リッスン・トゥ・ハー

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俺は車にウーハ―を(飛び出せハイウェイ)2

2006-12-09 | 東京半熟日記
(沖縄編17)

地底から、ミミズのような長いものがにゅうううとでてきました。無数。そしてやはりゆらゆら揺れます。それは何か会話をしているかのようにも見える。あ、アナゴですか、そうですか。アナゴ君の割に唇がないね。沖縄ではそれがスタンダードなのでしょうか。木の根が海の中へ、そこに潜む魚。植物との共生。イソギンチャクとの共生。教師と生徒の共生。共生。恭平。柴田恭平。「なんだと、空気を吸う魚だとっ、概念を覆しやがって。すぐに現場へ向かえ。」そよぐ触手に、こそばされて気持ち良さそうに泳ぐ魚。ええと、なに言うとんねんわたし。
さあさ、でかい水槽です。大きさがギネス記録だってね。ジンベイザメが、ゆんてひるがえすと、小さい魚は集まって「つよいんだぞー」をして、ひらめが間を抜けるようにゆらゆら。決して飽きません。天井が水槽、迫りくるヒラメ。大空を飛ぶように、ゆっくりと。ゆっくりと。これ欲しいわ、一家にひとつこの水槽。安らげる事間違いなし。

「ツマリツノザメ」という名前がついた魚。きっとツノザメって魚がいるんでしょう。それで、それによく似た魚がいたわけです。その昔、名前のない頃に、名前付けてもらいに市役所にやって来ますよね、当然。その時窓口でのやりとりはこんなのでしょうね。
「すいません、私の名前をつけてほしいんですけど」
「番号札をお取りになってあちらのソファに掛けてお待ちください」
「あ、すいません」
(30分後)
「408番の方?」
「あ、はい」
「いらっしゃいませ、どういった御用でしょう?」
「あの、名前をつけてほしいんですけど」
「名前でございますね、承知いたしました。ええ、お客様の近い魚種は
?」
「ツノザメですね」
「ツ・ノ・ザ・メ、となるほど、では、ツノザメとの違いはどういった所なんでしょう」
「違いですか、まあ、あいつら、ガサツでジェントルでないですね」
「いや、そういうことでなく」
「あ、私なんか手先が器用ですよ、針に糸通せますし」
「いや、そういうことでもなく」
「ええ、違うの、だったらさどういうことが違いだというわけ?」
「うーん、つまり、違いはないのでは?と私どもは判断せざるを得ないかと」
「違うよ、確実にツノザメとは違うの」
「でも、大きな広い目で見てください、あなたは、カパビラでもなく、マヨネーズでもなく?」
「プリンアラモードでもなく?」
「イエス!」
「だったら、私は・・・・つまり、ツノザメなの?」
「アハン」

「フトツノザメ」という名前のついた魚。こいつは、風来坊で、その辺の事情をよく知る神埼博士に聞いてみました。

『ツノザメは力持ちで、工事現場なんかでは、報酬なしで働いたりしてとても頼られていることは有名ですよね(いや知らんて)。でもその話、裏があるんです。確かにツノザメは力持ち、でも、工事現場に出てきて働いてあげるほど、やさしくないんです。そんな仕事やっとれるかわしらは遊んで暮らすんじゃ、て。でもだったら、あのいつも来てくれてるツノザメは誰なの?あのヘルメットを被って汗を拭く笑顔が眩しい方はツノザメじゃないの?と話題騒然。それで、ある日、その人に(人ていうてしもてるし)聞いたわけです。「あなたは一体誰なのですか?」でもその人は(完全に人ていうてしもてるよ)少し微笑むだけで、何も答えてくれないのです。そして、いつものように仕事をして、オートバイにまたがって(足あるよね?またがるいうことは確実に足あるよね?)帰っていくのです。それでわたしたちは、彼のことをふと気づいたら来てくれているツノザメみたいな力持ちという意味で、「フトツノザメ」と呼ぶことにしたのです。』


なんかね、愛してるの響きだけで強くなれる気がしたよ。

俺は車にウーハ―を(飛び出せハイウェイ)1

2006-12-06 | 東京半熟日記
(沖縄編16)

つけても続くフューチャーは鳴らない。
沖縄に流れる時間はとてもゆっくりで、それは自動車に乗っていてもやはりそうで、みなが制限速度を厳守して走る。突っ走る沖縄の道、フューチャーなんて要らないのさ、そうさ今を楽しもうぜ。なんくるないさー、て、のんびり。海沿いの道を時速40キロでルンルン進む。空に雲なし、海はきらきら光って綺麗、でも音楽は鳴らない。
カーブを曲がりたくなかった。ハンドルから手を放した。
ねえ、シャロン。


ちゅら海水族館。
何かと話題になっているし、テレビで何度か見たことがある気がする。
基本が広いです。駐車場から歩いて三里、ぐらいの気分で。幸い、歩くのは好きなので、これ幸い。てくてくとスニーカーの底を削り。すぐそこなる海スルーして入場。

ふれあい牧場的なスペース、なまこやらひとでやらに触れるんです。あのどこかアメリカンなあいつは意外と硬いです。なまこはにゅるんてしてて気持ち悪いです。水からあげたらあかんねんね。持って水から出した瞬間、係のお姉さんが全速力でやってきて怖い顔で注意されますから。
そして、目の前に中くらいの水槽、中に珊瑚の嵐。珊瑚を贅沢に使っています。珊瑚の豊富さは日本一ぐらいな気がします。脳みそのようにうねっているぐるぐるの珊瑚、その周りを泳いでいる魚、ここでは魚の生態をそのまま見ることが出来るのでしょう、きっと。そうじゃなきゃやだ。熱帯魚ですね、とても鮮やか。どいつもこいつも優雅、貴族並に優雅、面を上げい、てむいた瞬間あっち向いたんねん。という感じで、時々プイって方向を変える。

車椅子に乗った人々、どうやら近くの福祉施設から見学にこられているようです。新しいだけあってしっかり、スロープ仕様。とにかく人が多くて、歩けないような状態なのですが、そこに車椅子。わたしたちが水槽にこれでもかというぐらい近づいて見ているのに対して、彼ら、彼女らは車椅子から身を乗り出すこともなく、遠くから眺めるだけ、わたしたちの頭の向うにある水槽を眺めるだけ、専用スペースいるんちゃうかな、と思ったり。でも、感嘆の声を聞くと、微笑んでいる表情を見ると、なんだかこちらまで嬉しくなっちゃいますね。
これ本編に関係ありませんが、どんどん出て来て欲しいと思います。例えば、顔に大きなこぶのある人と街で出会うとします、接することになったとします。こぶをどう扱うか、触れないのか、触れるのか、悲しい事にわたしは、どうすればいいのか分からず戸惑ってしまいます。それは、同じ人間なのだけれど、「違い」に戸惑うのです。この類の違いは、例えば「怒りっぽい」と「穏やか」という違いと、大きくは同じもの、と考えるのですが(つまり個性)、それをどう扱うか、これはよほど賢人でない限り慣れが必要なのです。理屈では分かっている。そんなこと気にしなくていいんだ、と。でもわたしはそれに慣れていません。だから戸惑うのです。どんどん出て来て、当たり前のようになったら、戸惑う事もなくなると思うのです。なれないとぎこちない、そんなわたしは完全なバッキャローだ。バッキャローだ。

みっつめは車の免許とってもいいかななんて思っていること

2006-12-05 | 東京半熟日記
(沖縄編15)

階段を使いたくなかった。
今日はそんな気分で、うわーって坂道を一気に駆け降りた。
身体が斜めに傾いて、バランスを崩したとしても良かった。転げ落ちるように海に飲み込まれてしまっても良かった。
すぐに汗をかく。

と、海岸に立っている。
岩場があって、狭い砂浜があって、波が寄せては返す。水切りをしてみる、上手く跳ねやしない。こうしてこうやれば、ほら跳ねるでしょ、と誰かは言うけど、できる気配すらないし。粘っこい風が、太陽の紫外線が頬を手を足を肉体を風景を、いずれも舐るように打つ!打つ!打つ!悪気はないのだろうからわたしは、くるりライブティーシャーツで、それらを丁寧に受け止めるのです。おもしろい、返り討ちにしてくれようぞ。
貝殻が落ちている。奇跡が作り上げたとした思えない巻貝、とても美しく鮮やか。神秘。どうしても持って帰りたくなって、こんなのみせびらかしたくなって、ごめんねってつぶやいてポッケに入れたのです。

モノノケ姫がやってくる、林の中へお逃げなさい、灯台守に隠れなさい。
沖縄で一番高い灯台に隠れる。階段を一段一段昇っていく頂上の狭いスペースに立つ。足がすくむ。遠くまで見渡せる。海が足元にある。その青さに吸い込まれそうになる。
断崖絶壁でつりをする人々、完全に命がけ。
さとうきびを自転車で売りにくるおじさん。
小象岩、スケールのでかい小象だこと。あきれるぐらい遠くで、波しぶきが小さく泡が立っている。常夏の楽園ベイベー、ココナッツとサンシャインクレイジー。
カップルは写真お願いしますて、いいですことようふふふふ。よろしいですねえ、新婚さんかしら。サンシャインクレイジー。

ソーキそば。らーめんとうどんの中間のような麺で、豚肉を煮込んだのがどっかと乗っかっている。意外とあっさりしているから、食べやすくて、美味しい。ただやはり脂っこいので徐々に胃に重たく響いてくる。麺も食べるごとに増幅してくるからいけない。お母さんそばが、どんどん産み落としているに違いない。わたしが食べた分だけ産み落としているに違いない。だから減らないんだ。

駐車場の猫は欠伸をしながら、夢見心地で涎をたらしてる。

ふたつめは今宵の月が僕を誘っていること5

2006-12-04 | 東京半熟日記
(沖縄編14)

鍾乳洞をでると、すっかり夕暮れ、沖縄にもちゃんと夕暮れは訪れた。どこか不釣合いだけどとても重要なこと。

茶屋にて、ぶくぶく茶とやらをいただく。沖縄の伝統茶らしい。ほうじ茶のような味で、激しく泡立てられていて、その泡を食べるように飲むとの事。脂っこい沖縄料理を食べたあとにこれを飲むと、とてもすっきりする。めでたい席で淹れられたのだ、と茶屋のおばさんは話していた。
茶屋の軒先に坐って夕暮れの庭先を見る。白い猫と黒い猫が連れ立って逃げていく。ひとつにゃあと鳴く。それをきっかけにしたのか、生温い風が風鈴を鳴らす。ぶくぶく茶を啜る。あまいお菓子を齧る。あまいお菓子は歯の裏にこびりつく。すっかり夏の終りといった気分になる。そういえばさっきから小さくさんしんの音が聞こえてくる。その音色をなぞるように風鈴が鳴るものだから、ふらふらと眠たくなる。この畳の上に五体を伸ばして、寝転がりたい欲望にかられる。あれ、今、何月だっけ?

デイゴの木がある。とても堂々として存在感がある。遠慮せんと花、咲き乱れたらええねん。

順を追って、沖縄にも夜はやってくる。やはり不似合いだけどとても重要な事。
那覇、国際通りへ。みやげ物屋などが乱立している那覇の中心通り。やと思う。折角なんですから沖縄の料理を食べたいじゃないですか。みんながみんなそんな口調。魔法。入り口がとてもシンプルな居酒屋に入る。沖縄ではかなりメジャーらしい、とうふよう、という食べ物に衝撃を受ける。爪楊枝でちょこっとけずり取りながら、泡盛をちびちびとやる。グッとくるコードだこれオンリーでいきたい、これオンリーでいきたい。素っ裸でギターかきむしる。まるで2コードの黄金律だ。

店員の女の子のしゃべり口調がとても可愛らしい。注文を持ってきてくれるとき「こちら泡盛ですね~」「こちらゴーヤ―チャンブルーですね~」語尾を上げてくる。沖縄のアクセント、言い回し、なんかいいなあ。淡い乙女心と夜は更けてく。

ふたつめは今宵の月が僕を誘っていること4

2006-12-04 | 東京半熟日記
(沖縄編13)

ミクロレディは、賑やかな鍾乳洞内を、内臓を進む病原菌のようにうねうね進んでいきますと、ひときわ眩しいイルミネーションで飾られた鍾乳石があります。これでもかというぐらい重厚にイルミネートされている。その一帯の鍾乳石がすべて着飾っている。何か期間限定鍾乳洞のイルミネーションなんちゅら、という企画らしいのです。イルミネートされている中心街に、おきなわ玉泉洞と書かれた派手な文字。どうやら、記念撮影スペースらしいです。そうですか。
感じるのは主催者との果てしなく遠い距離感。
その間も電飾はむなしく光っている。

「そうしたら、飾ろうかね」
「そうですね、でも社長自ら飾ってくれるんですか?」
「わしが飾らないと、橘君では頼りない」
「きつい言葉だなあ、いい年して無理はよしてくださいよ」
「はっはっは、よし、みんないくぞー!」
 とたどり着きたる飾る場所。あらかじめ決めておいた、着飾るのに適当な場所。
 みんなそれぞれ電飾を飾り始めるのだが、社長はテンションが上がって、予定になかった電飾までやりだす。
「そら、こっちもだ、うふふうふう、こっちも綺麗、綺麗」
「しゃ、社長、ちょっとやりすぎでは」
「なにいっとるか、まだまだ綺麗、あたし綺麗」
「社長?」
「まあ、ええじゃないか、ええじゃないか」
「でも、いくらなんでも、せっかくの鍾乳洞が」
「今が、今が楽しければなんでもいいと思う、あたいいいと思う」
「社長?」
「なあ、今だけ、ちょっと子どもに戻ろうじゃないか、橘君、いや、シンジ」
「社長・・・・。いや、イサオ。そうだ、俺たちゃ、大切な何かを忘れてたようだ」
「そら、みんなどうした、手が止まってるぞ!」
 はーい。無邪気にありったけの電飾をつけ始める社員一同。

きっと誰も止められなかったんでしょうね。言い出してはいけない空気だったんでしょうね。だってふたりは仲良し。間に入り込む余地なし。まあ橘君だって最期はなんかやり遂げた感でいっぱいになったんでしょうね。社長だって良かれと思ってやったのでしょう。きっと、良かれと思って、観光客が楽しんでくれるだろうと思って、飾ったんだろうな。そう思うと可笑しいけど綺麗に思えてくるんです。

出口。この長い長いエスカレーターはあの惑星につながっているの?
ご入洞ありがとうございました。テープ音声が洞内にこだましている。

ふたつめは今宵の月が僕を誘っていること3

2006-12-03 | 東京半熟日記
(沖縄編12)

道は非常に細くて足元も暗く濡れている。時々ライトが照らしてくれるけれど、基本的には穴の中ですから、暗い、暑い、じめじめ、と不快。京都の梅雨を思い出す。しかも、上から尖った鍾乳石、落ちてきたら即だんご3兄弟と成りうる。いわゆる阿呆である。低い天井、屈強なガタイのいいラガーマンやったら通路に詰まるで、詰まって流れんようになるでしかし。と、すぐ上にある鍾乳石を見る。折られている。良く見ると、ところどころ通路となっているところは、うまく危険がないように削られている。そうか!分かった。やはり屈強なガタイのいいラガーマンがここに来たんだ。そして、上から下から右から左から突き出る鍾乳石もなんのその、俺は俺の道を行くなぜなら俺はラガーマンだからだ、とかなんとか言うてぐんぐん進んだわけだ。ぼきぼきに折って、道となり、わたしたちは彼が作った道を歩いているというわけか。では、ラガーロードと名づけよう。

「身代わり観音」と目が合う。目を逸らしたら負けだから、きっ、と睨んでいたら、観音は面白い顔をする。ダメだこれ以上みていたら、帰れなくなると感じて目を逸らす。とたんに聞こえる(気がする)笑い声。観音の笑い声。「千人坊主」が続けて一斉に笑う。わははははっははははっはははっはははっはっはっははは。鍾乳洞にこだまする笑い声が聞こえる(気がする)。「ひねくれ坊主」は、ひねくれものだから、みんなが笑えば笑うほどにあんにゅいな表情になる。わしゃ、ちっとも面白くないから、なあ。とあんにゅいに「小象岩」に聞く。小象岩は、一度ぱおーんと鳴く。鳴いて面目を保って、また黙り続ける。

みんなそういう風にして長い間過ごしてきたんだ。

ふたつめは今宵の月が僕を誘っていること2

2006-12-01 | 東京半熟日記
(沖縄編11)

階段を下る。低い天井、丸い形の通路をひたすら下る。長い。
わたしは、とある事情でミクロサイズになり、いわゆるミクロレディであり、どこかの偉い医者に乞われて出向き、人間の内部に入っていく、特別隊なのです。みたいな気分で下る。阿呆である。

玉泉洞。日本第二位の長さを誇る鍾乳洞です。沖縄の水、潮水が石を削り、作り出した原始のアート。その人工的に開いた入り口から鍾乳洞の内部へ足を踏み入れる。

途端に異空間。潮の甘い匂い、足元は通路が補整されているが、潮でぬめぬめと濡れていて、おそらく微生物の宝庫、靴底の面積内に20億匹ほど微生物がいるんでしょう。歩くたびスニーカーがキュキュと音を立てる。長いつららみたい、珊瑚礁からできた柔突起のような無数の鍾乳石に囲まれる。ここは静かで、時々聞こえるのは、観光客の足音、波の音?コウモリの嫁入り、行列をなし、闇で彼らはハネムーンにでかける。わたしは背景で、黒く短い髪を揺らす、いうなれば木のようなものなの。君が主役さ。星座のように、様々な形をした鍾乳石が名づけられている。だって人間は、色んなものに名前を付ける生き物だし、名前があるということは、恐怖が半減するような気がするから。だから、名前を付けたがる。わたしはそれを母なる愛とか、そういうもので包み込んであげるから心配ないのです。

「昇竜の鐘」が出迎えのベルを鳴らせば、「岩窟王」は湯を沸かす。湯を沸かすのは、産婆が沸かせとにかく沸かせ、そして男は部屋から出て外でまっとれ、と言ったからだったけどそれはこの際黙っておく。合図だ、と暗闇の中の生き物が活発にぞろぞろ。「かぼちゃ石」の上にシンデレラが乗ってら。乗って舞踏会に向かってら、向かって、継母と義姉らの嫉妬を買ってら、買ってだけどあの美しさなら仕方ないわねおめでとうシンデレラロードは続くよどこまでも。