リッスン・トゥ・ハー

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薔薇ノ里と薔薇ノ海

2006-11-30 | 掌編~短編
四股名はこの際置いとこう。
私は信二と言う名前で、それ以外の何ものでもないのだから。
木村が、いや行司が仕切りたがる、いつものことだが今日はそれが妙に気に障る。
塩を撒いたりにらみ合ったりしている内に時間一杯になり、

(見合って見合って、八卦よい!)

でぶつかってくるのはダンプカーみたいなでかい衝撃、バチッとした火花が目に浮かぶ。
手の平で思い切り頬をはたきやがった。

(のこった!のこった!)

もう一度言うが四股名はこの際置いとこう、相手のこいつは賢治という名前で、それ以外の何者でもないのだから。
私は、こいつ、賢治が大嫌いだ。
賢治とは何か生理的に同類の人間であるような気がしている。自分と近い人間がなんとなく嫌だと感じるのは、例えばデパートで同じ着物を着ている力士に出会ったときの気まずさなど思い浮かべてほしい。
むこうも大方そうなのだろう、いつも嫌悪であふれた妖艶な視線を浴びせてくる。
私は賢治を取組中に本気で殺害したいとさえ思っている。うまいぐあいに投げ飛ばして、そこに座っている九重親方に抱きかかえられる形で首の付け根を折って殺害したいと思っている。考えようによってはそれはある意味幸せな最期といえるかもしれない。だとしたらわたしからの最期のハナムケというやつだ。とにかくそういう風にごく自然にあくまでも事故として片付けられるように巧く殺害し賢治をこの世から消したいと思っている。大丈夫だ、部屋こそ違えど同期入門である私たちは表面上は仲が良いということになっており

(八卦よい!八卦よい!)

二人きりになることはないがちゃんこや祝賀会だって、何度も同席している。他人の目があるとき、ふたりで談笑する様子、他人の目がないとき、ふたりで目配せをする様子など、何か共犯者めいた秘密を共有するねじれた仲間意識さえ生まれているぐらいだ。

(のこった!のこーった!)

賢治は私を四股名でなく信二と呼ぶ。もちろん私もしかりだ。
土俵際、右手をゆんとひねる。ひねる。持ちこたえた。
賢治の爪、綺麗に磨かれた爪に薄く桃色のマニキュアが塗ってある。それに光が反射して私の目をくらます。それが私をさらにいらいらさせる。そういう作戦に決まっている。

(八卦よい!)

ふいに、賢治はちいさく、私にしか聞こえないぐらいちいさく、ほとんど息を吐くのとおなじぐらいちいさくそのやはり桃色のルージュが引いてある唇でつぶやいた。信二、アイラブユー、ラブユー信二、お前とずっとこうしてたいよ

(八卦よい!のこった!!)

世界が止まる。

(のこーったぁ!!)

ミートゥー。
ミートゥー賢治。あたいもこうしてたいよ。

(八卦よぉーいぃいいい!)

そうさ木村、いや庄之助もおいでよほら、いっしょにがぶりよつろうよさあ。
長い相撲になりそうだった。

ふたつめは今宵の月が僕を誘っていること1

2006-11-26 | 東京半熟日記
(沖縄編10)

風に舞い上がるミニスカート。
色鮮やかな学生さんの肌着が彩りを添える平和祈念公園は、広大な敷地内に様々な記念碑を、沖縄で亡くなった一人ひとりの名前の入った記念碑を、塔を、資料館を、花畑を、それを包み込む広がる海から吹いてくる強い浜風によって、その存在を確かなものにしている。
修学旅行生の群れが、やがて塊になってこちらへうねうねと近づいてくる。笑い声、頭を叩き合ってじゃれる。あんな時代がわたしにもあったのかなあ。あれから僕たちは何かを信じてこれたかなあ。窓をそっと開けてみる、冬の風の匂いがした。しかし学生服多いなあ。記念写真撮ってるなあ、スカート舞い上がりっぱなしやなあ。引率の先生が大声を上げる。「お前らもういくけん!はようこい」「先生忘れ物」「ああ、すまんすまん」てガタイのいい中年教師に女の子が渡すリュックサック。また笑い声。ここがどこかなんて、もうどうでもいいや、だってみんな幸せそうだから。

目のないシーサーがいる。今にも朽ち果てそうなシーサーが。彼には、あるいは彼女には目がない。潮風を受けて、だんだんと削られていったんです。目のないその顔が向けられた方向にあるものは何だろう。まだぎらりと睨み続けている、戦争は終わったというのに。その戦争だってわたしたちがイメージする戦争ではなくて、昔の、呆れるぐらい昔の戦争。夕暮れのスーパーマーケットの前で吸うタバコや、それを見て微笑む愛する君のまなざしも、青すぎる空を飛び交うミサイルも、わけのわからん生物兵器も、核兵器だってない昔の戦争。人が人を憎しみあう前の、誰もが幸福だった頃、それでも、この土地にやってくる脅威があって、それは実際には形のないものかもしれない、漠然とした敵、目のないシーサーが睨むのはそんな敵。守るものがあるから。睨み続ける今も、そして、これからも。

南国の木は水を求めて根を進化させる。絡み合ったまま動かなくなった男女のようにぐるぐるになった根が、学生服の背景で、ゆったりと、でも少しだけ寂しそうにさやさやと、笑っているんです。
もうほんまに風強い。いややわあ。

ひとつめはここじゃどうも息が詰まりそうになった7

2006-11-25 | 東京半熟日記
(沖縄編9)

我に返る。
いつの間にやら老婆のまわりに人はいない。目が合う。老婆は何かをわたしに語りかけようとしている。胸が高鳴っている。苦しくて、わたしは怖くなって逃出す。今にも甦ってくるんだ。夢じゃない。わたしには受け止めるだけの体勢がなっていなかった。彼女はきっと話しても話しても話したりないんだ。今、頭の中を巡った事は、もちろん私の想像で、ディテールは知らない。でも、もしかしたらこういう女の子が戦場にいたのかもしれない。わたしの知らない沖縄の方言でこんなふうにおしゃべりしていたのかもしれない。

わたしは戦争を知らないし、完全に平和ボケであって、戦争の脅威など微塵も感じない。そんな奴が想像で好き勝手に書きやがって、実際は、そんな生易しいもんじゃない、と怒り出す人がいるかもしれないけど、でも、わたしはこの話を一人でも多くの人に読んでもらいたいと思った。こんな事があったかもしれないということを知ってもらいたいと思った。

外に出るころには、鼓動は落ち着いている。とたんに日差しが照りつける。ああ、万年雪に触りたいなア。祈念記の前、あいかわらずの修学旅行生のシャッター音にどきりとなる。

壕がまた、口を広げる、気がしたんだ。

ひとつめはここじゃどうも息が詰まりそうになった6

2006-11-24 | 東京半熟日記
(沖縄編8-6・「ハンカチーフは万年雪の底に」)
 
 
 配備された場所は土の中だった。建物はない。自然にできている、あるいは、土を掘り返して作った簡単な穴倉だった。すぐに泥だらけになる。名誉の汚れ、とか言って笑い飛ばす程度ではすまなかった。あれ、名誉の汚れと言って笑っていた頃はいつだっけ。ずっとずっと昔のような気がするけど。着替えても着替えてもすぐに泥だらけになる。それでも、ひめゆりの生徒たるものは、と泥のついた着替えを少し乾かして着る。穴の外ではひっきりなしに銃声が響いていた。燃える音。ごうごうと燃える音。燃やし尽くされていく音。夜になっても朝になってももう一度夜になっても音は鳴り止まなかった。波の音なんて聞こえやしない。負傷した兵隊さんが次から次へと、やってくる。私たちは兵隊さんを泥だらけのベットの上で、泥だらけの包帯で手当てして、手当てしてに明け暮れて、そのうち眠る間もなくなっていく。食べるものも水もなくなっていく。水を汲みにいくのは危険な外を歩かなければならなかった。怒声、蛆の這う音、何がなんだか分からなくなる。眠気など全く起こらない。爆発音。夜などない、昼でも壕の中には太陽の光など届かない。
 そして、ろ組で水泳が上手な米子さんが、ひめゆり最初の犠牲者となる。泣いた。みなが泣いていた。感情は伝染する。兵隊さんだって、泣いてくれた。全員が全員ではないけれど。
 二人目、三人目、先生方も、そのうち、誰かが死んでも悲しくなくなった。次は自分だ。次は。やはり感情は伝染する。人間は醜い、いや素晴らしい、死に慣れてしまったんだ。いや、悲しかったが、悲しんでいる暇などなくなってしまったということもある。何せ次から次へと重症の兵隊さんが運ばれてくる。水をくれ、水をくれ、痛い、学生さん、俺を殺してくれ、いっそのこと俺を殺してくれ。この痛みがお前にわかるものか。いつしか、死はそのうち当然のようにやってくるものとして、受け入れることができるようになる。死に対する恐怖はだんだんと薄くなっていく。その機会が早く訪れるように願うこともあった。長く生きているだけつらい思いをする。人のことなど、だんだんどうでもよくなっていく。時間が流れるの感覚がなくなっていく。


「解散命令」が出される。「君たちは今日まで良く頑張ってくれた。今日からは自分の判断で行動するように」と、敵の前に放り出される事となる。自分の判断って?誰も何もできない。私は途方に暮れた。実質死ねと言われているようなものだ。まだ銃声が響いていたし、誰がどこにいるのかもわからない。隣の壕に誰がいるのか、誰がすでに死んでしまったのか。もう情報も何も流れてこない。いちいち把握している暇はなかった。水が飲みたい。なぜこんなにものどが渇くのだろう。もっともっと飲んでおけばよかった。排泄物の、腐った死体の、泥の、とかあまりなじみのない匂いは、潮の匂いだけじゃ覆い隠せない。もう、感覚が麻痺している。麻痺しない子はとうに死んでしまった。麻痺していなかったらこんなところで耐えられる訳がない。手榴弾で自ら命を絶った。ただ、私はひたすら、もう一度幸子に会いたい一心で、必死にしがみついた。変な話、家族よりも幸子だった。ほかに何も考えなかった。もしかしたら幸子も同じことを考えているのかもしれない。そう考える事が私の生きる理由となった。

やがて夜は明ける。同じように太陽は狭くちっぽけな島を照らす。温めて、すぐに暑くなる。汗が滴り落ちる、ぽたぽたと泥を湿らす。ああ、私はまだ、生きている。ふらふらと歩いていく、どこに?私はいったいどこに向かえばいいのでしょう。目の前に影。白い。誰?幸子?ガンジー?ねえ、返事してよ。ガンジーでしょ。あたしと、また、康成の、万年雪の話をしようよ。ねえ、幸子。


 泥まみれになって転がっている幸子の眼鏡を拾って私は、交換したハンカチーフでそっと包む。そして私の鞄の奥の奥に、絶対になくさないようにそれを沈めておくのです。太陽も届かない私の鞄の奥の奥は、きっと万年雪の底ぐらい冷たいはずだし。




(改めて断る必要がないかもしれませんが、この物語は、ひめゆりの資料館にてハルという女の子とガンジーというあだ名を持つ幸子という女の子の写真を見た初期衝動で書き綴った創作であり、登場人物等は、実在する人物等とは関係ありません。以上で終了です。次回からまた陽気な旅日記に戻るわけです。きっと)

ひとつめはここじゃどうも息が詰まりそうになった5

2006-11-24 | 東京半熟日記
(沖縄編8-4・「ハンカチーフは万年雪の底に」)


 沖縄は要所として有効な場所である。そこを拠点に、日本へ、中国へ、アジアへ、進行することができる。だからまず、次第に劣勢になる日本を、徹底的に打ちのめす為に、米軍は沖縄を占領する必要があった。
 日本としても、本州に進行する米軍に十分対応できる準備を整えるためにも、沖縄で足止めを食らわせたかった。沖縄で食い止めている間に対米の防御体制を築けると考えていた。この時点でもまだ、ほんの一握りの者以外日本の勝利を疑っているものはいなかった。
 いわば沖縄は、捨て駒にされたわけだ。日本の勝利の為なら沖縄ぐらい。そもそも日本でなかったわけであるし、日本になったのはごくごく最近だ。だから、捨て駒として使う、そうしやすい場所であった。そのための準備も着々と整えられていた。
 そして米軍が沖縄に上陸を開始する。



 美人投票は当日は、背の高いさとうきびがなんだかやけに揺れていた。
 単に風が強かったからで、だけど、風の強いのはいつものことだったし、さとうきびが揺れるのもいつものことだったから、私は特に気にも止めなかった。ただ、いつもよりいっそう強い気がして、うわあ、今日は風つよそうやなア、と寝ぼけ眼で驚いてしまった。そして、ああ、今日は美人投票だなあ、誰に決まるのかなア。
 寮での朝の忙しなさはいつもと同じで、私は寝坊をしてしまったし、幸子は櫛がない、といって騒いでいたし、薄いお粥を食べて、あんみつなんかをおなかいっぱい食べたいなア、とかぼやきつつ幸子と学校までの道を走った。学校は全寮制で、私たちはすぐ近くの寮で生活していた。「今年は新入生の子は綺麗な子が多そうやからね、わからへんわ」「そうやなあ、は組の栄子さんなんかどう?」「ダメダメ、あの子、椅子に座るとき、よっこらへ、って言うから」「よっこらへ?」「そうそう、この前自然によっこらへって」「あはははっは」「あははは」とか笑いながら私たちは寮から学校へ、そして、廊下をささささと控えめに走り、教室の扉を勢いよく開けた。ガラガラという音がやけに大きく聞こえた。
「おはよー」その挨拶だけがこだまするように、教室はいたって静かだった。美人投票のための投票箱や、誰が候補になっているかが黒板に書かれていることもなかった。投票箱の替わりに、普段時間がすぎてもなかなか教室にやってくることはない三段先生がすでに立っていた。先生は、事態を飲み込めない幸子と私を見て「席に着け」と小さく言った。そのひときわ小さな声でさえどこまでも響いていきそうだった。いつもだったら、こんな風に遅刻したらきっと笑い声に包まれているに違いないのに、誰もおしゃべりしていないし、笑ってもいない、教室の空気は張り詰めていた。
 しばらくして、厳しい表情で先生がクラスメイトの名前を読み上げる。動員命令だった。生徒の誰もが表情はなかった。最初は何のことか分からなかった。動員て?と幸子は前後左右の子に尋ねた。誰もが死んだように動かなかった。だって、三重にに嫌な事が起こったんだから。美人投票がなくなったから。戦場に行かなければならないから。卒業式は延期、もしくは中止だろう。一瞬にして不幸のどん底みたいな気分になった。そりゃ、射撃訓練はしていたし、天皇様のために戦うことは喜ばしいことだけれど、けれど、けれど実際私たちまで、戦う事になって日本は大丈夫なのでしょうか。とはいえ、君たちの役割は負傷兵の看護、食事作り運び、水汲みなどの雑用係だ、と三段先生は説明され少しほっとした。まあ、最前線でなく、後ろのほうで兵隊さんのお手伝いをするのかあ、と少し安心した。大丈夫、兵隊さんがすぐに米兵なんて追っ払ってくれるから、日本軍の兵隊さんは恰好よくて優しいんだから、そう信じていたからこそ、誰も悲観せずに動員を受け入れることができた。というよりも、そうやって自分を無理やり納得させた。

 すぐに実家に帰る。両親は家にいて、すでに話を聞いているのだろう。準備をしていてくれた。父がなんとなく寂しそうにしていたので私は陽気に言う。
「あたしだってぶっ倒したるよ、射撃訓練だってしてるんやから」
「女の子がぶっ倒したるなんていう言葉使っちゃいけません」
 母が口を酸っぱくして言う。
「そんなんええやん。女の子やからとかいうとる場合違うし」
「理屈だけは立派なんやから」
「へへへ」と笑うと、
「ハル、気をつけろよ」と黙っていた父がつぶやいた。
「わかってる」私はできるだけ明るく返す。

 動員された誰もが、ちょっとお手伝いをするぐらいで、ちょっとした暇に勉強はできると信じていた。だから、文房具を荷物に入れて、持っていった。普段勉強なんて嫌いだと言っている幸子でさえ、このときばかりは文房具を荷物につめた。いつなんどきも、身だしなみを整える事は、ひめゆりの学徒として当り前のことだったから、櫛などの日用品も持っていった。幸子はお気に入りの小説を持っていこうかと最後まで悩んでいた。結局、重いし、読んでいる場合ではないからという理由で、持っていくのは止めたようだった。
 ちゃんと無事帰ってきてこようね。そしたら康成かしたげるから、と幸子は誰にも内緒で言った。そして私たちはお互いのハンカチーフを取替えっこした。これお守り、絶対なくしたらあかんよ。私たちずっと友達だからね。分かってる。その台詞、私のほうが早く言ったし。口には出してないけどネ。




(改めて断る必要がないかもしれませんが、この物語は事実を基にしたフィクションであり、登場人物等は、実在する人物等とは関係ありません。でし)

ひとつめはここじゃどうも息が詰まりそうになった4

2006-11-23 | 東京半熟日記
(沖縄編8-3・「ハンカチーフは万年雪の底に」)


「うち、いっそのこと万年雪の底で死にたいわあ」
「やめてよ」
「だって凍えれるんやで、なんか気持ちよさそうやん」
 その日の日差しがきつ過ぎたのだ。じんじんと痛むほど頬は焦がしていく太陽を恨めしそうに見たあと、幸子は唐突に言い出す。扇いでも扇いでも汗は吹き出るし、確かにもう、凍えてしまいたい気持ちは十分分かる。とにかくいま、現在、何か冷たいものが無性に欲しかった。
「それにや、ずっと昔の雪に埋もれるんやで。なんかロマンチックや思わん?」
「いや、でも死ぬとか、言わんといてよ、ロマンチックやけど」
「なんか、永遠になれる感じやない?」
「あ~、そんな気がする」
「やろ」
「でも、そんなんいわんといてよ」
「いやいや、人間、いつ死ぬかわからんでよ」
「おっちゃんですかあなた」
「いや、ほんまそうよ」
「そうやけどなあ」
 幸子がとても遠くに感じてしまう。こんなに近くにいるのに、同じ空気を吸っているのに、同じ風を受けているのに、全然違う場所にいるみたいに、遠く遠くにいるみたいに感じる。とても不安になって、幸子の目をじっと見る。幸子は目を遠くに空のほうに向けている。その目が澄んでいて、とても綺麗だった。私よりずっとしっかりしてて、兄弟も多く面倒見がいい彼女は、頼られて今まで生きてきた。
「あんな、ハル」
「何?」
「うち、あんたに出会ってよかったよ」
 こんなことを真顔で言う。だから幸子は偉大だと思う。私は所詮照れ隠しに明け暮れる日々で、
「何よ、いきなり」
「なんとなく、言うときたかったの、万年雪の底で死ぬ前に」
「その機会はないから安心ですわ」
「わからんよ~」
「もう、本気で怒るで」
「怒ってもいいんや、これが青春なんや」
「あはは、まったく」
 ずっと友達だ。なにがあっても私たちはずっと。うん。


 私たちの学校にも、他の学校と同じように(といっても他の学校の事はそんなに知らないのだけれど)、一年を通して、音楽会や運動会や映画鑑賞会など色々と行事があって、その中でも生徒達に人気があったのが美人投票だった。美人投票はまず学級ごとにひとり選んで、その次に学年、最期に全員で、と勝ちあがりみたいな方法で、一番の美人を選ぶというもので、最期の投票はとても盛り上がった。応援演説みたいなことをし出す子もいて、例え選ばれなくても、いや、変に選ばれないほうが楽しめた。クラスごとに、選ばれたものはおやつを奢らなければならない、という面白い決まりもあって、まあ、おやつは結局先生が用意してくれるのだけど、でも、みんな、おやつをたくさん食べれるから喜んでいたというよりは、毎年やっている伝統行事を今年も行えるということ自体が嬉しかったのだ。もちろんおやつは大好きなんだけど。つまりみんな盛り上がりたかっただけなのかもしれない。なんていったって思春期なんですから。
 その美人投票が今年は中止になる。という噂が立った。そりゃ当然だろうなと思う。音楽会も運動会もそんなことをしている場合でない、という理由で次々に中止になっていたし、だいたい戦争中に、美人である事なんて関係ない。贅沢は敵だ。だけど、やっぱり誰もが、あーあ寂しいな、と思っていたように、私も寂しかった。口にこそ出さなかったが、それは、その話題を話すとき、間が持たずすぐに終わってしまう事が意味していた。誰だってあまりに寂しい事には触れたくない。ずっと続いてたのにな。まあ、仕方ないけどさ。米兵め。米兵め。米兵め。と私たちは見たことのない敵を憎み罵った。罵ることで何とか気を紛らわせた。
 それが単なる噂で、やっぱり例年通り開催される、と聞いた時には、私も幸子も思わず悲鳴を上げて抱きあったし、やっぱり楽しい行事の一つだったから、誰もが嬉しがっていた。キミという、普段おとなしい子など、嬉しくて廊下を走り歌うように大声で学校中に伝えてまわり、先生から大目玉を食らっていた。要するに、みんなそれぐらい嬉しかったのだ。かなり大袈裟だというかもしれないが、人生捨てたものじゃないとさえ思えた。




(改めて断る必要がないかもしれませんが、この物語は事実を基にしたフィクションであり、登場人物等は、実在する人物等とは関係ありません。チェキ)

ひとつめはここじゃどうも息が詰まりそうになった3

2006-11-22 | 東京半熟日記
(沖縄編8-2・「ハンカチーフは万年雪の底に」)


 振動にはすぐに慣れた。
 最初は怖かった振動も何発か打てばすぐに慣れる。意外と簡単に機関銃は操れる。もう、ちょっとした射撃手のつもりだったしあたしなんて。誰もがそう感じているのかもしれない。まだ力の弱い、物資も不足し、ろくに栄養だって摂っていないので、体力もない女学生でも簡単に操れるようにできている。目をギラつかせて、狙いを定め、引き金を引く。米兵め。ズドン、ズドン、と響く。この振動だ。身体の底にまで響いてくる。この振動はこれから奪う命の震えなのかもしれない。ぐるんと身体を揺らして命を奪う。一瞬だけ何も聞こえなくなって、耳が痛くなる。すぐに蝉が鳴きだす。ほんの少しだけ恍惚感も感じる。的をバラバラにしたときに、なんともいえない快感が体を包む。周りのみんなが褒め称えてくれる。米兵を沖縄に上陸させるな。沖縄は私たちが守る。わたしたちに怖いものなど何ひとつないし。なんだってできるし。なんにだってなれるんだ。
 セーラー服が機関銃の錆や土で汚れてしまう。低い体勢になって撃つのだから仕方ない。それは、名誉の汚れだ、ということにしている。みんなほんとは汚したくないくせに。なんでもない汚れを、名誉の汚れだといって喜ぶ。このセーラー服にあこがれて学校に入ってくる子だっているんだから。セーラー服は上級生が下級生のために縫うのが伝統だった。あこがれの綺麗なおねえ達が私のために縫ってくれるなんて。ああ嬉しい、嬉しい。誰かは、入学までの間、何度も何度も出来たてのセーラー服を着て、お母さんに怒られたとかなんとか。私も文学好きの幸子だって例外ではない。できれば綺麗にしておきたいに決まっている。みんな強がっているんだ。仕方ない、これは戦争だから。これは戦争だから。贅沢は敵だ。汚れが何だ。兵隊さんは、泥まみれで戦っているんだ。それを思えばちょっとの埃ぐらい、泥ぐらい、錆ぐらい。何かあるごとに大人はその言葉を口にする。だから、名誉の汚れだあはは、と私たちは笑う。笑顔を決して絶やしたくない。だってまだ箸が転げても笑う年頃なんだし。楽しいことがこれからいくらでも待ってるんだし。だからちょっとぐらい、セーラー服が汚れるぐらい我慢してあげる。
 最近では授業はなくなった。学校ですることといえば、たいてい陣地構築だった。その合間に農業をして食料を作る。それから看護訓練、たまに射撃訓練、どれもまあ戦争に関すること。本当はもっと勉強がしたい。私は教師になりたいのだし、私の恩師の島袋先生のような、素敵な先生になりたいのだし、そのためにはしっかり勉強しなくちゃ。戦争が終わったらこの分を取り返さなきゃ。うん。

「やめーい」
 という三段先生の号令で私は我に返る。あかんわ、ぼうっとしてた。
 皆が射撃を止める。額に汗が滴る。埃まみれの額を手で拭う。空は青く、ちいさい雲がひとつだけ、ゆっくりと優雅に流れていく。ゆらゆら泳ぐくらげのような形をしている。拾い海の上に浮かぶ小さな島のようにも見える。なんとなく危なっかしいや。あの小さな島は、弱々しくてすぐに消えてしまいそうだ。そう思うとなんだか急に不安になる。消えないで、ずっとずっと消えちゃダメだから。そんな乙女心分かっていただきたい是非。強い風が吹いて、前髪が舞い上がる。先生は「よし」「終了」とつづけて短く言う。

 訓練が終わって私たちは学校に戻る。次の時間は卒業式の練習だ。楽しいことのひとつ。まぎれもなく楽しいことのひとつ。一度しかない卒業式、あまり派手にできないことはわかっているけど、それでもちゃんと卒業式をしたかった。みんなで「別れの歌」を歌って、手紙とか好きなものを交換するの。できることなら、そういうちゃんとした、ずっと昔からあったような、卒業生として涙のひとつでも流せるような卒業式をしてみたいなア。あこがれなんだ、みんなと歌って泣いて卒業。でも、あーあ、もう卒業なのかア、とかそんなことをつぶやいていたら、誰からともなく歌い出す。いつものことだ。本当は歌など歌ってはいけないのだけれど、ましてや英語がでてくる歌など。歌を歌っている場合ではないのだけれど、射撃訓練の帰り、誰からともなく歌い出す。やがて合唱になる。ハローもグッバイもサンキューも言わなくなって。そのうち、誰かが手を打つ、手拍子が、丘にたんたんたんと鳴る。踊るように私たちは、歌いながら歩いていく。この歌も兵隊さんに届くのかしら。みんなで歌うのだから、届くのかしら。でももし届いたなら怒るかしら。いいじゃない、いい歌だもの、いい歌だなあ、て目を細めてくれるような人と結婚したいなア。うん。それ重要だし。ふふ、幸子ったら、眼鏡ずれずれだし。「ガンジー、眼鏡」て教えてあげる。「あらあら」と直す姿はとても可愛らしくて、キュンてなる。幸子が「これ誰にも言わんといて、うち、好きな人ができてもた」と私だけに告白してくれた、その相手、三段先生は後ろ、少し離れて歩いている。私たちの歌が確実に聞こえているはずなのに、この、射撃訓練の帰り道で歌う事に関しては何も言わない。それどころか、誰も歌いださない日など「今日は静かだな」とつぶやいて、歌うのを促したりする。そんな時少しだけ三段先生の事がわからなくなる。どうして先生は歌っちゃいけない、とか、歌っている暇があったら訓練のひとつでもしてみろ、とか注意しないんだろう。そりゃあ歌ってたら楽しい、けど先生だし。そんなところが幸子は好きなのかなあ。まあいいけどね。こんなにもすれ違ってそれぞれに歩いていく。今日は風が強すぎて歌があまり聞こえないや。めずらしく雨が降るのかな。




(改めて断る必要がないかもしれませんが、この物語は事実を基にしたフィクションであり、登場人物等は、実在する人物等とは関係ありません。ですことよ)

ひとつめはここじゃどうも息が詰まりそうになった2

2006-11-21 | 東京半熟日記
(沖縄編8-1・「ハンカチーフは万年雪の底に」)


1945年。


「あかんわ、康成が、あかんわ」
「なに?康成て。どうしたん?」
「だから、あかんねんて、面白すぎんねんて」
「はあ」
 幸子は勢い良く教室の扉を開け、中に入る。
 どっかどっかと存在感を示しながら教室を進み、席につく。とても乱暴に坐るので眼鏡がずれる。彼女はそれを人差し指で慎重に直す。その仕草はみんなからおっさん臭いといって笑われているが、どうも無意識でやってしまうらしいのだから仕方ない。あらあらまたやってるわ、と思いながら私も席に着く。もう春の強い日差しが窓から差し込んで、少し汗ばんだ額を手の平で拭う。教室を包み込んでいるのは少女たちの汗の匂い。教室の乾いた木の匂い。食べたばかりの昼ごはんの匂い、はとても薄い。

「違うて、そんな軽いもんじゃないて」
「何が違うんよ」
「つうか康成てうちの細胞に組み込まれとるみたいなとこあるやん?」
「いや、知らんけど」
「あんねんて、ほんでな、つうかあんた雪国読んでんねやろうな?」
「読んでへんけど」
「阿呆は嫌いじゃ」
「阿呆て、容赦ないなあ、頭良くないけどさあ」
「ほな、ええからいっぺん読んでみって雪国」
「雪がでてくんの?」
「まったくこれだからガキは、大人な人間ドラマやで」
「はいはい、で、でてくんの?」
「そらそうやね」
「雪て白いんやろなあ」
「そらそうやろなあ」
「ガンジーは見たことある?」
「いや。ハル、あんたは?」
「いや、ないけどなあ、なんかめちゃ冷たいんやろ?」
「うん。寒いことは一年中積もってんねんて、万年雪とかいうて、ずっと昔に積もった雪がのこっとるらしいわ」
「へえ、ずっと昔の。ちょっとロマンチックやね」
「一度でええから触ってみたいなあ、雪」
 そう言って幸子はふうと息を吐き、何気なく黒板を見る。
 ほお杖ついていた私もつられてそちらに目をやる。
 クマゼミが鳴き声を張り上げる。

 撃ちてしやまん
 
 日本書紀から引用された「敵を撃ち殺さずにおくものか」という意味らしい。
 白いチョークで書きなぐるようにその文字は並んでいる。そこだけ浮き出ているように見える。なんというか、黒板と私たちの間の空間に存在するように見える。つまり、私たちの意識に貼り付けてあるように思える。まっさらの黒板消しでぬぐってもぬぐっても消えやしない。永遠に、いや永遠ではないかもしれない、いずれ日本がこの戦争に勝って、平和になったなら、古びた黒板消しでも簡単に消えてしまうのかもしれない。みんなで何度も何度も、声がでなくなるまで読み上げた。だから眠っていても読むことができる、幸子はそう言っていた。誰もが実際そうだった。そうして、その気持ちを遠く戦場で戦う兵隊さんに届けるんだ。そうすれば、必ずこの戦いに勝てるのだから。
 私はため息をつくようにあさってを見る。いや日本の勝利を疑っているわけじゃないし。ちょっと、うんざりしただけ、これはいわゆる青春特有の憂鬱だし。そうだ、そうに違いない。青春とは迷う事である。幸子と目が合う、にこりと笑う。私は、少し焦って、やや遅れてにこりと笑う。どうしてか幸子が遠くにいるように見えたのだ。もちろん気のせいだったけど。教室ではクラスメイトの話し声が、こんなにも楽しそうに響いている。いつもどおり何ひとつ変わらない。
 次の授業、昼休み後の5時間目は、郊外の練兵場で射撃訓練だった。




(改めて断る必要がないかもしれませんが、この物語は事実を基にしたフィクションであり、登場人物等は、実在する人物等とは関係ありません。念のため)

ひとつめはここじゃどうも息が詰まりそうになった1

2006-11-19 | 東京半熟日記
(沖縄編7)

老婆は沖縄独特のアクセントで、わたしに花を買え花を買えとしきりにすすめてくる。ひとたば300円だから、ぜひ供えてあげてねー。日差しの強さが早くも皮膚を蝕んで、やがて内部にまで届きそうになったので、わたしは献花するために花を買う。買うんで、供えるんで、どうかお願いします少しでもこの紫外線を押さえてください。

ぽっかりと空いた空間に響いていく修学旅行生のシャッター音。
きっと何枚も何枚もシャッターを押され続けているに違いない。もちろん、それ自体、どうこういうような問題ではない。花を供える。手を合わせる。普段は何も信じていないのに、自分の都合で手を合わせてみたり、拍子を打ってみたり、忙しない日本人である事を受け入れる。すると日差しが途切れる。届いたのか。木や植物が生い茂っている、日差しが届かないところにきた、それだけのこと。蝉が鳴いている。気がする。壕がさらに大きく口を広げる。気がする。戦場へ動員された亡くなった200余名の名前が刻んである。その石に太陽が反射して光っている。

資料館に立ち寄る。数々のパネルの前をゆっくり歩く。壕を復元したものがあるそばにしきりに沖縄の言葉で説明する老婆がいる。ギャラリーはその説明を聞いてうなづいたり、低く唸ったり、ひどい、とつぶやいたりする。ギャラリーが膨らむごとに熱を帯びてくる老婆がいる。この資料館では、当時を知る人が直接そのときの様子を語ってくれる。時々分からない言葉が混じる。でも、その息づかいや、身振り手振りで語っている様子は、わたしを当時に送り込む。戻る。ここまで、資料館の内部にまで、湿った壕の奥まで、響いてくるのは蝉の鳴き声か、傷づいた兵隊さんの悲鳴か、爆弾の爆発する振動か。歌声。「海ゆかば」の少女たちの斉唱が響いてくる。戦場で?爆弾の発着音が響くたびに2本のロウソクの炎が揺れる。ロウソクは少女たちの頬を弱々しく照らしている。戦場で、4日遅れの卒業式が執り行われている。

僕が旅に出る理由はだいたい百個ぐらいあって6

2006-11-18 | 東京半熟日記
(沖縄編6)

町のいたるところにポスターがある。これは後で気づいた事だけれど、沖縄では知事選の最中で、何度か選挙カーに出会いましたのですが。ポスターを見つけました。恰幅の良いおじさんが、笑顔で腕こぶを作ってて、それにぶら下がるように、若い女がやはり笑ってて。ふたりは仲良し。選挙ポスターに娘さんだか奥さんだかがでてくるなんて、見たことないなあ。家族を大事にするんでしょうね。だから精一杯の誠実があの写真に行き着いたと。こんなところにも沖縄が根付いているようです。

あまり知らなかったんですけど、沖縄てガラスも有名なんですね。ガラス工場やってきました。なにかガラスコップ作りを体験できるそうで、わあうれしいわあとざっと作って、完成は2日後ということで、よろしゅ、とガラス工場(を併設した複合観光施設みたいでした)を離れようとしたところ、何かポスターが貼ってあります。何かしら。沖縄のバンドです。

ほおほお、なになに「かりゆし58」とな、2ndアルバルとな、書いてあったコピーが「いつも照れくさくて伝えられなかった母への想い、島への想いを、今、形にしました渾身のセカンドアルバム」サインがしてあります。沖縄で有名なのかもしれません。みんなで応援しようということなのかもしれません。しかし母への想いて、彼らぐらいの若いときならどっちかって言うと恋人とかそちらに走ってしまうものです。いや、走らなければなりません。それが、母への想い、これは沖縄独特なのではないでしょうか。家族。歌に乗せて伝える、そこに何かを、まだしっくりこない何かを感じーの、なんとなく胸がムカムカしてきーの、ごまかして鼻歌うたいーの、嫁ぎーの。

AUSTRIA(世界のドア)

2006-11-17 | 若者的字引
Page16

あえて隙間を作ることで、風通しが抜群になるわけだ。とムジ-クは説明してくれる。粗く塗られた白いペンキに囲まれて、ドアーはある。1854の数字。上のほうにチョークで文字が書いてある。「19-K+M+B+95」それは盗賊がつけた印で、間もなく今日もやってくるだろうよ。誰かに知らせたほうがいいんじゃないの?いいや、大丈夫、結末は知っているだろう?むしろ逆に知らせたりしたら大変だ、僕等はそっと見守っていなくちゃならない。最初に説明聞いただろ?そうだった、わたしはここに存在してはいけない存在。パッケージツアー最中。何も触れてはいけないし、話を変えることなど決してしてはいけない事だ。そうだった。いかにも盗賊です、という風貌をしたふたりが馬車を降りる。

僕が旅に出る理由はだいたい百個ぐらいあって5

2006-11-16 | 東京半熟日記
(沖縄編5)

飛行機を降立つと、とたんに汗ばむ、日差しの強さは楽園の香りで、紫外線をがんがんに届かせているから、そのイメージで汗がでてくるのです。実際は空港内はもちろんエアーコンディションがかかってますから、そんな違いは分からないんですが。でも。空港で働くみなさん、みな、半そでです。アロハです。ハイビスカスです。京都からきたわたしといえば、シャツにカーディガン着用ですから、冷気に対する厚い防御体制が整っていたわけで、そんな奴が冷気どころか、熱気の島に降立ったわけで、汗ばんだって、いいでしょう。誰が困るっていうの。荷物受け取って、空港の外へ。じじじじじじと焦げるぐらいの暑さが急激にわたしを包む。

那覇空港は、神戸空港の2倍ぐらいの大きさ。だと思う。いや3倍、もっとかな。こなれた感があります。いうても観光都市、那覇空港は、もうすっかり空港の老舗でしょうからね。周りの景色、モノレールが高い位置にあり、立体交差店あり、近未来的です。そんな道路わきにやしの実やら、そんな南国チックな植物が並んでいるんですから、気分は常夏ですね。さあご一緒に、常夏の楽園ベイベー、ココナッツとサンシャイン・クレイジー、持ってく明日の朝まで、summer day 罠はまるワンタイム、たまんねぇな、Oh Yeah!ワンタイム。何かレンタカーを借りるそうで、そこにバスで連れられていく、流れているのは沖縄のラジオプログラム。そのCM、♪三段腹でも大丈夫~、おおきな大きなパンツ~♪なんなの、沖縄なんなのこのゆるさ。拍子抜けるわ。しかし、この少し後に、そのゆるさこそが沖縄の底力だと気付くわけで。そんな事を知る由もない僕は、なんだかなあまったく歓迎する気あるんかいな、と恐れ多くもぶつくさとつぶやいていたわけで。そんな時もやはり沖縄は果てしなく暑かったわけで。ただ潮の匂いが次から次へと身体に絡み付いてきたわけで。

I don’t know

2006-11-16 | 若者的詩作
ほら、大きな声だ割れるぐらいの

I don’t know
知らんふりしてみた
騒がしい軋みだす新しい朝がくる
ぜんまい式の人形は手の鳴る方へ
関係ない、完全に呼吸をやめる

I don’t know
深海泳いでく
誰のせい?僕のせい?誰のせい?君のせい?
ぜんまい式の人形は重なるように
I don’t know
完全に呼吸をやめる
君を忘れ全部思い出す
その逆もしかりである

ほら、大きな声だ割れるぐらいの