リッスン・トゥ・ハー

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井上靖 1991年1月29日 その(日本死人名辞典)

2010-08-30 | 若者的字引
靖が5時間にも及ぶ手術中になにを見たのか、彼がなくなった今となっては誰もわからない。

手術後の彼は人が変わったようだった。
実際変わっていたのかもしれない。手術によって、総入れ替えが実行された。脳以外、すべてを入れ替える。顔もよく似たものをつれてきて、脳死状態にし、入れ替えた。そんなことが可能なのか。検証はできない。誰も実行すらできない。

しかしそれを想像してしまうほど、靖は変わった。

以前よりもおとなしくなった。以前であれば、朝食に納豆がないだけで激情した。納豆は基本だろう、と彼は叫んで、妻ふみの髪を引きちぎっていた。誰も彼を止めることはできなかった。まるで暴走列車だった。それが手術後は仏のように穏やかに、くるものすべてを、諦めなさい、と諭した。
諭せばすべてわかるさ、皆兄弟なのだから、としかし納豆を食べた。

それから彼は音楽を聞くようになった。
いぜんには音楽など聞いてやるかと、突っ張っていたのに、喜んで聴くようになった。これさえあれば俺はなにもいらないとさえ言う。あきらかにおかしい。

靖に何があったのか、我々は想像するしかない。

火野葦平 1960年1月24日 その2(日本死人名辞典)

2010-08-20 | 若者的字引
ある朝のことだった。
葦平がいつものように目覚めて冷蔵庫に冷やしてある海洋深層水を飲むと、いつもとは違う味がした。
何か塩辛い、葦平ははじめ、水が腐ってしまったのだと思った。
しかし、よく見てみると海洋深層水のペットボトルにはグッピーが泳いでいた。なんだよこいつ、と葦平は思った。
もちろん昨日までそれはいなかった。
誰かがこの中にグッピーを入れたのだ。
誰が。
答えは分かっていた。
小田しかいない。二人の生活は誰にも邪魔されないのだから。入れるとしたら小田以外にはありえなかった。
葦平はベッドルームで眠っている小田を起こそうと近づいた。そしてその寝顔を見て、なんという綺麗な寝顔だろうとため息をついた。
小田は何も知らないという無邪気な顔でに眠っていた。
怖い夢を見ているのか、ときどき、ああ、ああ、と苦しそうに吐息を漏らした。
葦平はその吐息がとてもいとおしい、と感じた。
ああ小田よ俺はたとえお前がグッピーを入れたとしてもかまわない、そんなにも美しい寝顔を見せてくれたのだから。

すぐにリビングに引き返した。
もう一度飲んだ。やはり塩からかった。グッピーはぐるぐるとその狭いペットボトルの中を泳ぎ回っていた。グッピーよ、と葦平は語りかけた。ひとりごとのように静かに、朝の空気はまだ冷たく、街は静かに動き出していた。
お前を育てようと思うよ俺は、どうせ俺と小田の間には子供は生まれない。
生物学的に不可能だ。
どうやったって不可能だ。
だからペットを飼うのはいい方法だよ、と以前小田は話していた。そういう意味だったのか、と葦平は思った。

火野葦平 1960年1月24日 その1(日本死人名辞典)

2010-08-17 | 若者的字引
葦平には秘書がいた。
小田いう名のその秘書は非常に優秀な秘書であった。
葦平の手足となって働いた。家庭を顧みずに葦平の仕事場で寝泊まりした。
葦平は小田なしでは何もできなかった。何をするにも小田、小田、とその名を呼び、小田にやらせた。秘書としての仕事を逸脱している、と周りのものは誰も思っていた。しかし小田本人は不平や不満を全く言わなかった。それどころか、小田も、葦平の世話をやくことが自分の生きがいと感じていた。

小田と葦平は、関係は表向き、作家とその秘書であったが、そこには愛情が感じられた。
強い結び付きがあった。何人たりとも踏み込めたい親密さがあった。
しばしば互いの家族でさえ近づけない、絆があった。

やがて関係者各位は二人に遠慮するようになった。
ふたりも、いっそのことふたりきりで暮らしていけばいいじゃないか、と考えるようになった。
だからあたらに仕事場を設け、ふたりはそこに住みついた。

楽しかった。ふたりだけの生活だった。誰にも邪魔されない秘密の園であった。
もっと前からこうしていればよかったんだ、と葦平は言った。
この甘い生活がずっと続けばいいのに、と小田は言った。

南緯40度03分、西経71度04分(365日空の旅)

2010-04-08 | 若者的字引
(ネウケン地方チメウイン川 浅瀬の通路)

アルゼンチンの空を飛んでいる。1月9日。牛の群れ。男はそれを巧みに先導し、牛舎に誘う。夕方がすぐそこまで来ている。急がなければ狼やら小さく機動力のある肉食動物に襲われてしまう。奴らは抜群のチームワークをもってして牛を追いつめ、食い散らかす。牛は大切な商売道具であり、生活の糧、餌や水など存分に与え、手をかけ暇をかけて育てているのも別に趣味ではない。あくまでも売り飛ばすためであり、その対価として金銭を貰い衣服やCDなどを買う、娯楽施設に通う。牛はその源なのだから、狼にみすみす食わせるわけにはいかない。先導していると、輪を乱す牛がいる。名をジョンと名付ける。特に意味はない。私がそのときジョンレノンのハッピークリスマス(だっけ?)を聞いていたからジョンと名付ける。ジョンは輪を嫌い、俺ならひとりでいいぜ、ひとりで生きていけるからからな、斜に構えている。その白い頭を空に向けて、そら私の方を見て、

北緯35度14分 西経112度11分(365日空の旅)

2010-04-04 | 若者的字引
(アリゾナ州ウィリアムスに近いプレスコット国有林)

アメリカの空を飛んでいる。1月10日。もうすぐ春だという季節、鮮やかな緑色の針葉樹が凛として立っている地面に雪の残り。白と緑、茶色、浮かび上がる立体感が迫ってくるようである。這うようにその木の間を動物が駆ける。すごいスピードでほとんど見えていないから、誰も気づいていないけれども、私には確かに見えている。なぜなら私の動体視力はイチローのそれとほぼ同等なのだから、比較したことはないけれど、見た感じ大体そうなんじゃないかと思っている。イチローも多分認めると思う。ある木の先端にとまった鳥、春が近いため移ってきたのだろう鳥、チュンチュン鳴いているがそれを聞いているのは私一人だけだよ、ここは国に守られている自然、人っ子一人いない森。しんとした森。

北緯60度27分 東経22度00分(365日空の旅)

2010-03-26 | 若者的字引
(トゥルク群島 生成過程の浮氷)

フィンランドの空を飛んでいる。1月8日。白く時に青い氷は鋭いとげを持っているばらである。青いバラはその辺一体に私の身体を突き刺そうととげを突き立ててみる。こちらとてみすみすさされて愛の血を垂らし、徐々に生き絶えることは避けなければならない。私にも家族がいる。世界のどこかで私の帰りを今もまだ待っているであろう家族が。よって、私はその青いバラに戦いを挑みにかかるのだ。さあ威勢良く雄叫びをあげて鎌を振り上げ、バラのとげをそぎ落としてしまおうか。それとも強靭なそのとげは私の鎌をつかみ取り、逆に私の柔らかい部分へ食い込ませてしまうのか。そうすれば私は絶叫し、血を流し、息絶えてしまうであろう。なんということか、私の命はすでに時間の問題であり、いずれにせよ、息絶えてしまう。しかし、それもまた人生、と割り切るだけの度量を持つ私に今日も乾杯。

南緯22度03分、東経17度02分(365日空の旅)

2010-03-24 | 若者的字引
(ダマラランド地方 日没後のスピッツコッペ山)

ナミビアの空を飛んでいる。1月7日。山は赤く、私は日没後の青白く暗闇がむこうから押し寄せる空にいて、山の頂上、その先、尖ったところに目をやる。大きな岩のようなその山は、うねっていて所々崩れている。ぼろぼろと落ちていく岩のかけらはやがて転がり角が取れて丸くなる。丸くなればつみ上がることなく、柔らかい土のようにほろほろとそこにある。ああ、赤いその土の毛布に滑り込み、朝が来るまで眠り続けることの幸福はいつ訪れるのであろうか、私は嘆いてみせるが、実際損なことは全く思っていなくて、時間さえあれば空を舞い、世界の各地の姿を見ていた方がいくらか有意義で私に合っている。だから私は幸福のため息をそっと、尖ったその山の先端にむけて吐いたのだ。

宮本百合子 1951年1月11日 その3(日本死人名辞典)

2010-03-19 | 若者的字引
目覚めたとき百合子は、いつものように見えた、病と免疫系の争いの様子が違っていた。
それまでにも免疫系が劣勢になる場面は多々あり、それは暗い未来を予想させたが、今まさに暗い現在だった。
免疫系の鎧はぼろぼろになり、所々割れている。その割れ目に向かって河童はつばを吐きかけてくる。河童のつばは塩酸並みに触れるものを融かしていく。じゅわわじゅわわと融けだす鎧を脱いで河童にその鋭いくちばしでつつかれるものも出てきた。中に入っていたのはなよなよとした男子で、いかにも文学好きだけどたくましさにかける現代男子であった。
みるみるうちに免疫系は減っていく。対して河童はぐんぐん増えている。
それはつまり世界の終わりが近づいているということに他ならず、百合子は見舞いにくるもの立ちに、最後の言葉とばかり、とても印象に残るような名言をいくつも残しはじめた。
見舞いにくるもの立ちも何か今までと様子が違うぞと感じ、百合子の言葉に耳を傾けた。

かくして、2、3週間がすぎ、百合子はだいぶ衰弱していた。食べ物ものどを通らない。管を通して胃に直接送り込んでいるがすぐに吐いてしまう。その一連の動作が体力を消耗させさらに食べることができなくなる。悪循環であった。魔のスパイラルであった。

今日、最後の免疫系が河童に踊り食いにされた。悲鳴を上げているそれを河童の大群がついばみ、百合子はその様子を見ていられないほど痛々しいものであったが、しっかりと目を開けて自分を長い間守ってくれた免疫系にあらためて敬意を表した。感謝をあらわした。食い終えた河童が四方からじわりじわりと近づいてくる。
百合子は目を閉じた。
見舞客は涙を流す。いくつか百合子の名を呼んでいるものもいる。河童は百合子に近づくと横になり、眠り込む。何をするわけでもない。ただ、近づいて眠る河童がすべて眠ってしまった後、百合子は起きて、導かれるままに天へ昇った。

宮本百合子 1951年1月11日 その2(日本死人名辞典)

2010-03-17 | 若者的字引
「ありがとう」
他に何を言っていいのかよくわからなかった。思いつかなかった。身体の底からでた言葉だった。
別に伝わらなくてもかまわなかった。百合子はただ、感謝の気持ちをあらわさないと気が済まない性格だった。
「別にかまわんよ」
鎧を身にまとった免疫系は応える。ビビる百合子。通じるんや、と戦く。面と向かってありがとう、なんて自分の免疫に対していう人なんて、きっとまれだろうし、変な奴だと思われたら嫌だなと感じて、黙ってしまう。
「どうぞ、さらに感謝の気持ちを表現しても大丈夫だよ」
免疫系はタキシードを着た紳士のように、百合子を包み込みながら促す。
「言葉が通じるなんて信じられません」
「通じるに決まってるじゃないか、同じ身体の中のことなんだから、通じない方がおかしい」
「いわれてみればそうですね、でも」
「でも、じゃない。意志が通じるこれでいいじゃないか、何の困ることがあるというのだ」
「困ることは思いつきませんけど、おかしいじゃないですか」
「なんらおかしいことはない。ああ、申し遅れました、免疫系代表、西島ですどうぞよろしく」
「よろしくお願いします。いつもお世話になってます西島さん」
「いいや気になさらず、いつも通りいつも通り」
「はいわかりました、でも西島さん大変でしょう?あんな悪そうな河童と毎日毎日」
「河童じゃありません、限りなく河童に近いブルーですよ。実際あいつらも悪い奴じゃないんだ、いわゆるなんていうか見解の相違?」
「話し合いで解決できる程度の?」
「できんこともないだろうね、まあ我々はそんなことしないがね」
「はあ」
「むこうから頭下げてくるならそれにのらないでもないが、我々にはプライドがある、それがどんなにちっぽけでつまらんものでも」
「立派なことですねご自身を曲げないって」
「あなた、なに言ってるんです、曲げてしまえばあなた死にますよ」
「あ、そいうこと?」
「そいうこと」
「なるほど、では曲げれませんね」
「その通り」
疲れた百合子は眠気に負けていつのまにか眠り込んでしまう。

宮本百合子 1951年1月11日 その1(日本死人名辞典)

2010-03-16 | 若者的字引
百合子は病と闘ううちに、その決闘する模様が見えるようになった。
病は河童のような緑色の生き物で、くえくえ、と鳴いて百合子の身体に近づいてくる。身体はねっとりと濡れており、歩くたびにねちゃねちゃと音がする。鋭いくちばしをあけて薄ら笑いを浮かべながらこちらを見ている。
それを防ぐのは彼女の免疫系、鎧を身にまとい、槍と盾を手に近づいてくる河童を牽制した。
全身を鎧で固めているため、中に入っているのがどのようなものなのかわからなかったが、発する声から想像するに、それは屈強な若い男子と、選び抜かれた聡明な女子らしい。免疫系は河童を寄せ付けぬ完璧な隊形で、百合子の周りを守っていた。
夢うつつでそのような幻覚が現れたのかもしれない、と百合子は考えたが、今現在、完全に起きていて、しかし、戦っている様子ははっきりと見えている。
ここは病室で、時々看護婦や医師、見舞客らが訪れるが、その戦いの様子に関して彼らは何も言わないから自分にしか見えないものなのか、と納得した。あまり考えたくないが、自分はもう長くないのかもしれない。だからこのような奇妙なものが見えるのかもしれない、とも思ったが、いったん納得すれば作家である百合子の好奇心はその模様を記録し、世に残したくなる。できるだけその戦いの模様を記憶にとどめておくことにした。

医師が部屋に入ってくる。
その頭の辺から河童が飛びかかってくる。飛びかかってきて、免疫系に串刺しにされる。がさらに別の河童が飛びかかってくる。別の免疫系が突き刺す。突き刺された河童はすぐに生き絶えずにしばらくひくひくと動いている。そのうち動かなくなるが、槍を抜こうとしたとたん、最後の力を振り絞って免疫系に噛み付く。噛み付かれた免疫系は悲鳴を上げ、動かなくなる。素直な免疫系は河童の不意打ちに非常に弱かった。
その間にも河童はあとからあとから飛びかかってくる。
いくら免疫系が厚い壁を作って百合子を守っていようとも、あれだけの河童が一斉にやってくれば時間の問題であることは百合子にもわかった。

夜になると、河童は攻撃をやめる。どこかに消えていく。これまでの経験からも夜に河童が襲ってくることはなかった。
だから免疫系も夜に眠り、何かおにぎりのようなものを食い、明日への攻防のための作戦を練り過ごしていたが、総じて気を抜いていた。百合子はその様子を見ていたが、或る夜、好奇心から彼らに話しかけてみた。彼女としてはいつも河童から自分を守ってくれている免疫系に対してねぎらいの一言もかけてやりたかったという意味もある。
ありがとう、と独り言のように彼女は言葉をかけてみる。

南緯17度00分、西経150度00分(365日空の旅)

2010-03-01 | 若者的字引
(フランス領ポリネシア ソシエテ諸島の木舟)

フランス領プリネシアの空を飛んでいる。ぽつん、海に浮かぶ木舟が北へ向かう。白い帆がはたはたと強い風に吹かれてはためいている。海は群青色に深く、鮮やかな色で波にあわせてゆらゆらとゆらめく。木舟に乗っているものはいない。無人の船が進む。迷った船であると私は想像する。迷ってしまって、広い海を西へ東へ彷徨う。彷徨ううちこのポリネシアにやってきた。ここは南国で、気候も穏やかだし、人々の気性も穏やかで、生活水準も高いが、税金も高い。木舟が持っているはした金はすぐに飛んだ。港にあるローソンでからあげクンを購入するとなくなった。着ているものもはぎ取られてなお働かされた。日々に疲れた船は彷徨い、彷徨いながら両親を捜している。もうどうにでもなれ、という木舟のつぶやきが強い風にかき消される。

Rust,AUSTRIA(世界のドア)

2010-02-28 | 若者的字引
Page3

中央に小さなドアー、それを囲んでいる大きなドアーがある。中央の方のは、子供用ペット用で、大きなものは大人用、そんな風にも見える。それらのドアーの色は黒であり、模様がある。3という数字がちいさくドアー上側についている。模様は、ドアーの中心から広がっていく星型。そして、ドアーを囲む柱、ちょっとした屋根、壁は黄色、左右対称の模様、贅沢でどこか物々しい出窓がふたつ、それも左右対称、ドアーのすぐ上にある。やがてその窓が開く、向かって右側の、いや、左側の窓が開くゆっくりと、ぎぎぎぎぎと音を立てながら。完全に開く、がそこには誰もいない。続いて開きだす向かって右側、やはりぎぎぎぎぎと音を立てて、完全に開く。誰もいない。部屋の中は暗すぎて見えない、差し込む光だけでは、部屋の中をはっきりと照らすには頼りない。逆に暗闇が漏れてくる。そんな気がするぐらい向こう側は暗い。と突然、左の窓にむっくりと立ち上がる人影。彼が、あるいは彼女が、何かを投げる。その白いものがふわりと風に乗り、すぅっと流れていく。と右の窓にむっくり立ち上がる人影。ふたつの影が近づいて窓枠から消えて、中央に重なる、ぐらいの時、近づいてくるものが、やがて紙飛行機だと気づいて僕の足元に見事に着陸したんだ。

Hobart,Tasmania,AUSTRALIA(世界のドア)

2010-02-28 | 若者的字引
Page6

白地に薄いブルーの枠、濃い緑の観葉植物が植えてあるその先にあるドアー。緑に埋まっているドアーを掘り出して見つけた、隠れ家、そういう印象を受ける。ドアーのすぐ上、光を取り込む為の窓があり、ドアーのすぐした、木製の踏み台、古い気を使っているようで、年季が入っている。周りの綺麗な建物と対照的で、だからよけいに魅力的に思える。踏み台に、置いてある、というよりも、落ちている、という方が近いかもしれない、ナイフと何枚かの紙幣、コイン。そして、ドアーの中央には53という数字。それらが後に重要なキーワードになろうとは、そのときの僕は全く想像もしていなかったわけで。

Martina,Franca,Puglia,ITALY(世界のドア)

2010-02-28 | 若者的字引
Page8

垂れ下がっている無数の細く長い紐、柔らかなクリーム色のドア-を柔らかに包んでいるのれん。風が吹くとさらさらと揺れて、猫が通るとさらさら揺れて、その音はとても耳に優しい音だ。ドア-は二枚あり、内側のドアーは暖簾の向こう側、外側のドアーはのれんより外、外側のドア-は常に開かれているのか。外ドア-はのれんと同じクリーム色、ホワイト板チョコレートのような形。ヘンデルもグレーテルも、匂いにつられて、ふらふらと近づく、そしてまずはじめにこのドア-を齧ったはずだ。だから向かって左側の下のほう、ほら少しかけてるところがあるだろう?

北緯26度24分 東経75度48分(365日空の旅)

2010-02-27 | 若者的字引
(インド ラージャスターン地方の町ジャイプールで、サリーの布を干す風景)

インドの空を飛んでいる。1月5日。緑色の大地を包み込んでいるオレンジの布。いくら包んでも包み足りないほどの大地。干されてよく乾いたその布を折り込んでサリーとするのであろう。女たちはそれをまとい、光る目で、社会を見る。布は恐ろしい力を持っている。社会性をかき消し、存在をかき消し、悪意や熱意など感情もかき消し、ただ従順な個のない女とすべく、サリーは働く。そのためのエネルギーを発する。インド中の女という女を包んでも包んでも足りないほどの強いエネルギー。それは情熱ともいえる。エネルギーがいったん放たれると治めることは難しい。サリーの思うままに任せていると秩序はない。だから包んでも包みきれない大地を行ったん包ませることでサリーの力を沈め、女が安全にまとえるように昔の人々が工夫の末生み出した儀式。