リッスン・トゥ・ハー

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TOWN AGE/相対性理論

2014-04-29 | リッスン・トゥ・ハー

いないのに、まべさんの存在感が際立つ。なにか物足りなさがあるので、クレジットみてみると、まべさんがいなくなってるし。方向性の違いかね、性格の不一致か、謎は深まりつつありますが、とにかく脱退したと。やくしまるさんやらその他メンバーの書く歌はたしかに相対性理論であります。しかしそこに絶対的ななにかが足りない。ひねくれた歌詞もある、キャッチーなメロディやアレンジもある、どこを切り取ってもまあ相対性理論なのに、足りない。足りない、まだ足りないとどんどん大きくなる泣き声みたいに、頭に残るのは違和感です。

思えば、地獄先生、ラブずっきゅん、チャイナアドバイス、好きな曲、または代表曲はまべさんの作ったものでありました。たぶん。手足はあるが胴体がないぞ、という感じ。もう、手足だけが動き回っているもので、そのうち終始のつかないことになりかねないでしょう。

解散もしくは活動休止もちかいのでは、とおもっています。

いや、このアルバムだけを聞けば、素晴らしきバンドのひとつに数えられるんですが、音楽シーンを揺さぶったあの相対性理論としては、もうひとつ!つまりはハードルが上がりすぎてるんですね。


夜はそのまなざいの向こうに流れる/空気公団

2014-04-26 | リッスン・トゥ・ハー

夜はそのまなざしのむこうに流れる。

何度も諳じたくなりませんか?ライブ音源だそうで、その臨場感、大人になったボーカルの声、相も変わらず感情を込めずに淡々としかし、丁寧に歌っています。久しぶりに空気公団のCDを買ってみたんです。変わらないもの、変わっているもの、時の流れをかんじました。みんな、年を重ねたわけです。当然。

微かなるエモーション、それは少し強い風が吹けば吹き飛んでしまいそうなエモーション、観客が、思わず息をのんだのが、聞こえました。心臓が高鳴っているのに物音ひとつたてられない緊張感が録音されていました。

ジャケ買い必至、して損しない、CDの棚に並べて抜群の吸引力のあるタイトル。稀有な存在としてシーンに居続けることでしょう。

それにしてもアマゾンは中毒作用を持っていますね。次から次へと薦めてきて、きりがない。上に中古なんかだと安価で、ポイポイ買ってしまう。クリック詐欺に近いんじゃないの。いや、感謝してます。神様や。


革命/andymori

2011-10-01 | リッスン・トゥ・ハー
革命をおこすんだ。
おこしてもらいましょう。

彼らなら、あるいはおこせるんじゃないだろうか、とわたしがつぶやくと、そうだね、あるいはおこせるかもしれないね、と君が返したから9月30日はサラダ記念日なんです。
チョコレート革命と言う歌集もだしていましたね。鮮烈でしたね。

アンディモリと読むのかというのも知らないでいた数ヶ月前、ちゃんと読めるようになりましたよ。成長しましたよ。
成長するってこと、必要な要素です。成長するだけの伸びしろがね、まだまだあるってことです。わたしにもね。
誰だってあるでしょう。米寿を迎えたおじいちゃんにだってあります。その伸びしろは多少少ないにしてもあります。
確実にあるんです。
若いってことはその可能性であふれているはずなんです。本来は。

一気に聞いて、リピートして、またリピートして、何度も何度も聞いて、そのうちに、飽きて、やがて見向きもしなくなる。
これは必然です。必然なんです。生きていくということは忘れてしまうものなんです。

そういう音楽がここにはあるって思いました。
やるだけやった、あとはよろしく、その後の処理は知らないよ。ぼくは責任を持たないよ。それぞれで勝手によろしくやってくれたまえ、と吐き捨てて電車に乗って言ったあの人は、今頃なにをしているのでしょう。

Weapons of mass destruction、名曲ぞろい。どうして繰り返し聞いてしまうんだろうか。
理由はわからない。けれど感動している。今猛烈に感動しているんで、当分の間、やっていけそうなきがした。

方程式の解が急激に無限大になる「爆発」

2011-04-21 | リッスン・トゥ・ハー
無限大、それは永遠、無限大、それはメガ牛丼、無限大、それは愛。急激に無限大になりました。ほんとうに急です。油断なんてしていません。勝手に動き出して無限大になってしまったんですから、こちらはなす術もありませんでした。ぼんやりと無限大になっていく様を眺めていただけでした。あれよあれよ、でした。無限大は穏やかな表情で見下ろしていました。こちらを見下ろしていたのです。ちっぽけだなあ、と人類を見下ろして。ああ、わたしはこれまで、無限大を手中におさめていると勘違いしていました。あくまでもこちらのコントロールのもとに、どうにでもなる存在だと思っていました。まるでまるで、無限大はそんなわたしをあざ笑いました。どうにでもなるのは、こちらだ。無限大が右を向けば、わたしたちは右を向かざるを得ない。そういうことです。愕然としましたよ。しかしどうすることもできない。今はあきらめました。無限大は無限大であり、我々は我々である。それを精一杯生きろ、ということです。楽しいですよ。幼稚園に子どもを迎えにいく時が一番楽しい。子どもはわたしの顔をみると、うふふと笑うんです。その笑顔のためにわたしは生きているんだと思います。

「天然?いえ、トンチンカンです」

2011-04-20 | リッスン・トゥ・ハー
「天然ととんちんかんは全く違います」

「同じようにも思えるけど」

「雲泥の差ですよ」

「雲泥の差」

「ええ、雲と泥ぐらいの差です」

「ちょっとわかりづらいかな」

「そうですか、雲は空にありますよね?」

「ありますね」

「対して泥は地面にあります」

「はい」

「それぐらいの差」

「しかし、どっちが偉いのですか?」

「どっちが偉いというのは今は関係ありません」

「それをはっきりさせてくれないと、わたしは納得できませんな」

「じゃあ、雲が高い位置にあるし、つかめないから、偉いんじゃないですか」

「うぬ、雲はつかめん、されど、実体のないものだからこそ、我らは軽視するのではないかな」

「めんどくせえ、こいつめんどくせえ」

「なにか?」

「いやなんでもないです、じゃあ、泥でいいじゃないですか、泥が偉い」

「うぬ、泥はそこらじゅうにあふれておる、されど、それがはたして偉いのかな」

「もういいですよ、どっちでも、今は雲と泥のはなしをしているんじゃありませんし」

「しかし大事なところじゃて」

「口調も変わってきとるし」

「こうしてはどうじゃろう?」

「なんですか?」

「どちらが偉いかはそれぞれの胸の中で解釈する」

「それがいいですね」

「ではそれで」

「で、天然ととんちんかんは全然違います」

「それが雲と泥の差だと?」

「そのとおり!」

「で、どっちが泥なんじゃ?」

「もういいぜ!」

ラブホテルに響く家族の明るい声

2011-04-19 | リッスン・トゥ・ハー
まったくいやらしくない声。家族は久しぶりに笑顔。空間を独り占め、家族だけですごせるって大切。すごく大切です。で、お風呂も広々としてるし、サービスも悪くない。ここじゃ、朝食に山菜ご飯がいただけるって評判。熟睡できたって下の子も嬉しそう。思えば大変だった。みんな全然笑っていなかった。大変だということを通り過ぎて、なんとか乗り切ろうと気力だけで走っていた。糸は切れる寸前だった。もう、間もなく切れますので、ぷっちんという音を立てて切れてしまいますので、そうなったら、なにをするかわかりません。まるで鬼のように私は暴れ回るでしょう。それが正しいとは思っていませんが、そうしないといけないのです。そうしないとやってられないのです。私は暴れ回るでしょう。その寸前だった。助かったのです。みんな、みんな、助かったのです。これは奇跡なのです。もっと喜ぶべきです。人生を楽しむべきです。私は信じています。まだ未来は明るいと。未来は輝いていると。信じてください。そして、その手で、清き一票を。私に清き一票を。