本人や家族などの周囲の人間と、後世にその作品を見せてもらうぼくらのような存在とでは、評価が驚くほど違っているのでしょうね。

いつもながら拙歌に対する的確なアドヴァイス、ありがとうございました。
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