夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

アフガンでの日本人殺害は日本政府にも責任がある

2008年08月28日 | Weblog
 アフガニスタンで日本人のボランティアが殺された。同国の対日感情は悪化していて、本当は今期の始めに撤退する予定だったと言う。感情悪化の原因は、日本の派兵であり、海上給油である、と新聞は伝えている。それは間違い無いだろう。
 パキスタンではアメリカの後押しを受けていた簒奪政権が崩壊した。国民は諸手を挙げて喜んだ。中東のアメリカへの反感は根強い。
 8月21日の東京新聞には、インド洋で各国に無償で燃料を提供している自衛隊は、イラク空輸では米軍から燃料を購入していた、とある。2001年の米中枢同時テロの報復でアフガニスタン攻撃を始めた米国への支援が目的だった、燃料の洋上補給。防衛省幹部は「海外では有償が当たり前。無償提供が異例」と言う。ずるずると続く活動とその安易な延長は、燃料高騰にあえぐ国民の目にどう映るのか。
 と新聞は書いたのだが、ガソリンの値上げや様々な製品の値上げの事ばかり考えていて、我々は米国支援の意味を考える事を忘れていた。この東京新聞の記事も、上記のリードでは無償提供に目が行っている。米国支援ではない。

 現地の人々の生活のためにと、人々の暮らしの中にとけ込んで活動していた青年はわずか31歳の若さで命を絶たれた。もちろん、手を下した奴らが悪い。しかしそうした情況を招いたのは日本政府の米国支援にあるはずだ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、と言う庶民感情はどこの国だって同じだろう。人間はこの数千年もの間、決して進化などしていない。国同士の戦いは紀元前何千年もの昔からずっと続いている。
 更には現在のような機械文明の発達が、人間の正常な感覚を麻痺させている。
 8月19日の東京新聞に玄侑宗久氏(臨済宗住職・作家)が「二分法で無意識に戦う人々」の事を書いている。ゲーム機で育った子供には「黒か白」しか無いと言う。動物が本能的に持っている同種の動物を殺す事に対する強い抑止力は、戦闘的なゲームに習熟する事で解除されると言う話を紹介している。イラクに向かう米兵はそうした訓練を受けているのだ、とも言い、そうした事が、今や一般市民にも及んで来たに過ぎない、と同氏は言う。
 「軍事力をもっと増強するなら、異様で残虐な犯罪ももっともっと増えると、覚悟しておいていただきたい」と結んでいる。

 戦争で平和が作れるはずが無いのに、無視されているのはなぜなのか。これは一見、死刑で凶悪犯罪を防ぐ事は出来ない、と言う死刑反対の議論と似ているが、違うはずだ。
 どのような理由があれ、戦争に加担するのは悪だ。日本政府は自分が戦争に行かないから、単に銃後の資金援助に過ぎないからと高をくくっている。直接参加はしなくても、資金援助など、もっと悪質ではないか。言うならば、姿を隠して戦争に参加している。
 日本政府が中東の紛争に米国の支援をしているのは、当地に平和をもたらしたいからではないだろう。当地の平和は当地に任せるしか無いのである。他人の出しゃばる幕ではない。
 対米支援は、アメリカから好意を持って迎えられたいからに決まっている。暴力団の親分にごまをすって、何とか自分だけは無事に暮らしたいとの魂胆である。そうした流れを明確にしたのが、あの「こいずみ」とか言う人間だ。そいつがまたぞろのさばろうとしている。田中真紀子氏は「変人」と言ったが、私は「悪人」だと思っている。今、経済的に苦しんでいる人々の多くは、絶対にそう思っているはずだ。
 大体、彼は「人」としての言葉を持っていない。優勝力士の授賞で「感激した」との一言が話題をさらったが、そして本人もほくそ笑んでいたが、冗談ではない。まあ、勝負の世界で御託を並べても仕方が無いが、政治の世界ではもっときちんと言うべき事がたくさんある。だが、彼は言わなかった。言わずにごまかした。その典型的な例の一つが自衛隊派遣問題だ。

 「自衛隊を非武装地帯に派遣すると約束した。従って、自衛隊の居る場所は非戦闘地域である」
 こんな論理が彼には成り立ってしまう。そして、
 「どこが戦闘地域か、非戦闘地域かなんて、私に分かる訳ないじゃないですか」
 非戦闘地域に派遣すると約束したのだから、どこが非戦闘地域であるのかを確認するのは彼の当然の義務である。当時の防衛庁がそう言って、そうしたのではない。首相自らが約束したのである。自分が確認せずとも、防衛省に確認させるのは当然の義務である。「知っている訳が無い」などと大見得を切る事か!

 考えてもみよう。世界に大国などは要らないのだ。自分が世界の警察だ、などと自認している事がどんなにいい加減で、ずるい、自分勝手な事か。それぞれに個性はあっても、そこそこに食べて暮らして行ければそれで良いではないですか。何で、他人の暮らしを圧迫してまでも、自分だけ良い暮らしがしたいのか。それでホントに幸せか? まあ、幸せなんだろうね。この世には物と金しか無いのだと思っているのだろうから。