夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

日本語は面白い。「下さい」は命令形なのだ

2008年08月11日 | Weblog
 「下さい」を辞書で引くと、載っていない辞書がある。なぜなのか。「下さい」は「下さる」の命令形に過ぎないからだ。活用形の形で載せている辞書は無い。普通はすべて終止形である。
 でも変だと思いませんか? 「下さる」は「くれる」の尊敬語だ。「下す」は文字通り「移しおろす」である。だから「くれる」が既に恩恵の響きがある。従って「下さる」なら、本当にこちらは肩身が狭い感じになる。
 そんなに肩身が狭いのに、その命令形だと? どこの世界に命令形でお願いをする事があろうか。英語なら「プリーズ」が前に付く。だが日本語の「下さい」はそのままでも通る。
 そして更には、「頂く」が物でも行為でも使えるのと同じように、「ください」も物だけではなく、行為にも使う。「……して下さい」と。
 そしてこれまた、行為の場合には「ください」と仮名書きにせよ、と命令される。
 「お手紙下さい」は手紙その物なら「下さい」で良いが、「書いて」なら「ください」と仮名書きにしなければならないのだと言う。馬鹿を言っちゃあいけません。
 言った側ならどちらの意味で言ったのかは分かる。しかしそうでなければ、分からない。それに言った側だって、物なのか行為なのかを区別しているはずが無い。どっちだって同じ意味なのだ。

 さて、「下さい」は普通はお願いとして使われている。「一列にお並び下さい」は「一列に並ぶ」ようにお願いをしている。
 しかし出自が命令形なのだから、どうしてもその命令の気持は残ってしまう。確かに「一列にお並び下さい」はお願いではある。だが、「一列に並ばなきゃ、乗せてやんないよ」あるいは「売ってやんないよ」と言っているように聞こえないだろうか。
 実際に、どうしても一列に並ばなければならないような情況の下でそう言っているのである。従わざるを得ないではないか。だから、私は言葉はお願いだが、これは強制だ、といつも思って聞いている。
 だからだろう、前に「どうぞ」とか「どうか」を付けて、お願いの気持に近づけようとする。でも、どうせお願いだと言いたいのなら「どうかお並び下さい」ではなく、「どうかお並び願います」と言えば良いではないか、と思う。

 「下さい」の対象が相手の行為だからそうなる。前回の「休ませて頂きます」の対象が自分の行為であるのと対照的である。「休ませて」が自分の行為だから、「休みます」と言う方が素直で気持がいいのと同様に、「お並び」が相手の行為だから「お願いします」の方がずっと素直で気持が良いのだと私は考えている。