<今後の当ブログの方針について>
さっそく、アクセスいただいた方からありがたくも厳しい意見をちょうだいしました。
わたしの日記的なブログは読みたくない。僧侶なんだから、日々の反省ではなく、読者に元気や有益な知識を与えるようなブログにしたほうがよいとのこと。まったくその通りだと思いました。今後、主要なできごとについての所感はさておき、個人的な反省や無駄な記述は極力やめようと思います。
<ご先祖様について>
さて、みなさん、「ご先祖様」のことを普段意識して生活してますか?おそらく私たちの世代は「ご先祖様」と聞いても、法事とか、お墓参りとか、そんなイメージしか沸かないのではないかと思います。
ひと昔前は、身内が何か悪いことや、世間的に恥ずかしいことをすると、「ご先祖様に顔向けできない」といった言葉が決まり文句のように言われていたようです。きっとそれは、ご先祖様に対する意識が、普段から家庭に浸透していたからではないかと思います。ですが、そうした言葉が家庭内で使われたのも、私の祖父母の世代くらいまでではないでしょうか?私の両親くらいから、私たちの世代に至るまで、若い世代になるほど、ご先祖様に対する意識、感謝と畏敬の念は薄れていってるように思います。
これは私見ですが、戦後民主主義教育によって、急速に個人の自由や個性が主張されたことに伴って、私たちは「個」というものをバラバラに把握したために、ご先祖様はじめ、さまざまな「つながり」を軽視した「個」の世界観を築いてしまった。そのため、現代人と「孤独感」は切り離せなくなってしまったのだと思います。もちろん、戦後教育が「個」というものの大切さを明らかにした功績は非常に大きいものがありますが、つながりを軽視したことで、こころの支えを同時に失なってしまった。
そこで、むしろ、「個」はつながりを意識することで、より一層輝くということを、今回ご先祖様の話を通して、皆さんと一緒に考えたいと思います。
まずここで、わたしたちのご先祖様をさかのぼってみましょう。(以下「生きる自信の心理学」岡野守也著PHP新書を参照)
まずは、まだ亡くなっていないことを願いますが、自分の父と母ですよね、それから父母の両親(私からは祖父母)これで2代です。2代ですでに6人。10代さかのぼると、10代目のところに1024人。1024人というのは、枝分かれの最後になるので、その前の9代目は512人のご先祖様がいます。8代目には256人。累計するともっと多くなります。そして、なんと20代さかのぼると100万人あまりのご先祖様がいるそうです。40代さかのぼると、ヤバイですよ~なんと10兆人のご先祖様がいるそうです。40代で800年前、鎌倉時代頃です。そのときの日本の人口が推定700万人だそうですから、わたしたち日本人のご先祖様は、みんなどこかでかさなっていると言うことができます。
みなさん、どうでしょう?
とてもスケールの大きい話だと思いませんか?
ここで感じていただきたいのは、こうした無数のご先祖様のうち一人でも欠けてしまったら、わたしたちそれぞれの存在はない!ということです。無数のご先祖様が命をつないでくださったおかげで、いまの私があるということです。「そんなの自分には関係ないや」ということもできます。ですが、無数のご先祖様はじめ、空気、水、大地、食べ物、ほか無限大のご縁によって、私たちは生かされている存在であると考えれば、わたしたちひとりひとりの生が、極めて意味のあることに思えてはこないでしょうか。わたしが生まれたことの、この上ない尊さ、有難さが感じられるのではないでしょうか。
自分が無数のご先祖様の縁に支えられて、生を与えられたという事実に目をむけるようになれば、自分はいかに生きていくかということを自覚することにつながります。また、無数のご先祖様のおかげで今の私があると思えば、バラバラの「個」の観念は崩壊し、孤独感は薄らぐはずです。
こんな時代だからこそ、ご先祖様に対する思いを私たちは、思い起こしていこうではありませんか!
今日は法事3件で、檀家さんとたくさんいろんな、お話ができました。感謝です!T家の方々とは時間の関係であまり話せませんでした。残念。
今日もすべてのご縁に感謝します。ありがとうございました。
合掌
さっそく、アクセスいただいた方からありがたくも厳しい意見をちょうだいしました。
わたしの日記的なブログは読みたくない。僧侶なんだから、日々の反省ではなく、読者に元気や有益な知識を与えるようなブログにしたほうがよいとのこと。まったくその通りだと思いました。今後、主要なできごとについての所感はさておき、個人的な反省や無駄な記述は極力やめようと思います。
<ご先祖様について>
さて、みなさん、「ご先祖様」のことを普段意識して生活してますか?おそらく私たちの世代は「ご先祖様」と聞いても、法事とか、お墓参りとか、そんなイメージしか沸かないのではないかと思います。
ひと昔前は、身内が何か悪いことや、世間的に恥ずかしいことをすると、「ご先祖様に顔向けできない」といった言葉が決まり文句のように言われていたようです。きっとそれは、ご先祖様に対する意識が、普段から家庭に浸透していたからではないかと思います。ですが、そうした言葉が家庭内で使われたのも、私の祖父母の世代くらいまでではないでしょうか?私の両親くらいから、私たちの世代に至るまで、若い世代になるほど、ご先祖様に対する意識、感謝と畏敬の念は薄れていってるように思います。
これは私見ですが、戦後民主主義教育によって、急速に個人の自由や個性が主張されたことに伴って、私たちは「個」というものをバラバラに把握したために、ご先祖様はじめ、さまざまな「つながり」を軽視した「個」の世界観を築いてしまった。そのため、現代人と「孤独感」は切り離せなくなってしまったのだと思います。もちろん、戦後教育が「個」というものの大切さを明らかにした功績は非常に大きいものがありますが、つながりを軽視したことで、こころの支えを同時に失なってしまった。
そこで、むしろ、「個」はつながりを意識することで、より一層輝くということを、今回ご先祖様の話を通して、皆さんと一緒に考えたいと思います。
まずここで、わたしたちのご先祖様をさかのぼってみましょう。(以下「生きる自信の心理学」岡野守也著PHP新書を参照)
まずは、まだ亡くなっていないことを願いますが、自分の父と母ですよね、それから父母の両親(私からは祖父母)これで2代です。2代ですでに6人。10代さかのぼると、10代目のところに1024人。1024人というのは、枝分かれの最後になるので、その前の9代目は512人のご先祖様がいます。8代目には256人。累計するともっと多くなります。そして、なんと20代さかのぼると100万人あまりのご先祖様がいるそうです。40代さかのぼると、ヤバイですよ~なんと10兆人のご先祖様がいるそうです。40代で800年前、鎌倉時代頃です。そのときの日本の人口が推定700万人だそうですから、わたしたち日本人のご先祖様は、みんなどこかでかさなっていると言うことができます。
みなさん、どうでしょう?
とてもスケールの大きい話だと思いませんか?
ここで感じていただきたいのは、こうした無数のご先祖様のうち一人でも欠けてしまったら、わたしたちそれぞれの存在はない!ということです。無数のご先祖様が命をつないでくださったおかげで、いまの私があるということです。「そんなの自分には関係ないや」ということもできます。ですが、無数のご先祖様はじめ、空気、水、大地、食べ物、ほか無限大のご縁によって、私たちは生かされている存在であると考えれば、わたしたちひとりひとりの生が、極めて意味のあることに思えてはこないでしょうか。わたしが生まれたことの、この上ない尊さ、有難さが感じられるのではないでしょうか。
自分が無数のご先祖様の縁に支えられて、生を与えられたという事実に目をむけるようになれば、自分はいかに生きていくかということを自覚することにつながります。また、無数のご先祖様のおかげで今の私があると思えば、バラバラの「個」の観念は崩壊し、孤独感は薄らぐはずです。
こんな時代だからこそ、ご先祖様に対する思いを私たちは、思い起こしていこうではありませんか!
今日は法事3件で、檀家さんとたくさんいろんな、お話ができました。感謝です!T家の方々とは時間の関係であまり話せませんでした。残念。
今日もすべてのご縁に感謝します。ありがとうございました。
合掌