リッスン・トゥ・ハー

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パンティラインの有無についての田口実の考察

2006-05-31 | リッスン・トゥ・ハー
ジーンズの尻に現れた二本の線を見ている。その横、線の現れないジーンズの尻を見ている。いずれも若い女。小奇麗ななりをしている。ファッション紙のモデル生き写しの小奇麗ななりをしている。私はふたりの、線と尻をわき目をふらずに直視している。なぜならそれらは目の前にある。ふたりは立っていて、私は座っている目線はちょうど線、尻、満員の電車内、視線のやり場などないに等しい、故に直視しなければならない。線がない、ということはノーパンティである可能性がゼロではないということで、しかし、焦るな実、巷では線のでないパンティが出回っているという。だとしたら何重もの層の向こう側に尻があるということで、ここからではまだ遠い。対して線があるということはその少し下はすでに尻、覆うものはジーンズだけなのである。何層もの繊維で包まれた尻とジーンズのみで包まれた尻。この違いは天と地ほどもあるだろう。そして、そう、私は田口実である。

図書館で僕が止めた時間について考える

2006-05-30 | リッスン・トゥ・ハー
本をめくる音がいくつも重なって僕は目覚める。その間、僕が読む物語は進まず、つまりその中の時間は止まっている。世界は相変わらず、つまらなそうに進んでいるのに、僕は進めるべき時間を止めてしまった。慌てて目で文字に追い時間を進める。僕が眠っている間、例えば木から落ちようとする林檎は空で停止しているし、例えば女の子が温めるミルクの湯気も立ち昇ることはない。そんな星の数でも追いつかないぐらいいくつもの時間をひとつづつ丁寧に進める。林檎は地面に落ちて割れる、ほっとしたように女の子は温めたミルクをカップに注ぐ。昇ってきた太陽が冷えたみずうみを温めるように、てきぱきと動き出す時間を想像して僕はほんの少し可笑しくなる。

夜更け過ぎ、ドアをノックする鶴

2006-05-28 | リッスン・トゥ・ハー
ほな寝るか、と思った矢先、ドアをノックする音。もう3時やでしかし、ネットサーフィンどっぷりはまってたから気付かんかったけどもう3時やでしかし。しつこくドアをノックする音。シカトしたろか、一瞬思ったけど、とにかくしつこいので仕方なく、とりあえず玄関へ、玄関つっても同室内やけどね。いうても物騒な世の中やから、訪問者が何者か分からんうちはむやみにドアも開けれん、開けたら最期ジャックナイフで刺されて、血潮飛び散って三面記事のコースはごめんやから、どなた?と声かける。雪で村に帰れなくなったんです女です一晩だけ泊めていただけないでしょうか。女か、しかし支離滅裂で、何より雪降ってへんしね。これは怪しい、んで、ちょっとごめんなさい眠いんで他あたってください、つうたら、鶴です、あのときの鶴です。なんだぁ助けた鶴かぁ~入れよ入れよ、てドア開けたら、正体を知られた以上、と言いながら飛んでった。

斎藤さんに、ありったけのドレミを浴びせろ

2006-05-27 | リッスン・トゥ・ハー
斎藤さんは無口だ。無口で、無愛想で、コンビニで働いているというのに挨拶もろくに言えやしない。斎藤さんの「いらっしゃいませー」は聞く人が聞くと正しく聞こえるのかもしれないけれど、私はいつ聞いても「キャツアイ」と言っているように聞こえる。立ち読みしている時なんかに、団体のお客さんが入ってくると「キャツアイ、キャツアイ」と何度もつぶやくので、思わず笑みがこぼれる私は斎藤さんのほうに目をやり、どうしてか斎藤さんとばっちり目が合い、そんな時ほんの少しばつの悪そうに目をそらす斎藤さんの仕草とても愛らしく思う。「キャツアイ」の連呼を聞くことができたなら、その時の斎藤さんの顔を見ることができたならその日私は、皆が寝静まる深夜、高らかにリコーダーを吹いて室内に、町内に、世界に、ありったけのドレミを響かせる。

代表リレーで胸を揺らすということ

2006-05-27 | リッスン・トゥ・ハー
第二次成長を先に迎える女子の中にはすでに、大人用のブラをしているものもいる。どちらかと言えばあたしもそちらの方に属す。運動会も終盤に差し掛かり、学年代表リレーがはじまる。小さい頃から足の速かったあたしは必然的に赤組6年女子の代表。一年生からはじまって、抜きつ抜かれつ結局ほとんど変わらぬままバトンを渡して5年生へ、じきにあたしの番がきて、受け取ったバトンを握り締めて走る。あたしは風を切りながら、カーブを巧く曲がりながら、髪を振り乱しながら、軽快なテンポでぼわんぼわん揺れる、胸を見るエロの視線。あたしはその無数の視線にマシンガンをぶっ放して惨殺。銃声と悲鳴の響く戦場、バトンを運ぶ兵士となり、台地が揺らす裸足で蹴る。揺れる胸は鼓動の音、共鳴してさらに上下。暴れ出す乳の断末魔、その叫び声をあなたは聞いたか?隊長、あとは頼みました、とバトンをうすら髭の生えてきたマモルに渡す。

シンデレラ、ガラスの靴を脱ぎ捨てた

2006-05-25 | リッスン・トゥ・ハー
零時を知らせる鐘の音、ダンスホールの大時計から鳴り響く。この鐘が鳴り終わるまでにあたしはここから離れなければならないさもなくば、みすぼらしい姿に戻り、それまであたしを褒め称えていた人々は一転あざけ笑うことでしょう。あたしの手を取り無心に踊る王子さまだってきっと、あたしのしわくちゃで埃まみれのワンピース姿を見ればたちまち我に返って、その手を離し、こんなにもみすぼらしい女に心奪われた己を悔いるに違いありません。だからあたし自ら王子さまの手を離し、駆け出す、けどガラスの靴じゃ走りにくいったらありゃしない。焦って割ちまうと足に致命傷を受ける可能性があるし、割らないように走ってたら追ってきた王子にすぐに追いつかれるし、でも王子に追いかけられるって快感、嗚呼もっと追いかけられたいですでももうすぐ鐘鳴り止む。あいだを取って、あたしはガラスの靴片一方だけ脱いでお城の外へ、ぬかるんだ土を素足にゅるりと踏む。泥まみれ。あたしをつかまえてごらんなさい王子さま、といわんばかりの笑顔で振り向く、王子どん引き、その表情たら。

アダムとイヴと回転する天体

2006-05-24 | リッスン・トゥ・ハー
放課後の放課後、練習終わって他の部員が帰ったあと、もうほとんど沈んだ夕日がかろうじて作る影法師ふたつ。ひとつは顔立ちの整った野球部の主将でエースで4番でコーチ兼監督の真似事もやっているエキスパートで、ひとつは同じ野球部の美人マネージャーで、生徒会長でピアノコンクールなんかでも優秀な成績を修める才女で、ふたつは誰からもお似合いと言われる理想のカップル。ふたりは時々、愛の語らいの中で想う、すべてが我々を中心に回っていて、我々が進めば地球が回る。時が動き出す。それは思い上がりとかそういう次元ではなく事実だから。いつもの寄り道、神社の境内で口づけ、風景の一部となるぐらいさりげなく。口を離す。ほらいつだってそれを待っていたかのように街灯が灯るから。

母とフレンチドレッシングを買いに行く

2006-05-23 | リッスン・トゥ・ハー
まるで魔法みたいに、私の家の冷蔵庫は、中の食材が足りなくなれば自動的に補充される、ものだと幼い頃思ってた。ひとり暮らしはじめ、あれはなんということはない母が買い足しているだけだと気付いた、同時にその母のありがたさに気付いてから間もなく、母は突然亡くなった。私はどちらかと言えば父に似てものぐさな方だから、気づいた時には冷蔵庫が空っぽになっていることが少なくない。今だって、さっぱりしたサラダを朝食に、ゆっくり過ごしたい週末の朝なのに、冷蔵庫の中に何も入ってない。回数こそ少なかったが母はここに来るたびに、かわいそうな冷蔵庫、と食材の入っていない冷蔵庫に同情していた。冷蔵庫に同情するなんてまったく変な人だ。でも、だからこの何も入っていない冷蔵庫を見た時、私は母を思い出す。いてもたってもいられずに食材を買いに行く母を感じた私は、駅前のスーパーに、新鮮な野菜とフレンチドレッシングを買いに行く。

煎餅を噛む守衛を震源地として

2006-05-21 | リッスン・トゥ・ハー
ゴールデンウィーク、祖父母の家に親戚が集まり騒いだその帰り、私が運転する自動車が踏み切りを横切った先に少し規模の大きい町工場があって、その入り口に休暇中の工場を守る守衛がいる。守衛になるべくして生まれたような守衛らしい顔でどかと座っている。そして守衛は、そのちいさな守衛室の中で、時々、外に目をやる。外では、守衛のことなどお構いなしに泣いたり笑ったりしている。守衛のことなどお構いなしに。私が、町工場の前を通り過ぎるほんひととき、守衛は私のほうを見、ふと溜息をつく。私もずいぶん愉快に騒ぎ笑った帰りである。それから熱いほうじ茶を煎れ、とうに見飽きたナイター中継に仕方なくチャンネルを合わせ、長い夜を過ごす。明日も明後日もその次も。ナイターの忙しない実況と、守衛が丹念に噛み砕くせんべいの、乾いたバリバリという音しか聞こえぬ町工場で、守衛はたつたひとり、地が震え、ビルが崩壊し、混乱した人間が逃げ惑う様を想像する。

銀行で順番待ちをするアリクイについて

2006-05-20 | リッスン・トゥ・ハー
僕がソファに座っていると、ネクタイを締めたアリクイが入ってきて、手馴れたしぐさで番号票をとり、僕の右斜め前のソファに座った。僕はそこそこ驚いていたけど、僕以外の人間は何も変わらず、窓口の女の子も、僕の隣に座っている男も、平然と事務をこなしたり、ケータイをいじったりしている。僕は、僕が知らない間にアリクイの人権を認める最高裁判決がでて、それを期にアリクイ達が街に出てきたのだろうかなどと本気で考えた。少しして、僕の番号が呼ばれ、僕はアリクイから遠い方の通路を通って窓口に向かった。窓口の女の子はお待たせしましたと事務的に言い、どういった御用でしょうとそれもまた事務的に言った。僕はつかぬ事を伺いますがこの銀行にアリクイはよく来るのですか、と聞いてみた。斎藤様ならよくこられますよ、と女の子がなぜそんなことを聞くのだろうというかのような顔で答えた。いや僕はあのアリクイの名前が斎藤さんかどうかわからないんだけど。そうですか、と言って鞄から書類を取り出した。

夕暮れ電車に飛び乗れ

2006-05-19 | リッスン・トゥ・ハー
先生はもう少し考えさせてくれとどっちつかずの回答をわたしに浴びせて自転車にまたがり、そのまま振り向きもせず曲がり角曲がってすぐに見えなくなりました。先生から長く伸びた影も少し遅れて見えなくなる。仕方なく弾みで落とした鞄を拾って自転車を押しながら、先生の回答どうこうというのではなく、ただ緩い風が額を撫でるその撫で方があまりにも優しいので無性に泣きたくなった。きっと先生は優しすぎるからわたしのことを傷つけたくないのだと都合よく考えるほど前向きでなく、いっそのことあんな奴忘れてしまおうと考えるほど強くもなく。ふらふらとただ阿呆のように空気の薄い街を彷徨いやがて駅に着く。淡い希望とかやがて来る絶望とかそういうの全てをこの街に置いといて、発車のベルをけたたましく鳴らす電車に飛び乗れ。

飛び立つ鳩が想う平和について

2006-05-18 | リッスン・トゥ・ハー
鼓笛隊が陽気に高らかに音が止む。拍手。くぐもった声で毛の少ない男がしゃべりだす。この鉄の檻は間もなく開けられ、私は解放されるのだろう。それが彼ら、毛の少ない男らの望みなのだろう。それがためわたしは飛び立つ、そして遠く高く遠くに浮かぶ雲を、あのポップコーンのような雲を食らう。食らうことで力をつけてさらに高くへ高くへ。果てはない。そこにポップコーンがあり、それを食らうわたしはただ高くへ。地を這うものの羨望を受け、羽を持つ物として、鳥として、到達したことのない高さへ。宿命。時がきた。甲高い音楽と、ともに開けられる檻、勢い余って、飛び出すわたしは鳩である。ぐんぐん高くへぐんぐん高くへ。ポップコーンはまだか、あの巨大なポップコーンはまだか。届かない届かない届かない届かない何にも何にも何にも届かない。疲れ果てたわたしはアスファルトに降り立ち、縦横無尽に歩み、豆を投げる幼子の手をつつくのだ。