鞆の浦(とものうら)の 磯のむろの木 見むごとに
相見し妹は 忘れえめやも
=巻3-447 大伴旅人=
鞆の浦の磯のむろの木を見るたびに、この木を見た妻のことを忘れられないのです。という意味。
天平二年(西暦730年)十二月、大伴旅人が大宰府から都に向かう途中に通った鞆の浦で、亡くなった妻のことを想って詠んだ歌。そこには霊木とされる「むろ」の巨木があり、二人は旅の安全と長寿を願って敬虔な祈りを捧げた。旅人は60歳を越えて、若い妻を伴って大宰府に赴任させられたが、そこで長旅がたたったのか妻が逝ってしまったのである。
この句の前句では、
我妹子が 見し鞆の浦の むろの木は 常世にあれど 見し人そなき(巻3-446)
妻といっしょに見た鞆の浦の磯のむろの木は変わらないが、これを見る妻はもういない、とも歌っている。
鞆の浦は広島県福山市の海岸。
「むろの木は」、ヒノキ科ビャクシン属の針葉樹で現在のネズといわれている。「実が多くつく」すなわち「実群(みむろ)」の意からその名があるといわれている。葉は硬質。鋭く尖っており触ると痛いので、昔の人は鼠の通り穴に置いてその出没を防いだことから「ネズミサシ」、「ネズ」の別名があり、漢方ではその実を杜松子(としょうじつ)といい利尿、リュウマチに薬効があるそうだ。
「むろの木は」を詠める歌は万葉集に7首ある。
この万葉歌碑は、千葉県袖ケ浦市袖ヶ浦公園にある万葉植物園に建てられている。
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