飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
「リンクメニュー」(分類別目次)機能付。

絵と語りの芸能4:紙芝居

2010年02月22日 | 絵と語りの芸能
紙芝居は、絵を見せながら演じ手が語って進める芝居的パフォーマンスのことで、主に子供たちを対象にした簡易な芸能で日本独特のものである。


昭和28年頃の紙芝居



紙芝居の源流を辿ると、日本には古来より「絵解き」と言って、絵を見せながら物語を語って聞かせる伝統があった。 寺では僧侶が曼荼羅や寺の縁起を「絵解き」で参拝者たちに語って聞かせたり、絵巻物で女房が姫君たちに絵を見せながら物語る風習があった。

 語りを聞きながら小さな穴から箱の中の絵を覗く「のぞきからくり」が江戸時代から明治・大正にかけて縁日の見世物小屋で行われた。

また寄席や縁日で写し絵、手影絵、影絵眼鏡などが楽しまれた。
これらは「絵を見せながら語る」という点で、紙芝居の源流につながるといえる。





「紙芝居屋」にはトーキーで追われた活弁士や不況による失業者なども多く、子供たちからは"紙芝居のおじさん"と呼ばれていた。 「紙芝居のおじさん」は自転車に紙芝居と水飴などの駄菓子を積んで街頭を回り、拍子木を打って子供を集め、駄菓子を売り、人数が集まれば紙芝居を始めた。 「紙芝居のおじさん」はたいてい話が佳境に入ったところで「続きはまた来週」と話を止め、次回に期待させたものである。

2007年下町風俗資料館

日本昭和村 『黄金バット』

 戦後の街頭紙芝居は1946年(昭和21年)ごろから人気上昇し、GHQ占領時代にに最盛期を迎える。その後は1953年(昭和28年)に放送開始した街頭テレビなどにも押されて次第に衰えていったのである。

 私は昭和27年に東京都世田谷区に小学4年生で転校した折、ここ三軒茶屋の地に街頭紙芝居が何組か来たのを思い出す。縄張りがあるようで週1・2回決まった場所に来る。
家から小銭を貰って紙芝居屋さんから駄菓子を買い紙芝居を観ながら食べるのが楽しみだった。駄菓子といっても、割り箸に付けた水あめを白くなるまで練ってウエハウスセンベエにはさんで食べる。今でもやさしそうな紙芝居屋さんの顔を思い出す。演目はだんぜん「黄金バット」が多かった。

黄金バット

黄金バット 黄金バット怪獣編

ライオンマン

<参考サイト>
塩崎おとぎ紙芝居博物館
  大阪で街頭紙芝居の実演を続けている団体。
下町風俗資料館
  東京上野不忍池畔にあり、毎月定期的に紙芝居実演を行っている。
浅草雑芸団
  2007年に「アナログエンターティメント 新・紙芝居創世記」{浅草・木馬亭)を実施した記事を見つけたが、その後の活動は不明。