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お盆の行事

2006-08-26 06:42:55 | 鹿児島(本土)
帰省報告(6)

Obon2この夏、お盆の時期に鹿児島に帰った目的の第一は、昨年亡くなった夫の祖母の初盆を迎えることだ。

夫の実家は、今は鹿児島市内なのだが、もともとはこの大根占の出身で、今も普段は使っていない家があり、お盆やお正月はここで過ごすことが多い。

田舎のお盆の行事というのは、地方によって本当に色々なのだなぁと思った。
私は、小さい頃は、大抵お盆は母方の実家である京都で過ごすことが多かった。
お盆には、亡き祖父がきゅうりとなすで馬と牛を作るのを見るのが面白く、お墓参り、8月16日の大文字焼きの送り火で終わるというのが恒例だった。

鹿児島でのお盆、特に今回は初盆ということで、またまた私の知らない世界が繰り広げられた。
私が錦江町の家に到着したのは12日だったが、その頃からぽつぽつとお参りの人が家にやってきて、お線香を上げていく。

Onejime1


Onejime2家は、「これぞ古き日本家屋」ともいうべき作りだ。
床が高く、天井も高く、通気性がとても良い。
台風被害や雨漏りがひどいこともあって、最近屋根を葺き替え、窓をサッシにしてアルミの雨戸をつけたが、昼間開け放っていると、まだまだ情緒たっぷりの家だ。

一応右の写真が「玄関」ということになっているが、開け放たれたこの玄関や、周りの縁側からふらりと人がやってくる。
そうして、お線香をあげ、扇風機にあたりながら話をして帰って行く。


初盆を迎える家には、それに先立って、親しい家から提灯が送られる。そして、14日の夕方には送られたたくさんの提灯を冒頭の写真のようにお墓に持っていく。

Obonお墓の周り、正面を除く三方にその提灯をぶらさげて、その提灯の中にろうそくを灯し、そのろうそくが燃え尽きるまでお墓外交が繰り広げられるのだ。
(お墓の写真なので、小さくしましたが、クリックで拡大します)

ろうそく一本、燃え尽きるのに結構時間がかかる。私は、昼寝していた一番下の子を家においてきたことと(家に他の人はいたけれど)、夕方といえども5時過ぎはまだ暑く、連れてきた次女が長時間もちそうになかったこととで、途中で帰ってきたが、最後まで参加した夫が戻って来るまで1時間半くらいかかっただろうか。

翌15日には、このろうそくは2本(同時でなく、1本燃え尽きたら、さらにもう1本)になるそうで、時間も倍だ。
うちは15日の飛行機で帰ってきてしまったので、参加できなかったけれど...

近くの集落では、お墓の周りで宴会になるところもあるそうだが、ここではお線香を上げて故人を偲び、14-15日二晩続けて、家で宴が催される。
朝から大鍋で煮物などを仕込み、たくさんの料理でもてなし、何十人来ただろう。
私などは、勝手がわからずうろうろするばかりで何の役にも立たなかったが、台所方は大変だ。



祖母は、昨年の10月、94歳の大往生だった。
体育の日の3連休の初日に「おばあちゃんの具合が悪いので、帰ってきて」と連絡があったときには、まさかすぐに亡くなるとも思わなかった。電話をしてきた方も、「ちょうど3連休だから、帰りやすいでしょう。」くらいの感じで、そこまで切迫している感じではなかったが、急いで支度をしてその日の午後鹿児島に帰った。

鹿児島市の実家では、祖母がベッドに横たわっていた。もう食事も摂れなくなっており、すっかり衰弱しているが、呼吸はしっかりしている。それまでずっと目を閉じて寝ていたそうだが、孫である夫や曾孫であるうちの子供達に呼びかけられると、もう見えなくなっている目をずっと開けて応えてくれた。
よかったよかった、と安堵し、その日駆けつけた他の肉親(祖母にとっての子供や夫以外の孫)も皆揃って、久々に賑やかな夕食となった。



そして、その晩、夜中に皆に看取られて逝ってしまったのだ。



最近は病院で最期を迎える人も多いので、このように自宅でみんなに手を握られ、呼びかけられて亡くなるというシーンを見てドラマのような、不思議な感じがした。


そして人が亡くなるとき、「待っている」というのはあるものだなぁと思った...。
子供も、孫も、曾孫も、みんながそろうまで、祖母は待っていたのだ。


連休の初日だったので、残り2日も休みで、通夜・葬式ともに連休中に済ますことができた。お蔭で遠方から集まった人たちの仕事を休む日数なども最低限となった。
うちの子供たちが亡くなるその瞬間を見るのはショックが大きいだろうと、亡くなったのはちょうど夜中の12時ごろ。大人は起きているが子供は寝ているタイミングだった。

最期まで、いつも細やかな気遣いをしてくれた、夫の祖母らしかった。

翌朝起きたら、昨日会ったひいばあちゃんが亡くなっているという状況に、子供達の反応はどうかと思ったが、子供なりに冷静に受け止められたようだった。とても良い機会を与えてくれたと思う。



この夏も、そんな祖母のために、久々に顔を合わせる面々。
こうして偲ばれるおばあちゃんも幸せだし、おばあちゃんが集めてくれた皆に囲まれた我々も幸せなのだと感じた夏だった。






==帰省報告終わり==