おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

授業が大切という言葉が一人歩きしていませんか?

2012-06-22 20:55:02 | Weblog
「授業が大切」という言葉はよく聞きます。
ただそれがどういうことを意味しているのかと尋ねられると
少しとまどいを感じています。

車を運転する人間にとって「ガソリンが大切」ってことは
よくわかっていることで、問題はガソリンの質なのか量なのか
入れる時期なのか、いろいろあるわけですよね。

授業の何を大切にしているのかをあなたたちと議論していたときに
あなたたちの主張していた「教師の知識量」という
考え方に僕が賛同しきれなかった記憶があります。
それだけでは授業は成り立たないだろうなという
思いがありました。

「授業が大切」という言葉を
僕は否定する気持ちは毛頭ありませんし
生徒指導と比較して論ずる気持ちもありません。

ただ現実の教室では
院の講義のように
「学びたい」と主体的に
思っている子どもたちばかりが
いるわけではありません
(皮肉に聞こえたら ごめんなさい 笑)

ある部分で「勉強するのがきらい」って
思っている子どもたちがいるんだという
前提が必要なのかもしれませんよ。

授業が始まっても「黙ってにこにこしているから
授業の内容を理解している」わけではありませんよね。

何人かの意欲的に発言する子どもの発言(教師の期待する発言)を
拾い、点と点を結ぶような授業の流れを作ってしまうと
大部分の子どもたちが理解しないままにいるということもあり得ますよ。

このあたりが「塾の授業」と「学校の授業」との違いなんですが
「わたしは(ぼくは)小学校の頃、ちゃんと理解できた」から
それが標準なんだというという
あなたの経験値で、判断してしまってはいないですか?

あなたにとって当たり前だったことが
あなたの受け持っている子どもたちにとって当たり前ではないことも
想定しておく必要があるのですよね。

先生が発問し、一人の子どもが答え、そのほかの子どもは「黙って静かに聞く」だけで
先生の板書やフラッシュカードを「ノートにきれいに写す」だけでは
45分の授業を大切にしているとは、僕は思えませんでした。

一人ひとりのクラスの子どもたちの状況を押さえた上で
個々の子どもの到達すべき目標を設定し、
グループワークや論議する場面など
「自分たちで考え」る時間と「自分たちでふりかえり、まとめていく」時間を
確保していく必要があるように思います。

授業を立体的に構成してどれだけ多くの子どもたちを45分の
授業に意欲的に参加させるかに工夫と努力をすることが
授業を大切にするという意味だと思うのですが・・。


コメント
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