「ある情報番組で同席した、高名な経済評論家は生放送でこう言いました。(中略)私は、二の句が継げなくなりました。(中略)こんな奴を野放しにしておいていのかと唖然としましたが、つい最近同一人物が、比較的一流どころの週刊誌に、民主党政権の経済政策を肯定的に評価する記事を書いていました。つまり、トンデモ評論家のゴミのような見解をありがたがる人々が、(中略)存在するということなのでしょう」
「ある時、経済ジャーナリストとして、テレビや週刊誌で有名な人物がこう言いました。
(中略)。この発言を聞いた瞬間、その場にへたりこみそうになりました。この人物が本当にそう信じて発言しているのなら、ただのクルクルパーですが、状況を知っていて言ったとすればほとんど犯罪に近いと思います」
以上、『日本経済の真実』より引用です。
2~3週間前に読んだ『経済学的思考のすすめ』は、ある本とその著者を酷評していました。経済学をロクに学んでないテレビキャスターが、誤った経済の知識を吹聴している、という趣旨で批難しているのです。
それで手に取ったのが、同書で批難されていた『日本経済の真実』です。「クルクルパー」ですからね。いきなりの批判です。批判の対象は「高名な経済評論家」とか「経済ジャーナリストとして(中略)有名な人物」とか、実名は伏せてあります。これが『経済学的思考のすすめ』の著者なのでしょうか?
経済学というのは、客観的に誰もが納得できる科学だと思っていました。しかし、これだけ異なる立脚点に立ち、やり合えるということは、進化論と創造論みたいなものかもしれません。そういうことが分かっただけでも、もうけものです。
大リーグにも、ドラフト指名権を、弱い球団から順に与える、という制度がありますね。
歴史家、カーも言っています。「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」と。ほうっておくと、大きなモノ(権力)はますます大きくなり、小さなモノは小さいママという事態になる。チェック&バランスの仕組みを導入しないとならないですね。
小さな政府、新自由主義はアメリカでさえ金融大手に公的資金じゃぶじゃぶという自己矛盾も甚だしい考え方です。
つまり個人に対しては大きな政府、大きな法人に対しては小さな政府で、小さいものを育てて大きいものに対峙するという競争を促すような政策、規制の組み替えが一番大事だと思う。
そうそう、小泉竹中路線を支持している本です。確かに掲載のグラフによると、失業率や株価などは小泉時代に改善してるんですよね。彼の政策をどう評価するか。「小泉憎し」でなく、冷静さが求められます。それにしても評価というのは、難しい仕事です。
ちなみに『世論の曲解』も、これまでの選挙結果から、これから選挙に勝つには、都市型政策(小泉型)をすべきだ、という論調でした。小さな政府、新自由主義ですね。ぼく自身は、基本路線はそれでいい。要はやり方だと考えています。
ただ少なくとも『規制緩和』をキーワードによく使う経済学者や財界人、著名人は私からするとロクなやつじゃないというのが実感です。