【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

ファシズムの手口を学ぶ

2017-11-19 09:23:28 | Weblog

 個人を動かそうと思ったら、論理や感情や損得が多くの場合用いられます。しかしファシズムで全体を動かそうとしたら、そこでは感情とリズムが多用されます。ヒトラーの演説でも、重要なのはその「内容」ではなくて「口調」や「リズム」や「(言葉本来の意味を離れた)スローガン」でした。
 「ヒトラーのやり口」を学んだ人たちはそれを使って「政治」をしようとしています。しかし、「全体」の一部である私たちもまた同じように「やり口を学んでいる」わけですから、そう簡単にはいかないぞ、と言い続けるしかないでしょう。「それは迷信だ」と言い続けていた昔の世界の少数派のように。

【ただいま読書中】『応天の門(4)』榛原薬 作、新潮社、2015年、580円(税別)

 小生意気な「菅原道真」少年は、相変わらずのようですが、少し視野が広がってきているようです。しかしそういった自分の変容を彼は許すことができません。だから在原業平の邸宅で開催された「塩焼きの宴」に「反藤原」の人たちが集結していることにも反発します。自分が「反藤原」の一員と見なされる(つまり、「体制」「反体制」の二分でくくられる「体制」に組み込まれてしまう)ことが許せないのです。だけど、道真が否定しまくっている非合理的な迷信よりも、実は「人間」の方が恐ろしいことを平気でするのかもしれません。だって迷信を信じて非合理的な行動をするのも「人間」なら、欲望などのために非倫理的非人間的な行動をするのも「人間」なのですから。「迷信」や「あやかし」は「人間」から生まれているし、「残酷な行動」もまた「人間」が行為しているのです。



軽薄信号

2017-11-18 07:41:28 | Weblog

 平成生まれの人たちと話していると「ブラウン管」とか「黒電話」が通じにくいことが多くなっていますが、そのうちに「交通信号」についても話が合わなくなりそうです。かつての電球式の信号はどんどんLEDに置き換わっていますが、これは同時に信号機自体の厚みが薄くなることを意味しています。横から信号を見て「ほー、薄くなったなあ」と言ってもそのうち通じなくなるのでしょうねえ。ま、信号を横から見る人はあまりいないだろうから、特に不便があるわけではありませんが。

【ただいま読書中】『虎丘雲巌寺』水上勉 著、 作品社、1979年、980円

目次「大連逢阪町」「小孩」「こおろぎの壺」「揚州一景」「寞愁湖岸」「虎丘雲巌寺」「金銀」

 肺結核を抱えて19歳で満州に渡った「ぼく」は、慣れない環境と言うことを聞かない(というか、そもそも言葉が通じない)中国人に戸惑いながら働き始めます。しかしすぐに喀血、帰国。そして、40年が経過してまた中国に渡った「私」は、若かったときのことを反芻します。「ぼく」は少年時代に禅寺に入って得度していますが、その過去もしきりに蘇ってきます。禅は中国から日本に渡ってきましたが、その「ルーツ」を著者は求めています。それも寺から「脱走還俗」した身としての欲求ですから、ちょっと屈折しています。さらに、禅は日本にその教えを伝えたあと、中国では勢いを失い、そして文化大革命の文化破壊運動によってとどめを刺されてしまいました。その破壊の跡を見ながら、著者は自分と禅宗の過去を“見つめ"ています。



時計と時間

2017-11-17 07:53:25 | Weblog

 アナログ式の時計の針が回される原動力は、時間の流れによるエネルギーなんですかね?

【ただいま読書中】『のん、呉へ。2泊3日の旅 ──『この世界の片隅に』すずがいた場所』のん 著、 双葉社、2016年、1500円(税別)

 「のんの写真集」であり、映画『この世界の片隅に』の「聖地巡りの写真集」であり、さらに「のんのエッセー」も読める、という映画やのんのファンにとっては大変贅沢な本です。
 私自身はそこまでのファンではないので、冷静にページをめくります。黙っておすまししていたら相当な美少女ですが、やっぱり彼女はあの力強い笑顔が個性の魅力ですね。
 呉という街は「世界の片隅」に存在しているのかもしれませんが、それを言ったら「世界の片隅ではない所」なんて地球上には存在しないでしょう。地球は丸いのですから「地球表面の中心」なんてありませんもの。もし「こここそ地球の中心」と主張する街があったら、それはもしかしたら傲慢の産物かもしれません。



代表辞任の評価

2017-11-16 06:59:27 | Weblog

 ちょっと前に「国政ではなくて都政に集中するべきだ」と小池さんを批判していた人たちは、小池さんが希望の党の代表を辞任したら、褒めていますか? 「国政を投げ出すのか」と批判している人たちがいるのですが、まさか同じ人たちではありませんよね。

【ただいま読書中】『殴る女たち ──女子格闘家という生き方』佐々木亜希 著、 2010年、1500円(税別)

 パンチ・キックという打撃技に関節技を加えた「総合格闘技」の女子大会が初めて開かれたのは2000年12月、翌年から定期大会として「スマックガール」が開催されるようになりました。著者はその第2回大会を観に行き、そこから女子格闘技との緣ができます。
 本書で著者は「女性同士が殴り合っている!」を切り口とします。「女の顔」はある意味“特別なもの"ですが、それを殴る。「いけないものを観ている」という感覚と「競技のルール内なのだから、やってもいいのだ」という感覚、その両者を著者は味わい、それをライターとして伝えようと思います。さらに「実際に殴っている人」がどんな感覚を持っているのかにも著者は強い興味を持ちます。本書には、女子格闘技でトップレベルの10選手、それにリング・ドクターの女性(この人も、アマチュアだけど、現役のキックボクサー)も登場します。
 なかなかすごい経歴の人が多い。女子レスリングがオリンピックに採用される前に日本のトップになってしまって、別のところで「自分は一番だ」と確認したかった人。元SM女王(それも大人気者)だったから「殴ったり蹴ったりするのは好き」と言う人。付き合っている男が格闘技を始めたので共通の話題をという“不純な動機"で道場に通い始めた人。レスリングで全日本4位になりモデル事務所に所属していた「ミットを殴るのは大好きだけれど、人を殴るのには抵抗がある」人。殴り合いの姉妹げんかに勝つために道場に通い始めた不登校の小学生。ヒロインではなくてヒーローになりたかった女の子。
 本当に様々な人たちです。そして「相手の顔を殴ること」に対する感覚もまた、人によって様々。
 私自身は「女性同士が殴り合っている」点にかすかな違和感を感じる口ですが、それでも「競技」または「エンターテインメント」として成立しているのなら「相手の顔を殴るのはアリ」と思います。殴られるのは、いやですけどね。



植物に対する偏見

2017-11-15 07:09:16 | Weblog

 マスコミやネットのコマーシャルには「植物のちから」「植物性だから安心」といった「植物に対する信頼感」が満ちあふれています。私はたとえば「杉花粉」や「毒きのこ」などにそこまで「優しさ」「素晴らしさ」は感じないのですが、それは私の偏見なのでしょう。

【ただいま読書中】『植物はなぜ薬を作るのか』斉藤和季 著、 文藝春秋、2017年、880円(税別)

 古来、人は植物を「食糧」や「工芸の材料」としてだけではなくて、「薬」として利用してきました。日本の漢方薬の材料である「生薬」のほとんどは植物由来です(中国の漢方薬では動物や鉱物の「生薬」が結構ありますが、日本式はなぜか植物偏重です)。「植物の薬効成分」を利用するのはヒトだけではありません。アフリカのチンパンジーは腹痛と思われる症状になると,普段食べない苦みのある特定のキク科の植物をかじって1日で回復しますが、その液から寄生虫の産卵抑制効果がある成分が抽出されました。
 近代西洋医学は東洋医学と大きく違って、「薬」を「単一成分」として用います。1804年ころ「アヘンからモルヒネが単離された」ことで近代薬学は始まりました。「何」が特定できたら次は「どのようにして薬が働くのか」です。薬は「レセプター」に結合して何らかの反応を起こします(あるいは反応を起こさせないようにします)。わざわざ「その薬のためのレセプター」が体内に用意されているのは不思議ですよねえ。
 植物は毒も作ります。身近なところで、ニコチン。毒性だけ比較したら青酸カリより強い毒です。タバコは、葉をかじる昆虫などに対する防御としてニコチンを生産しているようです。根で合成されたニコチンが葉に運ばれて蓄えられますが、葉がかじられるとそこからジャスモン酸メチルという信号伝達物質が産生され、根にあるニコチン生合成遺伝子が活性化されてニコチンが増産されます。植物も“動いて"います。
 カフェインも実は「毒」です。大人の致死量は10グラム以上だから、死ぬほどコーヒーを飲む、というのはまず無理ですが、カフェイン錠とかエナジードリンクの大量摂取は気をつける必要がありますし、カフェインの分解酵素がまだない赤ちゃんにも配慮が必要です。コーヒー豆は地面に落ちると周囲にカフェインを放出します。すると他の競合植物の芽生えが阻害されます。
 簡単に移動できない植物にとって、自身が産生する化学物質は「自分の生存(防御、物資の備蓄、繁殖)に有意義なもの」です(無駄なものを産生するような贅沢をしていたら、生存競争には勝てません)。それを私たちは許可も得ずにちゃっかり頂いているわけです。
 では植物は何種類くらいの化合物を作っているのでしょう? 15年くらい前に、学術雑誌にそれまで報告された物質を全部数えた人がいて、それによると「4万9000種類」だそうです。もちろん「その時点で人類が知っている数」ですから、実際には20万種類はあるのではないか、という推定が本書ではされています(そもそも「地球上に何万種類の植物が存在するのか」でさえ、確実な答を私たちは持っていません)。
 ともかく「発見」だけでも大騒ぎですが、最近は「遺伝子解析」「合成」が熱心におこなわれています。ただ、ヒトがいくら頑張っても、植物のように精密でクリーンな生合成はなかなかできません。「地球に対する優しさ」で私たちは植物にまだまだ学ばなければなりません。
 抗癌剤として用いられるカンプトテシンはDNAトポイソメラーゼⅠという酵素を阻害することでがん細胞の分裂を止めます。ところがカンプトテシンを合成しているチャボイナモリ(アカネ科)の細胞のDNAは、カンプトテシンに対する耐性を持っています。驚くのは、カンプトテシン耐性の人がん細胞でもチャボイナモリとまったく同じメカニズムの突然変異でDNAが耐性を獲得していました。遺伝子レベルでは、植物と動物は同じメカニズムでカンプトテシン耐性を獲得できるのです。
 そして話は、植物ゲノムのバイオテクノロジーに展開します。ここを読んでいると、ことさらに「植物由来」にこだわるわけがわからなくなってしまいます。動物も植物も微生物もすべて「生物」なのですから。



資本主義

2017-11-14 07:11:22 | Weblog

 現在の格差社会を見ていると「資本主義」とは「資本家主義」なのか、と思うことがあります。だけど「資本を集めた者が勝ち」というルールがあるのだったら、たとえば貧乏人が結束して少しずつ「資本」を出し合って「資本家」に対抗する、という手もあるはず。問題は「資本の管理の方向性にどうやって合意を取るか」や「管理者が信頼できるか?」ですが。労働者が労働組合を作ったように、貧乏人も貧乏人組合を作って資本家に対抗できないかな。

【ただいま読書中】『ハンセン病の社会史 ──日本の「近代」の解体のために』田中等 著、 彩流社、2017年、1800円(税別)

 古今東西、ハンセン病者は激しい差別の対象でした。新約聖書にその実態の一部が記録されていますが、仏教でも「業病」とされました。中世ヨーロッパでは患者は市外に隔離され、特別な服(灰色の外套、赤い帽子と頭巾)を強制され、歩くときには鳴子を鳴らす必要がありました。近代アメリカでも強制収容の対象で、たとえば戦時中のルイジアナ州カーヴィルの国立療養所には300人が強制収容されていました。そのカーヴィル療養所で1943年に特効薬プロミンによる治療法が開発され、ハンセン病は「治る病気」となります。少なくとも欧米では。日本では1953年に「らい予防法」が改定されましたが、そこでは強制収容がまだ正当化されていました。らい予防法が廃止されたのはなんと1996年で、そのため1998年に国家賠償請求訴訟が起こされます。
 ハンセン病の病因については「虫」「因果」「仏罰」などいろんな説がありました、江戸時代には「血脈(遺伝)」説が登場します。そして「文明開化」を迎えると「癩病は野蛮の証明」となります。文明の進歩はかえって変なことを起こす場合もあるようです。
 本書では「ハンセン病が治安の対象」だったことが問題視されています。ただ、これは戦前には仕方なかったでしょう。厚生省ができたのは昭和13年、それまで公衆衛生などを担当していたのは内務省でした。だから、村で患者の治療をするのは村医者ですが、精神病や肺病などの患者の管理は駐在所の巡査の仕事でした(町ではそれにプラスして赤線の管理も内務省が行っていたはずです)。つまり「そういう見方」を明治政府はしていたのです。私が思う「問題」は、治療法が登場し厚生省ができ日本が民主主義の国になった「後」も長く長くその「内務省の管理法」が保存されたことです。精神病者に対する座敷牢でさえ昭和25年に廃止されたことを思うと、ちょっと長すぎます。厚生省の官僚のハンセン病に対する態度は、なんだかとっても不自然です。
 「感染」する病気だから隔離する、というのは「合理的な言説」に見えます。だけど、その隔離された施設(強制収容所)で働く人たち(非病者)にハンセン病が感染しないことは、しばらく見ていたら誰の目にもわかることです。そこで「あれ?」と思わなかったのは、なぜなんでしょうねえ。おそらく「癩の撲滅」という国家目標が、「癩病の撲滅」ではなくて「癩患者の撲滅」だったからでしょう。一度「癩患者」という烙印を押された人は「非国民」であり「撲滅の対象」でしかなかった、という点で「ユダヤ人」の烙印を振り回したナチスと発想は通底していると私には見えます。だからこそ本名の使用禁止や断種処置や強制労働も平気でできたのでしょう。
 そしてついに裁判沙汰になるのですが、厚生省の「無理解・無慈悲・自己保身」はなぜかそのまま裁判所に引き継がれます。日本って、三権分立ではありませんでしたっけ?
 「業病」「血脈」「野蛮」「感染症」……“口実"はいろいろ変化していますが、「差別をしたい人」と「その行動」は実は歴史を貫いて共通の要素が大きいようです。実は「弱者を差別したい・いじめたい」が人類の“業病"なんじゃないですかね?



木が含む二酸化炭素

2017-11-13 07:01:34 | Weblog

 木質ペレットストーブの宣伝ビラに「木を燃やして発生する二酸化炭素は、木が大気から吸着したものを大気に戻すだけだから、環境に悪影響はない」と書いてありました。たしかに足し算引き算での「リクツ」はそれで合っているのかもしれませんが、大まかに帳尻が合うのは「その木を切った跡にまた苗木を植えて、それが育って放出された二酸化炭素を吸収した場合」に限りません? 薪を見ただけで「この木が切られた後がはげ山になったり宅地造成をせずに森林が維持されている」ことが保証されているのがわかるのでしょうか? 「新しい木」が吸収してくれないと、結局放出された二酸化炭素は大気中で「増加分」になっちゃうんですけど。

【ただいま読書中】『中世の遊女 ──生業と身分』辻浩和 著、 京都大学学術出版会、2017年、3800円(税別)

 「遊女」は売春婦のこと、が私の国語辞典的理解ですが、中世には「和歌や歌謡などの芸能で宴席に侍し、売春にも従事」「今様の歌い手」「淀川・瀬戸内などで小舟に乗って旅人の船に近寄る者」などの違いが同じ言葉に与えられました。11世紀ころには「傀儡子(くぐつ)」が「遊女」から分化しましたが、今様の曲調の違いで区別され、特に東海道の宿に居住して旅人に一夜の宿を提供していたそうです。13世紀に傀儡子はまた遊女に吸収されましたが、これは今様が廃れたからかもしれません。
 現代の眼からは「売春」に注目が集まりますが、中世には「売春」は「芸能」の「宿泊」の付帯サービスのような扱いだったのかもしれません。また「遊女」は「家長」の「生業」だった、という重要な指摘が本書にあります。
 遊女の社会的地位はそれほど低いものではなかったようです。平安時代に貴族(たとえば藤原道長)が遊女と関係を持った記録が残っていますし、12世紀ころから貴族・武士・社僧、さらには天皇や上皇(後白河や後鳥羽)と遊女の間にできた子供が出世していく記録も多くなります。これは「遊女の社会的地位が高かった」からではなくて「身分の区別があまりにはっきりしていたので、ことさらに差別や蔑視をする必要がなかった」からではないか、と私は想像します。ただ研究者によってこの辺の解釈は実に様々です。
 奈良時代の「遊行女婦」(宴会に侍った歌人)が「遊女」の素だそうです。そこに売春の要素が加わって10世紀には「遊女」(または夜になると売春する「夜発(やほち)」という言葉が使われるようになります。そのため、10世紀前半の「遊女」はしきりに和歌を詠んでいます。しかし10世紀以降、「遊女」は「和歌を詠む」ではなくて「歌謡を謡う」ようになります。庶民や下級貴族で流行し始めた今様を遊女が取り込んだ、と考えられます。11世紀前半に遊女は「遊女」と「傀儡子」に分けられ、それぞれ違う旋律を謡います。また、貴族や皇族の招待を受けて出張してくるようになります。12世紀中頃からは白拍子女が出現。それまでなかったリズム主体の白拍子に貴族たちが熱狂したブームに乗っています。
 セックスワーカーは古今東西どこでも珍しい存在ではありませんが、それと芸能が結び付き、さらに堂々と社会の上層と交流していた、というのはなかなか世界的には珍しいのではないでしょうか。昔の日本はやはり「異世界」のようです。



ロックの心

2017-11-12 07:11:46 | Weblog

 ラジオから流れるボブ・ディランの懐かしい歌声を聞きながら、歌詞から想いがしたたり落ちるような発音の響きをやや引っ張るような歌い方が、忌野清志郎の歌い方に似ていないか?と感じました。私は別のどちらの歌手も熱心なファンというわけではないので、ただの印象論ですけれど。

【ただいま読書中】『MARS ──火星移住計画』レオナード・デイヴィッド 著、 関谷冬華 訳、 日経ナショナルジオグラフィック社、2016年、3200円(税別)

 「火星移住」と言ったら、かつてはSFの世界の話でした。しかし本書は「ドキュメンタリー」です。「できるかどうかの検討」ではなくて、「近未来に実現可能な話を、様々な角度から現実的に検討する」というものです。
 必要なのは、科学・技術・政治・心理学・医学・社会学・農業……たぶん動員するべき「学」はこんなものではないはずです。「探検」ではなくて「移住」ですから「社会」を火星に“移植”しなければならないのです。これは大変な事業です。
 私は「火星の運河」を覚えていますが、本書に次々登場する「火星の写真」は恐ろしいくらい“リアル”です。軌道上あるいは表面で撮影した本物だから当然とは言えるのですが、もうこんな時代になったんですね。
 「火星の生命」もデリケートな話題です。人類が地球の微生物などを火星に持ち込んで汚染したら、もうわけがわからなくなってしまいますから。逆に、もし火星に生命があったとして、それに人が汚染されたら、これまた何が起きるかわかりません。
 ちなみに、私は火星に住みたいかと言えば……あまり快適な環境ではないので、周回軌道までで良いです。ただ、惑星の周回軌道だったら、土星の方がもっと魅力的でしょうね(特に極軌道で北極(または南極)から輪を見下ろしてみたい)。ま、夢物語なんですけど。ただ、火星に行きたい(そしてそこで生きたい)人を応援はするつもりです。



生殺与奪の権利

2017-11-11 07:13:31 | Weblog

 自殺願望があるとおぼしき人を誘い込んで次々殺した、という事件のことを見ていて、もしかして「自殺幇助だから殺人ではない」と主張するつもりかな、なんてことも考えて、ますます不愉快になってしまいました。殺人は殺人ですから。
 ここで昨年の「障害者なんか、殺してもいい」と実行したりそれに賛同したりしている人たちのことも思い出してしまいました。
 結局「人を殺したい」という欲望を正当化するために「○○だったら殺してもいい」というリクツを後付けしている点ではどれも同じに見えるんですよねえ。もしそういった主張が正しいのだったら、私が「お前らは社会のクズだから、自分の主張通り自分で自分を始末しろ」と決めつけたら、それに従って自殺するのでしょうか? それとも「どうしてお前にそんなこと(自分の生死)を決めつける権利があるんだ!」と反論する? もし反論するのだったら「自殺願望」「障害者」といった「理由」で他人を「殺してよい」と決めつける「権利」が自分にある、と考える根拠も示して欲しいものです。その「根拠」を私も使わせてもらいますから。

【ただいま読書中】『江戸の火事』黒木喬 著、 同成社、1999年、2500円(税別)

 江戸時代を通じて、江戸では大小合わせて1798件の火事があったそうです(よく数えたものだと感心します)。江戸以外を全部足しても火災の件数は江戸に届きません。江戸は全国でもまれに見る「火災都市」だったのです。火事の原因で多かったのが放火。食い詰めた人が火事場泥棒をするために放火、ということが多いのだそうです。また、再建のために資材が大量に必要になり、職人の仕事と賃金が上昇するので景気が浮揚する効果もあり、大火で喜ぶ人も多くいました。
 幕府が重視したのは、江戸城を火災から守ること、というか、火災に乗じて生じる変乱から城を守ることでした。治安重視です。江戸城で火災が起きた場合には、小姓組・書院番・新番・小十人組などの将軍直属の戦闘集団が消防に出動することになっていました。さらに江戸城を守るために幕府は大名に命じて「奉書火消」を命じました。年度によって任命される大名には変動がありますが、慶安二年(1649)のリストには「浅野内匠頭長直」が含まれています。忠臣蔵で有名な浅野長矩のお祖父さんで大活躍をして江戸っ子の人気者だったそうです。各大名は自分の屋敷の防火(自衛)のための組織を持ちそれは「各自火消」と呼ばれましたが、近隣の火事の場合にも自衛のための出動をしてそれは「近所火消」と呼ばれました。ただ「近所」の場合は火消衆が到着したら引き上げろ、と幕府が通達を出しています。「火事」は大名屋敷の塀を乗り越えるべきではない、が幕府の主張のようです。また、大名屋敷の火事の場合、表門を焼かなければ内済にでき、駆けつけた加勢の火消しも表門が開いていなければ中には入れなかったそうです。
 大名火消で有名だったのは加賀前田家の加賀鳶で、屈強な者を揃え派手な恰好で隊列を組んで出動していったそうです(その時、左手と左足、右手と右足を同時に出していた、とわざわざ書いてあります。江戸時代にもそれは目立つ歩き方だったのでしょう)。大名にとって「火事」は「敵の襲来」だったので、火消しは「戦闘」でした。だから家来が下知によって整然と行動することや誰が手柄を上げるかはとても重要でした。
 明暦の大火の翌年、万治元年(1658)幕府は「定火消」を創設しました。旗本から選抜された与力と同心・臥煙(消防夫)を何組か組織し、江戸城を取り巻くように配置されました。ただその働きぶりは、大名火消しや町火消しには見劣りするものだったようです。
 慶安元年(1648)幕府は各町に消防のための人足を置くことを命じました。「店火消(たなびけし)」「駆付火消(かけつけびけし)」と呼ばれ、消防に駆けつけると褒美、さぼると過料となりました。万治元年(1658)南伝馬町など23町が自主的に火消組合を作ります。火元の町の、両隣の2町・向かいと裏それぞれ3町、合わせて8町に「駆けつけ義務」が課せられました。しかし所詮素人。駆けつけるのは遅く、集まってもうろうろするばかりで邪魔。そのため“専門職”としての「町火消」が享保年間に創設されます。いろは四七組です。これが町屋の火事に機動的に対処できることがわかったので、幕府は、幕府の施設(銀座など)や増上寺などの防火も町火消に命じるようになりました。働けばご褒美はもらえますが、負担増に火消したちは悲鳴を上げて「勘弁してくれ」の嘆願書を出しています。延享四年(1747)四月一六日江戸城二の丸が全焼しましたが、そのとき町火消17組の人足4898名がはじめて江戸城内に入りました。定火消や大名火消が消した後の跡火消を担当し、徹夜で作業したことに対して、人足には銭一千貫文、名主132名に33両が与えられています。天保九年(1838)の西丸全焼、天保一五年(1844)の本丸大奥の火事でも町火消は城内で消火に当たっています。この頃には町火消しは、鳶職人を中心とした機動的なプロフェッショナル集団になっていたので、役人も信頼していたようです。
 「消防七つ道具」の一つ「竜吐水」は寛永四年(1751)に初めて史料に現れますが、火消したちは最初否定的でした。高価で(宝暦五年(1755)時点で6両2分)かさばるし壊れるし効果は不確実、という理由です。実際に、竜吐水の水箱へは井戸から水を運ぶ必要があるし、放水能力はせいぜい15〜16メートルですから、それほど効果があるものとは思えません。しかし幕府は「使う使わないは自由、破損の修理代は町内で持つ」という条件で明和元年(1764)に25台を給与しました。
 消防に使う道具に「団扇」があるのには笑ってしまいます。火の粉を扇いで追い返せば延焼が防止できる、というリクツだそうです。ただ、「家に飛び込んできた米軍の焼夷弾は掴んで外に捨てろ」とか「焼夷弾で起きた火災は火ハタキで叩いて消せ」とか言っていた昭和人には、江戸の人間をあざ笑う資格はないかもしれません。
 出初めの梯子乗りは有名ですが、寛政一二年には「火事でもないのに道具を持ち出して梯子で芸をするのは良くない」と禁令が出されています。なんだか、くそ真面目ですね。
 火事場では、野次馬がとても邪魔でした。「火事場見物禁止」令が出されますが、まったく効果はありません。また「喧嘩」もしょっちゅう起きました。火消しの間で「先陣争い」「活動に都合の良い場所の奪い合い」「(消火に一番効があったという)手柄の奪い合い」での大喧嘩です。「火事と喧嘩は江戸の華」と言いますが、江戸後期には「火事場の(火消し同士の)喧嘩」が「江戸の華」だったようです。
 放火に対しては火刑となっていましたが、それでもあまりに放火が多く「火付盗賊改」が置かれました。これも「放火と盗賊」よりも「放火しての火事場泥棒」を取り締まることが所期の目的だったのかもしれません。
 将軍吉宗は「江戸の不燃化」を夢見ました。そのための手段は「火除地の設定」「土蔵造りや瓦屋根の普及」でした。もっとも、せっかく火除地を作ってもすぐに人が入り込んで家を建てたりするし、瓦は重いし高いのでなかなか普及しなかったりで、だから大火が根絶できなかったのですが。そして「火に弱い」伝統は、関東大震災、さらには東京大空襲にまで保存され続けることになります。さすがに今はもう大丈夫、ですよね?



アップグレードで不調

2017-11-10 07:21:18 | Weblog

 私はOSのアップグレードは、すぐにはせずに“勇者(または人身御供)”の報告を見てからすることにしています。上げたは良いけれどそれでドツボにはまるのはいやですから。で、iPhoneのiOSが11.1になったのもちょっと待ってから致命的なことが起きなさそうなのを確認してから上げました。ところがあるアプリがみごとにど不調に。さて、何が起きたか、と思ったところで、このアプリで「iOS11での不具合」の告知を先日読んだことを思い出しました。ただ、その時すでに私のiOSは11.01(か11.02)で特に不具合は生じていなかったので読み飛ばしてしたのです。で、確か解決のための対処方法も書いてあったはずなのですが、そのアプリが立ち上がらないから対処法がわかりません。迷走、もとい、瞑想状態に入ってうっすらとした記憶を掘り起こしてその通りやってみたら、嬉しいことに解決しました。しかし、立ち上がらないアプリを立ち上げるための対処方法が立ち上がらないアプリの中にある、というのは、なかなかもどかしい思いでした。

【ただいま読書中】『寄港地のない船』ブライアン・オールディス 著、 中村融 訳、 竹書房文庫、2015年、900円(税別)

 「狩人」のコンプレインが住む「世界」は、巨大な宇宙船の中でした。しかし人々は自分たちが住む狭い通路だけを「世界」と考え、原始的な生活を続けています。文明は失われてしまったのです。しかし、昔の知識を断片的に伝える人もいました。
 通路で野生の豚を狩っているときに伴侶を攫われ、コンプレインは4人の仲間と旅立つことになります。船尾から「前部」への長い旅です。コンプレインは巨人族に遭遇し、知性化されたネズミとその奴隷となったテレパスのウサギに尋問され、仲間を次々失い、「前部」の衛士に捕えられます。
 ここまでで、伏線がたっぷり。たとえばコンプレインたちの「一日」は、現在の私たちの4時間を起きて2時間を眠るサイクルになっています。なぜ? 宇宙船の中には「巨人」や「よそ者」がいます。どこから? コンプレインたちの体のサイズは、私たちの標準よりもずいぶん小柄です。なぜ?
 著者は『地球の長い午後』で知られていますが、本書は著者のデビュー作だそうです。いやあ、このスケールの大きな作品がデビュー作? すごいすごい。