立ち鴨の 立ちの騒きに 相見てし
妹が心は 忘れせぬかも
=巻20-4354 防人の歌=
鴨の群れが立ち騒ぐそのあわただしいさまのように、出立のあわただしさの中で添い寝した妻の心が忘れられない。という意味。
「立ち鴨」は、「立つ鴨」の訛り、「立ち」:防人として出で立つこと。
この歌は長狭(ながさの)郡(こほり)の丁丈部(はせべの)与呂(よろ)麻呂が防人として西国へ出立する際に妻を愛しんで歌った歌。
「長狭(ながさの)郡」は現在の千葉県鴨川市、安房郡の東北部をさす。
この万葉歌碑は鴨川市大幡の真福寺に建っている。
万葉歌碑の隣に『たちこもの抄』の碑があり、以下が記されていた。
「このさきもりの歌は天平勝宝七年二月九日(755年)朝廷に奉り、万葉集巻第二十に取戴されたもので、妹(いも。妻。いとしい人)との別離の哀愁を詠んだものです。長狭郡(ながさのこおり)は鴨川市とその周辺の呼称です。
上丁(かみつよほろ)は兵士の階級です。丈部(はせつかべ)は馳せ使いの部民のことで、郷の名です。当地大幡と隣接の旧大山村の地域といわれ、この地、大幡小字作掛は古く作壁と書き、地元では夙に、さっかべと言い慣れて、はせつかべの転訛したもの、と伝承されています。
防人(さきもり)はこの地より遠く難波を経、瀬戸海を筑紫に赴いて、三年の間北九州防衛の任に当たったのです。
その苦労を偲んで、古代の人の心に触れたいものです。」
この真福寺の境内に立つと、長狭郡の山並みが見える。この山向こう遙か西方に防人が必死の思いで旅立ったのであろうか。