夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

スーパーの多角経営は消費者のためになるのか

2008年08月26日 | Weblog
 大手スーパーが医薬品にも手を伸ばし始めた。その理由が次のように言われている。
 処方箋受け取りは時間がかかる。近くに食料品売り場があれば、待ち時間に買い物をしてもらえる。
 同じような話がコンビニなどと郵便局の同一店舗化だ。
 馬鹿を言ってはいけない。そんな事を言うなら、すべての商店は皆一つにまとまってしまうではないか。すべてが一箇所にまとまっていたら、確かに便利だ。でも、一箇所にまとまっていないからこそ、それぞれが個性的な展開が出来ているのではないのか。
 そして、我々はそんなにも面倒くさがり屋か。面倒だと思ったら、ちょっと難しい事や複雑な事は何も出来なくなる。面倒な一つ一つをクリアして行くからこの世は順調に回っているのである。一箇所で何事も済ませてしまおうと言う考えは、事業の独占に通じる。一つの企業が様々な仕事を展開していれば、話は非常に簡単になる。
 しかしそれでは、退歩にはなっても進歩にはならないから、独占は否定されているのである。

 結局、大手スーパーは客の利便性を正面に打ち出してはいるが、その実、自分達の利益追求だけが目的なのである。しかしそれを言う事は出来ないから、客が便利に買い物が出来る、などとの理屈を持ち出すのである。一箇所に集中しているのが便利なら、現在のような個々の商店が独立して存在する事は不可能になる。
 個性ある商店があるからこそ、魅力的な商店街が存在出来る。そうではない、と言うのなら、各地に百貨店や大型スーパーがもっとたくさん出来ていて当然である。百貨店の食料品売り場は、著名な商店の支店が店を出していると言う魅力はあるが、それ以外は、街の商店に劣る。高いだけで、それほどの魅力は無い。確かに品物はいいが、値段もすこぶるいい。同様に、百貨店の電気製品売り場には何の魅力も無い。
 百貨店の魅力は、その高級性にある。だから食料品も電化製品も売れるのである。同じ品物に高級性を求める馬鹿な人々が存在するからだ。
 
 私の住んでいるすぐ近くに都内でも有名な商店街がある。よくテレビに登場する。昔、その商店街が、本来は敵になると思われている大型スーパーに出店を依頼した。スーパーは商店街のほぼ中央にあり、両方がうまく行っている。商店街はスーパーの利用客に、スーパーは商店街の利用客に、それぞれ重宝に利用されている。
 そのスーパーの魅力は、何でも揃っている、にあるのではないはずだ。多くの人がそこだけで買い物を済ませようなどとは考えていないように私には見える。私自身、そのスーパーには、商店街には無い品物を買いに行く。魚屋も八百屋も肉屋も和菓子屋も酒屋も、それぞれに複数の店を決めてある。

 最近の日本の商業はおかしい。様々な企業が有力企業の下に寡占化されて行く。寡占、ほぼ独占とも言える企業に合理的な価格を要求するのは無理な事だ。何だって、企業の思うがままに運んでしまう。原材料が値上がりしたからと、簡単に商品の値上げが出来るのは、寡占化が進んでいるからこそである。だから企業は寡占化へと進むのだ。

 原材料の価格が上がったからと、簡単に末端価格を上げる事が出来るのは、独占的な企業だけである。パンにしても、粉にしても、マヨネーズにしても、様々な食品はほとんどが寡占的な情況にある。だから一方的に値上げの通告が出来る。様々な小さな企業があっても、都会では店が扱わない。
 考えてもみよう。我々が原材料の値段が上がったからと言って、商品つまり労働力の価格を値上げ出来るか。では、なんで企業はそれが可能なのか。言うまでも無い。労働力のように無尽蔵ではないからだ。それこそ、寡占の力である。労働力だって、航空機のパイロットなどになれば、非常に高く売れる。日本航空は、その高い給料のパイロットが人件費を押し上げていて、経営を圧迫する原因の一つであると言われている。だから高給を払えない小さな航空会社、例えばスカイマーク社などはパイロットが確保出来ず、運休する憂き目にあっている。

 新聞はスーパーの医薬品への進出を、単に「衣料品の不審を受けて」だと言うだけである。何といい加減な考え方なのか。Aが駄目ならBだ、Bが駄目なら今度はCだ。そんな単純な考えしか無い。そこには誠実さも品格も何も無い。あるのは、消費者の便宜のため、と言う「おためごかし」しか無い。単に手近で用が済ませるとの単純極まる考えしか無い。なにが真に消費者のためになるのか、などと言う高邁な思想は微塵も無い。
 これが日本の代表的な大手スーパーのイトーヨーカ堂やジャスコの真の姿なのである。それはそうだろう。例えば、イトーヨーカ堂はセブン&アイ・ホールディングスの傘下なのだ。頭のてっぺんから足の先までアメリカ資本の考え方に染まっている。
 イトーヨーカ堂の品物が良い、とは思う。だが、それとその商売の仕方は別だ。私はスーパーの薬品部で薬の処方を受けるつもりは毛頭無い。街のいつもの薬局に行く。そこでは、買い物に行って来ます、と言えば、その間に処方をしてくれる。買い物を済ませてすぐに薬が受け取れる。
 互いに個性を発揮する事で、この世は円満に回転している。それを何で、自分だけの物として独占しようとするのか。昔からガキ大将やいじめっ子は嫌われている。だが、大手スーパーはそんな事さえ気が付かない。それこそが、日本人離れしている証拠である。アメリカの資本に牛耳られているスーパーに、我々の生活が牛耳られてなるものか。