東京の催し物会場のエスカレーターが逆走して怪我人が出た。1段当たりの制限重量以上の人間が乗ったのが原因だが、ここで二つの事が考えられる。
1 制限重量を過小に見積もっていた。
2 1段に乗る人数を過小に見積もっていた。
この二つは密接に関わっている。普通の幅のエスカレーターは1段に大人二人である。肩幅から言っても大人二人が限度だ。だが、それは正常な時の話。この会場はイベント会場だから、大勢の人が集まる事が前提になっている。そうした会場で、我先にと乗り込む人がいた場合、一体1段に何人まで乗ると想定していたのだろうか。
そしてこれは1に関わるが、一人当たりの重量をどれくらいと見積もっていたのか。例えば、一人100キロの人が1段に3人乗る事を想定していたか。常識から考えても100キロの人なら1段に二人だって無理だろう。
そうした事を様々に考えて、制限重量が算出されているはずだ。そしてそれは安全圏を見て、かなり多めに見積もっているはずだ。だが、映像で見る限りでは、事故のエスカレーターは考えられないほどの人で埋まっている。常識を遙かに越えている。
と言う事は、こうしたイベント会場なら、常識では考えられないような事態をも想定していなければ落ち度になると言う訳だ。
そうなのだ。今はおかしな人が激増している。人を人とも思わないような、自分さえ良ければそれで良しの人が非常に多い。そして、なぜだか知らないが、そうした人ばかりがこうした会場に集まって来る。
これはエスカレーターの会社が悪いのではなく、会場を設営し、運営している会社の責任ではないのか。簡単に群集心理に乗っかってしまうような人々を対象に商売をしようと言うのである。それなりの万全の体制をとってしかるべきである。商売を甘く見ていないだろうか。ただ、そう簡単にも言えない。
エスカレーターの乗り方には前々から疑問がある。普通のエスカレーターは1段に二人ずつ乗る。だから左右につかまれるようにベルトが付いている。それなのに、いつの頃からか1段に一人で、しかも一段空けて乗る習慣が根付いてしまった。大阪では左側を空け、東京では右側を空ける。結局、定員の4分の1しか乗っていない。だからエスカレーターの前には行列が出来てしまう。
片側を空けるのは、急ぎの人が歩くためである。冗談言ってはいけない。エスカレーターは階段を歩かずに済ませるための機械である。そんなに歩きたければ階段を利用すれば良いではないか。ひどいのは走り上がったり、走り降りたりする。
どのエスカレーターもその上を歩く事を想定して作られてはいない。もしも全員が走り上がったり、走り降りたりしたらどうなるか。それで事故が起きた場合、エスカレーターの会社あるいは設置している会社の責任になるだろうか。
大阪だったか、ある神社で新年に開門と同時に本殿まで走り、一位になった男が年男とされるとの行事がある。もしもそこで転倒して怪我人が出たら、一体誰の責任になるのだろうか。常識的には参加者の自己責任である。
だが、この場合に、神社側が参加者をある人数に絞らなかったとか、参道の途中にちょっとした凹みがあったとかが取り上げられて、責任を追及されたらどうなるのだろうか。
普通には、そこまで責任を取らされたらやってられない。参加者の行動にまで責任を負わされるのであれば、そうしたイベントは一切廃止になるだろう。そうなると、先のイベント会場の事故の場合も、どこまで会社側に責任があるのかは重大な問題になるはずだ。
エスカレーターの上は歩かないで下さい、といくら注意をしても守らない人々がいる。そして間を空けずに詰めて乗って下さいと言っても、聞かない人々がいる。確かに他人と身体を接触させるのは楽しくは無いだろう。だが、満員電車ならそんな事は言っていられない。
つまり、どうしても言う事を聞かないならば、エスカレーターにも電車のように強制的に詰め込む方法を考えるしか無い。一定の時間内に乗らないと柵が閉まって乗れなくなるとかにすれば、嫌でもきちんと乗るようになる。
だが、そんな事は出来ないだろう。あまりにも非人間的なやり方だ。と言うと超満員の電車などは非人間的な物の最たる物になる。当然である。
本当に自分の事しか考えていない人間はいっぱい居る。銀行のATMで、雨の中、中に入れずに扉の外に並んでいる人がいても、前との間隔を詰めずに平気だったりする。屋根のあるバス停で、やはり雨の日、屋根の下に入れずに傘を差して並んでいる人がいても、屋根の下でのうのうとゆったりと並んでいる人がいる。
こうした場合、誰も注意をしない。下手に注意して、ブスリではたまったもんじゃない。
ずいぶんとつまらない細かな事を言っていると思うかも知れない。確かに細かい。私だってそんな事考えたくもない。だから一人一人が少しでも他人の事を思いやれば、簡単に解決の付く事なのである。それは極めて自然で普通の事なのである。
1 制限重量を過小に見積もっていた。
2 1段に乗る人数を過小に見積もっていた。
この二つは密接に関わっている。普通の幅のエスカレーターは1段に大人二人である。肩幅から言っても大人二人が限度だ。だが、それは正常な時の話。この会場はイベント会場だから、大勢の人が集まる事が前提になっている。そうした会場で、我先にと乗り込む人がいた場合、一体1段に何人まで乗ると想定していたのだろうか。
そしてこれは1に関わるが、一人当たりの重量をどれくらいと見積もっていたのか。例えば、一人100キロの人が1段に3人乗る事を想定していたか。常識から考えても100キロの人なら1段に二人だって無理だろう。
そうした事を様々に考えて、制限重量が算出されているはずだ。そしてそれは安全圏を見て、かなり多めに見積もっているはずだ。だが、映像で見る限りでは、事故のエスカレーターは考えられないほどの人で埋まっている。常識を遙かに越えている。
と言う事は、こうしたイベント会場なら、常識では考えられないような事態をも想定していなければ落ち度になると言う訳だ。
そうなのだ。今はおかしな人が激増している。人を人とも思わないような、自分さえ良ければそれで良しの人が非常に多い。そして、なぜだか知らないが、そうした人ばかりがこうした会場に集まって来る。
これはエスカレーターの会社が悪いのではなく、会場を設営し、運営している会社の責任ではないのか。簡単に群集心理に乗っかってしまうような人々を対象に商売をしようと言うのである。それなりの万全の体制をとってしかるべきである。商売を甘く見ていないだろうか。ただ、そう簡単にも言えない。
エスカレーターの乗り方には前々から疑問がある。普通のエスカレーターは1段に二人ずつ乗る。だから左右につかまれるようにベルトが付いている。それなのに、いつの頃からか1段に一人で、しかも一段空けて乗る習慣が根付いてしまった。大阪では左側を空け、東京では右側を空ける。結局、定員の4分の1しか乗っていない。だからエスカレーターの前には行列が出来てしまう。
片側を空けるのは、急ぎの人が歩くためである。冗談言ってはいけない。エスカレーターは階段を歩かずに済ませるための機械である。そんなに歩きたければ階段を利用すれば良いではないか。ひどいのは走り上がったり、走り降りたりする。
どのエスカレーターもその上を歩く事を想定して作られてはいない。もしも全員が走り上がったり、走り降りたりしたらどうなるか。それで事故が起きた場合、エスカレーターの会社あるいは設置している会社の責任になるだろうか。
大阪だったか、ある神社で新年に開門と同時に本殿まで走り、一位になった男が年男とされるとの行事がある。もしもそこで転倒して怪我人が出たら、一体誰の責任になるのだろうか。常識的には参加者の自己責任である。
だが、この場合に、神社側が参加者をある人数に絞らなかったとか、参道の途中にちょっとした凹みがあったとかが取り上げられて、責任を追及されたらどうなるのだろうか。
普通には、そこまで責任を取らされたらやってられない。参加者の行動にまで責任を負わされるのであれば、そうしたイベントは一切廃止になるだろう。そうなると、先のイベント会場の事故の場合も、どこまで会社側に責任があるのかは重大な問題になるはずだ。
エスカレーターの上は歩かないで下さい、といくら注意をしても守らない人々がいる。そして間を空けずに詰めて乗って下さいと言っても、聞かない人々がいる。確かに他人と身体を接触させるのは楽しくは無いだろう。だが、満員電車ならそんな事は言っていられない。
つまり、どうしても言う事を聞かないならば、エスカレーターにも電車のように強制的に詰め込む方法を考えるしか無い。一定の時間内に乗らないと柵が閉まって乗れなくなるとかにすれば、嫌でもきちんと乗るようになる。
だが、そんな事は出来ないだろう。あまりにも非人間的なやり方だ。と言うと超満員の電車などは非人間的な物の最たる物になる。当然である。
本当に自分の事しか考えていない人間はいっぱい居る。銀行のATMで、雨の中、中に入れずに扉の外に並んでいる人がいても、前との間隔を詰めずに平気だったりする。屋根のあるバス停で、やはり雨の日、屋根の下に入れずに傘を差して並んでいる人がいても、屋根の下でのうのうとゆったりと並んでいる人がいる。
こうした場合、誰も注意をしない。下手に注意して、ブスリではたまったもんじゃない。
ずいぶんとつまらない細かな事を言っていると思うかも知れない。確かに細かい。私だってそんな事考えたくもない。だから一人一人が少しでも他人の事を思いやれば、簡単に解決の付く事なのである。それは極めて自然で普通の事なのである。