Tシャツとサンダルの候

 自由気ままに楽しく過ごすオヤジの日々

腕が腫れ上がってる件

2020-08-05 | オヤジつぶやく


井原山で虻の洗礼を浴びた事は、先日の投稿で書いた通りだ。

最初は首筋。

2度目が右肘。

3度目は左肩を噛まれた。


と、


思っていた。




翌日になり、


「おっちゃん、右腕がパンパンに腫れとるよ。」(家内)


ぬ。

俺も密かに気付いていたんだ。

肘が曲げにくいもん。


左肘に見える、自転車転倒による傷跡の事は、この際置いといて、

左右の腕の太さの違いがお分かりだろうか。


後から分かった事だが、右肘は2ヶ所も噛まれていた。

全く持って不届き千万である

他の個所は、噛まれた部分だけ腫れている程度だが、右腕はこのざまだ。

腫れたこと自体、痛くもないし、生活する上で何の差し障りは無いが、







・・・痒いのなんのって。




日がな液体ムヒを塗りまくっている私である。

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キツネノカミソリと虻 井原山へ

2020-08-04 | 山を行く

「井原山のキツネノカミソリは見事ですよ。」


U先輩からそう誘われている。

井原山は、この先輩のフィールドなのだ。

無論、私に否やなどある筈がない。


「是非、案内お願いします!」



洗谷登山口駐車場。

一台分だけ空いていたスペースに車を停めた。


先輩が言うには、ここから水無登山口までは歩いて行き、そこから山頂を目指す。

山頂からは別コースを降り、アンノ滝を経由し、洗谷登山口までの周回コースがお勧めとの事。

ただしこの場合、

「最初、洗谷登山口から水無登山口まで、長い林道歩きとなります。」(先輩)


全然、構いません。

お任せします。



U先輩の後に続く。




沢蟹がお散歩中である。

先程から、キツネノカミソリ目当ての車が、何台も私たちを追い越して行く。


「車に轢かれるぞ。早く沢に戻らんと危なかぞ。」


と、注意してやった。

通じたかどうかは分らぬ。



ねむの木の下を通り過ぎると程なく、




水無登山口である。

思った通り、満杯状態だ。

林道歩き大正解である。



登山口近くにある鍾乳洞入口。

残念ながら閉鎖されていた。

入り口付近に立つと、鍾乳洞から冷たい空気が噴き出して来る。

柵につけられた温度計が示しているのは12度。

真夏の林道歩きの後である。

誠に心地いい。

このまま、ずっとここで、しゃがみこんでいたいぐらいだ。



あ~~涼しかあ (*´ω`)



おっと、いかんいかん。

ここに来た目的は、キツネノカミソリを見る為ではないか。

ここでほっこりしていてどうする。

登山道に戻ろう。



登山道に戻ると、すぐにオオキツネノカミソリが出迎えてくれた。




この先延々と登山道を彩る、キツネノカミソリ村の始まりである。
















最後の木橋を渡る。




その後も渡渉を繰り返しながら、次第に高度を上げていく。










ヤブランとの競演。




この山のキツネノカミソリは、全てが沿道を囲むように群生している。

何処でも手に取るように眺められる。

とてもおりこうさんなのだ。



中には若干、盛りを過ぎた株も見受けられるが、これだけの大群落がずっと続くのだ。

見事と言うほかは無い。



「素晴らしかあ。」


と、念仏の様に唱える、どこぞのヒゲオヤジ。









キツネノカミソリが姿を消すと、今度は稜線までの急登が始まる。

ロープを手に持ち、或いは木の根を掴み、稜線までひたすら登って行く。


「アイタ!!」


それに加え、虻の洗礼も浴びねばならぬ。

瞬く間に、3カ所も虻に噛まれてしまった。

そういう意味でも、この急登は大した難易度なのだ。

ふと先輩を振り返ると、


「私は全然噛まれてませんよ。ハハハ」


何たる事だ。

どうやら私は、殊の外虻に慕われる虻星人だったらしい。



やっとの思いで稜線へ。




コオニユリ

ここでも、壊れたブリキ人形の如く、無様に一人だけ、虻を払っている私がいる。

これは、その一瞬のスキをついてのショットなのだ。


虻星人は楽ではないのだ。



山頂到着だ。

山頂は爽やかな風が吹き抜け、日差しが強い割には過ごしやすい。


昼飯を食ったら下山である。



帰りは洗谷方向へ降りていく。




ウバユリ




アンノ滝。

落差数10m、4~5段に分かれて白い瀑布が連なる。



帰りも渡渉が続く。




水量が増えているのか、足を置くべき岩が水没しているケースが多い。

慎重に踏み石を選択しながら歩を進め、その後、2時間程で洗谷登山口に到着した。




初めての井原山。

キツネノカミソリの大群落は、素晴らしいの一言である。


が、


あの禍々しい虻攻撃には参った。

このブログを書いている今、ヤツに噛まれた首筋と左肩、右肘はカチンコチンに腫れあがっている。





痒っ!

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坊がつるへ

2020-08-02 | 山を行く

膝の傷の奥深くに潜んでいた石ころが取れたら、嘘のように痛みが消えた。


ワーイである。


片手を口に、もう片方は腰に充てがい、ランランランと鼻歌の一つも歌い、町内をスキップしながら一周したいくらいだ。

かと言って、本当にそんな事をしたら、通報されるのが落ちである。

代わりに、山にでも登った方がよさそうだ。

そうとなったら、やっぱりくじゅうである。


どこから登ろうか。

どの山に登ろうか。


先だっての大雨により、数ある九重連山登山道は、軒並み壊滅状態と聞く。

今のところ、雨ヶ池ルートと牧の戸ルートは通れるようだが、まだ膝には縫合の糸が残っている状態なのだ。

スキップは出来たとしても、岩場で膝頭をぶつけでもしたら、元の木阿弥にもなりかねない。

ピークハント無しの、山歩きに終始したい。

と言う訳で、

雨ヶ池越え~坊がつるハイキングと決めた。


「私も行く。」(家内)


お、おう。



スタートはタデハラ湿原。




サワギキョウ。



湿原には、早くもヒゴタイの季節が訪れていた。




ヒゴタイの赤ちゃんが、そよそよと風に揺らいでいる。




ノハナショウブ




ハンカイソウの群落。




フジバカマはアサギマダラの好物だ。

アサギマダラに会えるのを期待していたのだが、残念ながらこの日、飛翔ポイントでも出会えなかった。

そう言えば今年はまだ、アサギマダラを見てないなぁ。



湿原の散策を終えたら、いよいよ山登り開始だ。

暫くは、深い森の中を行く。



ウバユリ




ノギラン




思った以上に登山道は荒れている。

この辺り(砂防ダム付近)が、土石流の先端のようだ。



ここは、最初の休憩ポイントを越えて、木段が始まる少し手前地点。

大規模土石流の核心部と言っていいだろう。

崩れ落ちた岩が登山道を覆い尽くし、これまでとは様相が一変している。

歩けるのは歩けるが、コースマーカーに気を付けないと、道迷いしそうである。






以前から『土石流注意』の看板がある、一旦谷に降りて、また登り返すポイント。

荒れてはいるが、ここは普通に渡れる。



ユキザサの実




雨ヶ池までやって来た。




コバギボウシ




マツムシソウは今年初。




坊がつる展望ポイントまで進んできた。

ここから見る坊がつるは、いつもの穏やかな表情なのだが・・・



リョウブの森を抜けると、ゴールは直ぐそこだ。




坊がつる到着。


それにしても、この道の荒れようは・・・


どっしりと身を横たえる大船山。

この大船を始め、周りを取り囲む平治、三俣、中岳、白口、etc。



正しく、坊がつる賛歌に謳う、『四面山なる坊がつる』である。

この風景の中に身を置けば、いつだって格別な気分を味わえる。



ただし、





法華院方向に目をやると・・・



否応なしに、先日来の大雨被害が、現実のものである事を認識させられる。

土石流の合間に白く輝いて見えるのは、未だ流れ続ける山からの出水である。



キャンプ場へ続く木道。

キャンプ場は無事の様子だ。



さて、昼ご飯である。

この日のチョイスは『宮崎辛麺』。

・・・激辛しょうゆ味。



これって、



山飯としての選択を、間違たんじゃないかなあ。


だって、ここは坊がつるである。

ラムサール条約湿原なのだ。

激辛の汁など捨てられないじゃないか。


「自分の胃の中に捨てんか。」(家内)


ただでさえ大汗掻いてるのに、これでは大汗の2乗である。



ザックに止まる蝶に、ささやかな涼を求め、極辛スープを飲み干した。




家内がトイレに行きたいと言う。

山荘まで行ってみた。



そこには、息を飲む光景が広がっていた。

バンガローがあった場所は、中岳斜面からの土石流に完全に飲み込まれ、見る影もない。


山荘本体が、すんでのところで難を逃れていた事だけが、不幸中の幸いである。




最低限の片づけは済んでいるようだが、土石流はむき出しのままである。

轟々と音を立てて流れ落ちる、山の水も不気味だ。

まだまだ、復旧に向けて、時間も費用もかかるだろう。

それどころか、これから先、台風シーズンが始まってしまう。





美しき青きくじゅうよ。



安らけくあれ。



祈るのみである。

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復活なる!通潤橋大放水

2020-07-30 | ちょいとおでかけ

熊本地震で被災し、名物の放水が途絶えてしまっていた通潤橋。

この度復旧が完了し、4年ぶりに再開されたと聞く。 


「天気良いし、見に行こうよ。」(家内)

「おっと、合点だ。どうせなら、近くの石橋群も見て廻るぞ。」(私)




ブイ~~~~ン







先ずは金内橋である。

嘉永3(1850)年に架橋。

西南の役では、薩軍、官軍とも、ここで休息を取ったと伝えられている。


補強工事がなされた年だろうか。

コンクリート製の欄干には昭和八年の文字が見える。



聖橋。

架橋は天保3(1832)年。

手前側の草で覆われた部分が、元々の石橋である。

奥側は拡幅補強され、鉄筋コンクリート製となっている。



日向往還の要衝に架かる橋である。




円形分水




中央に水が湧き出ているのが、お分かりになるだろうか。

暗渠を通って、ここに運ばれた水は、中央のプールから湧出し、

円形の溝に流れ落ちた後、各所に分水される仕組みである。



この日の主題である通潤橋を流れる水も、ここから配水されているとの事。




日陰にキツネノカミソリが、ヒッソリと咲いていた。




背後にみえる小さな用水路を流れる水が、やがて通潤橋に至り、近隣の田畑を潤し、時には豪快に放水される。




山都町の入り口に架かる浜町橋。

架橋は天保4(1833)年。 

こちらから見える面はコンクリート製である。



反対側に回ってみた。

こちらがオリジナルの石橋。



古い街並みを行く。




すぐに、道の駅通潤橋へと行きつく。




目の前には田園風景が広がり、その奥まった先に、



通潤橋は佇んでいる。

嘉永7(1854)年架橋。



全長75.6m、全高は20.2m。

日本最大級の石造りアーチ式水路橋である。

勿論、国の重要文化財だ。



この絶妙としか言いようが無い石組!

橋の上部には、3本の石の通水管が敷設されている。



放水は13時丁度から始まる予定だ。

10分程前から、石橋近くの田んぼの畔にポジション取りをした。



傍らを見ると、こんなものが。

タニシの卵?

あちらこちらに無数にある。

稲への食害が、少々心配になってくる程の量である。



おや?

オジサンが何か準備してるぞ。

そろそろかな?

とかなんとか思っていたら・・・・・



ドヒャー!!


いきなり始まっちゃったよ。


あのオジサン。

「今から放水始めまーす!」

何て言ってくれないのね。



下段からも。




背後からも。




大迫力である。




振り返ると、ギャラリーは一斉にスマホを構えて、動画を撮っているようだ。

そう言えば、動画担当は家内である。

下の方に居る筈だが。



寝てないだろうな、アイツ。



ヤツと合流するため、河川敷まで降りてきた。

橋の直ぐ近くは、水しぶきをモロに浴びる。

道理で人が少ないと思ったよ。



この放水は、通水管に詰まる堆積物を取り除くために、行われているんだとか。









それでは最後に、ヤツが撮った動画を貼り付けておく。

放水開始のタイミングに、上手く合わせられただろうか?







短かっ!!

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抜糸、その後に・・・

2020-07-28 | オヤジつぶやく

月曜日は待望の抜糸日。

これで、引き籠り生活にも、ようやくおさらばである。



明日からは、山にも登れるし、




チャリにだって、乗れる。

そうだ。

水曜からは天気も良くなりそうだし、早速どこかに遠出しようかな。




看護師に診察台に横になるように促される。


「それでは江島さん。糸を抜きますよ。少し引っ張られる感触があります。」(院長)


おっと、ガッテンだ。

かまうこたねえ。

じゃんじゃん引っこ抜いてくんな。



である。





ピ、ピ、ピ、ピ、ピ、ピ、ピ





「あれ?」

「??」

「くっついてないぞ。」

「え?今、何て言いました?」

「あれれ?」

「どどど、どうしました?」

「江島さん。以前、膝を手術とかしてますか?」

「いいえ。」

「奥に黒いものが・・・」

「黒い?それって・・・」


何と傷口の奥深くに、1㎝弱の石片が潜んでいるらしい。

転倒したのはアスファルト上だ。

黒い石コロなどゴロゴロしている。

当然あり得るだろう。

これが邪魔して、一部傷口が塞がっていないらしい。

石片を取り除くためには、切開が必要らしく、抜糸どころか、


「石を取り除いたら、2針ほど縫わんといかんです。」







・・・あのねえ。







トホホ

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ニシン蕎麦の記憶

2020-07-27 | 喰らう、飲んだくれる

日曜日


膝の抜糸まであと少しだ。

それまではと、山登りはおろか、散歩なども控えてきた。

とりもなおさずそれは、暇で暇で仕方がないと言う事でもある。

仕方ないので、何となしにスマホをいじっていたら、


おや?


SNSのタイムラインに流れてきたのは、住宅展示場の朝市に出展している後輩の様子である。


「おい、ちょっとアイツを冷やかしに行くぞ。」



会場には幾つかのテントが立ち並び、それぞれで、パンや野菜などが売られていた。




所謂、展示場の集客キャンペーンの一環である。


後輩は奥さんと二人、会場のド真ん中付近にテントを広げていた。



この後輩。

海外の権威ある紅茶コンテストで、二つ星に輝いているヤツなのだ。

当然、紅茶を始めとしてズラリとお茶が・・・



何でカブト虫売っとる!





建物の中に入ってみた。

漆喰や和紙など、和のテイストあふれる造りとなっていた。

天井照明の飾りは大川組子である。


吹き抜けには、キャットウオークを模したような、簀の子の渡り廊下も。

遊び心もあって、中々面白い。



30分ほど滞在した。

野菜やお茶なども買ったし、


「ぼちぼち帰るぞ。飯でも食って帰ろうか。」





直ぐ近くにあるうどん屋さんに入った。

私が注文したのはニシン蕎麦。

好物の丸天も追加でトッピングだ。


ニシンそばが好物なのかって?

全然。

むしろ嫌いである。

そもそも、甘い味付けのトッピングが、好きではないからだ。

だが、長い事食べて無いし、もしかしたら、好みが変わったりしてるかも知れないではないか。

そんな、チャレンジ精神のような物が、沸々と沸いてきた結果なのだ。






さてここで、

話を10年程前に遡らせたい。

家内と一緒に京都観光をした時の事である。

清水寺界隈だったか、観光の合間、土産物屋兼食堂で昼食を食べる事にした。

生憎と込み合っていて、上品そうな老夫婦との相席を指示された。


「何にしようかな。ニシン蕎麦って美味しい?」(家内)

「全然美味しくなか。そんなもん頼むの止めとけ。」(私)


私は自信満々にそう答え、違うメニューを強く勧めた。

そうこうするうち、先に席に着いていた老夫婦に料理が運ばれてきた。


「ニシン蕎麦お待ちどおさま~。」(店員)




血の気が引くとはこの事である。

この老夫婦は、目の前の相席相手が『不味い』と罵倒した蕎麦を、見ている前で口に運ばねばならぬ。

こんな気の毒な事など、滅多になかろう。

なんて事を言ってしまったのだ。

悔やんでも悔やみきれないが、後の祭りである。

私達は一言もしゃべらずに、ずっと下を向いたまま、この呪われた時間が過ぎていくのを待つしかなかった。


閑話休題



そんな苦い思い出と共に、ニシンを頬張る。



モグモグ




ふーん。

やっぱ、どーもね。

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大衆食堂でラーメンと謎の皿うどんを食す。

2020-07-24 | 喰らう、飲んだくれる

少し買い物があり、国道3号線を八女方向に車を走らせていた。

広川町辺りで昼時となる。

店を物色しながらハンドルを握っていると、


「あ、あそこに入ろうか。前から入りたかったっちゃん。」(私)

「あー、あれね。随分昔からあるよね、あの食堂。」(家内)


店名は『つる荘』と言う。

褪色が進み、まるっきり判別できなくなっている鉢巻き看板。

モルタル壁、中が窺い知れない摺りガラス。

完璧ともいえる昭和の佇まいである。

もうこれだけで、味は保証されたも同然だ。

私の記憶では、少なくとも40年以上前からこの地にあった筈だ。

なのに、広川町と言う事もあって、暖簾をくぐるのは初めてである。

暖簾に書かれた【ラーメン、うどん、そば】から判断できるように、カテゴリーとしては大衆食堂と言っていいようだ。


店内には何故かアンティークな時計がいくつも掛けられている。

店主に、時計収集が趣味なのかを尋ねてみた所、


「そうそう。どれでん、ゼンマイば巻けば、ちゃーんと動きますもんね。」


誇らしげな答えが返ってきた。





テーブルに着きメニューを眺める。

えーっと、何にしようかなっと。


「私、皿うどんがいい。」(家内)

「すみませーん。ラーメンと皿うどんね。」(私)

「皿うどんは長崎風のパリパリ麺じゃなくて、うどん玉になりますよ。」(店主)

「あー、はい。それでお願いします。」(家内)


店主がカウンターに戻った頃、


「あ、やっぱ、チャンポンに変えて。」(家内)

「皿うどんはチャンポンに変更だってー。」(私)

「チャンポンね。はいはーい。」(店主)

「あ、やっぱ、皿うどんにしようかな。」(家内)

「どっちやねん!!」(私、店主)



「ラーメンお待ちどおさま。」


来た来た。


では頂きまーす。


ズルズルズルルーーー


スープはさっぱり系。

脂など殆ど浮いていない。

勿論、豚骨の風合いを壊さない為、チャーシューには味付けしない。

こうでなくちゃいけないのだ。

伝統をいささかも逸脱しない、昔ながらの正統的な久留米ラーメンの姿だ。



「皿うどんでーす。」


これが家内が頼んだ、皿うどん改め、チャンポン改め、元に戻って皿うどんである。

何故これに皿うどんと言うメニュー名をつけたのかは謎だが、表現としては焼うどんと言った方が近い。


ちょいと食わせろ。



モグモグモグ



ふむ?


煮干しっぽい風味が、遠くでしているようだが?

もしかして皿うどんと言う名は、麺だけではなく、出汁も入ってるから?


美味いやん。


久しぶりにスープ全部飲みほしたぜ。



御馳走様



「どうもありがとうございました。」

「また来まーす。」


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髭オヤジ、若者の前で歴史を語る。

2020-07-23 | 散歩とかチャリ漕ぎとか


昨日。

山仲間&キャンプ仲間でもある大学の先輩と待ち合わせの為、久留米市役所へ。


「取り敢えず、ご飯食べましょうか。」(先輩)



20階展望喫茶あおぞら。

前回、家内とここに食べに来た時は、あいにくの大雨。

自慢の展望を楽しむ事は出来なかった。

だがこの日は、晴れ渡る青空である。

筑紫平野を存分に楽しみながらのランチとなった。


「今日は私が奢りますから。」(先輩)

「そうでやんすか。そんじゃ遠慮なく。何にしようかなー。」(私)


今回の私のオーダーは、トマトソースチーズハンバーグ(500円)

飲み物も、100円で追加できる。


トローリ


ウヒヒ


これで美味しくなけりゃ、おかしいでしょうよ。





さて、

何故私が、偉そうに先輩に昼飯を奢らせていたかと言うと、


福岡に住むこの先輩。

数年前に退職され、暫くはリタイヤ生活を満喫されていた。

が、

またぞろ仕事の虫が疼いてきたらしく、つい最近、若者就労支援の久留米のNPO団体に参加するようになった。

そしてこの日は、この就労支援センターに集う若者達の、町内清掃ボランティアの日なのだ。



これがそのチラシである。

町内清掃をしながら、久留米の歴史探訪をすると言うものだ。



誠に結構な話である。

大変素晴らしい企画と言うべきだろう。

ただ問題が一つある。

その歴史の語り部が、あろう事か、この私になっていると言う事である。



暫く前に、

「7月22日に街歩きしませんか。知り合いも来ますんで。江島さんに久留米の歴史でも紹介して貰えると助かります。」

先輩の言葉が脳裏に蘇ってきた。



こういう事だったのね。

まあ、仕方ない。

ほかならぬ先輩の頼みだし、何より暇で仕方ないし。

チーズハンバーグで手を打ちましょうかね。


先ずは市役所前の篠山公民館からスタートである。

画像は、公民館長から、花壇の雑草を抜いてほしいとのリクエストで、草むしりしている私。

盗採している不審者にしか見えないが、決してそうではない。


ボランティア活動の後は、近くの久留米城址に移動。

そろそろ私の出番のようだ。


「では、江島先生から、この城の歴史について話して貰います。」(先輩)

「先生は止めて下さい!それでは始めましょうかね。えーっと・・・」(私)


見ず知らずの人々の前で、偉そうに講釈を垂れると言うのは、ひょっとしたら初めてではなかろうか。


「戦国末期、この城を本格的に築城したのが小早川秀包で、彼はクリスチャン大名であり・・・」

「と言う訳で、小早川秀包の後、築後国主になったんが田中吉政で、こんな逸話が・・・」

「田中家改易の後、幕末まで久留米を領したのが有馬家。」

「この有馬家と言うのが、代々見栄っ張りで有名で・・・」


何だか絶好調である。

このまま明治以降に突入し、3時間ぐらい話してもよかったのだが、目の前の若者達を見ると、猛烈に退屈しているのは明らかである。

あと数分間も続けたら、退屈のあまり気絶する者すら出て来るやもしれぬ。

猛暑日でもあるし、そろそろお開きにした方が良さそうである。


「と言う所で、ここで終わります。」


全員の意識があるうちに、予定の30分で講義を終える事にした。




後ほど、先輩からLINEでメッセージが届いた。


〈次回は是非、ブラエシマで(笑)〉





お断りします

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愛犬もこ 粗相を誤魔化す。

2020-07-20 | ペットのこと


怪我のせいで、山にも行けず、ジョギングも出来ず、無論、チャリにも乗れやしない。

出来る事と言えば、居間でぼんやりとテレビを見るくらいだ。



さあてと、何を見ようかな。



ん?

何かお尻が濡れてる気が・・・



もしかして!



急いで腰を浮かしてみた。



あちゃ~。


もこのお漏らしの跡である。







我が家のもこは、ひと月ほど前から、お漏らしを頻繁にするようになった。

画像のように、まとまった量の時もあるし、一滴二滴の時もある。

それがどうしてなのかは、分かっている。



もこが、椎間板ヘルニアと診断されたのは3月の事だ。

その際、

「排尿障害が出てくるかも知れません。」

獣医師の予言が現実の物となってきたのだ。



もこは子供の頃より、シートにオシッコをする度、私たちは大袈裟に褒め称え、ご褒美のオヤツを与えてきた。

なので、オシッコをしたなら、どんなに深夜であろうと、私の元に飛んできては、

『上手にオシッコをしたからオヤツ頂戴!』

と知らせに来る。

13歳になろうとしている今でもだ。


ところが、阻喪の場合、決して私らに教えたりしない。

それどころか、寧ろ、私らにバレない様に、舐めて誤魔化そうとする。

明らかに、気にしている節があるのだ。



無論私達は、そんな事で、もこを叱ったりしない。

と言うか、もこを叱った事自体、これまで一度だって無いが・・・


もこ、


いけない事をしたと思ってるんだな。

バカだな。

全然気にしとらんぞ。

お前も気にすんな。

それより、いつもの様に教えてくれた方が、助かるけどなあ。





よしよし、オヤツをあげるからな。


じょうず~

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とっとと乾きやがれ!

2020-07-18 | オヤジつぶやく

「当分の間は毎日、包帯とガーゼを付け替えに来てください。」(院長)





自転車で派手に転倒し、8針縫ってから4日が過ぎた。

切り傷の他に、広範囲に擦過傷を負っており、


「むしろこっちの方が、厄介ですよ。」(院長)


院長の言う通り、5日経った今でも、擦り傷からは汁が出続け、何重にも巻いた包帯を浸透し、黄色く染めている。

傷口を保護してくれるこの有難いお汁だが、ガーゼを傷口にくっつけてしまう接着剤にもなってしまう。

何が言いたいのか、先刻承知の事と思うが、

毎日のこのガーゼの付け替えが、






・・・痛いんだわ。




付け替えの際は、傷口にくっついたガーゼを、生理食塩水で湿らせながら剥いで行く。



ハッキリ言おう。

焼け石に水、ガーゼに生理食塩水である。


「イテテテテ!」

「ハハハ。痛かですけど、我慢してくださいね。傷口が乾いてきたら、方法ば変えますから。」

「今、変えてくれんですか!」


とも言えず、


「ハヒャイ(泣)」


か細く返事するしかない。



クソッタレ

とっとと乾きやがれ、傷口野郎!


である。

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