リッスン・トゥ・ハー

春子の日記はこちら

俺は車にウーハ―を(飛び出せハイウェイ)1

2006-12-06 | 東京半熟日記
(沖縄編16)

つけても続くフューチャーは鳴らない。
沖縄に流れる時間はとてもゆっくりで、それは自動車に乗っていてもやはりそうで、みなが制限速度を厳守して走る。突っ走る沖縄の道、フューチャーなんて要らないのさ、そうさ今を楽しもうぜ。なんくるないさー、て、のんびり。海沿いの道を時速40キロでルンルン進む。空に雲なし、海はきらきら光って綺麗、でも音楽は鳴らない。
カーブを曲がりたくなかった。ハンドルから手を放した。
ねえ、シャロン。


ちゅら海水族館。
何かと話題になっているし、テレビで何度か見たことがある気がする。
基本が広いです。駐車場から歩いて三里、ぐらいの気分で。幸い、歩くのは好きなので、これ幸い。てくてくとスニーカーの底を削り。すぐそこなる海スルーして入場。

ふれあい牧場的なスペース、なまこやらひとでやらに触れるんです。あのどこかアメリカンなあいつは意外と硬いです。なまこはにゅるんてしてて気持ち悪いです。水からあげたらあかんねんね。持って水から出した瞬間、係のお姉さんが全速力でやってきて怖い顔で注意されますから。
そして、目の前に中くらいの水槽、中に珊瑚の嵐。珊瑚を贅沢に使っています。珊瑚の豊富さは日本一ぐらいな気がします。脳みそのようにうねっているぐるぐるの珊瑚、その周りを泳いでいる魚、ここでは魚の生態をそのまま見ることが出来るのでしょう、きっと。そうじゃなきゃやだ。熱帯魚ですね、とても鮮やか。どいつもこいつも優雅、貴族並に優雅、面を上げい、てむいた瞬間あっち向いたんねん。という感じで、時々プイって方向を変える。

車椅子に乗った人々、どうやら近くの福祉施設から見学にこられているようです。新しいだけあってしっかり、スロープ仕様。とにかく人が多くて、歩けないような状態なのですが、そこに車椅子。わたしたちが水槽にこれでもかというぐらい近づいて見ているのに対して、彼ら、彼女らは車椅子から身を乗り出すこともなく、遠くから眺めるだけ、わたしたちの頭の向うにある水槽を眺めるだけ、専用スペースいるんちゃうかな、と思ったり。でも、感嘆の声を聞くと、微笑んでいる表情を見ると、なんだかこちらまで嬉しくなっちゃいますね。
これ本編に関係ありませんが、どんどん出て来て欲しいと思います。例えば、顔に大きなこぶのある人と街で出会うとします、接することになったとします。こぶをどう扱うか、触れないのか、触れるのか、悲しい事にわたしは、どうすればいいのか分からず戸惑ってしまいます。それは、同じ人間なのだけれど、「違い」に戸惑うのです。この類の違いは、例えば「怒りっぽい」と「穏やか」という違いと、大きくは同じもの、と考えるのですが(つまり個性)、それをどう扱うか、これはよほど賢人でない限り慣れが必要なのです。理屈では分かっている。そんなこと気にしなくていいんだ、と。でもわたしはそれに慣れていません。だから戸惑うのです。どんどん出て来て、当たり前のようになったら、戸惑う事もなくなると思うのです。なれないとぎこちない、そんなわたしは完全なバッキャローだ。バッキャローだ。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (三四郎)
2006-12-06 22:41:16
いやあ、油断している間に(別に油断ってほどでもないが)沖縄編、一気呵成にアップしてきましてね。
ときに、障害者の方々に対する気持ちのありよう、よく分かります。その戸惑いは自然ですよ。ぎこちなさは人としての素直さだと思います。
返信する
Unknown (なゆら)
2006-12-09 02:07:07
時々の休みを挟みつつ畳み掛けるように一気にアップしますよ。

ありがとうございます。
怒られること覚悟で書きましたから。

そういうことに誰も戸惑わない世の中がきたらなあ、とは素直につよく思います。

それにしても沖縄が懐かしくさえあります。
どこか生まれ育った故郷のような。
たった3日ちょいいただけなのに。
返信する

コメントを投稿