壁際椿事の「あるくみるきく」

東京都内在住の50代男性。宜しくお願いします。

呪いの時代

2011年12月26日 | かんがえる

内田樹さんが『呪いの時代』という本を出されました。「呪い」と「贈与経済」についての論考です。ご本人は「いまどき論じられることの稀なテーマ」という趣旨のことをおっしゃっていますが、なかなかどうして。現代的トピックだと思います。

『プロの論理力』(荒井裕樹著)を再読しました。「知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ」と言います。荒井さんは若くして高収入の弁護士。『プロの論理力』は角を立てまくる本でした。ご本人自身、あとがきで「敵を作るかもしれないが、あえて本を出した」という趣旨のことを書かれています。初読時、あまりに心のうち深く角(つの)が刺さったので再読したのです。

同書には、チカン被害女性の代理人として、慰謝料請求をしたケースが載っています。加害者が企業の管理職であり、最近、被害女性と同じ町に引っ越して来たばかりということを調べ上げる。そして「買ったばかりの家を大切にするはず」という読みで、「被害者はあなたのような破廉恥な人が同じ町内に住んでいることを、怖がっている。引っ越してくれ」と迫るのです。

加害者は、引っ越しがイヤで、相場より高い示談金を飲まされます。荒井氏の論旨は、「交渉前に情報収集せよ」です。確かにその通りでしょう。

が、呪詛です。もし、加害者が「はい分かりました」と引っ越し要請に応じる。自分が悪いとはいえ家庭崩壊してしまう。そんな場合、全てを失う覚悟で、報復行動に出ないとも限らない。赤穂浪士の討ち入りです。法や道理で報われないことは、呪いで何とかしようとするのではないでしょうか。

ペットの犬を殺された、と厚生労働省の元高官を殺害した人がいました。決して許される行為でないが、彼の心の中の論理は、報復を良しとしたのです。

合理主義がまかり通る。努力して報われるなら、いい。しかし努力しても報われないとなると、どうなるか。窮鼠猫をかむといいますが、逃げ場がないのにギリギリと追い詰められると、人々は呪いに頼りたくなるのではないか。今はそんな時代でないか。

内田先生の著書のタイトルを見て、こんなことを考えました。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿