飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
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1986年4月 磯長谷の陵墓

2009年12月20日 | 思い出の大和路探訪
 <1986年4月20日(日)奈良:近鉄文学散歩>

 大阪転勤時代の思い出深い最初の「大和路探訪」。
この散歩の会に参加したのがきっかけで、関西特に奈良県周辺をたくさん散策することができた。デジカメがない時代、コンパクトカメラで撮った写真をパソコンにスキャナーして掲載したので写りは良くないが、デジカメにはない味があると思っている。

 二上山の西麓。磯長(しなが)の谷には聖徳太子の墓をはじめとして、用明天皇や推古天皇の御陵、遣隋使小野妹子の墓などがあり、まさに王陵の谷と言ってよい。古墳時代終末期ありし日の文化を物語る陵墓を訪ねる。

コース:近鉄南大阪線「上ノ太子」駅・・・・仏陀寺・・・・科長神社・・・・小野妹子墓・・・・双子塚古墳・・・・推古天皇陵・・・・用明天皇陵・・・・叡福寺・・・・近鉄「上ノ太子」駅 (徒歩約8km)
 講師:奈良芸術短期大学教授 木村芳一さん


仏陀寺


仏陀寺境内にある蘇我倉山田石川麿の墓と伝承されている
大化改新の功労者であったが、讒言により中大兄に攻められ、飛鳥の山田寺で妻子と共に自害した。
古墳は方墳のようだが、今は墳丘が平坦になっている。


小野妹子の墓に通じる急な石段 付近は新緑に輝いていた。


登った所は桜の名所で、見晴らしも良い。
木村教授の説明に耳を傾ける。


小野妹子の墓


科長神社 石段下にある。
平安時代の『延喜式』という書物に記録された、いわゆる式内社と呼ばれる由緒のある神社。


磯長谷の双子塚古墳にて


推古天皇陵
あちらこちらで桃の花が満開だったのが印象に残っている。
大和は桃の花が多いところでもある。


伝蘇我馬子塚
太子町太子集落の西方院から山田に向かって旧道を進んだあたりにある。
この層塔は江戸時代の「河内名所図絵」に馬子塚とあるのによる。大和飛鳥の石舞台古墳が馬子の墓と推定されているのに比べ、極めて貧弱な感じがする。


叡福寺山門
「上の太子」とも俗称される聖徳太子ゆかりの寺である。


叡福寺本堂


叡福寺にある聖徳太子磯長墓
太子廟を祀る寺として、太子信仰の隆盛につれて、四天王寺・法隆寺とともにその中心となった。


聖徳太子磯長墓
円墳で、墳丘の裾に二重の結界石がめぐまされている。


羽曳野市飛鳥の集落
古代の大陸から渡って来た人々は、「渡来人の安住の地(アンスク)」と呼んだそうだ。それから転化したと言われる「アスカ」は、奈良県明日香村の”遠つ飛鳥”に対して”近つ飛鳥”として、その地名を今に残している。


飛鳥戸神社(あすかべじんじゃ)
上ノ太子駅近く、ブドウ畑の中に小さな杜と社が見える。
この地は百済系渡来氏族飛鳥戸造の本処地であった。


近鉄南大阪線「上ノ太子」駅

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