リッスン・トゥ・ハー

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surfing

2007-01-31 | リッスン・トゥ・ハー
溺れた子猫は藁をも掴む。それは本当だ。ぷかぷか浮いていた腐った海藻を懸命に掴もうとしていたのだから。誰ひとりとして何もできなかった。だって強い雨は降っているし、波は強かったし、何より子猫は誰の飼い猫でもなかったし。それでも、やはりできることなら助けてやりたいのは山々だが、と誰もがそう思っていたに違いない。私たちが乗っている船には、浮き輪を投げて猫がそれに掴まるかどうかは置いといて、なぜか投げ込むべき浮き輪なんかもなく、かといって泳いでいけるだけの勇気も誰も持ち合わせていなかった。と思われたその時、きみが前へ駆け出して、船に積んであったサーフボードを手にとった。何をやっているんだ、無理だ、と即座に思った。きみが泳ぐのを見たことがなかったし、どちらかといえばきみは運動ができないほうだし。無茶するな、と私は目で訴えた。しかしきみは凛として微笑み、見てて、と言った。そして、サーフボードを羽として海に降り立ち、波をとらえた!きみがサーフィンできるなんて知らなかった。おおきなあの波の上で、馬鹿みたいに輝きながら。

なぞれば西日が落ちてくる

2007-01-31 | リッスン・トゥ・ハー
冬の昼の誰もいない居間は、冷たいフローリングの光沢にある音が静かに木霊している。子は、外で、凧揚げなんかを飽きもせず続け続けていやがる。声変わりの遠い甲高い声がかすかに聞こえてきて、冷たいフローリングの光沢にある音が聞こえなくなる。その音はもしかしたら俺の耳鳴りかもしれない。君が、子とともに外にでていた君がこの居間に戻り、湯を沸かし始める。マグカップを棚から取り出す。どうやら君は珈琲でも飲むつもりらしい。ハミングが聞こえる。君は、君を見ている俺に気づいて笑いかける。その笑顔は丸めた一昨日の新聞紙のように歪んで古く見える。其れを幸福といわず一体何を幸福というのだろう。俺は近づく。そして、そのふくよかなる君の尻を、なぞれば西日が落ちてくる。

Cornwall,ENGLAND(世界のドア)

2007-01-30 | 若者的字引
Page17

黒いふちに囲まれて白いドアー、9の数字が上のほうについている。光沢のあるよく磨かれたドアノブ。ドアーの両隣に花の鉢が吊り下げてある。花の鮮やかな桃色はそこだけ浮き上がって見える。ドアーの両隣にある桃色を頼りに、はるばる遠くからやってくる少年、少年は走って来たものだから、はあはあぜえぜえ、ひどく息を切らしている。ドアーをノックする。その音だって、はあはあぜえぜえ、駆け出しそうさ。

散文を書く、あくまでもアリクイとして

2007-01-30 | リッスン・トゥ・ハー
我輩は猫であり、また、アリクイでもある。猫とアリクイ、あなたは全く違うのものだと思うかもしれない。しかし、我輩は猫であり、また、アリクイであることに間違いはない。そこに疑問を挿みこむ余地は、ない。とにもかくにもそう理解してもらいたい。理解していただけたなら、話を進めよう。まず我輩が今このA4サイズのルーズリーフに、一本税込み210円のボールポイントペンにより文章を書いている理由である。このボールポイントペンが我輩の手にしっくりとなじみ、そのボールポイントペンの誘惑に乗せられるままに、我輩は書きはじめたのだ。そして、冒頭の違和感である。つまり、我輩が猫であり、アリクイでもあるという違和感だ。じゃあ聞くけど、我輩は、ではじまって、次に続く言葉が猫じゃないなんて、文学的革命じゃないか!我輩にそんな大それた革命を起こせるような勇気も知恵もシックなグラサンもない。アリクイだって、生きているのに、言いたいことがあるのに、美味しい蟻の見分け方とか言いたいのに、我輩、って使っちゃったから、次に猫しか置けないじゃない。でも、あたい、アリクイなのよ。

象の墓場

2007-01-29 | 掌編~短編
象は、僕らが動物園なんかで見るそれでなくて、自然の中でありのままに生きている象は、自分の死が近づいたのを知ると、みな同じ場所へ向かうんだ。本能のままに歩き続けてある日たどり着くその場所は、ふわふわと穏やかな風が吹いていて、時々雨が降るけれど、決して強いのでなくて、やわらかい布のように、肌をしっとり濡らし、食べ物もたんとあり、何より、世界中から集まってきた同じ境遇にある仲間たちがいて、ちょっぴり俗っぽい噂話なんかして過ごしている。誰にも邪魔されずに。そこは本当に安らげる場所なんだ。

>誰にも邪魔されずに。例えば人間にはその場所が見つけられないの?

そう、像しか知らない。しかも、死が近くにある象にしか。本当は象であれば最初から知っている。でも、死が遠い時は巧妙に隠れている。つまり象はその場所を、近づいた死によって思い出すんだ。

>もし、その場所にもし行けたら、象牙、とり放題でしょうね

残念ながら、象牙はないと思うよ。

>どうして?

象の墓場には象の死骸は存在しない。死によって象は、象であることから解放される。解放された象、あるいはかつて象であったものはこの世界とは別の世界に到達する。そのために象は墓場へ向かうんだ。

>うーん、なんだか難しいけど、なんか宗教的な話ね。でもそんなことなんで知ってるの?象しか知らないんでしょ?

簡単な事だよ、僕は像なんだ。

>はあ、そうすか

信じてないだろうけど、本当なんだ。しかも、死が近くにある。

>うん、信じられない、しかも死が近いって、やめてよ。

僕だって止めれるのなら止めたいよ。


そう語っていた同期の裕樹が会社をやめて、いなくなってしばらく経つ。
象の彼はきっと墓場に向かったんだ。墓場で他の象たちとちょっぴり俗っぽい噂話なんかしながら、近い未来にやってくる死を待っているんだ。あるいは、それは幸せであるような気がした。「僕だって止めれるのなら止めたいよ」と言った彼は確かほのかに微笑んでいたし。
ふっとそんなことを考えてから私は、冷めた珈琲を飲み干し、意味のないいくつかの書類を作るために、キーボードを叩き続けた。

こんな夢を見た070129

2007-01-29 | 若者的白夢
こんな夢を見た。旅館のようなところで、右小指で右耳をほじっていると、奥に詰まっていた、丸まった白い紙がぬぬぬぬぬとでてくる。白い紙は何度でもほじるたびに勢い衰えずにぬぬぬぬぬとでてくるから、わたしは少し心配になる。耳に詰まっている白い紙の終りが分からず心配になる。長い白い紙がでても、別段気持ちよくもなく、ただ何かがぬぬぬぬぬと出ているという感じ。旅館で食事がはじまりそう。目覚め。

こんな夢を見た070127

2007-01-28 | 若者的白夢
こんな夢を見た。私はお母さんとなり、子をあやしている。子は二匹、上が女で、下が男で、こいつらにずいぶん手を焼いている。ぐずりつづけてなかなか落ち着かない。わたしはいたるところを舐めてあやす。それでも子はぐずる。二匹とも。天敵がやってくる気配、緊張。獣臭、これはわたしのもの。遠吠え。目覚め。

3分間には訳がある

2007-01-25 | リッスン・トゥ・ハー
カップラーメンが出来上がる瞬間に立ち会うためには、すくなくともあと3分この場所にいなければならいないということである。なぜ3分なのか、麺の量や固さ乾燥度なんかを調整すればいかようにもできたはずであるなのになぜ。時間はあまりないがとにかく考えてみる。3分間という長さ、何ができるというのか、蛍を見に行くには短すぎる。ああ、今の場合の蛍を見に行くというのは、大便をするという意味である。これは、明治から昭和にかけての上品な婦人が好んで用いた表現であるが今はそんなことはどうでもいいわけだ。と冷蔵庫に張り付いている尺取虫のようなマグネット仕様のアラームが鳴っている。我に帰る。今日もまた答えの出せぬまま、さて蓋をべりっと開ける。もしかすると、答えを探し続け、それでもたどり着かないように設定された時間が3分なのかもしれない、ふと手を止めて考えてみる。すると立ち昇る湯気が顔を打ち、その熱さに、勢いに、僕はのた打ち回るのである。

毛布の必要

2007-01-24 | 若者的詩作
冬の空が僕の背中を追いかけてくるんです
かなしみに沈み込んで隠れたけど見つかった
毛布のない世界に行きたいなぜなら
毛布のない世界じゃ君が温めてくれるから

間違ってますか?思い過ごしですか?
イエス・ノーをはっきりして欲しい
毛布のない世界に行きたいなぜなら
毛布のない世界じゃ君が温めてくれるから
毛布のない世界はどこかにあるかな
毛布のない世界なら君が温めてくれるのに

踏みつけて厚い氷を割ったハイカラが笑ったら
僕には毛布が必要だ

秘密

2007-01-23 | リッスン・トゥ・ハー
帰り道、振り出した雨がかなり激しくなったので、ちょうどそこにあった民家の軒下に雨宿りをしもう動けん、と言い出す彼女に対して、それでも、結局濡れても帰らないといけないのだからと、説得しようやく歩き出した時、前から見慣れた車が近づいてきて、僕たちの隣で停まって窓が開き、濡れるでしょう乗りなさい、と義母が声をかけてきた。彼女はここぞとばかり「ほら、わたしが言うとおりあそこにいたら、濡れずに住んだのに」と鼻を広げた。
「どうせだから、一本杉のところいってあげようか?」
という義母の提案に彼女が「行きたい」と即答したので、そこに向かう。「いってもなにもないけどね」すぐそこにあるほんとにすぐ到着する。そこは、古く大きな杉の木があり、その周りは浅い池になっている。池にはめだかなど生き物が住んでいる。水場に近づくと蛙の声が大きくなる。
「晴れてたら、池で遊べるのにね」
それほど残念そうでなく、彼女がつぶやく。僕たちは車から降りずに一本杉を眺め、その下にある池を眺め、そうしてものの5分もしないうちにその場を後にした。どこまで行っても高い杉のてっぺんが見てる気がして、どうしてか少し怖くなった。見下ろされるってのは、たとえ木であろうと嫌な気分になるんだ。だけど、あとから考えてみるとなんとなく、見守られてるようで安心できる。なにか不思議な安心感が残っていた。

手を離してみようぜ冷たい花がこぼれ落ちそうさ

2007-01-18 | 東京半熟日記
(沖縄編35)

降立った神戸の風は冷たい。
街に人が溢れている。パンを買う。バスを待つ。空はこんなにも晴れ上がっているのに、あのぬくもりはどこへいったのでしょうか。あれから僕たちは何かを信じて来れたかなあ、のメロディで口ずさんでみる。「この空はあの島につながっているのかなあ」「当たり前じゃボケ」ああこの忙しなさたらもう。完。