モウズイカの裏庭2

秋田在・リタイア老人の花と山歩きの記録です。

カテゴリー「街並みと建物」の目次

2023年02月14日 | 街並みと建物

【カテゴリーごとの目次・頁の作成にあたって】
ブログを始めて三年目になると、
いつの間にか記事の数が増え、自分自身でも旧記事を探すのがタイヘンになって来ました。
当初はカテゴリーを細分化して対応しておりましたが、カテゴリーの数は本ブログでは百個まででした。
また私の使用しているテンプレートでは、
カテゴリーをクリックして出る「カテゴリーごとのブログ記事一覧」は五個まで表示される設定となっております。
すると、記事数が六個以上あるカテゴリーでは目的の記事を探すには、
記事一覧の最下段、「前ページ」を1~複数回、クリックする必要があります。
もう少し楽に記事を探す方法はないものか。
ブログではあまり例のないことかもしれませんが、
カテゴリーごとに目次の頁を作成し、「カテゴリーごとのブログ記事一覧」の先頭に据えることにしました。
というわけで、記事数が多めのカテゴリーから徐々に「カテゴリーごとの目次」の頁を作って行きます。
なお新しい記事を加えたら、その都度、目次の頁が先頭に来るようにしなければなりません
(現実には年一、二回やれればいい方かもしれません)。
ちょっと面倒ですが、少なくとも今までよりは効率よく記事が探せるようになることでしょう。
冬場は山に行かないので、新ネタ記事は夏場に較べて格段に少なくなります。
しばしの間、「カテゴリーごとの目次」の新規作成や更新が続きますので、どうかご了承お願いいたします。


(記事の配列は、訪問月日の順に並べ、降順とした。)

New 如斯亭に行ってみた。(2022年11月9日)

New ミルハスは見るだけ(2022年9月30日)

能代の金勇に寄ってみた。(2017年4月2日)

早春の北陸旅行・富山シティ編(2017年3月6,7日)

早春の白川郷(2017年3月6日)

早春の北陸旅行・金沢タウン編(2017年3月5日)

New 横手かまくらと六郷天筆(2018年2月)

増田の内蔵に行ってみた。

初めての久保田城(2016年12月12日)



六郷の天筆
  
                                           能代の金遊


以上。

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横手かまくらと六郷天筆(2018年2月)

2023年02月13日 | 街並みと建物

私モウズイカの出身地は秋田県の横手市だが、
60年以上生きていて、『かまくら』はほとんど見たことが無かった。

何故だろうか。
それは、厳密な意味での私の出身地が平鹿郡十文字町だからだろう。

その町は『かまくら』行事の有る旧・横手市と10キロ程度離れた別自治体だった。
しかも旧・横手市と同様、豪雪地帯であり、
個人的にはこれ以上、雪や雪で作ったものを見るのはもうたくさんだった。

しかし十文字町は平成の大合併で他の平鹿郡町村と一緒に現在の横手市に合併になった。
それ以降は面倒なので、実家は横手としているだけのこと。

2月16日は母の介護で、横手実家に行った。
母はこのところ認知症の症状が進み、手がかかるようになっていた。

その帰り道、家内から「自分はかまくらをまだ見たことが無い。寄ってみたい。」との話が出た。
私自身もそうだったので、立ち寄ってみることにした。
メイン会場のひとつは横手市役所に隣接している。

かまくらの会期中とはいえ、平日の昼だったせいか、市役所の駐車場は空いていた。





今の時間帯、観光客は少なく、インバウンド(米国人?)が数名程度だった。




後ろの建物は横手市役所本庁舎。
他のお客が居なくなったのを見計らい、家内をかまくらの中に入れる。

 







 

なお、かまくらは一応お祭りなので、近くには屋台店もいっぱい立ち並ぶ。




お面のキャラは名前の分からないものが多くなった。




ワタあめの売り方も変わっていた。




軽トラに載った梵天(ぼんでん)が二台通りかかった。

 






こちらは梵天が練り歩く横手中心部の商店街。
この雑貨店はノスタルジックな雰囲気だった。




かまくら行事が終ると、豪雪地・横手は春に向かって邁進することになる。


こちらは
前の週(2月9日)、やはり母の介護で実家に行った帰り道、
美郷町六郷の国道13号線沿いで見た光景。

 





横手市の北隣・美郷町六郷の小正月行事、天筆
(詳細は美郷町のホームページを参照されたし)。
実家のある横手市の隣町にこの行事があると知ったのは前の年(2017年)だった。
ずっと知らないでいたのは、行事開催の時期も含め、此処を通ることが殆どなかったせいだろう。
2016年年末に会社をリタイヤし、以降は此処を通って、介護のため、秋田市と実家を行き来するようになった。
地味なお祭りだが、冬のモノクロ風景に天筆はとても鮮やかに映えていた。

以上。

コメント (4)
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如斯亭に行ってみた。(2022年11月9日)

2022年11月15日 | 街並みと建物

いつも私独りで山ばかり行ってるので、たまには家内も・・・シリーズ
の第二弾(第一弾はこちら)。

11月9日、秋田市の如斯亭に行ってみた。




ここは名前だけは以前から知っていたし、

サラリーマン時代はこの前を通勤で何千回も掠めていた。
秋田市郊外に古くからある高級料亭?程度の認識で、
私のような下々の者は一生縁がない場所だと思っていた。
最近になって家内が行ってみたいと言い出したので、
秋田市や関連のホームページであたってみたら、私が思っていたのとは全く違うタイプの史跡だった。
以下、ホームページからの抜粋引用。
「旧秋田藩主佐竹氏別邸(如斯亭)庭園は、元禄年間(1688~1704)にその起源があり、
名君として名高い9代藩主・義和によって整備され、「如斯亭(じょしてい)」と名づけられました。
後に「東北では無二の名園」とも評され、藩主の御休所にとどまらず、
多くの文人墨客の交遊の場としても活用されました。
平成19年(2007)に国の名勝に指定され、平成26年(2014)からは遺構や史料を基に修復整備工事を行い、
平成29年(2017)10月21日に往時の姿に蘇った如斯亭庭園は、秋田市の新たな名所として開園しました。」

明るい葉色の杉の生垣に沿って進むと・・・

 



受付の建物が有って、反対側に何やら物置のような建物が。
ここが主屋だった。

主屋の内部から庭園を望む。





主屋に家内を配して

 


ドウダンツツジの樹形が面白い。




こちらは上便所。




「藩主専用の便所です。

便壺はなく、出し入れが出来る箱を置いていました。用を足したあと、すぐに取り出していたようです。」
と説明が有った。
文人墨客や家来はどこで用を足したのだろう。

庭を巡ってみた。




仁源泉



季節柄、カエデが色づいていた。


 


 
                                          何故かキノコが一個だけ。





茶室・清音亭



如斯亭主屋を茶室側から望む。




屋敷内に植わっていたケヤキの古木。

 



推定樹齢は550年とのことで、
逆算すると室町時代。
佐竹氏が秋田入りする前から
生えていたことになる。


以上。

コメント (4)
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ミルハスは見るだけ(2022年9月30日)

2022年10月10日 | 街並みと建物

たまには山以外の話題を。
いつも私一人で山に行っているので、9月30日は罪滅ぼしも兼ね、

家内から希望のあったミルハスを二人で見に行った。

ミルハスとは正確には『あきた芸術劇場ミルハス』
9月23日、正式にオープンしたばかり。
かつての県民会館跡地に秋田県と秋田市が共同で建てた
全国でも例を見ない文化施設との触れ込みだ。

旧・県民会館には家内と結婚したばかりの頃、山下達郎のコンサートを観に行った記憶があるが
それ以来だとすれば、この地に来るのは約40年ぶりと言うことになる。
今回はコンサートではないので、はたして中に入れるものか心配も有ったが、まずは行ってみた。

千秋公園の中土橋を渡ると、それは左手に現れる。







中に入ったら・・・

エントランスロビー









ホワイエ












自慢の大ホール、中ホールには入れなかったが、それ以外は自由にしかも無料で見ることが出来た。
トイレも奇麗だった。
更なる詳細は ↓頁でどうぞ。
https://akiat.jp/venue/

次に行くのはいつの日になるだろうか。

千秋公園佐竹小路から望む。



見終わって、中土橋から。お堀の蓮はまだ咲き残っていた。





蓮の咲き残り。




ミルハスの「ハス」はこの蓮に掛けたものと思われる。

今回の写真は私にしては珍しくスマホで撮ったものだ。

以上。

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初めての久保田城(2016年12月12日)

2021年12月14日 | 街並みと建物

古い話で恐縮。たまには、いや初めてかな。お城の話題を。




2016年12月12日は秋田市のシンボル、千秋公園(久保田城)の深部に入り込んでみた。
何を今更、千秋公園などを・・・と言われるかもしれないが、
 (´π`;)ワタシは秋田市に40年以上も住んでいながら、これまで千秋公園の中をまともに見たことが無かった。
公園での花見は40年近く前に一度だけ、他は植木市や昼竿灯で公園入り口の中土橋を掠めたくらいか。

11月末、会社をリタイアしてまもなく差し歯が取れたので、
千秋公園のすぐ近くに有るかかりつけの歯科医院に行ったら、

歯の土台から治療が必要とのことで、数回、通院することになった。
最後の通院日、「そういえば久保田城の中ってまだ見たことが無かったな。
今日を逃せば、この先、しばらく街中に来ることは無いし・・・。」

なので、この日、思い切って訪ねてみることにした。




久保田城表門(一の門)






昔はこういった門には警護の侍が居て厳しく検問されたようだ。
水のみ百姓だった (´π`;)ワタシの祖先などは一生くぐることはなかっただろう。
立派な表門をくぐると、奥の方に立っていたのは、第12代秋田藩主・佐竹義堯公の銅像だった。




 


立派なお顔立ちだ。今の殿様(佐竹知事)とは似てないような、いや、やはり似てるかな。

秋田市のホームページによると、
第12代秋田藩主佐竹義堯(文政8年(1825年)~明治17年(1884年))は、近代秋田を築いた最後の藩主であり、
戊辰戦争では、新政府方に属して戦いました。明治維新の激動期を生きた象徴的な人物です。
この銅像は、大正4年、義堯公の徳をしのぶ戊辰勤王記念銅像建設委員会によって本丸に建立されました。
しかし、太平洋戦争により、昭和19年(1944年)に解体撤去され、台座だけが残っていました。
その後、昭和28年に佐竹家から銅像が寄贈されましたが、市民から「小さな銅像は寂しい。ぜひ復元を。」
との声が多く寄せられ、平成元年、戦前のものと同じ大きさで復元されました。
とあった。

次いで、久保田城御隅櫓(おすみやぐら)へ。

 


いつもは千秋トンネルの上に建ってるのを運転しながらチラッと眺めているだけの存在だが、
今日は初めて間近から見上げてみた。




なお今日は休館中なので中に入れなかった。

解説によると、昔は武器庫で、元々は2階建てだった。
一見、天守閣のように見えるが、これは復元にあたって観光用に展望室を加えたから。
このことを (´π`;)ワタシは今日初めて知った。

御隅櫓の近くから秋田市の市街地を眺めると・・・




北北西側が割と開けている。はるか遠くに見える白いお山は男鹿の寒風山。







再び、佐竹義堯公の銅像の前を通り、帰途につく。







これは公園の中にある池の表面。茶色いのは枯れた水草。







格別の感慨も、これといった収穫も無く、久保田城を下りた。
やはり (´π`;)ワタシは城跡よりも山を歩いてる方が愉しい。


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