夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

「王道」は常識と国語辞典では意味がまるで違う

2008年08月27日 | Weblog
 「王道」とは何か、について私は以前からずっと疑問がある。私の考えていた「王道」の意味は、「最も正統的な道」である。「正統」だからこそ、「王の道」なのだと思っていた。8月25日の東京新聞も「王道」をその意味で使っている。「政権の枠組みは選挙で過半数が王道」と。
 どの政党も過半数を取れず、幾つかの党が結集して政権を取るのは単なる数合わせにしか過ぎず、それでは我々の一票がどのように生かされたのか曖昧になってしまう、と言う。その通りである。
 ところが、国語辞典で「王道」を引いてごらんなさい。そのような説明はほとんどされていないのですよ。私の持っている国語辞典での「王道」の意味は次のようになっている。

・楽な道。近道。「学問に王道なし」(岩波国語辞典)
・らくな方法。安易な道。「学問に王道なし」(新選国語辞典)
・らくな道。らくな方法。「学問に王道無し」(新明解国語辞典)
・安易な方法。近道。「学問に王道なし」。最も正統的な道。「古典研究の王道を行く」(明鏡国語辞典)
・安易な方法。楽な道。近道。「学問に王道なし」(ハイブリッド新辞林)
・安易な方法。近道。「学問に王道無し」(大辞泉)
・楽な方法。近道。「学問に王道なし」(広辞苑)

 まさに横一線。フライングも無ければ、メダル争いも無い。一つだけ目立つのが『明鏡国語辞典』の「最も正統的な道」である。
 そのほかはすべて「楽な道・安易な道」で、しかも共通しているのは「英語のroyal roadの訳」との説明である。
 ふーん、英語圏では「王様の道」は「楽な道なんだ」。そうだろうね、何の苦労もなく安閑としていられるんだからね。そう言いたくもなる。だが、ある英和辞典には「王道。近道。楽な方法」と、三つの意味が挙がっていて、「楽な道」ではない「王道」がある。で、その意味は、となると国語辞典を調べる必要が出て来る。そしてその結果が上記の通り、「楽な道」になってしまうのである。つまり、「楽な道」を二つも挙げている事になる。
 だがこの英和辞典がそんな馬鹿な事を考えているはずが無い。この辞書では、多分、正統的な意味を「王道」として挙げているに違いない。多分、同書は国語辞典では「楽な道」の説明しか無いとは思いもしないのだろう。
 でも、国語辞典を引いてみようとはしていない。この英和辞典は三省堂の『ザ・ニュー・センチュリー英和辞典』で、同じく三省堂の『新明解国語辞典』にも、同じく三省堂の『ハイブリッド新辞林』にも「楽な道」以外の「王道」は無いのである。同じ出版社の国語辞典さえも見ていない。これは怠慢以外の何物でもない。

 そして、もう一冊の英和辞典は、「学問には王道は無い」の意味を明確に「楽な道」としている。
 因みに仏和辞典には「la voie royale」で「王道。確実な方法」とある。ここには「楽な道」など微塵も無い。ただ、この「王道」の意味は分からない。この仏和辞典は小学館の『プログレッシブ仏和辞典』だ。では、この辞書の執筆者が同社の国語辞典を見たらどうなるのか。『新選国語辞典』にも『大辞泉』にも「楽な道」しか無いのだ。
 と言う事は、仏和辞典から見れば、自分の説明が「楽な道。確実な方法」になる事に気が付く。国語辞典から見れば、何だ、この仏和辞典の説明は? となる。
 つまり、両者を付け合わせて見る事で、自分の欠陥が見付かる、と言う訳だ。仏和辞典の欠陥は、「王道」の意味をきちんと説明しなければいけない、と言う事で、国語辞典の欠陥は、「楽な道」しか挙げていない、と言う事である。

 こうした事とは全く別に、イギリスとフランスの王様は確実に生き方が違う事になりそうだ。言うまでもなく、イギリス王はのんべんだらり、で、フランス王は誠実である。これは私が言っているのではない。英語の辞書が言い、フランス語の辞書が言い、日本の国語辞典が揃ってそう言っているのである。私に責任はありません。

 でも、何とも不思議で、しかも見事な光景だと思いませんか? 『明鏡国語辞典』を除く国語辞典に限って言えば、みんな、「お手手つないで野道を行けば」なのである。
 いくら英語の訳だとは言っても、「王の道」が「安易な道」である事に疑問を持たないのか。そして辞書の執筆者達はみな、「安易な道」で納得していると言うのか。それに馬鹿の一つ覚えのように、異口同音に「学問に王道なし」と言って、少しも恥ずかしいとは思わないのか。
 私の見た東京新聞のような使い方を誰もが知らないと言うのか。こうした使い方は以前日本経済新聞でも見た。普通は、この「最も正統的な道」の意味で使っている。
 「学問に王道無し」にしても、「近道は無い」ばかりではなく、仏和辞典の言うような「学問には確実な方法は無い」とも解釈出来るのではないのか。意味は、「幾らでも可能性のある道が存在する」である。
 英英辞典にも「easy way」とあるのだからどうしようも無いが、でも、だからといって、英語の解釈をそのまま採り入れなくても良いではないか。日本語に「王道」の言葉が無い訳ではないのだから。この言葉は英語から入ったのではない。中国語には春秋戦国の時代から「思いやりの心で国を治める」と言う意味の「王道」が存在している。それこそがまさに「王道」であり、「最も正統的な道」なのである。

 東京新聞の見出しの「政権の枠組みは選挙で過半数が王道」を国語辞典の言うような意味で解釈してみる。
 「政権の枠組みは選挙で過半数を取るのが楽な道だ」となる。馬鹿を言ってはいけない。私は様々な自分の原稿で何度もこの「馬鹿を言ってはいけない」を使っている。それくらい世の中は馬鹿を言う人で満ちている。
 記事には過半数を取るのが難しいと、政党の数合わせで政権の座に着く、と言って批判をしているのである。読者だって、それで納得して読んでいる。ここに挙げた『明鏡国語辞典』を除く六冊の辞書の執筆者達は全員、「政権の枠組みは選挙で過半数を取るのが楽な道だ」と解釈して、それで納得している訳だ。本当に馬鹿な人達ですねえ。それとも、東京新聞が馬鹿だとでも言うのですか? それは日経新聞もまた馬鹿だ、と言っている事になるのですよ。
 私が「王道」を見たのはこの二紙だけなので、これしか言えないが、もしかしたら、全部の新聞を敵に回してしまうかも知れないのである。

5 コメント

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王道 (nosada)
2010-05-22 08:54:52
私も”王道”の意味に疑問を持ち、そのことを調べていた結果、偶然このページにたどり着きました。

いろいろ調べているうちに思ったのは"royal road"の訳語である王道はアケメネス朝ペルシア帝国の大王ダレイオス1世が作った国道を指しているのではないかということです。
これならば英訳の”楽な道”とも、仏訳の”確実な方法”でも辻褄が合うかと。

参考ページ
Wikipedia 王の道
[URL]http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E3%81%AE%E9%81%93

そして”正統”というイメージで使われている方の王道は儒教の政治思想からそういうイメージがついてしまっているのではないか、と思います。

参考ページ
Wikipedia 孟子
[URL]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9F%E5%AD%90#.E7.8E.8B.E8.A6.87

上に挙げたものは確実なソースがあるわけではなく、あくまで個人的な推測に過ぎませが……

しかし、それでもほとんどの国語辞書で王道の意味が楽な道のみであるのには疑問を持ってしまいますよね。


駄文を長々と申し訳ありませんでした
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王道 (名無し)
2011-12-03 01:01:37
儒教では武力よりも徳のある王による統治がよい(正統である)という意味から、
王道が正統として使っている人が多いのかなぁ
しかし、今の日本は民主主義なので、王道が正統とも言えない訳で、それが各国語辞典
の王道の意味に「正統な」が入らない理由でしょう
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民主主義でも王は居ます (夏木広介)
2011-12-03 13:13:20
「名無しさん」の「今の日本は民主主義なので、王道が正統とも言えない訳で」は違うと思います。「王」はどこにでも居ます。まあ、良く使われるのは「王者」とか「帝王」ですが、リングの王者、マスコミ界の帝王などなど。
 王とは、一番優れた者、一番力のある者、の意味のはずです。リングの王者の道が安易な道だったはずがありません。やはり、何度考えても、英語の「楽な道」の直訳に過ぎないのだろうと思います。でも日本人がみんな英語に堪能な訳が無いので、「王道=安易な道」は駄目でしょうね。常識の「正統な道」で考えるべきだと思います。
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王道 (名無し)
2011-12-03 15:07:22
いや、しかし王道というのはあくまで儒教における正統な道
それ以外の用途で王道を使うべきでは無いと思うのです
「正統な」なら「正統な」を使うべきで、もし「王道」を使うのなら、「正統でない」に「王道」の対義語の「覇道」を使ってもよいということになります
件の日経や東京新聞で、どのような例で「王道」を使っていたのかは分かりませんが、世の中には安直すぎる用例があまりにも多いと思います
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Unknown (夏木広介)
2011-12-17 17:01:36
 この所多忙で、王道について考える事が出来ませんでした。
 確かに「王道」は儒教での正統な道でしょう。けれども、それが普遍的な意味に使われる事は言葉では多々ある事だと思います。原義でしか使えない言葉は本当に数少ないのではないでしょうか。「我慢」だって元々は仏教用語で「自分を偉く思い、他を軽んじる」意味だったのに、今ではそれはすっかり忘れられて、「耐え忍ぶ」のような意味に使われていて、それで通っています。
 「正統な」に「王道」を使うのなら、「正統でない」に対義語の「覇道」を使っても良い事になる、とおっしゃいますが、それは違うと思います。
 「王道」とは「有徳の君主が仁徳を以て国を治める政治の道」です。
 「覇道」とは「仁徳ではなく、武力や権謀などによって天下を支配する政治の道」です。「仁徳」か「武力」かで、「王道」と「覇道」は分けられています。「国を治める」か「国を支配するか」にその違いが明確に現れています。片方が正統で、もう一方が正統ではない、と言う関係ではないと思います。

 私が言いたいのは、「王道=安易な方法」は英語の直訳であって、それを安易に日本語として使うべきではないだろう、と言う事です。なぜ英語では「王道=安易な方法」なのかは分かりません。フランス語では「王道=確実な方法」なのですから。
 日経新聞の記事は「社会人の勉強法 王道あり」と言う見出しがあって、リードには「専門家に理想の勉強法を教わった」とあるし、内容も決して楽な方法ではありません。東京新聞でどのような例で使っていたのかは分かりませんが、とおっしゃいますが、私はきちんと書いていますよ。同紙の記事は「政権選択の枠組みは選挙で過半数が王道」との大きな見出しがあって、「数合わせ」は駄目だ、との内容です。
 どちらも「最も正統的な道」の意味になります。
 
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