奈良市奈良町、奈良の明日香を散策した。
瑜伽(ゆか)神社
飛鳥神奈備に飛鳥京の鎮守として祀っていたのを、平城遷都と共にこの地に遷した。この山を平城(なら)の飛鳥山と云い、辺りを奈良の飛鳥と云う。
瑜伽(ゆか)神社社殿
社は飛鳥の元宮に対し「今宮」と呼ばれていた。また、元興寺禅定院の鬼門除け鎮守として崇められ、後に興福寺の大乗院がこの西山麓に建つに及んでその守護神として藤原氏の厚い崇敬を受ける様になって、その頃、山と社の名を宗論の「瑜伽」に替えた。
大伴坂上郎女の歌碑
「ふる里の 飛鳥はあれど 青丹よし
平城の明日香を 見らくしよしも」 →万葉アルバムへ
写真では見えないが、遠くかすかに飛鳥の大和三山が見える。
神社のたもとの飛鳥橋
元興寺
元興寺東門
元興寺極楽堂(国宝)
元興寺は南都七大寺の1つ、興福寺の「北寺」に対し「南寺」と称した。
元興寺東塔跡
東塔の礎石
高林寺:中将姫が住んでいた屋敷あと 中将姫についての詳細は→中将姫伝説を訪ねてリンクメニューへ
誕生寺:中将姫誕生の地
徳融寺:藤原豊成公(中将姫の父)の邸跡
豊成公と中将姫の御廟と伝える二基の宝きょう印塔
奈良の明日香の里の家並み
瑜伽(ゆか)神社
飛鳥神奈備に飛鳥京の鎮守として祀っていたのを、平城遷都と共にこの地に遷した。この山を平城(なら)の飛鳥山と云い、辺りを奈良の飛鳥と云う。
瑜伽(ゆか)神社社殿
社は飛鳥の元宮に対し「今宮」と呼ばれていた。また、元興寺禅定院の鬼門除け鎮守として崇められ、後に興福寺の大乗院がこの西山麓に建つに及んでその守護神として藤原氏の厚い崇敬を受ける様になって、その頃、山と社の名を宗論の「瑜伽」に替えた。
大伴坂上郎女の歌碑
「ふる里の 飛鳥はあれど 青丹よし
平城の明日香を 見らくしよしも」 →万葉アルバムへ
写真では見えないが、遠くかすかに飛鳥の大和三山が見える。
神社のたもとの飛鳥橋
元興寺
元興寺東門
元興寺極楽堂(国宝)
元興寺は南都七大寺の1つ、興福寺の「北寺」に対し「南寺」と称した。
元興寺東塔跡
東塔の礎石
高林寺:中将姫が住んでいた屋敷あと 中将姫についての詳細は→中将姫伝説を訪ねてリンクメニューへ
誕生寺:中将姫誕生の地
徳融寺:藤原豊成公(中将姫の父)の邸跡
豊成公と中将姫の御廟と伝える二基の宝きょう印塔
奈良の明日香の里の家並み