ちわわ一家の 食べ歩る記・飲み歩る記

美味しい料理と
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日本を、世界をさまよう
チワワ一家の「食べ歩る記・飲み歩る記」

八幡西区折尾 堀川 高橋酒店 

2014-12-19 11:48:35 | グルメ
八幡西区折尾
JR折尾駅の南側には
堀川と呼ばれる運河があります

江戸から明治にかけて造られた人工河川で
水害防止や物資の運搬などの
目的を果たしていました

この付近は炭鉱や製鉄所など
北九州工業地帯の要の場所でもあり

それらの工員たちが多く行き交う事から
運河の沿岸には古くから飲み屋が
建ち並ぶようになりました


堀川の飲食店街

この付近は戦争の時にほとんど空襲を受けておらず
戦前からの町並みを今に残す
『昭和の横丁』として親しまれています
堀川の川沿いの100メートルほどの距離に
小さな飲食店が30軒ほど軒を連ねる姿は
まさに昭和にタイムスリップしたかのようです

こんな素晴らしい景観なのですが
近々付近の区画整理事業に伴い
全てが取り壊されてしまうと言う事で
非常に残念な限りです

飲食店街の先の静かな雰囲気の場所にある
1軒の酒屋さん

創業は1918年(大正7年)
非常に古い歴史を持つ酒屋さんです

高橋酒店外観

こちらの酒屋さんもまた
区画整理の予定地に入っており
残念ながらそのうちに取り壊されてしまう建物なのです

店内

非常に立派なアサヒビールの木製看板や
沢田研二さんのポスターなど
昭和の時代から時計が止まった様な雰囲気です

目野酒造 國の壽の木製看板

目野酒造は現在の福岡県柳川市にある
創業120年の造り酒屋さん
山門郡三橋村と言うのは1952年(昭和27年)
まで存在した呼び名なので
この看板はそれよりも以前の物と言うことが分かります
高橋酒店さんとは古くから関わりがあったようです

店内

店内には日本酒や焼酎、ウイスキーなどが
所狭しと並べられています

カウンターには熱燗器

そう、ここは店内でお酒を飲む事が出来る店
酒屋は本来飲む所ではないのですが
買ったお酒をその場(店内)で飲む事を
角打ち(かくうち)と言うらしく
この酒屋さんはそれが出来るお店なのです

店内には乾き物のおつまみも並んでいます


串ものやソーセージなども並んでいました


もちろん今回訪問の目的はこれ

平日の午前中にも関わらず
熱燗を飲むという行為は
とても幸せな気分です

午前中から飲めるという理由は
この辺りの2交代や3交代の労働者達が
夜勤を終えて飲む事が出来るようにということらしく
以前は早朝7時頃から営業していたそうなのです
現在は10時とか11時とか、お店をあける時間はその日によって変わるそうです
私が訪問したのは11時前でしたが、すでに多くの先客達が
お酒を嗜んでおられました

鳥皮の串焼き

飲食店ではないので、つまみをお皿で提供する事が出来ません
何かの裏紙に乗せて戴くというのが角打ちのスタイルなのです

熱燗の日本酒

何の銘柄か確認するのを忘れましたが
おそらく店内の看板にあった
目野酒造さんの『 國の壽(くにのことぶき)』でしょう
きりっと辛口で味わい深く熱燗にぴったりでした
鳥皮1本をちびちびと食べながら
熱燗を2杯いただきました

4代目の店主

カウンターで飲んでいると
色々と話を聞かせてくれる
とても気さくな方でした
初めての角打ちで知らない人達の中に
飛び込んだ訳ですが
店主のおかげでいつの間にか周りの知らないみんなと
楽しく飲んでいたのでした

お店から外を望む

冬場は暖をとる為にビニールのカーテンが取り付けられていましたが
普段はカーテンも扉もなくフルオープン
お店の中から店の外まで
角打ちのお客さんで溢れかえっているそうです

堀川の景観に溶け込む高橋酒店

そういえば、小倉の実家の向かいにあった酒屋さんも
この様な角打ちが出来る酒屋さんでした
子供の頃お使いで酒屋の中に入ると
昼間からお酒を飲む人がたくさんいたのを思い出します
残念ながらその酒屋も今は店を畳んでしまい
当時の角打ちを見ることが出来ません
もし今でもやっていたら絶対に飲みに行ったのに

北九州は工業地帯だったという土地柄から
この様な角打ちが街中に存在していたようです
でも今はそういった姿がどんどん消えていく最中なのかも知れません
こういったさなかに高橋酒店に来れて本来に良かったです


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