モウズイカの裏庭2

秋田在・リタイア老人の花と山歩きの記録です。

踏切こまちと最後のお勤め。(2016年11月)

2021年12月02日 | 車・鉄道

(本記事は自ホームページの旧記事をブログ用にリメイクしたものである。)

極めて個人的な話で恐縮だが、退職直前の11月になって、
或る御方から踏切を通過する秋田新幹線こまちを撮って欲しいとのリクエストがあった。
今まで私が撮った写真と言えば、山と花ばかりだが、ときどき勤務先駐車場からこまちを撮っており、
それを秘かにfacebookにアップしていることをご存じでリクエストされたようだ。
或る御方の話では、新幹線は高架の上を走るものであり、高架上には踏切が無い。
しかし秋田新幹線は盛岡~秋田間は地面を走るので、あちこちに踏切がある。
踏切を通過する新幹線の写真を見せて、皆をアッと言わせたい。
学会の発表に使うスライドにその写真を混ぜて見せようかなと・・・」。

ちょっと面白い企画なので乗ってみることにしてみた。
てなわけで、まずは自宅近所(クルマで5分程度)の踏切でチャレンジしてみた








が、
踏切周辺の景色が雑なので、個人的にはイマイチの感想。

日を変えて、仙北市まで出かけ、田園地帯の踏切を通過するこまちを撮ってみた。




同じ踏切で午後に撮影。










隣の踏切に移動して










なんだ。これだけか。と言われそうだが、

秋田新幹線は仙台以南の東北新幹線と違い、一時間に上下合わせても二本しか走らない新幹線であることを言い添えておく。
したがってこれだけを撮るのにも(-_-;)けっこうな時間(+待ち時間)がかかっている。

仙北市まで出てきて、折角なのでリクエストには無かったが、自動車と並走するこまちも撮ってみた。










国道46号線は思った以上に交通量が少なく、こまち通過時でも車無しの時が圧倒的に多かった。

よってここの並走こまちは踏切こまちよりもはるかに難易度が高いことがわかった。
以前、こまちに乗っていて、この場所で佐◎急便トラックと並び、追い越されるという珍しい経験をしている。
今回も同じようなことを期待していたが、そんな場面に遭遇し、しかも写真に収めることは天文学的確率、
生きてるうちには二度とないことだろう。

この日は県境を越え、雫石まで走ってみた。




こういう風景を見るとユーミンの「♪緑の街に舞い降りて」が浮かんでくる。
秋田には無いロマンチックな風景だ。 
雫石町にもこまちのよく見える踏切があるが、今回は山や牧野ばかり見て、踏切こまちは撮らなかった。

雫石町から岩手山を望む。



田沢湖町に戻って秋田駒ヶ岳。




話はガラリと変わり、私はあと数日で出勤しなくなる。
11月14日(月)はよく晴れた。明日から引き継ぎで忙しくなるので、今日のうちにオフィスからの眺めを撮っておく。

東側の窓からは太平山。






南東側を望む。左のタワーはNHK秋田放送局。



西側はJR秋田駅を見下ろす。










そして愈々最後、11月18日。この日もよく晴れた。




 


会社の皆様には長い間、お世話になった。ありがとう。

こまちを此処から見るのはおそらく今日が最後だろう
(と同時にこれからは乗る機会もほとんど無くなるだろう)。




今日は珍しく新幹線E926形電車、East i(イーストアイ)も見られた。




以上。

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走れ!『柿の種号』。(2016年12月3日~)

2020年12月06日 | 車・鉄道

12月になったら、何故か四年前の今頃やっていたことや当時見た風景を思い出した。
極めて個人的な内容でマッタクどうでもいい話だが、しばしお付き合い頂けたらこれさいわい。


四年前(2016年)は11月下旬から出社しなくてもよくなった。
念願のロングバケーションに突入したわけだが、その年末はパーッとどこか海外とか卒業旅行するわけでも無し、
ときおり重苦しい用事(認知症母の介護)で横手実家に通う以外は自宅に逼塞する毎日だった。

12月3日、近くの太平山はまだあまり白くなっていない。

2016/12/03 秋田市郊外から太平山
 


実はこの頃、退職を機にクルマを乗りかえている。
それまでの私はよく ε=ε=へ(+´π`;)ノ 走るシゴトに就いていた。


 
                               12月3日のオドメーター。


上の黒いアクアは2015年2月下旬から二年弱で9万キロ近く走ってしまった。
これから先はこんなハイペースで走らなくなるものの、まだしばらく運転するだろうし、
今後は収入面からみて今までのようなペース(2~4年)で新車を購入するのは難しくなるだろう。

ところが今なら下取り金額も高いと聞いたので、買い替えを断行した。
  
ディーラー曰く、同じ型のクルマを乗り換えるお客は極めて珍しいそうだ。
今まではマイカーをシゴトに使っていた関係上、カイシャの意向で2000cc未満、
ボディカラーは白や黒、シルバーなど無難な色しか選べなかったが、

今後は晴れて自由の身、今までに乗ったことのないカラー(柿色)にした。
そして今まではマイカーに名をつけることはなかったが、今回はボディカラーに因んで『柿の種号』と命名した。


 


納車してすぐに走った先が、冒頭の太平山の見える田んぼ。ここは自宅から数キロの場所。

納車翌日12月4日はよく晴れたので、鳥海山麓まで約200キロのドライブに出かけた。
まずは最奥の人里、百宅(ももやけ)から。




百宅鳥海と新車「柿の種」号



続いて笹子(じねご)峠から。




何やらクルマと関係ない話になってしまった。 
以下、柿の種号に関するその後のエピソードをいくつか。


2017年7月27日、北海道大雪山登山口のひとつ、銀泉台に着いた途端、
柿の種号のオドメーターが20,000キロに達した。
納車日は昨年の12月3日なので約八ヶ月間でこの数字は走り過ぎなのか。
サラリーマン時代は年間4万キロ超走ってたので、それに較べたら可愛いもんだと自らに言い聞かせる。

 
7月27日早朝の柿の種号。バックは層雲峡銀河の滝。           7月27日、銀泉台でオドメーターが・・・。


2017年11月28日は再び、鳥海山麓にドライブ。







2018年7月27日は岩手の焼石岳に登っている。

焼石岳山頂手前から西焼石岳と鳥海山を望む。



その帰り途、オドメーターが・・・



2019年8月14日は近場の鳥海山だが、まだ登ったことがなかった百宅(ももやけ)ルートから挑んでみた。
しかしこの日は自家用車(アクア)のアクシデントに見舞われた。
百宅の集落から林道を十数キロほど走り、登山口の大清水(おしず)へと向かったが、
この林道、路面状態がすこぶる悪く、
大清水(おしず)の直前で左前輪がバーストしてしまった。
それでも大清水(おしず)の広い駐車場までナントカ乗り入れ、
奇跡的に携帯が通じたので、JAFの救援を待つ。
その間、6時間近く、↓の鳥海山をじっと眺めていた。

大清水(おしず)からずっと眺め続けた鳥海山

 


バーストした左前輪をパンク修理キットで直そうとしたが、焼石に水だった。  

6時間近く待って、JAFさんが駆けつけてくれた時はホント嬉しかった。

 



ところが、その後はディーラーの工場、タイヤ店がお盆休みなので、なかなかタイヤ交換修理が出来なかった。

その間、代車は有ったが、えらくでかいガソリン車が来た(燃費は数キロ/L)ので、遠出は諦めた。
やっと修理が終わったら、8月も末近くになっていた

(実は(-_-;)その後も、タイヤ事故の余波でサスペンションに異常が見つかり、完治したのは9月末だった)。

前の黒いアクア時代は人身事故モドキも有り、クルマの損傷以上に精神的ダメージがひどかった。
柿の種号になってからはさいわいにもこのようなトラブルは起きていない。
山中での脱輪やバースト程度で済んでいることを逆に感謝しなければならない。


柿の種号が見えたー!!シリーズ。

2020年7月10日、 八甲田山から下山途中、もう少しで酸ヶ湯温泉というところで、
温泉の大駐車場に駐車した柿の種号が見えた。




 
                                                                                                                             2020/09/29早朝、栗駒山・須川湖畔。


2020年9月29日、昼過ぎ。栗駒山・秣岳山頂から須川湖を眺め下ろす。







早朝、湖畔に駐車した自車(柿の種号)がちゃんと有ることがわかると何だかたまらなく嬉しかった。

このことはスーパーやホームセンターの大駐車場に停めた時も言える。
白や黒のクルマ時代だと買い物が終わった後、自車を探すのにけっこう難儀したものだが、
柿の種号に変えてからは容易に見つかる。

これは思った以上に好いことである。反面、目立つので悪いことは出来ない。


次はさらにどうでもいい話。
須川湖畔に留め置いたマイカー柿の種号に乗り込んだところ、オドメーターがもう少しで十万キロに差し掛かっていた。
このままだと旧皆瀬村の国道398号線を走っているところでその瞬間になってしまう。
割と交通量の多い道路なので突如、道端に停めてメーターを撮影なんていう芸当はちょっと難しそうだ。
よって途中から交通量の少ない県道51号線に入り、その瞬間を迎えた。




2020/09/29 十万キロ達成直後に見た風景。栗駒山と秣岳の重なり。



クルマを運転して彼方此方走っていると実にいろんなことに遭遇する。

しかし今のところ、柿の種号になってから事故は極めて少なく、
スピード違反も二回程度((-_-;)これは多い)で推移している。

これから先、もう何年、何万キロ走るかわからないが、更に気を引き締め、安全運転に努めよう。


以上。

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