リッスン・トゥ・ハー

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やさしさも甘いキスもあとから全部ついてくる2

2006-12-25 | 東京半熟日記
(沖縄編26)

久しぶりの日差しを浴びるような目元の、墓の上に座る猫を見る。
赤いハイビスカスの花が咲き乱れている。

生まれた場所はゴミ置き場で、父親には結局死ぬまでに出会うことがなかった。母親はいつも不機嫌にし、自分が産んだ子猫に対する興味もほとんどないように街をうろついていた。自分以外に興味がないということは野良猫の中では珍しいことではない。まず、何を置いても生きることに精一杯だからだ。それでも、まったく何もできない赤ん坊の頃には餌を与えられたこともあった。与えられる餌はどれもちいさくて腹を満たすことは、例え子猫であろうと、できなかったし、またほとんどが腐りかけていたため、食べることによって身体に与える害は計り知れないものがあった。しかし、幸運というべきか子猫はすくすくと育った。子猫は愛情というものを知らない。半ば自然に、生きるためにすべてを蹴落とす、そういう考え方を持つようになる。子猫が生まれてから5週間が経つ。当然子猫は、時間の感覚が薄く、ようやく5週間経ったか、ということなど考えるはずがないが、もし仮にその感覚が備わっているとすればこういうに違いない、何とか5週間持たせることができた。それほどに過酷な5週間だった。猫は母親にすら敵とみなされ、攻撃された。

つまりそういう、世の中にあるものなら誰にでもあるような筋が、当然猫にもあって、その一瞬をわたしには見えたというだけ。だって、ここ旧海軍司令部壕。小高い丘の上。

(里に下りたお猿の籠は、

2006-12-25 | リッスン・トゥ・ハー
どちらかというとよく揺れる。猿の腕枕で眠ると、強い獣臭やこそばゆい豊かな体毛がいつも近くにあって、でも慣れるとそれほど苦にならない。どころかそれがないと鼻がなにか物足りない。と思ってしまう中毒性を持っている。最初はわたしもどうしても吐き気をもよおして、悪いとは思うけど布団を飛び出して、外でいったん新鮮な空気を吸い、それでも再び布団へ戻ってくる。それの繰り返しで、疲れ果ててようやく眠れるという状態だったけど今は、むしろこの匂いに体毛に包まれないと眠れないまでになった。生き物の慣れとは偉大だと思う。猿は、例えわたしが布団を飛び出しても特に気にする風でもなく、キキ、キキッ、キーと優しく吠えて、そして、わたしがどんなに長い間離れていても必ず起きて待っていてくれた。笑っているように見える。焦らなくてもいい、ゆっくり慣れればいい。今では、わたしのほうから腕枕を要求するようになった、だから、なんとなく嬉しそうだ。猿が寝息を立てる。それを聞いているとわたしはずっと安心できる。これ完全なる未完作で、でもこんな感じで実験的にしてみたら新しい何かが、僕たちの未来に待っているのかもしれないし、諦めたくないから、それだけだから。)