キノコが好きである。私はキノコさえあれば他に何もいらないほどキノコが好きなのである。女性よりも好きなのである。シーフードグラタンよりも好きでなのである。シーフードグラタンも捨てがたいけれど、あの魚介類の旨味がクリームソースと絡み合ってそこにチーズの濃厚な酸味が加わり、湯気を噴出している熱々のシーフードグラタンも強敵ではある。体調によってはシーフードグラタンに軍配が上がるというものだ。しかし、キノコはこのシーフードグラタンにも加えることが可能な柔軟性をもっている。キノコの種類の多さはシーフードグラタンの比でない。種類の多さから言えばシーフードグラタンは園児程である。対してキノコ、米寿を迎えましてひ孫生まれました、程である。だからキノコは大切なのだ。山にある大切な栄養素なのだ。と後ろに立っていた熊がぶつぶつ
星に告ぐ、僕の真上に光る星に告ぐ、僕の想いは届くのだろうか、教えてくれやしないか、何も望まないし、すべて投げ捨てたっていい、ただ僕の想いが届くのならそれでいい、星に告ぐ、僕の想いを届けてくれまいか、さあ、みんな届いたかな、えへへ、きいてくださいリッスン・トゥ・ハー
隅から隅まで女やったの、運転手から、ストップウォッチを操作する助手的な人まで女。高い声をあえて低く低くして、調査にご協力ください、と言うリーダー的な女なんか、面白みのない表情で淡々としとるし、それが妙に腹立つねんな。ほんで徹底的に調査しよる、こっちもまあええか、と思えてくるし、好きなだけやればええやん、別にかまわんから。それが狙いなんかな、どうでもええけど。で、その女の塊がどばーっとやってきたかと思うともう、ぐんぐん遠慮なんかまるでなく大切な領域にも踏み込んでくる。それは屈辱やし、快感でもある。自分を踏みにじられる快感。その塊が通り過ぎたあとには草の根一つのこっていないとり尽くされ、食い尽くされたやせた大地。で、いったんなにをしらべとるんかようわからん。(肉屋の店主談)
「怒るのが面白くてどんどんエスカレートした」と理由を話した。私は鼻で笑いながら、一種の危うさを感じた。少年に反省する気配はなく、むしろその様子を誇らしげに語っているのだ。面白くて仕方がない、あの怒った時の顔ったらないぜ、わくわくしちゃう。少年は次第に興奮してきたのか、ふるふると小さく震え出した。ああ、たまらねえ、あの弱いものが無力なものが、どうしようもない災難にかかって、なんとかやり過ごそうと決めた時の、自分の運命を受け入れた時の表情。かっくいい。かっくいい。それを見たくて見たくて、とにかく。と、それを黙って聞いていた天海さんが立ち上がり、少年に歩み寄り、その頬を、幾分赤らんだ頬を打った。突然のことで静まり返る、ぱんと鳴った残響が跳ね返ってくる。少年は薄ら笑いを浮かべたまま、怒った?とこびたような表情、天海さんは表情を読めない無表情、とても怒っているようでもあるし、何とも思っていないようでもある。天海さんは、ごめんと吐き出すようにつぶやいて、その場に座り込んだ。天海さんが何に腹を立てて、少年の頬を打ったのかよくわからない。
あれからどれぐらい経つでしょう。私はすっかり大人になりました。自分で言うのも変な話だけれど、大人の女になりまして、年下の子におせっかいしながら、日々を過ごしています。みんな大好きです。私はそんなつもりないけど、よく年下に媚びてやがる、と言う輩がいて、てめえ、ちょっとだまってろよごらぁ!なんて言い返してちゃんちゃん、ひどくもめたりしますが、それは坂下が悪いのであって、私に何ら落ち度はないわけです。とりあえず坂下は死んでほしい。で、大人の女ですから、若い頃の存在するだけで華があるなんて思ってはいけまえん、そう思っていると本当に痛い、坂下そのままになってしまう。それを受け入れてまず第一歩、受け入れた上でどう勝負するか、何で勝負するか、ずいぶん悩みました。そして見つけたんです。包み込むような吐息です。はきかけるのです、暇を見てはふううと首元にはきかける、すると、若い子はあはんあはん、とあえいでとろんとした目つき。これです。これさえあれば、私は何にでもなれる、そう思ったのです。それに気づいてからは日々がめまぐるしく動きました。私がちょっと吐息を吹きかけるだけで、周りがするすると動くのですから。私は実質何もしていなくても。思えばその吐息は気づいたものの誰もが使っているのですね。シャムスカさん、また道頓堀で会いましょう。
「1号は黙ってて」と女は言った。女といっても公認のサンタクロースである。女だってサンタクロースになって何が悪いと言うのだ、の視点から、男女共同参画とか小難しそうな視点から女だってサンタクロースだ。ふくよかな条件さえ満たせばサンタクロースなんだからね。サンタクロース界ではみな平等である。サンタクロースが格差つけていたら、夢もあったもんじゃない。だから新人であろうが、ベテランであろうが平等、同じ土俵に足っている力士みたいなもの。そこでは実力が物を言う。入った順番に番号が付けられているから、今黙れと言われた1号はまぎれもなくサンタクロースとして世に出てきた最初のその人である。その人に、番号で言うなら1907号の女はキレている。これだから女は扱いに困る、等と言ったものならその筋の団体に目をつけられて再起不能である。だからそれは個性、として認めなければならない。1号も、なにせサンタクロースの祖であるから、気は優しいのだ、女がやいやいいうのをぼんやりと見つめているだけだ。そのうち女だけがその会議をしている部屋に響き渡る越えで語りはじめた。みんな全然わかっていない、サンタクロースが何なのかってことを。それが女は許せないのである。トナカイものぞき見ているその形相はよほどサンタクロースとはほど遠い、まるで天狗であった。
天海さんだって天海さんなりの考えややり方があって、それに忠実にあるだけ。まわりがあれこれ言った所で意味がない。どころか逆効果。天海さんは反発して、意固地になって、どんどん視野が狭くなり、力が入り、天海さんの思うものでさえなくなる。そうなったら何の意味もない。たしかに天海さんの性格上、37年も継ぎ足しているとは考えられない。だいたい天海さんはてきとーなひとで、細かいことは気にしない、する気配もないひとで、まあ何か37年も密かに継続しているなんてあり得ない。あり得ないのだ。しかし本人がそういうのだからそれを疑ってメリットなどない。まったくない。とりあえず信じてみよう。そうしよう。と私は深くうなずく。天海さんはとろんとした目で次の言葉を待っている。待っているいるのか、店のBGMを聞き入っているのかよくわからない。ちょうど曲が終わり、次の静かなバラードに入った所で、その曲は好きではないのだと言わんばかり強い口調で、急に、腐ってしまいそうなの、と言った。海外旅行に行くから、その間誰かが管理してないと、完全にダメになってしまう。アー見えてデリケートなものだから。だから、私にそのおもりをしてほしいと言う。私はなんと応えていいものやら、言葉が出せないでいる。なんというか、非常に面倒くさい。
一徹はなかなかひっくり返さない。いつもであればすでに二度目のひっくり返しにでも入っているところであったが、今日はその動きすらない、疲れているのか、と視聴者の誰もが思っていた。考えれば一徹もとしである。もう、還暦はおろか、プラスα小学生になってしまうよ、ぐらいの年月を重ねた。幸せな人生であった。息子は読売ジャイアンツでスターとして活躍している。今も尚新たな魔球を開発し、それはもはや一徹の力が及ばない遠い所ではあったが、たまに家に帰ってくる息子はいつも父を敬ってくれた。それで満足だった。ダカラこの辺で、一徹はそろそろ引退の二文字を意識し始めていた。もう、見事にひっくり返せませんよ、と関係者には漏らしていた。しかし、視聴者からの期待は高まる一方、逆にそこまで引っぱるからにはとんでもないひっくり返し方をするんだろう的な期待。そして番組の後半、一徹は好物のかにクリームコロッケを食べていた。熱々であり、非常にうまかった。家族はそろっていた。息子も突然帰ってきた。ひっくり返さないから心配して自家用ヘリでかけつけたのだ。無言であった。誰も、はやくやっておしまい、と思っていた。一徹、まず箸を投げた、ばかやろーと低くつぶやいた。俺の、精一杯のパフォーマンスを目に焼き付けておきやがれ、視聴者には聞こえなかっただろう、それぐらい小さかった。一徹はうりょーと叫んだ、ちゃぶ台は重い、かあちゃんの声が聞こえるはずだった。あなたやめて!と止めに入るはずだったのに、かあちゃんは見守っている、さあやっておしまい、とその目は語っていた。一徹、うりょーともういちど叫ぶ、ちゃぶ台はまだひっくりかえりません。一徹の肩を支えて息子が手伝い始めた。うりょー、まだまだひっくり返りません。一徹を支える息子を姉が支えます。うりょー、まだまだひっくり返りません。見かねた母ちゃんがそのうしろを支えます。うりょー、ちゃぶ台は動く気配さえ見せません。飼い猫のミケがそのあとを、通りかかった長島茂雄がそのあとを支えて、うりょー!うりょー!うりょー!すっころこーん、ちゃぶ台はみごとにひっくり返りましたと。めでたしめでたし。
結婚式が終わり、やれやれとふたりで居酒屋を探した。それまでの疲れやら、気苦労が一気に押し寄せてきて、本当はホテルでゆっくり休みたかったが、せっかく沖縄に来ているのだからと、地元のものを食べようと歩いていた。リゾート地でなかなか本当に美味しそうな沖縄料理を食べさせる店は見つからず、観光客向けのいかにも沖縄料理を楽しんでください、という意図が見え見えな店の横を抜けていった。ホテル内で様々な施設があって、それを利用することで事足りるようになっているリゾートホテルで、敷地から一歩出ると道路沿いに一軒、しばらく歩いてまた一軒と、ところどころ転々と居酒屋らしき店があった。僕らはなるべく観光客向けでない地元の味を味わえる店を目指して、今日の結婚式の反省をしつつ、あるいていた。疲れてはいたが幸せだった。沖縄のメイン道路を歩いていたから交通量は多く、結構うるさかったが、海から吹いてくる風の匂い、しだいに湿ってくる髪をなでながら、エンジン音に混じって遠慮がちに聞こえてくる波の音に耳をすませた。ホテルから20分ほど歩いたところに、ぽつんと灯りがともっているちいさなログハウスがあって、どうやら沖縄で活躍する何人かの作品を集めた雑貨屋だったが、そこに立ち寄ることにした。たたずまいがなんとなく可愛らしく、そういうところに立ち寄って作品を見るのもいい思い出になるんじゃないか、と思った。その4畳半ほどのスペースに所狭しと作品は飾ってあった。沖縄ガラス、陶芸、絵手紙、貝殻のオブジェ、すこし暗いの店内で、店主はいらっしゃい、と沖縄のアクセントで迎えてくれた。沖縄には結婚式できたの?そうです、いい天気でよかったね、ありがとうございますとそのトーンが穏やかで低く、声は波のように寄せては返して、届いた。そこで魅了に味のある沖縄の丼茶碗を買った、ちょうど探していたので、と彼女は喜んでいた。大将は、その柄の意味を丁寧に説明してくれて、これあげるよ、とポストカードを包みに入れてくれた。新婚さんだからね。それから大将の教えてくれた居酒屋に入り、思う存分、といっても結婚式でたくさん食べた後だったため、それほどたくさんは食べられなかったけど、なによりふたりで食べることが楽しくて君はオリオンビールをおかわりする。
ワトソンはそう言うとベッドに倒れ込んで、すぐにいびきをかきはじめた。ひどく大きないびきで、部屋の中のあらゆるものは小刻みに振動していた。そのうち窓ガラスは割れ、粉々に砕けて落ちた。耳の感覚は消え、りーんと遠くの方で音がなっているという状態、その音に近づこうとしても、するり逃げていく不思議な音だった。いびきはやがて、寝言へ変わる。寝言はやけにはっきりと、その言葉自体の意味はよくわからないものの、根気づよく聞いていればそのキーワードに気づく。主にサッカーチームの選手の起用方法に関するものだと推測できた。ワトソンは草サッカーチームを持っていて、監督権選手として年間50試合ほどしている。いわば生き甲斐のようなものだった。そのサッカーチームの起用方法はやけに戦略的で複雑だった。
それはつまり、どういうこと?つる子さんはすまし顔、崩さぬまますすーとびわゼリーをすすり食っている。びわゼリーはとれたてのびわが入ったから、と昨日つる子さんの夫にあたる人が、手際よくコンポートにしてさらに、寒天で固めてゼリーまでしあげてしまうあんた、えらいよまったく、そのゼリーで、つる子さんはすましがおのままふたつ目を手に取った。で?と私は促すのだけれど、つる子さん無言、こういうところがある、お前あたしは今びわゼリーを食ってんだからちょっと黙っとけよ、みたいな鋭い目線。まったく、と私もびわゼリーにスプーンを入れて、つるんとしたそれをすくいあげて、口に持っていく。ほろろんとのどを通り抜けて、うまいねえ、夫にあたる人ありがとうと目を閉じて味わっていた。するとふたつ目を食べ終えたつる子さんが私の目を見て繰り返した。毎日をスポーツにする。いやだから。
つまり黄砂は見ている。世界中の出来事をくまなく見ている。一粒一粒はどんな好きまでも入り込むことができるぐらいの大きさであるし、それが星の数ほどあるのだし、ふわふわとほんの少しの風で移動できる。そうやって黄砂は私たちの生活を隅から隅まで見ている。ある砂が見た光景、また別の砂が見た光景、それらは本体の記憶として蓄積する。そうやって積み重ねた記憶は膨大な量である。当然、ただ、たまっているわけではない。容量には限度がある。一定量以上は記憶できない。すでに容量はいっぱいであるから、加速度的に消えている。平均保存期間を算出すると13日間。それをすぎると消えていく。消えた記憶はどこにいくのか、架空へと溶け出すのか、さらに大きな媒体に記録するのか、今の所よくわかっていない。消える前の記憶は少し輝くのだと言う。ほのかに輝いて、そしてかすむように徐々に消えていく。それは蛍の点滅のようで、大変きれいなのだという。砂丘に見られて口づけをする南米のカップルの、褐色の肌から浮き出る汗が光って、消えるように、砂丘の記憶も光って消えた。
俺とお前のウィルスは同じ。同じウィルスが分裂してできた存在。同じ部分を分け合った同士。俺の一部はお前のもので、お前の一部は俺のものだから、ひとつ、俺たちはひとつ。そう考えると楽しくなってきたのだ。共有するものを持っているということは、なにか侵してはいけないことだ。俺たちは近い、これ以上ないほど近い。だから近づけないんだ。近づけない。近づけない。その事実は俺に重くのしかかる、大切なことを忘れてしまったんだ。重くのしかかる。
いい?私は眠れなかったのよ、本当に、うれしくて。ほんのささいなことかもしれない。誰も気に留めていなくて、私だけがそう感じているだけで、なんでもないことかもしれないけれど、とにかく私は眠れなかったの。眠ろうとして、ふと、体が熱くて、それも芯の部分がじんじんと熱くて、だから、何だろうと私は不思議に思ってたわけ、胸もこころなしか高鳴ってるし、そんなはずない、と自分で否定はしてみたけれど、いつまでたっても眠れない。電気は消したし、尿意も別にない。だから眠れるはずなのに。私は寝付きがいい方で、だいたい横になって5分もすれば眠りにつくはずなのに。全く眠れないどころか逆に目が冴えてきた。脳が活動をはじめる。それで、私も認めざるを得なかった。私はつる子さんのあの告白を喜んでいる。頭のてっぺんから脚の先まで全身でひどく。