リッスン・トゥ・ハー

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拝啓

2010-03-22 | 掌編~短編
芥川賞をください。
とにかくください。くださればそれで結構、実に結構。
あとは何も言うことはありません。
ただし、今すぐにください。今すぐでなければ意味がない。ただくださればいいのです。簡単なことでしょう。話し合いがなされるのであれば、そこで、展開を私の受賞に持っていけば言い訳です。簡単な話でしょう。
私には時間がない。他のものにはまだ可能性がある。次にくれてやればいいわけです。私は次がない。ない確実にない。しかし、私に芥川賞をくれるならば、次はある。これから長く私は小説を書き続けるでしょう。永劫、未来残る傑作を書き続けるでしょう。構想もあります。ここだけの話ですが。おそらく傑作になるでしょう。もう9割方出来ています。完成しているようなものです。それを世に出さねばなりません。文学が呼んでいるのです。私の作品をでておいでと呼んでいるのです。私はそれに応えなければなりません。応えなければならないのです。お願いします。受賞できない場合、私は死にます。単刀直入に言いましょう。死にますよ。
人殺し!この人殺しめ!人でなし。人でない家畜以下!家畜以下に私の作品の価値が分かるのですかいったい、何を根拠に判断をするのですか。しっかり説明してもらわないことには納得できませんなあ。あなたに私を納得させられるでしょうか。この、小説の鬼、と自称している私を。まず不可能でしょう。不可能に決まっている。なぜなら私は納得しないから。ややこしいですよ。私が駄々をこねている様を想像してください。私はやめませんよ、デパートで泣きじゃくりながら手足をばたばたされる子どもさながらデパートで泣き叫びますよ。いいんですか。パフェで稼げるのは最初の10分のみですよ。あなたに耐えられるだろうか。まあ無理だろう無理だろう。悪いことは言わない。私にくれればいいんだ。それですべてうまくいく。傑作も生まれる。人も死なない。殺人も起こらない。私には賞金が入る。いいではないですか。それで。ほら、スケートリンクでは女の子が舞うよ。
 スケートリンクでは女の子が舞うよくるくる。簡単そうだ。私にも舞えそうだ。あの娘の手をとって、体を密着させて舞う。ぺったりと表面積を、あの子のものにして、皮膚呼吸等市内で、一心不乱に私は子とともに舞う。
 そうして、エネルギーを得る。次の作品を書く為のエネルギーを得る。
 そうして、私は傑作を書くわけです。
 苦労しているのです。そんな風に私は書き上げた、苦しかった。もうやめようと何度も思った。しかし、諦めなかった。正解でした。出来上がりました。文句等何もない。選択の余地など何もない。これが後世に残る傑作。
 確かに、候補に挙がっている「むしゃぶりついて豚」はなかなかよろしい作品だ。私も感心したあれを読んで、度肝をぬかされた。田代君も成長したものだ。と思った。まあ、200年ぐらいは残るだろうか。せいぜい300年だ。いい作品だと思いますよ。だから来年もう一度挑戦してもらえばよいじゃないですか。才能あるよ、根気もあるよ彼。私は根気がない、だから今年、今出ないともう手遅れになってしまう。さあ。ください。がっつりください。私の作品と比べてみなさい。とたんに色あせてしまう。いいでか、私はあれを書く事もできるのです。ああいう風な作品を書く事もできるわけですしかし、しかしあえて書かない。だって、田代君書くし、かわいそうじゃないですか。私の広い心、それをしっかり評価に加えてもらわないといけません。
 だいたい田代君等、そういう私の好意を全く知らないのか、はたまた知っていてあえてそうしているのか、私を目の敵みたいに接するから馬鹿だ。全く馬鹿だ。
 いいじゃないか、彼は彼なりに必死に生きているわけだし、最近赤ん坊が生まれたってね。言ってましたよ。私にもうれしそうに言ってましたよ。で、今借りてきましたその赤ん坊。
 芥川賞をくれない場合、私はこの赤子の手をひねります。ひねることにしています決めてますから気をつけてください。いや、これは脅迫でもなんでもないのですよ。たまたま赤子がいるんでひねるだけで、それ以上の意味はありません。
 ひねるだけでは収まらずにねじりねじりアキラの首に巻きつけて話題を掻っ攫います。きっとアキラは大変喜ぶことでしょう。これはいい、もげそうな赤子の首にダンディズムを感じるね、と言ってくれるでしょう。そうなれば困るでしょう?大変困るでしょう。だって、アキラの機嫌が良くなるのですよ、すなわち池の神様であるトオルの機嫌が悪くなり、池は荒れ、人類に多大な被害が出てしまう可能性があります。いやたった10平方メートルの池だと言って侮ってはいけません。世界を変えてしまう恐ろしい池なのです。
どうしてだって?
 池にはいれば分かります。池は世界に通じているのです。
 そこを経ればどこにでもいけそうなのです。
 まあそれは置いておきましょう。話を戻しましょう。
 はっきり言いましょう芥川賞等というものは、馬鹿なんだ。馬鹿でしかない。
 いいや、それでいいや。
 馬鹿の賞なんて要らないよ。僕要らないよ。そんな物に価値はない。
 さてナイフを持った。切れ味鋭そうなナイフだこと。さぞかしきれるのでしょうね、猫でも、腕でも、首でも。うへへへ。
 大丈夫、私はいたって正常、精神状態良好。確定申告だって出来そうなぐらいクリアな脳内、住んでいるのは小説の神様、写実主義がどうこういっているから、神様。

 あ僕君の住所知ってんだ。じゃあ今からそこ行くね。
 鉢合わせだね。いいんだ。関係ないんだ。じゃあ、扉をノックするものはすなわち僕だからよろしく。
 
 妻を、妻を貰ったのです。
 妻はいい女です。こんな私を立ててくれる。一歩引いて、私を支えてくれる。そんないまどき珍しい女です。自分というものを持たない、決してもとうとしない。持つことは汚らわしいことなのです。持つべきではないのです。小説家の妻たるや、小説家を陰から、時には生活の糧を稼いで、芸術的傑作を生み出すサポートをする。そういうのに適した女です。私はほれています。完全に、完膚なきまでにほれています。彼女無しでは生きていけないでしょう。その妻に買ってやりたいのです。エコバックを買ってやりたいのです。エコバックがなければ、追加料金を取られ、結局損をすることになる。そうならないためにはエコバックが必要なのです。損をするということは、彼女にとって死なのですから。
 エコバックだけではありません。もちろん、ほか様々な必要物があります。それをいちいち聞いて私は妻のために購入したいのです。
 購入しても何も変わらない、と思う人もいるでしょうしかし、そんなことは問題ではないのです。すなわち、気持ちの問題。誰がどう思うかそれだけ。
 先生はどう、どう思いですか。
 貰わないとなると、そうですね、こちらにも考えがあります。はい、はっきりとした脅しです。みていなさいみてなさい。先生。私は先生を見て育ちました。だからこそ、こんな風に頼んでいるのです。ああ、頼んでいるのです。私が人に物を頼むことなんてありませんこれから先も、これまでも、ありませんそういうものです、だから、これは一生に一度きり、本当に必要なときしか私は頼みません。
 さあ、ください。余すことなく下さい。それでいい。それでいいのです。
 ひねりますよ。マジでひねりますよ。もう私も疲れました。待つことに疲れました。そろそろ、結果がほしいのです。結果が伴わない作業は疲れます。作業です。まるで作業です、芸術でもなんでもないすでに、最初は違った、しかし今は単なる作業です。その不毛な作業をせめて評価されないならば、私はなんと言うか、死ねといっているわけですね、そうか、そうなのか。まあ、それならそれでいい、はっきり言ってください死ねと、そしたら私は悔いることなく笑って死ぬでしょう。
 最初は良かった。
 本当に楽しかった。作業はとても楽しかった。夢のようだった。
 夢を見ました。
 奇妙な夢でした。まあたいがい夢というのは奇妙な物ですが、その中でも特別奇妙でした。必然的な奇妙さでした。奇妙というクリームで包んだスポンジ生地でした。スポンジはやわらかく手、口当たりがよく解けるように舌の上にありました。苺が挟んである。酸味が口に広がります。果実の香り。それを私は逃さずに取り込む。身体から果実、酸味、苺の果汁が飛び散るのです。
 富士の夢です。
 私は富士を登っていました。頂上を目指していました。紛れもなく私は富士にいました。そして富士を感じていましたまるで、私の一部としてそこにあるような気がしました。
 気のせいではありませんでした。私は富士でした。

 私の二の腕のところに女が二人歩いていました。ちょうど月見草が咲き乱れている。二の腕の辺りです。女は富士にいるやはり、登山している。富士など、街みたいなものだからもうすっかり軽装です。軽装で登れるのです。その昔は違ったそれでも酸素など、爪みたいなものなど、持って、登らなければ危険だった。そういう山だった。のが、整備され誰もが安易に登りだし始めた、それは、それで、いい。
 女二人がのぼってくるのだからそれならいい。二の腕がプルプルと揺れる。
 運動不足だからプルプルと揺れた。
 女はそのプルプルに揺れながらしかし、私のにのうでがゆれているとはおもっていない。ほんの少し風が、強く吹いてきたぐらいにしか感じていない。世界はずっと回っているのに、だれもそれを強くは感じないのと同じように、私の二の腕がプルプル揺れているのを感じているものはいない。
 女は、記念、記念、とつぶやく。どちらも、どちらも記念、記念を愛しているようだ。それを私はほほえましく思いながら、しかしどうしようもない嫌悪感にとらわれる。お前の歩いているその地は、お前の足が踏みつけているその地面は、私の二の腕なのだ。その二の腕で記念記念うるさい。
 しかし私はそう思うだけで、実際に口にすることはない。
 私は物静かな富士である。
 女二人は私に写真をとってくれとせがむ。女二人の笑顔が迫る私の体温は上がる。しかし何も言わないそれは、私が決めたルール。私は彼女らにとって登る物であればいい。
 富士は立ち上がる。
 カメラを受け取る。
 「簡単です、富士山でも扱えると思います。この上についているボタンを押すだけですから」
 という声とともに落ちていく女二人、真っ逆さま。湖にはまって、沈む。

 目が覚めると、私を覗き込む女がいた。妻です。
 なんと言うことはない、妻がたまたま私を覗き込んでいただけです。
 私は妻を抱き寄せ、着ていた服を剥いで、乳房を口に含む。
 ミルクが出てきてこんにちは、坊ちゃん一緒に遊びましょう。

 妻と交わった後、子の額に口付けをし、眠りました。

悪魔は大根を血で煮る

2008-12-03 | 掌編~短編
「悪魔は大根を血で煮る」



 魂と引き換えに美味しい煮大根を作れるようになるという契約を結んだ。
 拓郎という大好きな男がいて彼は、「あなた間もなく死にますよ」と医者に言われ、「死ぬのは別にいいんだけどただその前に美味い煮大根が食べたい」と言い出し、そんなとき見計らったように悪魔は私の前に現れ、例の取引を持ち出した。

 「あなたの魂と引き換えに、何でも望みをかなえましょう」

 私が魂を奪われることによるメリットとデメリットを並べ、かろうじてデメリットのほうが多かったが、そんな少しばかりのデメリットならば拓郎のために使いたい、と取引に応じることにした。
 最初、私は彼の命を助けてもらおうかと考えたが、彼はそんなやり方で生き長らえても喜ばないような気がしたし、そもそも私は魂がなくなるわけだし、料理の下手な私だって一生に一度ぐらい唸るように美味い煮大根を作ってみたかった。
 私が願いを言うと、悪魔は少し困った顔をして「ええと、ちょっと時間をくれませんか?はい、恐縮です」と言うやいなや煙みたいに消えた。

 数時間後、悪魔は再びやってきた。
 ふっと突然現れるのでなく、ちゃんとインターフォンを押して、戸を叩き、私の顔を見ると「私です」と言った。
 「私です。どうも、お待たせしました、では、さっそくはじめましょうか」
 悪魔は腕時計をちらっと見る。
 「なにを?」
 「もちろん美味しい煮大根を作るのです」
 「実際に?」
 「だって作ってみないことには、美味しいのが作れるようにならないでしょうに」
 「魔術か何かで、知らない間に美味くなっていたりするんじゃないの?」
 「そんな便利なことできたら悪魔はいりませんよ」
 悪魔のいかにも心外だという表情で、持参したエプロンをつけはじめる。
 私は、話が違うよ、と言いたかったが、ぐっと我慢した。悪魔のエプロンは、ねずみの女の子がとろけそうに笑っている絵がついていて、可愛らしいものだった。私がじっと見ていると、「これですか、妻のですよ、何か?」と言い訳するように早口でつぶやいた。
 悪魔はやれやれとまた腕時計を見る。厄介な客にあたってしまったセールスマンみたいだった。

 出来上がった煮大根は本当に美味しかった。
 私はやはり、何か違う、と感じつつもその作り方をちゃんとメモして、ありがとう、と悪魔にお礼を言った。「なんのなんのお安い御用です」と悪魔は得意そうに答えた。
 「料理はあまりしないの?」
 「まあまるでしませんね」
 「でもなんでこんなに美味しい煮大根が作れちゃうの?」
 「申し訳ありませんが、企業秘密です」
 「ふうん」企業なんだ。
 「ではこれで失礼します」と悪魔はビジネスライクに頭を下げ、部屋から出て行った。どうして消えないのだろう、と考えながら私は煮大根をもうひとくち食べ、うまい、とつぶやいた。

 翌日、メモを見ながらなんとか作った煮大根を持って、私は病院を訪れた。
 拓郎は煮大根を食べ、うんまい、と唸った。
 「本当にうまいなあこの煮大根、これで思い残すことないや」
 まだそんなこと言わないで、と思いながらも私は安心して、ふと病室の窓から外を見る。
 と、悪魔がいた。
 悪魔は作業服を着て何食わぬ顔で庭木を剪定している。お前は何者だ、とも思ったが素直に、ありがと、とつぶやいた。不思議そうに拓郎がにっこりと笑う。
 瞬間、誰かに釣り上げられるように、私の意識がふうわりと浮き上がった。拓郎の表情はなくなる。周りの時間が止まった。私は魂を奪われたのだとすぐに分かった。目の前に悪魔が立っていた。
 そういえば、どの瞬間に魂を奪われるかは指定しなかった。だから最初に煮大根を作った直後に奪われてもそれは契約違反ではない。拓郎に食べさせ、最後に笑顔も見せてくれて、この悪魔はきっと良い方の悪魔なのだと思った。
 もしかしたら拓郎を驚かせてしまったかもしれない。ごめんね、と謝ってから、手を引かれるようにふわふわ昇っていった。
 空に浮かぶというのは幼い頃空想したとおり気持ちがよかった。

あくび

2008-11-15 | 掌編~短編
 あなたはあくびを殺しながら私の右腕に腕輪をつけた。ふたりおそろい、しろつめくさで作ったの。
 「ではいきますか」あなたの声がやけにのんびりと聞こえる。
 「うん」「寒くない?」「大丈夫」「では」「はい」あなたは私の手を握った。ほんわりと優しいぬくもりが伝わってきた。冷たいなあ、とあなたは夜空にむかって笑いかけ、暗い穴に入る。手を引かれた私は振り返る。しんしんと雪の降ってくる空を見て、少しのあいださよならね、ってつぶやいた。
 穴の中には乾いた枯葉がたくさん置いてあって、お日様の香ばしい匂いがした。
 枯葉の中にせーのって沈み込む。
 かさかさと音が鳴って、なんだか少しこそばゆい。

 初めての冬、私は少し興奮していた。だって、春までの間ずっとあなたの匂いが、体温が、寝息がいつでも右隣にあるのだから。はっきり言えば私はちょっとエッチな気分になっていた。そんなことをあなたに絶対言わないけれど、実は濡れていた。
 なんとなく落ち着かずに、寝る体勢を微調整し、その度に鳴るかさかさが妙に気になった。
 もしもあなたがすぐに眠ってしまって、かさかさが気になる私は、そういう変な興奮をしているせいで眠れなくて、ずっと起きている事になったら・・・。
 考えれば考えるほどもっと気になって、怖くなってくる。思わずあなたの手をぎゅうと握る。
 「どうしたの?」とやさしいあなたは聞いてくれる。
 「ちょっと足の先が冷たくなっちゃった」と私がごまかす。何を隠そう、私はつよがりなのだ。
 「じゃああたためたげるよ」
 あなたは足でゆっくりさすってくれた。かさかさ、がさっきまでとは全然違って聞こえた。「だいじょうぶだよ」と言われてる気がする。なんかふわふわして、思わずあくびがでた。少し遅れてあなたもあくびをする。私のがうつったんだ、と思うとなんだかうれしくて、可笑しくって、うふふ、と笑ったら、あなたも、うふふ、と笑った。
 
 あなたは穴にたんと蓄えてあるどんぐりをひとつつまんでかじった。こりこり、って美味しそうな音がして、私も急に食べたくなる。できるだけまん丸で美味しそうなのを選んで、口に放り込んだ。思った通りこりこりでとても美味しかった。私はどんぐりをもうひとつつまんでそれをかじりながらつぶやく。
 「ねえねえ、春になったら、野原で寝転がろうね」
 あなたはもう眠たくて眠たくて仕方がないというふうにゆっくり答える。
 「また、ねむるの?ハル、ねむるの、好きだねえ」
 やわらかい陽だまりの中で隣にいるあなたとその陽だまりを感じたいんじゃないのもう鈍感。って言いたいけど悔しいから口には出さず、かわりにあなたの左腕にあるしろつめくさの腕輪を触って、解けていない事を確かめた。
 あなたは大きなあくびをして、おやすみ、とささやいた。もう寝息を立てている。息を吸って吐いて、あなたのお腹が動くたびにちいさくかさかさと鳴る。おやすみ、と答えて私もあくびをする。あなたのがうつったんだ。やっぱりうれしくなって、手をまたぎゅうと握った。こうしてたらぐっすり眠れるかな、と心の中でそっとつぶやいた。「だいじょうぶ」ってあなたが応えた気がした。「春まで、ちゃんとつないでて、はなしちゃいやよ」「だいじょうぶ」
 なんだかあなたの夢を見れるような気がして私は、急いでどんぐりを飲み込んだ。

「神様」(モンスターエンジン/吉本興業)

2008-08-13 | 掌編~短編
部室の空気がやけにひんやりして、心臓まで突き刺さってきそうさ。
部室といっても真冬の室外とほぼ同じようなものだから当然である。存分にあるドア下の隙間から恐ろしいほどの勢いで吹き込んでくる。凍死は時間の問題だろう。
「凍死するわけにはいかないさ」男は心臓を痛めつけるほどの寒さに対しそうつぶやく。幻覚が見えるのである。
あと2時間後のマラソン大会がある。「そう、凍死するわけにはいかない、僕が優勝してやるまではな」男は有力な選手である。その期待の強さは全盛期の小錦のごとしであった。正直言って期待の強さは迷惑であった。苦しんでいた。優勝するに決まっている、そういう無責任な決め付けは、凶器となり、選手の首を締める。
分厚い白のウインドブレーカーを着込んだ彼の肌は、震えていた。寒さからくるもの、これからある大会からくるもの。心臓は2重の苦しみによって、突き刺さるように苦しい、強気に出てみたものの実際、優勝できる気が全くしなかった。スタートラインに着く事すらできないのではないか、ぼくは、このマラソン大会のためにすべてを投げ出して今日をむかえ、マラソン大会で優勝できることだけを目指して、それが今日決まるのだ。マラソンぐらいで大袈裟な、とあざ笑うものがいるかもしれない。しかしそれは、彼の今日までの努力を知らないからそんなに簡単に笑い飛ばせるからで、それを知っていれば何もいえなくなるか、祈るしかなくなるだろう。
男は祈った。
祈る事しかできなかった。この状態では、足など一歩も動きそうにない。なんなら凍死は意外と近づいてきた。
「ああ、神様」
悲痛に響いた。
この誰もいない部室の中では、嘆きこそ最も惨めなものだった。
床に落ちている薄汚れたタオルケットが、スタートライン付近ではいつくばって倒れた彼自身に見えた。背中を大勢の猛者が踏み超えて行くのだ、笑い皺がたくさんあって気持ち悪い彼自身に見えた。
「どうか、このマラソン大会でぼくを優勝させてください」
無神信者なら笑うだろう。いや、無神であれば、こんな時の神頼みと祈るのかもしれない。男はなりふりかまわず祈る、天に組んだ両手を突き上げた。
「お願いします、神様!」
その時だった。
薄汚れたタオルケットのタグの部分がふたふたと揺れ、それを持ち上げるように、何かでてきた。小さい虫かと思う間もなく、目の前に豊かな肉体を持つ人間が立っており、目を閉じて、両手は左右に不自然に構えたまま固定されていた。狭い額にリングをつけており、蛍光灯に反射して鈍く光る。その長めの髪は真ん中で分けられ、無造作にあそばせてしかし、あらかじめすべて決められたかのような納まり感でゆれていた。

「私は神だ」

「神様?え?」

「お前に力を与えよう」

「力?」

男は先ほど自分が不用意に、ただ自らの欲望に従い「神様」と叫んだ事も忘れ、目の前にいるものがなんなのか見当もつかなかった。もともと神など信じていなかったのだから無理もない。え、こいつタオルの精?
お構いなしに神とするものは、両手は不自然な形のまま、何か唱え始める。

「すべての神代そしてすべての生命よ」

タオルの精が何かはじめたようなので、男はなんとなく焦りだした。
しかし妙に良い体格をしている。タオルの精無勢が、とコンプレックスも刺激されさらに焦りだした。ああぼくはこんなことをしている暇はないんだ。少しでもリラックスして走れるように準備体操、ジョギングでもしていなければならないのだ。監督が会場で待っているはずだ。おそらく遅れた彼を見て、また激怒するにちがいない。それを想像してまた少し憂鬱になった。「あの、すいません、もう、いっていいすかね」と聞いてみようと思ったが言い出せない。なぜなら極度の人見知りだし、何か唱えているから邪魔しちゃうかもしれないし。

「かれに力を与えよ」

と、男の中心、先ほど空気が突き刺さろうとしている、ように感じていた、心臓が鼓動を早め、血が全身を巡っていく。
「ん?」
何か時間がものすごい速さで進んでいるような気がした。全身に、そのひとつ向こうに届きそうなほど、何度も、何度も、鼓動し、駆け巡った。
「ん、ん?う、うおおおおお、おおお」
バウンドしていた。スーパーボールのように弾んで全身を、さらに熱が、やはり心臓を中心として、その半径2m以内へ一斉に燃え上がり、男は全身が熱くなりうずくまる。皮膚のめきめきというはじけそうな音が聞こえていた。

「そして、彼がこの舞台で力を発揮できるよう」


「ち、力が、湧いて、きたううう、うおおおおおおお」

男はめらめらした混乱の中、本能に任せてウインドブレーカーの中に隠し持っていたシルバーの兜を頭にかぶり、ウインドブレーカーをぶあっさと突然剥いだ。

「私だ」

どこか楽しげにつぶやいて、筋骨隆々、腕を体の前に交差させて固定、先ほどまでの姿勢体格はどこふく風か、隙はない。バックをとらないかぎり、絞殺するのは難しそうだ。あるいは懸命なゴルゴなら、真っ先に逃出しているはずだ。

「お前だったのか」

動じることなく神はつぶやく。目を閉じたまま、それはおおらかな気持ちになれる歌のような声だった。先ほどまでとは少し違う神の素の声なのかもしれない。家の留守電に入れておいたと思っていたら友達ので、なとでお前声違うね、といわれるように身内だとほんの少し変わるのかもしれない。

「まただまされたな」

「全く気付かなかったぞ」

「暇を持ちあそばせた」

「神々の」

「遊び」

光が我々の方に傾く。

ジョナサンはかもめですか

2008-07-06 | 掌編~短編
 キュるるキュるると鳴いているかもめが空から一直線に落ちてきた。
 羽はもげ、力なくふらふらと落ちてきたのではなく、明らかな意図を持ってぐんぐんと勢いをつけて羽ばたき落ちてきた。今ぶつかればその鋭いくちばしによって致命傷は避けられそうになかった。
 かもめが落ちてくるそのちょうど下にいたのがジョナサンであった。

 ジョナサンは未亡人の機嫌をとりながらその未亡人の髪をセットしていた。
 ジョナサンは美容師だった。正確には美容師見習いだった。まだ髪を切ることは許されていない。先輩美容師が髪を切った後、その髪をセットする役割を担っていた。彼女は早く一人前の美容師になりたいものだと思いながら未亡人の髪にスプレーを吹きかけた。

 未亡人はいらいらとしていた。
 今日がはじめてのセットです、という美容師見習いの手際の悪さがいちいち癪に障った。あたくしはお得意様ですことよ、この美容院ももうダメねと感じていた。この晴れ渡った屋外で髪を切って欲しいという希望は叶えてくれるのはいいけれど、こんな見習いにやらせるようじゃ台無しじゃない、と腹の中で悪態をついた。それでも、口に出さなかったのは、自分に対する穏やかで美しいという評判を落としたくなかったからで、そのために未亡人はいらいらがたまりにたまっていた。未亡人は昨日のことを思い出す。
 あれは久しぶりに胸の躍るような夜だった。遡ること約12時間。

 紳士は未亡人の手を取って何かつぶやいた。
 なんとつぶやいたのか、興味のある方は直接未亡人に聞いてもらいたい。二人はパーティー会場を後にした。停まっていた馬車に乗る。馬がひひんと鳴いて、馬車は進みだす。適度にゆれる車内で未亡人は有頂天だった。

 馬車を操る男は客である二人を見てため息をついた。
 なんと素敵なふたりなのだろう。こんな風にパーティーに参加し、二人で抜け出し、どこかへ行きたいものだ。と感じた。馬に鞭を打ち速度を上げる。早く下ろしてしまいたかった。ふたりのこれからを思えば思うほど早く下ろさなければならないような気がした。馬は悲鳴を上げた。

 馬が上げた悲鳴を聞きつけたパン屋のおやじは「あのやろうまたやってやがる」とつぶやいた。
 パン屋のおやじは馬を愛していた。家族よりも自分よりもパンよりも馬を愛していた。馬を愛しているだけで生活ができるはずない、だからおやじは父親が築いたパン屋を継ぎ、パンをこねながら休日は馬を見にでかけた。馬車の男はいつもパーティ会場で客を受け、馬に鞭を入れる。それがいつもお決まりのコースであった。なんでもよかったのだ、あの男にかかれば自分以外のすべての幸福を呪っている、とパン屋のおやじは解釈した。性根の曲がった風貌をしているに違いない。おやじは馬車の男の顔を見たことがなかった。それでもあの馬の悲鳴を上げさせる元に対して深い憎しみを持っていた。殺意に近い憎しみだった。俺は馬のためなら命すら投げ出すことができる戦士だ、とおやじは年甲斐もなく鏡を見ながらつぶやく。上半身は裸で、たるんだ肉体をそれでも引き締めて鏡に映る。強そうな気がした、その自分が好きだった。馬がまた悲鳴を上げる。いつか、いつか仇を取ってやるからな、待っていろよ、とおやじはつぶやいたとき、客が来て愛想の良い顔をしなければならなかった。うまくいかなかった。ただでさえ無愛想だという評判なのに、その評判をなんとしても覆したかった。

 パンが嫌いなのにパンを買わなければならない。
 頼まれたのだから仕方がないそのうえ、おやじは無愛想だときた、すくわれない、そう思いながらジョナサンはパンを買った。それも仕事の内だから、と店長に言われた。見習であるわたしに逆らう事などできるわけがない、そう考えた。奴隷か、見習であれば言うとおりに動き、なんでもしますの姿勢を崩さない奴隷か、と考えた。
 そう考えているにちがいない客を憎らしく想った。こんな客はぞんざいに扱って言いにちがいない神様はそうおっしゃっているのだ。

 神様は首をひねる。
 確かに見習を奴隷だと考えている客ではある。だからと言ってジョナサンのその短絡的な考え方が気に入らなかった。それを受け入れてぞんざいに扱ってよい事になったら、怒られるのはわたしだからな、とひとりごとをつぶやいた。
 つぶやいた、その時に唾が一滴垂れた。
 ほんの一滴であったが、地球規模からすれば大きな一滴で、大きな塊として隕石のように、地球に向ってきた。約12時間が経過し、地球に到達し、その速度のままで降り注いだ。

 運悪く飛んでいたかもめにあたる。
 かもめはたまらず気絶、それはほんの一瞬で次の瞬間には、神の意思を受け継いだ鳥として落下した。下にいるのはジョナサンで、つまり神が与えた審判であった。

「バルコニー」

2008-06-15 | 掌編~短編
芥川先生に捧げて。


 雨降りのバルコニーには、ずぶ濡れの園児が立っていて、暖かそうな室内の様子をじっと見ている。夜になっても、母親も、父親も、まだ歩けない弟も室内で、園児ひとりだけがバルコニー、さらに雨降り。園児のほかにバルコニーには誰もいない。
 なぜかと言うと、単純に雨も降っているというのもある。また、バルコニーは塗装が見事に禿げ上がり、しかし、誰が塗りなおすでもなくただ憐れに放置され、だんだんと誰も近づかなくなってしまった。できた当時はあんなに皆がやってきては、見に行った映画の話をしたり、父親が大好きな空母の性能の話をしたり、バーベキュー、花火などという夏の定番行事も行っていたと言うのに。今はただ禿げ上がったバルコニーがさらに雨によって、徐々に腐ろうとしている。さらにいつからかバルコニーには生ゴミが置かれるようになり、それが貯まり貯まってすでに強い匂いを発している。ゴミのせいで足の踏み場もないほどのバルコニー。その代わり名前の知らない、見ているだけで嫌悪感が走るような虫が這っていた。虫はゴミを啄ばみに来るのである。というよりもゴミから発生したのである。うねうねとうごき、うねうねとうごき、意味もなく繰り返している(ように見えるそ)虫は時に集合してSOSという文字を作る。もちろん偶然であるが奇跡とも言える。しかしその奇跡がなしえた信号に気付くものはいない。それを、誰も気にせずに、放置する。つまり眼中にない。それは、バルコニーに対してでもあり、虫に対してでもあり、そこに立っている園児に対してもそうであった。
 どこからかやってきたバッタも園児と同じようにバルコニー、さらに雨降り。
 バッタは後ろ足が一本取れていて、動きずらそうであった。それを気にしているのか、時々ないはずの足を、くいっと動かして前に進もうとするが当然何もないわけだから動くような気配を見せるだけでやはりバルコニー。すでに夕暮れは深く。雨も強く、音が聞こえなくなった。バッタは必死に空を掴むように跳ねようとする。にちにちと動く。トレーラーにぶつかり瀕死の状態でもがき苦しんでいる人間もこのように動くのであろう。バッタはにちにちと動いた後、バルコニーから落ちてしまう。その音も、バッタの存在自体も完全に雨にかき消されてしまう。バッタが落ちようが、万札が舞い散ろうが関係なく孤独なバルコニー、さらに雨降り。
 園児に、食べものは昨日から何も与えられず、一昨日チーズを一切れ食べたのを思い出しては唾があふれ、その唾をバルコニーで咀嚼している園児が、らんらんと輝く室内をじっと見ながら、もう少しいい子にしていたらあるいは自分もあのふっかふかのソファに座り、カスタードパイを頬張っているに違いないシカゴピッザァを頬張っているに違いない、そう空想し、それが永遠にやってこないことを知っていて、空を見上げる。空を見上げれば気分も変わるかと思ったのであるが、なんのなんの、雨降りの暗い空の深さを知っている現代人はこの園児ぐらいなものだろう。山奥に突然現れて旅人を飲み込もうとする底なし沼よりも深い。まんまと見上げた園児をブラックホールばりの吸引力で吸い込もうとしてくる。あるいは、吸い込まれてしまえばそれですべてが解決するのかもしれない。しかし、空は無残にも園児を吸い込むことはない不気味な静けさでじっと睨んでいるのみ。雨の音だけがバルコニーに乗っかって滑る、剥げた塗装をさらに削ぎ落として。
 園児途方に暮れる。
 たっているだけでもやっとであった。先ほども言ったとおり何も食べていない、胃の中には一昨日のチーズがやわらかいやわらかい塊としてゆっくりと消化されてしまったきり。しくしくと痛むのは胃液の酸が胃の壁を溶かしているから。園児は危機的なバルコニーに立っている。
 次から次へと降ってくる雨に紛れて、落ちてきた名前の知れぬ生き物がぬめぬめと顔を覆いつくす。そのぬめぬめの生き物はしかし、園児に安らぎを与える。少なくとも彼自身に対して興味を示して顔を覆っているのだと考える。ぬめぬめを口に含み飲み込み、医学的にはそれは唾液そして雨水であったが、あくまでも園児はぬめぬめの生き物を飲み込んだと解釈して、さらに安らぎを得る。
 どうにもならないことを、どうにかするためにはどうすればよいのだろうか。
 ふいに悟りきった都合のよい信者のように園児は祈ってみる。ぬめぬめになった顔をぬぐおうともせずに祈りの歌、口ずさんでみる。

 しらないなにもすててしまおう、きみをさがしさまようまいそーる

 園児はそこで唄うのをやめる。まいそーる、がやけにもやもやとしたから。
 園児はなんとか眠らなければならないと考え、園児はバルコニーの下にもぐろうとする。幼い園児の頭でようやく考え出した答えはバルコニーの下だった。その空間はまだゴミに侵されていなかったし、雨もしみこんではこない。衣服は多少汚れるかもしれないが、もともと血や汗や食べ物で汚れている、今更気にする程度ではない、と、バルコニーの下に向かう。
 それから何分か後である。

 園児はバルコニーと地面を繋いでいる三段の階段の途中でバルコニーの下でもそもそと動く生き物を凝視していた。何もいない、まだ侵されていない空間だと思い込んでいたバルコニーの下には、何かいたのである。上からぼんやりと漏れてくる明かりを受けて生き物は小刻みに震えていた。
 6割の恐怖と4割の好奇心で園児は何が起こっているのかを把握しようと、さらに目を見開いてバルコニー下を見た。
 雨を避け床下にもぐりこんでいた黒猫がバルコニーの下にいて、先ほど上から転落したもう力尽きようとしている片足のないバッタをもてあそび、噛み付いこうとしている。
 園児を怒りが支配した。片足のないばったをもてあそぶなど野良猫の風上に置けない行為。この糞野良が。
 「なにをしている?」と園児は雷のごとく激しく問い掛ける。
 驚いた猫は、一瞬飛びのき、園児を睨みつける。園児は瞬時にして、その野良猫が大分に弱っていて、自分が少し脅せば逃げていくと理解する。自分が支配できる世界がここにあるのだという気分が園児を強くした。園児はかつてないほどに強く問い掛ける。
 「汝、何をせん?」
 弱った猫はバッタを飲み込み、ゆっくりと見上げる。園児の厳しい表情を舐めるように見上げる。その目に媚びが混じる。はっきりしないが女なのかもしれない。
 「足のもげたバッタを咀嚼しただけぞな」
 園児は猫の答えが、ずいぶん陳腐で実際的であることに軽い失望を覚えた。同時に猫に対する憎悪がめらめらと燃え広がった。それを感じ取った猫は慌てて付け足す。
 「なるほど、足のもげたバッタを、咀嚼するのは、ほめられたことではないのかもしれん、しかしじゃ、咀嚼しなければわしも餓えるのじゃ」
 園児はその話の内容などどうでも良かった。ただ猫が自分のことを「わし」と表現したことに腹を立てた。俺でさえ、俺だぞ、猫無勢がなぜわしと言い出すのか。
 雨に打たれながら黒猫はにやあと鳴いて、園児の足元に首をこすりつけてくる。黒猫は園児のことを同志だと感じたのだ。わしもわるくないぞよ。園児はとっさに、両手で黒猫の首をつかみぐるんとまわして首を折ってこんばんははまむらじゅんです、それが園児なりの挨拶の仕方だったから。もげてしまって黒猫の首、だらんと垂れ下がって斜め上室内を睨む。目にどんよりとした鈍い光が灯る。それは、室内で季節はずれの苺ちゃんをふんだんに使ったケーキ、挿した蝋燭、ともされた炎だった。ガラス窓にさえぎられてくぐもった誕生の歌が聞こえる。にゅにゅにゅにゅー、にゅーにゅー、と園児には聞こえる。室内を睨んで黒猫はなおもにやあにやあと鳴いている。鳴き声はだんだんと大きくなって雨の音、誕生の歌を凌駕する。まだ歩けない弟がぶううと唾を飛ばしながら蝋燭の炎を吹き消す。同時に黒猫の目から光がなくなり、黒猫は鳴きやむ。園児は黒猫の体を抱きあげ、もげてしまった首を踏み潰して、バルコニーを離れた。雨はようやく弱くなり、もう間もなく上がる。
 その後の園児の行方は誰も知らない。

「体にアンパンを乗せたのではなくアンパンから体が生えてきたのです3」

2008-02-05 | 掌編~短編
乾いたアンパンは砂をこねて、唾液を混ぜ込み、人間らしき形をつくる。唾液はガムのように伸びて粘着性が高かった。もちろん砂糖が含まれているからである。ジャムおじさんと名づける。それに、自らの頭を作らせるように動きをプログラムし、言い忘れたがアンパンは天才であった。世界の天才をミキサーにかけて出てきた粕ほどの天才であった。だから、アンパンに不可能はなった。アンパンは自らがヒーローとなる世界を作り上げた。ばい菌をイメージした砂を作った。それは宿敵にするつもりだった。はひふへほ、というアンパンは自分がアンパンであるという自覚を失いかけた。自分は神だった。実際この世界では神そのものである。すべてを創造してしまったのだから。もう怖いものは何もない。
自分が作り上げた中でもっとも気に入っていたのがバタ子だった。アンパンはバタ子をそばに呼んでは弄んだ。バタ子はいい声で鳴いた。一通り終わるとアンパンはバタ子にオクラホマミキサーを躍らせた。綺麗だった。それを見ているときだけ、ただのアンパンに戻れた。明日もやはりかばおはアンパンを食いたいと叫び、俺がそこに向かう、そしてアンパンを千切って与え、ばい菌にあーんパンチを食らわせる。その繰り返しだった。俺は疲れているのかもしれない。俺はすべてを手に入れ、これ以上何を望んでいるというのだ。アンパンはそう自分に言い聞かせてバタ子を抱いた。バタ子は甘い味がした。
アンパンは激怒した。バタ子が甘い?どういうことだ、バタ子はしょっぱいだけのはず、甘いわけがない。バタ子は当惑していた。バタ子よ、正直に言え、誰だ?バタ子は震えている。やはりアンパンが砂をこねてつばを加え、作ったココナツの周りを回り始めた。目にも留まらぬ速さで回り始めた。バタ子よ止めろ、正直に言えば許そう、アンパンは叫んだがバタ子は止まる気配すら見せない。そして、バタ子はバターになってしまった。
アンパンは指ですくいペろりんちょとなめる、甘い、この甘さには覚えがあった。奴か、アンパンは飛び上がった。アンパンが作り上げた森が町が湖が震えた、空気を切る大きな音を立て、音速で飛んでいた。飛ぶアンパンを見て、ある子どもは流れ星に願いを言えたよ!とはしゃぎまわった。ちなみに願いは「破れない靴下」だった。戦後貧しい日本を想定してある子どもも、もちろんアンパンが唾液を練り上げてつくったものである。
 アンパンが空を高速で飛び、向かった先はメロンパンのもとだった。
 メロンパンは乙女を想定して練り上げたはずだった。きらきらとした目をする夢見がちな乙女の理想として、四天王に君臨させる予定だった。気持ちを入れすぎた、自分の中にほとばしる乙女像を凝縮して形にしたものがメロンパンだった。その思いの強さが裏目に出た。乙女は禁じられた恋に走ってしまったというわけだ。アンパンは、天才であったが、一途だった。バタ子が甘いことに気づき、メロンパンが禁じられた恋に走ったに違いないと思い込んだ。そして、その怒りを、いや、喜びかもしれなかった。乙女の禁じられた恋はたまらなく魅力的であった。だからその様子をとても聞きたくてここまでやってきたのかもしれなかった。自らの唾液がここまで進化したことがうれしかったのかもしれない。メロンパンは入浴中であった。
「入るぞ」とアンパンは小さく言って家に上がりこんだ。
 当然シャワーの音にかき消されてその小さな声はメロンパンに届いていない。
 アンパンが浴室に近づく、中から楽しそうな鼻歌が聞こえた。懐かしい歌だった。アンパンがまだ釣られ乾いたアンパンだった頃に歌っていた歌だった。それをアンパンもハミングしてみた。とたんに楽しい気分になった。ほんの一瞬、その頃に戻れるような気がした。なにもかもが消え去って、真っ暗闇の中で干からびていくアンパンに戻ったような気がした。しかしすぐに、中のメロンパンはアンパンの存在に気づいた。そして喜びをあらわにした。バスタオルもつけずに浴室から飛び出てくるメロンパンはかわいらしかった。まだ乙女の要素を十分に持っていた。だからアンパンはひとつ安心した。それが崩れてしまえば、ブルースなんかをしわがれた声で歌うようになっていたらどうしようと内心心配していたのだ。その心配は無用だった。メロンパンは以前と同じように無邪気にアンパンに抱きついた。アンパンは頭をなでてやった。
 一通り会いにきた恋人がするようなことをして、ふとアンパンは気になっていることを問いかけた。
「お前はバタ子とどういう関係なんだい?」
「お友達です」メロンパンはどうしてそんなことを聞くのかしら、という風に答えた。
「どういうお友達だい?」アンパンはだんだん馬鹿らしくなってきながら再び聞いた。
 もうどうでもいいのだ。激怒した自分に酔ってここまできたけれど、正直もうどうでもよかった。
「いっしょにおしゃべりしたり、お茶したりするお友達です」
「それだけかい?」アンパンの聞き方はぎとぎとの中年そのものだった。舌を伸ばしてメロンパンをなめながら聞いた。
あん、とメロンパンはひとつ喘いで、それ以上のものはありません、と答えた。
 それから情事を手早く済ませ、アンパンは再び飛び立った。バタ子はバターになってしまったが、やはり帰る場所はそこしかなかった。アンパンはバタ子のようなのをもう一度作りたいものだ、とおぼろげながら思った。月夜だった。

「体にアンパンを乗せたのではなくアンパンから体が生えてきたのです2」

2008-01-27 | 掌編~短編
連呼に継ぐ連呼で地を揺るがした。オーディエンスは熱狂した。オーディエンスと言っても無生物ばかりだったが、砂は舞い踊り、リズムを取っているようだった。
「勇気だけが僕の友達さ」
その唄は時にブルースのようだった。ただ絶叫しているだけでない、低いトーンの女が歌うブルースのように小さく口ずさみ砂はワインを傾けた。
「勇気だけが僕の友達さ」
その唄は時に演歌のようでだった。こぶしを効かせて、妖艶に唄いあげた。かなりの力量を持っているものと想像できた。紛れもなく演歌のドン、クラスである。
唄い続けるアンパンのひびはしだいにおおきくなり、中から血で真っ赤になった手足がぬるりとでてきた。ゆっくりと、しかし確実に伸びてきて、その下にある砂を掴もうと、大地にどっかりと立ち上がろうとする。
もう一度言う、時間の経過はあってないようなものである。従って、ひび割れてからの時間的変化は考慮する必要がないと考える。
アンパンからは完全に体手足が生え、人の形になった。いつからかかちかちのアンパンにやわらかさが戻り、ほんわりと柔らかな食感を感じさせた。ひとくち食べれば笑顔になるような人気アンパンであった。手足はもがいて大地に降立とうとしていた。降りて何が起こるのか、誰にも想像は出来なかった。もっとも、想像するような知性を持ち合わせた生き物はその場所には誰もいなかったのだが。
釣り下げてある縄が切れそうになっている。間もなくアンパンは大地に降りてくる。それが物語の始まりだ。そこから世界は、時間は流れだす。

「体にアンパンを乗せたのではなくアンパンから体が生えてきたのです」

2008-01-24 | 掌編~短編
アンパンが吊ってある。
パン食い競争のそれに良く似ている、が決定的に違うことは単独であるということ。パン食い競争であれば、単独であるはずはない、競争しなければならないわけであるし、このあたりは一面砂漠であるし、ここで運動会を行うような稀有な団体はいない。アンパンが単独でひとつぶらさがっている。風もなく、ひくりともせずにただぶら下がっているだけである。
ここにおいて時間の経過は曖昧なものであり、正確な時間は全く意味を成さないが、それでもかなりの時間が経過している。パンは乾燥地帯であるがゆえに黴を生すことこそないが、非常に堅くなり、黒く変色している、中に詰まっている餡は水分が抜け、すかすかであろうと思われる。実際に食していないため正確に言うことはできないにしても、そうであることは容易に想像できよう。そして通常のアンパンであれば、そのまま乾ききって砂と成ってしまうところであるが、ここにあるアンパンは違った。
アンパンがゆらゆらと動きだす。
水があるように見える、ゆらゆらと湖が見える、という目の錯覚ではなく、実際に小刻みではあるが、非常にゆっくりではあるが、確実に動いている。風ではない。もしもあるとしても、風による動きではない。前後左右上下に生物のように揺れ動いているのだから。それは決して規則的でなく、生物の不条理な動きに見える。
やがて、アンパンの下の部分にひび割れができる。乾ききったためのひび割れではない。その内部から内やぼろうとする生命力にあふれている、割れた内部からは威勢のよい胎動が聞こえる。胎動はどくんどくんというそれではない。この胎動を言葉で表すことは難しい。胎動であることに気づくものはおそらくいないであろう。あえて文字にしてみると、おーろろろろろろろおーろろろろろろろ、というものだ。これで言い表せたように思うかもしれないが、違う、おー、の間にベースラインが先行して、ろろろ、を待つ、喫茶店でパフェを食べながら待つ、ろろろに入ると入ったでドラムロールが聞こえ、盛り上がりを見せた後、突如として静寂が訪れ、再びおーがはじまる。それもやはり規則的でなく、おーが始まるたびに進化を遂げ、変調し、もっと言えばボーカルが挟まれることもある。歌っているのはもちろんアンパンである。なぜなら、それしかないのだから、他に歌うものはいないのだから、そうであるとしかいえない。おーを繰り返すうちボーカルは次第にはっきりとしてくる。
「勇気だけが僕の友達さ」という絶叫だった。

まぐろ(坂道)

2008-01-17 | 掌編~短編
 大きく曲がって、マグロは坂道をのぼっている。
 大変辛そうな表情、額に汗が滲む。負けてたまるか、とマグロが睨む坂道の先にあるのは料亭。庶民を近づけない価格設定と立地場所で、季節の凝った料理を提供する料亭「たけし」。マグロがそこにたどり着かなければ、たけしの一番の売りである新鮮な刺身が提供できなくなる。だからこそ、マグロは歯を食いしばってのぼっていた。
 壁のように厚い蝉時雨が前に立ちはだかる。マグロは立ち止まり、ナップサックの中から魔法瓶を取り出した。蓋を開け、直接口につけて傾ける。中に入っていたのはレモンティ。やけに濃いレモンティだった。原液か、とマグロは思った。ママが入れ間違えたのだ。あれほどレモンティはやめろと言ったのに、まるで聞いちゃいない。
 空からは強い太陽光線、それに熱せられた地面のアスファルトは鉄板のような熱さ。マグロは上下から炙られているような気がした。実際、そのまま筋肉を切り出し、わさび醤油で食うたなら、それはそれは美味に違いない。
 こんなはずではなかった、とマグロは今もふと思う。
 海から陸へ上がったのは、海を包み込んでいる空への憧れからであった。マグロには飛ぶ鴎が空を支配しているように思えた。自分もあのように自由に、とマグロは思った。古い記憶。
 マグロは再び歩き出す。人間でさえのぼるのにひと苦労するような急斜面である、マグロであればなおさら辛いはず。なのにマグロは一歩また一歩ゆっくりだが確実にのぼり続けた。長老マグロと約束したのだ、何事も最後まで投げ出さない。今こうして自分は食べられる為に坂道をのぼっている。滑稽といえるかもしれない。マグロはすでにその運命を受け入れていた。マグロとしてまっとうできるのであれば、それもいいかもしれない。かつて海の中から見た、ずっと遠くにある空、それはいくら坂道をのぼろうともやはり遠いままだった。
 拭っても拭っても流れてくる汗が目に入り、思わず下を向く。足元、蟻の行列が坂道を這っている。マグロはその本質的な優しさから、とっさに足を、蟻の行列を妨げないところに移動させようとする。が、蟻は、蟻のくせに列を乱し縦横無尽に坂道を這っている。マグロの白く貧弱な足が、踏み場を求めて空をしばし彷徨う。ようやく見つけた隙間にマグロは足をねじ込むように置いたが、股を広げすぎたため、体勢を崩し倒れてしまった、でーん。アスファルトの熱で背中が焼ける、じゅうう。程よく太ったマグロは、倒れた勢いそのまま転がり落ちていく。もう、たけしにはたどり着けないであろう。仮に再挑戦してのぼりきったとしても、傷ついて生焼けのマグロを誰が歓迎するだろうか。一部始終を聞いた長老マグロの残念そうな顔を想像して、マグロはほんの少し胸を痛めた。タオルケットとナップサックと魔法瓶とアイポットが点々と坂道に残った。アイポットから音が漏れている、しゃんしゃん。音よりも速く転がり落ちるマグロは加速する弾丸であった。マグロがこんなに速く、勢い良く地面を転がったことは今だかつてない。今羽ばたけば、浮かび上がるのではないかとマグロはふと考えた。いや、今なら確実に飛べる。マグロは離陸する飛行機をイメージした。カーブのところで坂道から外れ崖、宙へ投げ出され、マグロはばたばたと手足をばたつかせて大きく。

ゴー・トゥ・ヘルシー

2008-01-13 | 掌編~短編
 俺にまだ知らん地獄は有るのか知らん。
 と、つぶやいて欠伸をかみ殺して餓鬼をひねりつぶしてストローを噛み潰しながら飲んだのはブルーベリーヨーグルト。
 ブルーベリーのつぶつぶとヨーグルトのたるたるがのど越しうっとうしく、思わず握りつぶしたら、ねちゃねちゃと隙間からあふれ出るヨーグルトが左手から滴り落ちて、そのおこぼれを狙う餓鬼が遠慮がちに寄ってきた。面倒くさかったが俺はそれを払いのけまっすぐ上、天を睨んだ。
 天のある一点は輝いていてそこからほんの少し見える極楽から、いかにも楽しそうな祭囃子。耳から入り脳を刺激して鼻からでていくとつんつんとして山葵を齧ったときだいたいこんなふうだったかと俺は遠い記憶を探る。当然覚えているわけもなく、しかし代わりに小鳥がちゅんちゅんと鳴いて俺の頭をつついてきたという記憶がみるみるうちによみがえってきてその時の恐怖がふつふつとよみがえってきて鳥肌。皮膚がふつふつと。
 小鳥のくちばしの硬さを知っているか?
 あなたは小鳥のくちばしの硬さを本当に知っているのか?
 ならばそんなに妙な顔をしなくとも良いだろう。などと独り言をぶつぶつつぶやいたら、すっかり落ち着いていた。
 しばらく、同じ体勢で座っていたために尻が非常に痛い。
 さて、地獄にやってきてからどれぐらいがたったのだろう、俺はさらにつぶやいた。
 地獄は来る前と今とではそのイメージが180度変わってしまって、それは俺にとってちょうど良い感じだったので、特に問題はなくむしろありがとう地獄俺好きよ、と思ってしまうほどで、まあここで、一生暮らしてもいいかな、と見事馴染んでしまった自分が怖い。
 20匹ほどの百足が頭に落ちてきて頬を伝い胸元に下りてきた。別段気持ち悪いとも思わぬ、こそばゆく、癖になるぐらいだ。百足は全身に、各々の好きな場所に向ってもぞもぞ這い回る。百足と言う名のシールドを纏った俺は戦士だった。
 延々と続く地獄を受け入れた戦士だった。
 そういう存在はおそらく稀有であるに違いない。俺はそう信じている。
 通常の精神の持ち主であればとっくの昔に気が狂っているのだ。俺、選ばれしもの。
 腰を落ち着けよう、ここ俺の王国。
 子を作ろう。子とキャッチボールをするのが今の俺の夢です。
 針の山のふもとでハリセンボンをボールとして、子とキャッチボール。
 子は俺が成せなかった夢を継いで、プロ野球選手を目指すのだ。
 8番セカンドだ。小回りの利くタイプで。そうだ。
 嫁が転がってくる。
 いくらかの餓鬼を轢いて、ぐちゃぐちゃに地面汚して。機嫌がいいようだ。
 俺は生唾を飲み込んだ。

2008-01-01 | 掌編~短編
A「大槻くん、僕は決めた」
B「なんすか」
A「高級車に乗ろうと思いまして」
B「高級車に?」
A「アハン」
B「じゃあ乗ってくださいしかしなぜ高級車に?」
A「大槻君は、高級車に乗ったことは?」
B「ありませんねえ、見たことはありますが」
A「ではまだ中学生の妄想クラスですか」
B「中学生の妄想クラスではないですがとにかく乗ったことはありませんよ」
A「僕はこの前乗りましてね、それ以来、高級車に乗ることが僕のすべて、ごめん、俺のすべて」
B「なんで謝って言い直したんですか?気づいてないかもしれませんが南さんはワイルドから程遠いですよ」
A「高級車はすごいのね」
B「それはなんとなく分かりますけど」
A「なによりクラクションがね、雲泥の差、全く違うわけです」
B「クラクション?」
A「アハン」
B「違うでしょうけど、他にもいっぱいあると思いますよ」
A「三輪車とは」
B「比較対象!」
A「なにか?」
B「三輪車を対象に持ってくんなら、もうなにもかも雲泥の差ですよ」
A「まあ、たしかにフォルムとか、大きさとか、体臭などもかなり違いますが一番違うのがクラクションなの」
B「僕が折れるのは、納得したからでなくて面倒くさいからですから、で?」
A「まずね、高級車のクラクションは、ふぁん、と鳴ります」
B「うん、でもたいてい、ふぁん、じゃないですか」
A「いやいや、これが違うのね。大槻君は知らないだけで」
B「じゃ、普通のクラクションはどんなのですか」
A「普通三輪車は・・・」
B「まだ三輪車が対象にありましたか、粘りますね、普通の車ですよ」
A「普通車、ぷー」
B「なんとなくですよ、なんとなくそれは分かります」
A「でしょ?」
B「でも、それが一番かといわれたら僕は疑問を呈しますよ」
A「まあまあ、おっちょこちょいちゃん、もうちょい聞いてて」
B「何か腹立ちますね」
A「二回鳴らすとさらに違ってくるんよ」
B「二回でも同じでしょう」
A「普通三輪車は・・・」
B「三輪車ないの!ここには三輪車なにの!いい?車でどうぞ、はい」
A「車は、ぷーぷー」
B「まあそうでしょうね、で、高級車は?」
A「ふぁんふぁん」
B「二回でもそんな変わりませんよ」
A[ふーうふーう!]
B「アレー待って!南さんちょっと待って、変なスイッチ入ったよー」
A「モーニング娘はウォウウォウウォウウォウ!」
B「高級車歌いませんよ、モーニング娘はウォウウォウ歌いませんよ」
A「で、普通三輪車は」
B「三輪車はええって」
A「あんたもあたしもいぇいいぇい!」
B「三輪車、高級車クラスやん!」
A「でもパートが違うからね雲泥の差」
B「もしかして僕のイメージしてる高級車や三輪車とは違うのかもしれません」
A「大丈夫?ちょっとやすもか?」
B「えーと、その三輪車って、タイヤが3つのやつですよね?」
A「そうそう、タイヤ3つ、とくるぶしが4つ」
B「ああ、やっぱりちょっと違いますわ、僕くるぶしある三輪車みたことありませんから」
A「高級車はまぶたが8つ」
B「ああ、その高級車も僕のイメージしてるのとちゃいますわ」
A「そう。じゃあ普通車は今日の夕食のときにさばくね」
B「南、ごめんなさい、ぼく、国、インドネシア、かえります、日本の、車、怖い」
A「どうしたん?大槻君、急になんでかたことなん?」
B「あたし、大槻、ちがう、アボカラ・スン・ビーバー、インドネシア人」
A「アボカラ?」
B「アハン」
A「会いたかったんやー!そのキャラに!」

カレンダーボーイ・カレンダーガール

2007-12-30 | 掌編~短編
「カレンダーを僕はめくっている。1日1ページのタイプの手のひらぐらいの大きさのカレンダー。書いてある情報は数字のみ、無駄を徹底的に省いてある。それを僕はめくっている」

「いったい誰のために?」

「もちろん今がいつであるのかを正確に、あるいはあいまいにでも把握する為に」

「今がいつであるのか把握することはそんなに重要なことだろうか?」

「それは人それぞれで、あまり重要でないと考える人もいる。僕はとても重要なことだと考える」

「でも、君は今がいつであろうと同じではないか?」

「その通り。僕には関係ない。僕がカレンダーをめくるのはふたりの人間の為なんだ」

「ふたり?」

「そう、分かっているだけでふたりいる。ひとりはおそらく20代の女の子、まだ上京して間もない本当の名前は知らない、彼女のことを本当の名前で呼ばないから。その必要がないから。姫という」

「ここは東京でしたか」

「ここは東京、若者が二人で暮らしている。もうひとりが彼女よりも少し年上の男の子、彼は少し前から、二年ほどか、ここに住んでいる。ふたりは恋人同士だ」

「名前は?」

「彼の名前はニーチェ、彼女がそう呼ぶから。そしてニーチェは彼女のことを、姫と呼ぶ」

「ニーチェとその姫のために君はカレンダーをめくるわけか」

「そういうこと。それが僕の仕事で生きる全て」

「それは少し寂しいな」

「そうでもないさ、最初から何も望まなければそんなものさ、と笑い飛ばせる。結構充実だってしているぼくの毎日は」

「それがなにより」

「たとえば、姫は面積の小さな下着をつける」

「面積の?」

「とても小さな。とても実用的じゃない奴。ニーチェの為かと思うけどそうでもない、彼は忙しいんだ。姫の面積の小さな下着を鑑賞する暇があったら」

「あったら?」

「たとえば鹿の人に会いに行く方がいい」

「よくわからないが。少々変わった人だというわけか、しかし浮気相手は誰だ?」

「違う違う話が飛躍しすぎだ。姫は自分のために面積の小さな下着をつける。姫はきれいな子だ。と僕は思う。町ですれ違ったらきっと振り返ってしまうだろうな」

「君の趣味は怪しいからな、でもまあそのきれいな姫が自分のために面積の小さな下着をつける意味がよくわからないのだけれど」

「あまり深く考える必要ない。ただ、自分の体を覆っている布を出来るだけ少なくしていたいんだ、そうしないと死んじゃう」

「って言ったのか本人が?」

「言ったわけじゃない、僕がそう感じた」

「それは思い込みという奴ではないか」

「いいや違うよ、僕のそういう勘は結構当たるんだ。こないだもニーチェの好きな音楽の」

「いやいいやその話はまた次の機会でところで」

「うん?」

「君誰?」

「こちらのセリフ」

鹿よ 続々

2007-12-24 | 掌編~短編
「鹿は電車に乗れない3」


 鐘は私たちが公園に着くまで鳴り続け、そのたびにニーチェがまだおこっとる、まだおこっとる、これは楽しみにしてたプリン食べられたからや、とか他愛のないことを言い続けた。思わず笑ってしまう自分が嫌いでない。
 人通りがほんの少し増して、公園らしき場所にたどり着いて、鹿が群がっている。
「鹿の人や!」と林は叫んだ。
「いや、あれ鹿でしょ?」
「いや、鹿の人や」
「鹿とどうちがうの?」
「近くで見て、話してみれば分かる」
「たぶん言葉通じないと思いますけど」
「鹿にはね」
 ふふん、とニーチェは馬鹿にして笑った。
 池のそばにある木陰の元のベンチに私たちは腰掛け、遠くにいる鹿の人を眺めた。鹿の人は観光客が与えるしか煎餅を貪欲に食らい、どこまでも貪欲に食らい、していた。
 その様はたしかにあんな貪欲なのは鹿でない、鹿の人や、と思ってしまった。でも鯉だって麩をやり続けるとあほほど貪欲になるし、そういうもんか。
 ほら、鹿の人を見てごらん、とニーチェは幼児に諭すように言った。
 なーに先生、と私は見る。
「鹿の人はせんべいをもらったあと、お辞儀するだろう、あれは鹿にはできない芸だ」
 鹿は煎餅をもらった後にお辞儀して、それがお礼をしたように見える。しかし、それは鹿が長年かかかって人間の喜ぶような仕草を身につけただけで、だからって鹿の人と言うわけではなかろうに。
 鹿の人はこの暑い日に偉いなあ、ニーチェはしみじみと言う。
 そうね、それは確かにそう思うわ。
 鳩が鹿の食いカスを狙って這う。ちょこちょこと実に猪口才なやつである。
 立ち上がり、鹿の人のほうに向かってニーチェが歩き出す。ちょ、待てよ、と私は追いかける。
 彼は露店のおばあさんが売っているしかせんべいを購入し、鹿の人にせんべいを見せる。鹿の人はやはり貪欲にせんべいに向かって迫ってくる。それも一人ではない、3、4人固まって一斉にやってくる。ニーチェはひるむ様子なく鹿の人に向かってせんべいを掲げ、こっちですよ、どうぞこっちにおいでください、と敬意を示している。鹿せんべいを売ったおばあちゃんはどうしていいものかと戸惑っている。きっと鹿に敬語を使いながらせんべいをやる人はあまりいなかったのだろう。見てはいけないものを見るようにまったくこちらをみない。
 私もニーチェからせんべいをもらい掲げる鹿は体当たりをするように私に向かって、林に向かって、そして私は、ニーチェはそれを奪われてなるものかと、鹿が接近しようがせんべいを与えることなく耐えている。観光客グループが、変な目で見ている。子どもがケチ、とつぶやいた。ケチも糞もあるかガキがっ、と私はにらんでやった。
 鹿に周りを囲まれて、鹿の親玉らしき奴が遠くから、こいつらかけちな客は、と言った感じで見てきたので、そろそろやるか、とニーチェはせんべいを差し出し、
「ご苦労様です、どうですか美味いですか?」と聞いた。
 せんべいを食べ終えた鹿の人は、うんうん、と2度頭を下げた。 
 鐘が鳴る。

鹿よ 続

2007-12-22 | 掌編~短編
「鹿は電車に乗れない2」


 駅に到着し、電車を降りる、改札口を通り抜ける、駅から出て奈良を見渡す間もニーチェは鹿の人を探している。いつもだったらこの辺にいても可笑しくないはずなのに、やっぱり休日だからか、ひとりごとを私に聞こえるようにつぶやいている。その執念深さが可愛らしいと感じる。だから、私は彼に惚れている、と確信してしまう。
 「ほら、いくよ」と手を引き、ニーチェを連れて改札口から町に降りる。公園に向かって歩こう、とニーチェが言う。私は市バスで行くつもりだったし、この日差しなんだからちょっとは考えてものを言いなさいよ、と思ったが、まあ今日は彼の提案でここにきたのだから、最後まで従ってみることにした。
 奈良の日差しは観光客に対して二割増しに降り注ぐような気がする。
 ゆっくりと歩いていると、彼はなおもおかしいなあおかしいなあとつぶやいている。ハイハイ、すぐに会えるからちょっと落ち着きなさいよ、と私は彼の手を引く。ニーチェと手を繋いで歩くのはちょっと嬉しい。蝉の声が高らかに空に響いて、そのすき間をぬって遠くの方で鐘を突く音が聞こえた。
「趣あるねえ」
「そうか?」
「奈良にきたって感じがしない?」
「いや、でもあれ、一番偉い人が怒ってると言う自己主張やで」
「は?」
「偉い人シャイやから、怒ってるってことを鐘を突いて知らせるの」
「町中に?」
「そう、わいは怒ってんねんで!」
「わい、て」
「たくさん鳴るほど怒ってるわけ」