リッスン・トゥ・ハー

春子の日記はこちら

平成4年/上半期/芥川賞

2008-12-31 | 二行目選考委員会
(多和田葉子作/犬婿入り/一行目は)

―昼下がりの光が縦横に並ぶ洗濯物にまっしろく張りついて、公団住宅の風のない七月の息苦しい湿気の中をたったひとり歩いていた年寄りも、道の真ん中でふいに立ち止まり、斜め後ろを振り返ったその姿勢のまま動かなくなり、それに続いて団地の敷地を走り抜けようとしていた煉瓦色の車も力果てたように郵便ポストの隣に止まり、中から人が降りてくるわけでもなく、死にかけた蝉の声か、給食センターの機械の音か、遠くから低いうなりが聞こえてくる他は静まりかえった午後二時。―

「樋口君!まるがなくても息継ぎしていいんですよ!誰か!保健の澤田先生呼んできて!」

まぐろ その17(結婚式編)

2008-12-29 | リッスン・トゥ・ハー
「まぐろ その17(結婚式編)」

それは涙だったのかもしれない。
娘が嫁いでしまうという喜びと悲しみとが入り混じったからだのそこからくる振動だった。マグロは人目をはばからずに目から液体を流した。涙というレベルの塩分ではなかった。潮水に限りなく近かった。それもマグロの体内で凝縮された死海よりも濃い潮水だったマグロは、ぬぐうこともせずにただ嗚咽をあげた。
静まり返っていた。マグロが号泣しているのである、誰が陽気にできようか。
ほんのつかの間であった。
さっきまでとは打って変わって式は厳粛に進んでいた。
お祭り騒ぎであった。歌いだし、泣き出し、笑い出し、本能のままに出席者は立ち振る舞っている人間をよそに、マグロはしくしくと酒をあおった。自分を痛めつけているようだった。女の子がマグロにつまみを差し出した。つまみはマグロの身を固めて乾燥させたものだったが、マグロはかまわずに会釈してそれを受け取った。
マグロは酒におぼれた。どうしようもなかった。ただ深く悲しかった。
そして、マグロが新郎もしくは新婦のどういった関係の親族もしくは友人であるのか、誰ひとり(新郎新婦でさえ)分からなかったがなんとなく言ってはいけないような気がして黙っていた。
マグロはようやく涙をハンケチで拭いて、フォアグラのソテーにフォークを入れた。
その様はナイトさながらに実に華麗であった。

斎藤和義

2008-12-26 | 若者的図鑑


ウェディングソングでようやく脚光を浴びた感があります。それまでにもコアな長いファンがいて、歌うたいのバラッドなど名曲を残しています。老人の歌、が好きですね。これは、ファイアードッグに入っています。たしか。すぐにわかるのではありませんが、なにか徐々に効いてきます。

正直最近の斎藤さんはあんまり好みじゃなかったのです。5秒の再会なんて好きですし、ウェディングソングは誰か昭和の時代の名曲のカバーかと思ってましたし、確実にいい曲はつくってはるんですが、あんまりCDは買わないかな、と。

しかし、ベストであらためて知るシンガーソングライター斉藤和義という人。つんつんしてる頃や、まあるくなったころ、エトセトラエトセトラ、色んな時期の斉藤さんがいます。この分量でこの値段、安いよ、お買い得だよ、3枚組みだよ。一家に1枚、必要な音楽だよ。想像してごらん、斉藤和義が流れている夜の、くつろいだ時間を。

LITTLE BUSTERS/the pillows

2008-12-25 | 若者的図鑑


この人たちも長いこと確立したいぶし銀的な位置に甘んじることなく、荒々しく、馴れ合いになることのないとがった音楽を届けてくれます。

わたしはベストソングの3位以内を常にキープしているハイブリットレインボー。アナザーモーニング、など、大変エモーショナルな響きが切なさを駆り立てます。痛々しさすら感じます。3ピースバンドであることを確かめるようなシンプルさ、それで突き抜けていく。恐ろしい、なぜこんなにも無防備な歌を作ったのでしょう。横からちょっと槍で突けば即座に倒れてしまいそう。二度と立ち上がれないであろうことを知っていて、しかしそのぎりぎりのやり方が美しいメロディと爆発する声、畳みかけるドラム、ベースを生んだの、

青盤/ウィザー

2008-12-24 | 若者的図鑑


ウィザーファーストアルバムは名盤。

さえない風貌の4人が、成し遂げたロックは、孤高なところで、鋭くとがっているのに、その腕は伸縮自在で、こんなにも低い街のわたしたちのところまで、伸びてくる。抱きしめられて気づいたら、自分がやけに高いところにいて、そんなこと簡単にできそうな気がしてくる、錯覚。クオモさんの叫ぶ声は、かすれて、高いところで届かぬが強引に引き寄せる吸引力、ざんざんと鳴る。真の部分に届いて、わたしたちは大粒の、涙を流すのでしょう。捨て曲なし、ミュージックビデオを見たらなおよし。ロードムービー形式のウィザーDVDも全曲格好良く、ライブ映像満載で見ごたえアリー。数年前のサマーソニックで見た彼らはぐっときました。幸福感でいっぱいでした。さあライブに今年は一度しか行ってないな、行かなくちゃ。カウントダウン大阪の一日目が熱い。全員見たいぐらいの勢いで、畳みかけてきますね。ほんまに困った困った。

15 angry men/カジヒデキ

2008-12-20 | 若者的図鑑


あれえ?カジくんじゃない?
なんと挑戦的、カジくん、クイーンサウンズバブルスアゲイン、ミスタースェーデン、過渡期にあるアルバムです。そういう時期は前後がありはじめて、素晴らしいと思える。それ自体は中途半端な印象も受けますが、この後、このような変化をとげて、という面白さ、そのトータルで見てはじめていいなあ。と思えるので、それ自体を聞いたときにはなんとなく、印象に残らない、何をやろうとしていたのか、疑問が残ってしまうことがあります。このアルバムもジャケットその他の実験性に対して、内容は今までのものから発展は薄い、もしくはその試みは成功したとは言いがたいものです。しかし、それでもなお、カジヒデキがカジヒデキたる意味をわたしはこの作品に感じるのです。みんなが最高なんつって胸の中叫んでるよ、この祝福の1枚を聞くがいい!

スリーアウトチェンジ/スーパーカー

2008-12-19 | 若者的図鑑


このアグレッシブさは貴重です。

スーパーカーはこの後洗練されていき、音を大切に置いたのではなく、できるだけのことをやって、それ以上は望まないし、投げやり具合が絶妙です。まだ、何もわかっていなかった頃の、なんとなくいい感じの音楽を作って、いい感じに評価されて、いい感じに演奏してて、インタビューでもいい感じのこと言って、笑って、生きていた。そのゆらゆらゆれる揺らぎが、たまらない。確実な方向はなく、あっち向いたりこっち向いたり、よくわからなくなっているし、潮の流れ気まぐれで困った、漂流するもの、何人かただ生きようとする、強い勢いを感じます。嵐はやがてやってくるのだけれど、今はまだ、穏やかな海のその流れのままに漂う気安さスリーアウトチェンジ。

オケピ

2008-12-18 | 若者的図鑑


「ミュージカルを愛するすべての人と、そうでないすべての人に捧ぐ」
全人類対象っ!

とつっこみまして、三谷幸喜さんによる傑作(と言い切ってしまう)ミュージカルコメディ「オケピ」です。
ミュージカルですから各出演者がどんどん歌いだし踊りだします。ソロ楽曲もあり、11人のそれぞれ特徴が出た舞台です。洗練されたユーモア、嫌でも感動してしまう声量の布施明さんと天海祐希さん、瞬きをすることを忘れてしまいそう。

ミュージカルやオペラでの演奏をする楽隊、そこで演奏する人々を描いたミュージカルという、ひねくれた設定。当然、演じる役者さんの下にはオーケストラピットはあり、舞台が進むにつれて演奏をしています。見事です。

蛇足なりにあがきまして、わたしなりの見所を上げておきます。まずは主人公、オケピの指揮者が最初に歌いだすその、肝心なのだと思います。今までしゃべっていたのが急に歌いだすんですから違和感を感じずにはいれません。しかし、この違和感が心地よいんです。ほとんどアカペラで歌いだし、とたんに音楽が鳴り出し、合唱は始まる。そのわずかな間ふりをつけて歌う白井さんの格好良さ!お勧めです。
さらに、ニヒルなジャズトランペッター役の寺脇さんのソロ、ミュージカルなんて大嫌い、でこのソロ自体非常に面白く好きなのですが、ミュージカルの名作をあげて、馬鹿にするのです。「なんで不良がいきなりダンシング~」「何で刺されているのにいつまでシンギン~」これはウエストサイドストーリーを取り上げているのでしょうが、さあこのときに布施さんが中央で歌う寺脇さんを刺すアクションをするのですが、その時の布施さんの悪そうな顔。これです。いかにも盛り上げています。この顔は一見の価値あり。
そして、その布施明さんのソロ楽曲が鳥肌ものです。布施さん、本業歌手らしくあまり踊ることはありませんが、とにかく圧倒的な歌唱力。離れて暮らしている娘を思う渾身の一曲です。そして、笑いどころは三谷作品らしく満載。笑えて、ドキドキして、感動もできて、生演奏による歌も聴けて、踊りも見れて、お腹いっぱい。たまにはこんな風に幸福な世界に浸ってみてはいかがでしょう。

COVER GIRL/つじあやの

2008-12-17 | 若者的図鑑


強い癖はありません、さわさわ流れている鴨川の流れのように、立ち止まりつつ、なんとか流れていく。それがつじさんのうたの良さです。どこか曖昧で、弱気な男子をうたう、そのたたずまいから、ボブ、眼鏡、ウクレレ、思春期男子のそれ。アレンジを加えて音を重ねた東京サイドよりも、ウクレレ一本、京都のあらゆるところで弾き語る京都サイドのほうがその魅力がよくわかります。そして、何か極めたいと思っていたのですが、これしかないと確信しましたわたしはウクレレマスターとしての君臨すべく日々、鍛錬を積み重ねています。路上ミュージシャン通りでライブすること。そう、意味なく、飛び込もう。意味なくじゃないか、飛び込むことそれ自体に意味があるんだ。というわけで、わたしもあきらめられない部分を、悪あがきしてみて、飛び出す決意をひそかにした。いや、決意しただけです。他に何かするということもありません。ぼんやりと生きていくだけです。何も変わりません、しかし、とりあえず簡単にはあきらめない。そんな強い意志です。

TEA/カジヒデキ

2008-12-14 | 若者的図鑑


軽やかなるスェデッシュ・ポップを淡々と紡いでちょっと出し惜しみしといて静かな作品。

北欧で生活している日常を想像できて、わたしはこんなの素晴らしいなあと思ったものです。音楽もさることながら、ジャケット、30ページほどのブックレットも素晴らしいや!鮮やかな色彩でどこまでも生活感を感じさせない理想郷を想います。かろやかお洒落なポップスに随分あこがれたものです。

うたは決して上手くないんです、がその頼りなさこそ、ギターポップ、なよなよしたひ弱な男の子が世の中を少々馬鹿にしたように歌う、何真剣にやってんのさ、というなにかしら皮肉をこめて。

さて、カジヒデキさん最近ニューアルバムを発表されたそうで、わたしは、ベストアルバムのエンジョイゲーム以来買っていないのですが、久しぶりに買ってみようかな、と思っています。あいかわらずのポップスなんでしょうか。なんとなくそうであってほしいよね。

さざなみCD/スピッツ

2008-12-13 | 若者的図鑑


さあ走り、続けて何年ぐらいになるだろうか。

相当長い間第一線でその座を守り続けている説明不要のバンドです。
あらためてもういう必要もないのでしょうが、その魅力は、さざなみCD(!)にも収録されていますが、魔法の言葉、言葉の力がひとーつ。
さらになぜそんなにも単純なコードで心にすんと届くメロディを描けるのか、楽曲のどんなに生み出そうが決して落ちない質にもうひとーつ。誰が歌っても響いてくる歌の良さ。まずはうただけで十分に感動させることができる強さを持っています。
さらに、こちらのほうがより重要だとする専門家もありますが、草野マサムネさんの声がさらにひとーつ。透明感のある、男性ボーカルとしてそれ自体は先人がいるものの、そこに乾いた響きを持たせる。色っぽさや、悲しさ、そういう感情を一切排除したクールさ。現代人っぽさ。パフュームの無機質な歌い方が受けていますが、そのさきがけ。いいや、感情をこめて歌っていて、その思いがぐんぐん届いている、とある人は言うかもしれません。確かに感情はこめられているんですが、しかし、その特徴を突き詰めていけば、突き放したようなボーカルこそがスピッツの味なのです。普通のバンドが、アーチストがそれをすると、とみさわいっせいさんなんかは怒り出します(知らんけど)。もっと真剣に心をこめて歌いなさいよ、と。しかし、スピッツの場合、突き放しても余りあるほど歌詞が力を持って自由自在に駆け出すのでむしろ楽しいのです。その放し飼い具合があるからこそ、誰もが歌い、親しまれている。それぞれの映像を描いているのです。ではソロでもいいのではないか。バンドとしてそれを持続する忍耐力。わたしはこの夏にはじめてスピッツのライブを見ましたが、いきいきとした演奏はキャリア20年を感じさせませんでした。マサムネさんがあの質を維持しつつ楽曲を生み出し続けるのは、やっぱり支えられているメンバーがいるからこそだと思います。

さーてこのさざなみCDは、どこかできたことのあるメロディばかり、タイアップ曲が多い。その露出にもかかわらず、まとまりがあり、ここにきて言葉使いにも、新しさを感じます。話し口調を突き詰めていく凄さ。まだ到達点でないという、プロの気概を感じる1枚。嗚呼お見事。あまりにも容易に歌うもんだから、誰にも簡単にできそうに思えちゃう、けど、いざやってみて驚愕する。こういうのを天才というのでしょうね。ライブで聴いたロビンソンの輝きがなにしろすごい。