夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

平和記念式典で原稿を読み上げても心に響かない

2008年08月06日 | Weblog
 今年もまたあの暑い日がやって来た。広島に原子爆弾が落とされたあの日。今年で63回目を迎える。そしていまだに原爆症で苦しんでいる人々が居る。また、二千人以上の人が亡くなっている。
 今年は初めて中国が参加したと言う。多分オリンピックを控えているからだろう。そしてアメリカは参加していない。なぜなのか。当事者だからと遠慮をしたのか。
 そんな御遠慮なんて、しなくてもいいんですよ。あなたがたは日本が悪いから原爆を落としたのであり、原爆の投下が戦争を終わらせる力になったと信じていらっしゃるはずである。正義の味方なんだから、正々堂々とやって来るべきである。
 結局、アメリカは日本の事など気にしていない。単に日本が金儲けや戦力拡大に利用出来るから、好意的そうな顔をしているだけだろう。

 まだソ連が存在していた時、ソ連人とロシア人は違うのだ、との話があった。親達はロシア人で、子供達がソ連人だと言う。だから子供は平気で親を裏切って国に売るのだと言う。私の親はこんな相談をしていました、こんな事をやろうとしています、と密告するのだそうだ。育った社会体制が異なるからまた人間も異なってしまうのだ。
 同じ事が多分中国にも言えるのだと思う。あの「大地の子」に出て来たような親は中華民国人であって、現在の若者を中心とする人々は中華人民共和国人なのだと私は思っている。
 アメリカもまた同じだろう。こちらは社会体制の変化は無いのだが、ソ連と共存していた時代のアメリカ人と、ソ連が崩壊して、アメリカが世界一の大国となってからのアメリカ人との明確な違いがあると思う。
 ロシアでは相変わらずソ連人が政権の座に着いており、中国はもちろん中共人が、そしてアメリカは世界を牛耳る資本家としてのアメリカ人が政権を握っている。

 余計な事を言ったが、今年もまた平和記念式典で、広島市長と総理大臣は後生大事に用意してきた原稿を読み上げた。中身は高邁で素晴らしい理想的な事ばかりである。
 だが、読んでいるからまるで迫力が無い。迫力と言うか、真心が無い。言うならば口先だけの弁舌である。
 日本語はただでさえ迫力の乏しい言語である。欧米語のように文末に様々な名詞が来たりする事は無く、同じような助動詞で終わる。発音も明解と言うか単純である。だから単調になる。それだからこそ、話し方を工夫して単調にならないようにする。そう、話すのだからそれが出来る。読んでいるのでは駄目なのだ。
 淀みなく、ずらずらと言葉が流れても、一向に心に響かない。すらすらだから、余計に心にとまらない。
 それに対して小学六年生の男子と女子が代わる代わる訴えた言葉は、非常に力強かった。私は涙が出そうになって困った。誰かが用意した原稿なのかも知れない。しかし二人は自分の言葉に直して訴えた。
 具体的だから訴える力があるのだ、とは言えるだろう。そう、市長と首相の言葉はどちらかと言えば具体性に欠ける。原爆症の認定基準を緩和すると首相は言ったが、現実にはそうはなっていない。だから余計に空虚に響いてしまう。

 ねえ、市長さんと総理さん。いい歳をして原稿の読み上げなんて、恥ずかしくないですか? そんなに難しい原稿ですか? そんなに暗記力が衰えているんですか?
 大事な言葉だから間違わない方がいいに決まっている。だが、たとえ、少しくらい間違ったって、つっかえたって、自分自身の言葉で語る方がどれほど人々の心に強く響く事か。暑い中をみなさん集まって、熱心に耳を傾けているんです。そうした人々に失礼とは思いませんか?
 気の抜けたような平和への誓いなら、誰か上手な人の代読の方がずっと気が利いている。何も市長や首相の顔が見たい訳ではない。本当に世界に訴えかける力強い言葉が聞きたいのである。
 それにしても、中継をするのはいつもNHKのみ。民放は知らん顔を決め込んでいる。視聴率を稼げないからCMに結び付かない。単にそれだけの理由だ。あなたがたは常に放送は公共的な使命があると偉そうな事を言っているではないか。たかが、30分そこら、CMなんて無視したって屋台骨は揺るがない。どなたか大英断を下せる人はいないのでしょうか。