ワシントンビル
その昔、西鉄の路面電車
『北方線』が走っていた
狭い道路沿いにある建物
現在はドラッグストアやカフェそしてオフィスなどが入る雑居ビル
でも私の記憶にあるこのビルには
ビルの名前でもある小倉ワシントン靴店が入っていました
昔から靴屋さんだと思っていたら
実はもっと古い歴史を持つビルだったそうです
斜めから見たワシントンビル
表側はきれいにリフォームされていて分かりませんでしたが
横から見ると古い壁が見えています
このビルは戦前の1936年(昭和11年)に建てられた
今はなき小倉の百貨店『かねやす百貨店』の
新館として建てられたものだったそうです
かねやす百貨店は井筒屋や玉屋よりも歴史が古く
1920年(大正9年)に小倉で2番目に開業した百貨店です
ちなみに最初の百貨店は1918年(大正7年)開業の
『兵庫屋』と言うお店
そのお店はしばらくして閉店してしまったそうです
かねやす百貨店が新館を建てた昭和11年前後に
小倉井筒屋と小倉玉屋が立て続けに開業し
当時は小倉の3大百貨店と言われるほど繁盛していたそうです
しかし戦後の1952年(昭和27年)に発生した
魚町大火と呼ばれる火災によりかねやす百貨店は大きな損害を受け
遂に1954年(昭和27年)に『かねやす百貨店』は閉店してしまいます
歴史を感じる壁
「かねやす百貨店」はなくなりましたがそのビルは残り
その後『ワシントンビル』として第2の人生を歩むことになったのです
ワシントン靴店としての歴史が長かったので
ここが百貨店だったということを知る人は少ないのです
そして最近になってもう一つ話題となったのは
屋上部にある防空監視哨(ぼうくうかんししょう)です
防空監視哨とは戦時中に空襲に飛来する米軍機を監視する小屋のこと
2メートルほどの立方体の側面には小さなのぞき穴があり
小倉の街と上空を一望する事ができるそうです
以前はワシントン靴店の大看板が屋上に設置され
それによって防空監視哨が隠されてしまっていたため
長い年月のうちに『かねやす百貨店』と共に忘れ去られていました
しかし、ワシントン靴店が店を閉め、後にその大看板が撤去されると
防空監視哨が露わとなり郷土史愛好家の目にとまり
注目を受ける様になったのです
ワシントンビル南側の壁
かつては建物の南側には小倉では有名だった老舗のナガリ書店が隣接していましたが
その書店も2006年には閉店をし、後にそのビルも立て替えられました
その新しいビルとの隙間からこの南側の壁を見る事ができます
歴史を感じる鉄骨の非常階段
この非常階段はなぜか1階の途中で切れているため
上にあがる事が出来なくなっています
小倉井筒屋とオリエント キャピタルタワー
左のオリエント キャピタルタワーは2007年に完成した高層ビル
1階から5階は店舗やオフィス
6階から20階はレジデンシャルマンションです
このビルが出来る前に建っていたのは
1961年に完成した、地下1階地上6階建ての商業施設「小倉東映会館」
4階に2つの大規模な映画館が入っていました
子供の頃よく行っていた映画館です
地下1階から3階はファッションビルの三愛
ここにあった喫茶店『アルク?』のナポリタンが美味しかった
あつあつの鉄板で出されるナポリタンとその上に乗る目玉焼きが
今も記憶に残っています
地下1階にはお好み焼き『なにわ』がありました
ここにも子供の頃良く行った記憶があります
とても思い出のあるビルでしたが2004年に取り壊されてしまいました
でも新しく出来たビルの5階までの形は
当時の東映会館そっくりの作りになっています
だから何となく懐かしい
でもその中は空きテナントばかりのようなので
往年の東映会館を偲ぶことが出来ないのが残念です
小倉井筒屋
子供の頃のデパートとして記憶が強いのはここですね
そしてもう一つは小倉城の前にあった小倉玉屋
残念ながら小倉玉屋はデパートとしての姿を消してしまいました
井筒屋の本館と新館をつなぐ通路
この広場はドラマ『MOZU』の爆破ロケで使われました
ドラマでは架空のデパート『銀座 井筒屋』の設定でした
ロケの時はこの通路に瓦礫が敷き詰められて
本当に爆破されたようになっていたそうです
松本零士クロスロードミュージアム
2001年に廃業した旧小倉ホテルの壁面を覆い
小倉出身の漫画家松本零士さんのおなじみのアニメ
銀河鉄道999が描かれたストリートミュージアムになっていました
旧小倉ホテルは予定では2011年に解体し
その跡地に地上19階の商業ビルが建つ計画だったのですが
その計画はいまだ実行されていないようです