夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

「頂きます」は複雑だ

2008年08月08日 | Weblog
 永六輔氏がテレビでいい事を言っていた。
 食事の前の「頂きます」は、「肉や魚や野菜などの命を頂きます」なのだと。だからと言って、肉を大威張りで食べて良い、と言っているのではない。たが、この「命を頂く」はとても重い言葉だ。
 以前、うちは給食費を払っているから、うちの子に「いただきます」と言わせないでくれ、と学校に怒鳴り込んだ母親がいた。もちろん、世間は呆れ果てた。この母親は金さえ払えば何の遠慮も要らないのだと考えている。それは自分も、払った金額の程度にしか見てもらえないのだ、と言う事になるのに気が付かない。

 「頂く」のそもそもの意味は「頭に乗せる」である。そこから「上の者として敬い仕える」の意味が生まれ、更には「上の者からもらう」の意味にもなる。従って、食べ物の場合にも、「神様からもらう」の意味があるのだと思う。それが「頂きます」と言う食事の挨拶になる。
 そうした「頂きます」が「もらう」事の謙譲の言葉として、何にでも使えるようになったのが、「著者から本を頂いた」のような言い方になる。それは物だけではなく、行為にまで及ぶ。「……して頂く」の言い方である。
 これらはすべて「頂く=頭に乗せる」が原義である。だから物を頂く時は、両手を頭の上にまで伸ばして、うやうやしく受け取るのが礼儀である。目の高さでもいいから、その代わりに頭を下げる。これで頭上にうやうやしく捧げ持つ形になる。
 従って「頂く」と漢字で書くのが当然である。それでこそ、明確に意味が分かる。
 だが、表記辞典のほとんどと国語辞典の一部は、「……して頂く」などの行為の場合には「いただく」と仮名書きにせよ、と言う。つまり、「……して頂く」には恩恵などの気持はさらさら無いのだと言っている事になる。違いますか?
 共同通信社の『新聞用字用語集』は飲食の「頂きます」までも仮名書きだと言う。つまり、これは単なる挨拶の言葉であって、然るべき意味は持たない、と言っている事になる。違いますか?

 「頂きます」は自分の行為を対象として使われているが、ではこれを相手の行為に対して使ったらどうなるか。例えば、「並んで頂きます」。並ぶのは相手である。「頂く」は恩恵をこうむる事なのだから、相手には使えない。
 となると、「並んで頂きます」の「並んで」は相手の行為だが、「頂く」のは自分なのであると解釈すれば筋は通る。つまり、自分のために「並んで」となる。言い替えれば「並べ」と命令している事にもなる。「頂きます」との言い方に騙されているだけなのだ。 お疑いなら、自分でそうした言い方をしてみれば分かる。

 店の貼り紙で「本日は休業させて頂きます」と言うのがある。これを『岩波国語辞典』は押しつけがましい表現だ、と説明している。これは他には見られない優れた説明である。同書は次のように言う。

 本来は浄土真宗を信仰する者が仏のお恵みにすがりお許しを頂くという気持で使った言い回しが広まったもの。その気持も無く乱用するのは(相手の了解を取ったことを前提とする表現になるから)押しつけがましい。

 ただ、この説明はあまりうまくはない。「相手の了解を取った」と「仏にお許しを頂く」の関係がよく分からないのだ。神も仏も信じていない人には分からないだろうが、仏はすべてを許してくれる。だから「善人なをもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」なのである。ここで言う「善人」とは「偽善者」の事だと言う。そんな人間でも仏は許してくれる。その広大な御心なら悪人が許されないはずが無い、と言う。
 つまり、仏は何でも許してくれる。仏が許してくれるくらいだから、相手が許さないはずは無い、と言っているのである。相手の了解を取ったことを前提として、ではなく、仏に許されている事を前提として、と言っているのである。
 仏の許しを得ていると言うのは、無条件に自分の思いが通るのだ、と言っているのと同じになる。すなわち、押しつけがましい。

 そうした理屈抜きでも、「……させて頂きます」と言われると、だって、嫌だって言ったってそうするんだろうが、と言いたくなる。それならなにも、謙譲みたいな言い方なんかするな、と言いたくなる。素直に「本日休業致します」と言えば良いではないか。言っている意味は全く同じなのだ。それなら気持よく受け取れる言い方の方がどれだけ素晴らしい事か。
 多くの人が、その言葉の本当の気持を理解せずに安易に使っている。こうした事を私は拙著『こんな国語辞典は使えない』(洋泉社)に書いた。だが、一般向きとは思われないのか、あまり関心を持ってもらえなかった。『わかってようでわからない日本語』(同)ではそれをもっと徹底的にしているが、やはりあまり読まれていない。
 そこで、これからもその中の話を少しずつ続けて行きたいと思っている。その時とはまた考えも多少は変わっているので。「続けさせて頂きます」などとは言いません。