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70年代、世界を席巻した一大音楽ムーブメント「グラム・ロック」。
その音楽性を表す言葉として、表題の「妖艶」、「絢爛」、「退廃」、「虚飾」という言葉が思い浮かんだ。
グラム・ロックの「グラム」とは、「グラマラス」のこと。
最近あまり聴かなくなったが、数年前、T-REX、デヴィッド・ボウイ、ロキシーミュージック等のグラムロックばかり聴いていた時期があった。
きっと当時の鬱屈とした感情が、グラムの退廃的な気分と重なっていたのだろう・・・。
またもともと自分に、クリムト、モロー、ほか象徴主義の画家、アール・ヌーボー、といった耽美的な芸術に惹かれる素地があることも関係しているのかもしれない。
文学でも、谷崎潤一郎の嗜好性にはついていけないが、泉鏡花などは忘れ難い印象を持っている。
ま、これはあまり関係ないかもしれないが。
さて、この「ベルベット・ゴールドマイン」という映画は、グラム・ロックスターの主人公の人生を通して、当時の“熱”を再現し、時代のあだ花、グラム・ロックムーブメントの退廃的な雰囲気を描写していくといった内容。
どこまでも、落ちていく・・・どこまでも・・・
あらゆる価値が相対化され意味が失われたとき、この先、世界はどこへ向かっていくのか・・・
そんな時代に生きる若者の潜在的な不安が、このムーブメントの根底に内在していたのではないだろうか。
バラバラに把捉された認識主体は、デュオニソス的バカ騒ぎで、どうにか一体感を取り戻して精神的平衡を保とうとする。
しかし空騒ぎのあとには、どうしようもない虚しさが残る・・・
さて、主人公のモデルになったロックスターは、あの「デヴィッド・ボウイ」である。
本作において、デヴィッド・ボウイは、「オスカー・ワイルド」の生まれ変わりであるということを匂わせていて興味深い。
ボウイは、次第に「ジギー・スターダスト」という虚像を構築していく。
グラム・ロック、すべてが虚飾の世界。
このムーブメントの抱える問題が現代に提示するものは何か。
疾走する先は退廃ではない、むき出しのエロスでもない。
失われた意味と倫理を再構築せよ!
絶えずラングの専制から逃れ、ドグマの固定化を超越して!
果てしなく疾走する!!!
それが現代的若者のクールなあり方!!!
<追 記>
この映画のサントラもグッド。現代UKのロックミュージシャンがそれぞれのグラム解釈を施して、思い切りはじけています。個人的にはパルプのファン。
ま、なんだかんだ言ってもボウイはかっこいいです・・・
最近ではボーダフォンのCMにボウイの曲が使われてますね。
でも個人的には、T-REXのマーク・ボランの音楽の方が好きです。
20TH CENTURY BOYは、誰でも一度くらいは聴いたことがあるはず。
ちなみにT-REXの流れを引き継いでいるのは、邦楽では間違いなくイエモン。あれはかなりグラムが入っている、っていうかグラムそのものでしょう。
イエモンけっこう好きです。
ん~最近記事の内容が、「哲学」ジャンルからどんどん離れているような・・・
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