リッスン・トゥ・ハー

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the autumn stone/the autumn stone

2008-07-30 | 若者的図鑑
オータムストーンもあのロックバンド黄金期にデビューしたバンドなんですが、
このファーストアルバムは、久し振りに聞きなおしますとどうしたこれ、いいじゃない。

いい曲ばかりじゃない、どういうことよこれ。

セカンドアルバムも持ってるんですがそちらでは展開が素晴らしい曲が多くて、
何、そういくか!むむやるな!と当時聞いてたんですが、こちら割とシンプルで心地よい。

僕はパンケーキの上のバター、というフレーズには心奪われました。

今も十分聞けるな、むん。ほていともやすぷろでゅーす。

とりあえずポイント、ボーカルはめがね。
当時も軽くめがねブームだった。そういえば。
めがねロックなんて言われてた様な。代表格がくるりやナンバーガールやイースタンユースや。その一角は担ってたわね。

絹みたいに綺麗に泳ぐ

2008-07-29 | 東京半熟日記
(天狗蕎麦長野編7)

サラバ松本、いざ白馬へ。



駅のなんちゃらいうチェーン店のパン屋にありました、松本限定、松アンパン。
ホイップクリームと餡子のコラボレート見事に決まりました。ズバット切り込んできました、濃厚と言う二文字で。ひとくち、ふたくちと齧りますととたんに体は重たくなる。
松本の激しい冬、それを乗り越える為に考案されたとか言う(想像)松アンパンは虹の味がして、わたしは重いけれどけっこう気に入りました。

後ろに写っているのはこれまた濃厚なチーズやらミートソースが詰まったなんとかちゅうパン。

JRだ。ごとごと。枕木の音。眠る人。いくつかのみずうみ。山に残る雪。
JRが、JRであるがゆえんを見せてくれた気がする。いや意味はわからんけれど。



オリンピック会場ですか、それがあるんですよね。きっと少しは涼しい場所なのでしょう。そうにちがいないぜ白馬。

やってきたぜ白馬は松本とほぼ同じ気温で御一行を迎えた。

高い山、そびえています。見下ろして、また、きたのかい、ここに、また。なんて、バー常連さんが、二三度目のひよっこにつぶやくように、語りかけてくるようです。
京都なんかよりも雲がぐうんと高くにあるように思えます。

「今後一切落書きしません」江戸期の反省文発見

2008-07-28 | リッスン・トゥ・ハー
「またやりやがったあのやろう、もう、ゆるさねえ」と五平は声を荒げて拳骨にはあと息を吐く。息を吐くことでしっかりあっためてあるぜいつでも殴りかかれるぜ、というアッピールである。五平は村の今年の教育指導係であり、その係になったものは問題のある子供の矯正をしなければならぬ。五平はアッピールする反面、めんどくせえことになったものだ、とため息をついた。落書きをした子どもは、確実に百生という青年で、百生は屈強な日本男児であり、大変悪知恵が働く村の厄介者あった。対して五平はひ弱なリスさながらチョロまかと動き、当り障りのない範囲で盛り上がるへたれであったから、怒りを向ける相手が悪い。がしかし、教育指導係としては動かなければ、教育指導係の報償が減る。確実に減る。さらに、非難ごうごうである、なぜ指導しないのか、とかなんとかいくらでも理由をつけて村人が煩い。かといって百生に食って掛かればそれはけちょんけちょんにさせて病院送りは確実である。なんとか、アッピールしておいて、みんな幸せになれる方法を模索した。あ、そや念書を書かせたらええんでないだろうか、五平は思いついた。書かせるといっても実際に書かせるわけではない。書けといって素直に書くわけがない。そこで書くような優等生ならば落書きなどせぬ。変に刺激しない方が良いだろう。つまり、書くのは俺だ、と五平はつぶやいた。五平が書いて、百生が書いたと言っておけば、いいじゃないか。ええじゃないか。五平はほくそえんだ。報償で何しようか、けっこう頑張ったんだから、自分へのご褒美で、ニンテンドーDSでも買おうかしら、と考えながら、念書をいくらか乱暴に、いかにも百男らしい字で書いた。

LOVE ALBUM/サニーデイサービス

2008-07-27 | 若者的図鑑
よくよく考えると3人である意味などないわけです。曽我部さんは様々なバンドを持っていますし、ライブもサポートメンバーが入って豪華にやるのでしょうし、あえて3人でやるのかな、まあサニーデイサービスである必要はないわけです。
なのに言いようのないこの幸福感はなんでしょう。
再結成という言葉の魔力でしょうか。とにかく祝福をしないわけにはいきません。

はじめてアーチストのライブを見たのが、サニーデーサービスでした。
予想以上に音が大きくて、轟音で、すぐに耳は痛くなりました。そして麻痺しますした。もっとアコースティックにやさしい音でやってくれたらいいのに、と思いながら聞いていました。畳み掛けるようなパンキッシュさもありました。勢いをつけてがんがん歌っていました。そんなに生き急がなくても良いのに、なんて思いました。
気付いたら、会場は一体になっていました。コール&レスポンス舞う。

この時もありました「胸いっぱい」という素直なメロディ、王道ロックンロールな曲の恰好よさったらありませんでした。バンドの一体感。煙草の煙は照明に照らされて、曖昧に表情を濁している。透き通った声には確かな存在感がありました。様々な楽器の音にちっとも負けていない芯がありました。その音は寸分の狂いもなく、つむぎ出されてはわたしたちの耳に入り、体に吸収されました。陶酔。
なんて素敵な声なんだろう、とわたしは思いました。耳に残る反響みたいなものが帰りの電車の中でもまだ確かにありました。

アンコールは3回ほどありました。
最後は曽我部さんがひとりで、アコースティックギターで「コーヒーと恋愛」を歌いました。うろ覚え。

サニーデーサイビスのアルバムはいつまでも色あせないので価値あります。
このラブアルバムなど、今聞いても、ああ新しいことをやったなあ、と感じてしまいます。聴くたびに新しいなあ、と感じるのです。なんと言う奇跡。
その仕掛けを知りたいぞ。

やっぱり、大切なバンドです。8年間待っていた人がたくさんいるんでしょう。祝。

屏風浦のあの娘は泳ぐ

2008-07-27 | 東京半熟日記
(天狗蕎麦長野野編6)

家庭の味満載である。
天狗はのれんをくぐり、酒を浴びる。
頬を染め、ぬふふと笑う。つまみは辛く炊いたレンコンだ。
七味唐辛子をパパパト振りかけて、かじる、酒あおる。
髭をしごいて、鼻をぶうらりんとゆすって、注文をする。
ピッザだって。ずいぶんハイカラなものを食う。

斜向かいでわたし、家庭料理、あきらかに誰でも作れそうな、ちょっと温めただけというレヴェルの料理を一品二品と喰らいます。業務用の冷凍食品つかっとるやないか、て。
250円だけど、なんだか寂しい松本の夜。
おまけに雨も降り出したと。

店の奥から幼稚園ぐらいの女の子がでてきて、じっとこちら見てます。
それから地元らしい客の方に行ってはじっと見てます。
暇を持て余しているんでしょうか。寝る時間ではないんですか。

しかし特産とか、そういうものが一切でてこないし、メニュウにないし。唯一あったわかさぎのなんちゃらは本日切れてますし。あかんよ、こんなんではあかんよ。

ホテル帰って、紙パックのグレープフルーツジュース飲んで寝る。
冷凍レンジのおたべ、やら250円の料理やら、少々失敗した感はあるけれど、それがどうしたというのさ。それが素の松本って奴じゃないか。眠りながらいい夢みれたのでしょうか。わたしは早くに起きる事が出来ました。残っているグレープフルーツジュースを流し込んではっきりする意識。そこからさらに二度寝。

ホテル、乾燥するのなんの。朝の日差し強し。

海バイクで走り去った

2008-07-26 | 東京半熟日記
(天狗蕎麦長野編5)

ホテルはまあ、その、ありきたりなルンルン気分、荷物を置いて夜ご飯だけ食べるために夜の松本へ。ゆうゆうと風が吹いている松本の夜は少し寒い。とおもいきや、まだまだ昼の猛暑の名残悠々とあって、わたしの後頭部を打ちます。追い討ちをかけるように後から後から迫ってきます。

コンビニに行って日焼け止めでもかっとかないと、肌荒れること海の如し、山の如く、高い野望で荒れるべし。その他水やら何やらホテルは乾きますからね。
ですからとりあえずコンビニを求めて彷徨い歩きます。

が、コンビニよいずこにあなたは。天狗が飛び交う空の下、わたしは途方に暮れながら歩き続ける農民でありました。
長野にはコンビニが少ないぞ。中心部にはもちろんそれなりにあるわけですが、少し外れるとあれれあれれ、コンビニのあの赤々とした店内の幸福そうな、しかし近づいてみれば他愛ない人工的なあれ、が見当たらない。

何キロか歩きまして、これだったら駅に向かった方が早かったよという位置にコンビニを見つけまして目的のあれこれ買いました。
なんとか、もう疲れ果ててしまったわ。ですからこれ、食べ物、何か名物を食うのじゃ、てな具合にはい、はい、ホテルの前にある居酒屋しかなくなるわけです。

地元感満載、な居酒屋はオール250円という安さですので、お手ごろなところで済ませましょうと暖簾をくぐりますってえと、赤ん坊を負ぶった若おかみさんが、対応してくれて、やれやれ、いすに座り、まあ軽く梅酒でも飲みましょう。狭い店内は数人の常連さんであろう人々がわいわい。

ANIMATION/NONA REEVES

2008-07-26 | 若者的図鑑
素晴らしいですよ。

ポップ@ポップ、思わずポップとポップの間にアットマークを入れたくなるほどです。
この人たちはなんなんだ、ふざけてますよ。

コーラスワークの心地よさ。ああ、休日充実した休日楽しみたいワクワク感。駆けてくよ。君のチューブライダー。心地よく耳あたりの良い曲をこれでもかと言うぐらいふんだんに散らしまして、ご機嫌を伺いますふふん。
さあ、その中に潜ませました複雑なメロディーラインは、実はめちゃくちゃすごいことをやっているのですが、全く感じません。
本能で作り上げた風の、自然児じゃい、わしゃ大自然の中で生まれ育ったアルプスの自然児じゃい!文句あるかい!と一見思うのですが、それは巧妙に包まれたベールの中の本当の顔ではなく、その顔など決して見せることのない防御力の高さ。巧みにかわして本当の顔を見せない、それがポップス。おちゃらけて、とことんのちゃらけて、自分が今おちゃらけているということを自覚しておちゃらけて、突っ走る。太陽って何?みたいな無邪気な、しかし決して消し去れない存在感をそこに感じるのです。

今回は、というかいつもですけど相変わらずわけのわからないこといってます。自覚してますがもう直しませんよ面倒くさいし。

ええと、まあ素晴らしいアルバムです。

浜風みたいなシャツを着て

2008-07-24 | 東京半熟日記
(天狗蕎麦長野編4)

真っ暗闇になる前に、わたしはホテルに帰る必要があったので、ここらで天狗と遊んでいる暇はないわけで、風呂から上がり、女将は笑顔でありがとうございましたと会釈する。

広い、といっても団体客でもこようものならすぐに一杯になる休憩場は落ち着く。
先ほど、小学生ぐらいの男子が窓から足をぶらんと投げ出して、本を読んでいた。
粋な風景であった。

自動販売機で買ったりんごジュースが喉を過ぎる。
酸っぱい味が喉を掻きたてて体を冷やす。同時に水分は体を染み渡る。
指の先まで、ぎゅうんと吸収して血となる。
外はまだほんの少し残った太陽のおかげで明るい。



松本手まりの模様のタイルが街の所々にあって鮮やかさ。
街をそのまま、印象付ける色彩で。長野よ。

バス停に行くとすでにバスはきていて、何か私を待っててくれたような気がしていたのだ。気がしていたのだ。バスは高校の前を経て、高校生をたんと乗せて駅に向った。
きゃはは、という笑い声が響いている。車内は低い西日が差し込んでて、まぶしい。
黒髪の彼や彼女は聞きなれぬアクセントの言葉遣いで、汗の匂い振りまく車内、やや日は傾く。

コインロッカーに入れておいた様々な荷物を回収しつつ、徒歩にてホテルに向う、道すがらマンゴー餡たる大判焼きの店あります。むむむ、と甘酸っぱい妄想をかきたてられますがそこは次に控える食事の為に我慢であります。

昼間のそばはまだ昇華せずにいの中で存在感を高めているし。

調子はあまりよくない。長野蕎麦三昧はなんだかたのしいけれど、胃の調子としてはまずいのかもしれません。きをつけてください。蕎麦は消化に悪い奴です。
ほどほどにしておく方が無難でしょう。

戸隠蕎麦祭と言うのがあるそうな。
期間中は、500円の器を買えば、何軒でも一軒につき一杯食べれるらしい。それは死ぬまでに一度行ってみたい蕎麦祭。行かなければならない祭。蕎麦フリークのわたしとしてはです。
天狗もきっと降りてくるのでしょう。お近づきになるチャンスではありませんか。
蕎麦フリークの私としてはです。

情には流されずに笑う2

2008-07-23 | 東京半熟日記
(天狗蕎麦長野編3)

天狗である。
天狗はその風呂場の天井近くを走る梁に腰掛けてこちらを覗っている。
何をするわけでもなく、その長い鼻を下に垂らして、わたしを釣り上げるように仕組んでいるのか熱心にこちらをうかがっている。赤い頬がよりいっそう赤くなったような気がする。湯気がもうもうと立ち込めるが、天井近くは外につながっており、すぐに外へ抜けていく為、風呂場時代は実にクリアである。肌の細かい皺なども梁からならば見たいだけ見ることが出来る状態。

さて音もなく降りてきた天狗、服を脱いで、いや、脱いだと言うよりは服は水に使えて溶けてしまったように見えた、湯船に浸かる。
わたしは何も言わないで黙々と体を洗っていた。

天狗が何者であろうと別にかまわない。不審者であっても別に良い。
あれだけ身のこなしが巧みならわたしは逃げるすべなどない。
だったら堂々としてたほうがなんかカッコよくない。とか考えながら淡々とわたしはどんどん清潔になりつつある。
この機会だから普段洗えないような隅々までがんがんあらうわよ、てなものである。
横目で天狗を見る。
天狗は私のことなど興味のないようにふうううう、と息を吐いた。湯は熱いのだろうか、赤い頬がまたさらに赤く染まる。茹蛸そのままの形相に、長い鼻は湯に浸かるか浸からぬかぎりぎりのラインを維持している。
ふううう、風呂中に響いていく、こだまする。水の流れる音にかき消されるが、天狗は何度もふううう息を吐くので、だんだんそれが風呂の一部の音のように思えてくる。
実際一部なのかもしれない、わたしが天狗のため息吐息だと思っているものは風呂が奏でる何か仕組みの音なのかもしれない。ざぶんいわして湯を体にかける。
同時に天狗の方を見ると、そこに天狗はいなくて、ぷかぷかと浮いている一枚のカード。
レモン味チューイングガムの包み紙。風呂はふうううう、と鳴る。

FAMILY/スガシカオ

2008-07-22 | 若者的図鑑
カタカナにしてしまう事の不思議さを存分に使う詩の人です。

夜空ノムコウのイメージが強く、詩の人であることを強調してしまうのですが、このメロディの積み上げた巧みさ、耳に残ります。詩の強さに決して負けていないメロディの流れ、そして、スガシカオさんは声が非常に強い武器となっています。このかすれ具合は、曖昧な記憶を断片を舐るように包み込む類のかすれ具合、奥の奥にあるつぼにはまります。音楽ファンの求めるかすれ具合ちょうど良いこの消える前の砂のお城のようなはかなさを声ひとつで表現できるかすれ具合それはつまり声がその人を表すスガシカオさん。

ストーリー、愛について、などを含む二枚目のアルバムです。

しかし一枚目が絶品、名曲揃い。渋い。聞き込むごとに味が出てきます。
それは安易に置きに来ているのではないこだわりのためで、そのこだわりが音楽としての骨格を強いものにしています。鉄筋が通っているようです。

特殊な暗さも、声を演出する為の伏線のようにあるんでああ。

Doubt/L⇔R

2008-07-21 | 若者的図鑑
はいL⇔R、黒沢兄弟です。ハローイッツミーでプチブレイク、ノッキングオンユアドアーで大ブレークしましたその後の、人気も落ち着いてきた頃の一枚。

アイネ・クライネ・ナハト・ミュージック、などポップさにブルースやらなんやら色んなルーツ音楽を混ぜ合わせてよくシェイクした佳作ですねえ。
終始はじけるようなスキップしてる歌い方で、甲高さ、底に潜む暗さ、それが合わさってなかなか忘れがたい声。

解散か活動休止かでソロになったあとのボーカル黒沢兄健一さんの楽曲も素晴らしいものがあります。
失わないでいたい。笑っていたいんだずっとね。

最近ライブ活動を再開したようですね。ポップミュージックの神様クラスに踊り出て欲しい人です。

情には流されずに笑う

2008-07-21 | 東京半熟日記
(天狗蕎麦長野編2)



長野城登った。
暑くなる。雲なくなる。

中で中国人団体客と混ざり合う。子どもが大変元気です。
やんりーやんりー、はうつあう、と聞こえる。
ふうふう、言いながら段差きつい階段を登る。

屋上の風を受けておいて、降りる。



さて、松本にも飽きたし、温泉でも入って眠ろう。

で、バスで郊外にあります温泉に向います。
歴史のある温泉街は寂れ途上にあり、人通り少なし、サビ多し看板の指示に従って、てくてく。小学生に聞いてみるこうこうこうの温泉どこにあるか知ってるかい?知りません、と答えよる。てくてく。わたしたち御一行は怪しい奴らだと思われたのでしょうか。
きっとそうでしょう。

なんとかついて、人少ないがしっかり経営している古い雰囲気醸す。
坂道の脇の溝に流れ出る下水、かすかなぬくもりを残したままどろどろの溝を行く。
温泉の匂いを発して、町は夕暮れ近づく。

松本城に住んでいた殿様も入ったとか言う老舗の温泉である。
古い家屋の旅館を兼ねているんでしょう、カウンターにあります鐘をちりんと鳴らしますと女将、あいおまちを、と小さいけれどよく通る声、そそくさといそいででてきました。
800円を払いまして温泉へ。

人少なし、で独占状態であります。
湯の流れる音、湯船は三種類ありました。露点になっている部分と、大き目のジェットバスとか、あわあわのところとか、マッサージようの勢いよく湯が出てるのとかあるところの湯船、そして、狭いながらサウナも完備です。それようの水風呂。
うむ、余は満足じゃい、と。堪能しました。水風呂があんなに役立つとは初めて知りましたよ。
長く楽しむには水風呂を経なければならないわけです。それをへておけば持つ。

水風呂もはじめは冷たくて死ぬわこんなことろに浸かったわ確実に死ぬわ、と思うんですけれど体はすぐなれて、沈み込みますと、ほのかな温かみが体の芯から沸き起こる衝動のように広がっていきます。太陽は沈み、オレンジ色の窓ガラス。天井に3本の太い梁、歴史を醸す。

ああ、天狗!

太陽/中村一義

2008-07-20 | 若者的図鑑
天才中村一義さんの二枚目。

難解さは程よく中和され、かけ、次作はさらに中和されるその中間の過渡期にある、アルバムですか。

魂の本、そこへゆけ、笑顔、らのシングルを収録し、なんなのいったい何が目的なの彼。わけわかんねえし。まあ勢いでがんがんいったらええねん。張り上げた声の尖った先がある人々の胸に突き刺さりました。
そしてこのアルバムを手にとり、唸るのです。
なんというとるのかようわからん、はっきりききとれん。

よくいいますが、意味なんてなくていいのだ。素晴らしいものを感じるだけで、詩のね、意味なんてねあってないようなものだから。うふふ、でも、あるのもいいよね。
あるように取り繕って必死に、何かメッセージを込めているみたいにしといたら、ええんでないの。
悦ぶでしょう。みんな。ていうしたたかさは頭のよさ。

わりとわかりやすい「日の出の日」はなんかぐっとくる。

ジャケット写真に中村さんのおばあさんが写っています。
これはなかなかいいです。

屏風浦のあの娘は笑う

2008-07-19 | 東京半熟日記
(天狗蕎麦長野編1)

夏は旅行の季節ですか?
いいえ、違います、夏なんかに旅行に行こうものならば汗だらって、衣服は湿り気の渦。
不快感の午後を、タオルでも片手に太陽を睨み、やり過ごさなければなりません。

つう夏のちょっと前、長野に行ってまいりました。

カテゴリー東京半熟日記発動です。
なぜかこのカテゴリー使いたくて仕方ない。が出不精のわたしはメッタにいきませんので旅に、いや、意外といってるかもしれないか。一般レヴェルぐらいはありますかね、まあ



まま、つうことでバスにて松本へ!
京都深草バスターミナル利用は初めてでござった。こんなところから人は高速道路にでるのか、とわたしは興味深々でありました。予定通りバスくる、満員でありました。松本人気なのか、国内か時代は国内なのか、燃料代高いし国内がお薦めか。
松本まで5200円。

しかしバスは疲れます。やはり。

さて、国宝だとか言う松本城に登ろう。
が、腹減って、減りすぎて気分悪くなる。



蕎麦や、長野と言えば蕎麦、商店街にあった老舗っぽい蕎麦屋で早速長野の味をいただきました。なめこそば。温かいし、ぬるぬるで喉越し良し。美味しゅうございました。
七味をふりかけて、ずるずるずる。喉越しのこの存在感。



蕎麦を入れ、胃は動き出し、活発に、まだ何か入りそうです。大体あの蕎麦や、量少な目やし。少なめにも程があるわ、というぐらい少ないし。長野って言えばおやきやないか、そば粉入りのが土産物屋で売ってるじゃないか。早速買おと中に入りまして注文しますと、あっためますので2分ほど待ってください、と。

レンジやん!?レンジするときの台詞やん、ちゃんと焼いて造って欲しかったのに、そのおやきは生地もがもがで、ばりばり解凍した味で、具もしゅんとしてて主張せず、腹に入れるだけ片腹痛し。

リッスン・トゥ・ハー

2008-07-18 | リッスン・トゥ・ハー
永遠に君を守り続けるぜだから僕のそばにおいでよベイビー、ベイビー、ベイビーて、いや近すぎ!警備員さん不審者です、不審者ですよ、そのお団子頭の娘、退場させてください、ぜひ退場させてください退場させて僕のアパートまで案内してやってください、はい、しくよろ、というわけで後がつかえてます、やっつけ仕事ですいません聞いてくださいリッスン・トゥ・ハー