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森喜朗氏の発言から考える、スポーツと組織、政治~後編

2021年04月08日 | 社会・経済

スポーツに政治が介入したとき、アスリートにできること

溝口紀子(柔道家、スポーツ社会学者、日本女子体育大学・大学院教授)

(構成・文/木村元彦)

Imidasオピニオン2021/04/07

    バルセロナ五輪女子柔道銀メダリストであり、現在はスポーツ社会学者として活躍する溝口紀子氏に、日本のスポーツ界、組織、政治に対する見解をうかがいます。後編は、スポーツ界でジェンダー平等を実現するためにはどんなことが必要なのか、さまざまな不条理が起きたとき、アスリートやその周囲の人々に何ができるのか、などについて語ってくださいました。

差別に「ノー」

――フランス革命の精神である、自由・平等・博愛というものは、人類普遍のテーマだと思います。ノーレイシズムという主張は、政治ではない。差別を絶対に許さない「ゼロトレランス」の姿勢で「ノー」と言うのは当然のこと。FIFA(国際サッカー連盟)は差別行為を一発アウトにしています。

 大坂なおみ選手のアクションについて「テニスに政治を持ち込んだ」と言って非難する人がいますが、そういう問題ではない。人を殺すな、黒人を殺すなという、彼女の主張自体が、世界中のアスリートに通底するようになってほしいと思うし、オリンピックも平和のための祭典という形が本来はあるべき姿だと思います。

溝口紀子(以下、溝口) 逆に、「テニスに政治を持ち込んだ」という発言自体が政治的です。また、森氏の発言の一部を切り取って批判しているだとか、言葉狩りだなどと言ってる人たちほど、問題を矮小化していますよね。自分たちに自浄作用がないことを発信している、日本の恥です。蔑視発言は事実なのにそれを認めないというのはある意味、逆照射で自分たちの姿が映し出されて、パニック状態になっているんです。それぐらい大きな変革、人権への意識のパラダイムシフトは起きていますよね。

迷走する組織委会長職の後継問題

――森前会長の後継問題について、溝口さんはどうご覧になりましたか。

溝口 問題の核心が何かをきちんと解析できているのだったら、後継者はやはり若い人や女性の人材を、外部からでも探すと思います。それなのに森氏が選んだのは同じ早稲田大学出身での1年先輩の川淵さんでした。例えるならば、ラグビーで言うところの「スローフォワード」、前にボールを投げてしまう反則行為のような悪手で、問題がさらに悪化するということ自体が読めていません。そこに、森氏のガバナンス能力、統率できる能力の限界がまざまざと見えました。組織の新陳代謝のためには、自分より若い人に託すことが定石です。

 もう一つは、森氏も後ろ(若手)にパスを渡したかったかもしれないんですが、「森一強」体制でずっと自分がボールを抱えたまま最後にトライを決めるというのを繰り返してきたから、パスを回せる後継者を育ててこなかったわけですよね。それで結局は、ピッチ(組織委員会)の外にいた森氏の「娘」と呼ばれる橋本聖子氏に交代したというところです。

 森一強は、実は森氏だけが悪いわけではありません。森一強にさせていた周りが悪いんです。森氏に「この人には敵わないな、後を譲ろうかな」と思わせるような人材を育てさせない。それは日本社会のあちこちでも言えるのではないかと思います。「若い芽を摘む」という表現がありますよね。だから若くて力のある人は、海外に出てしまうじゃないですか。

スポーツ界が脱・政治を実現するために

――日本のスポーツ界では結局、政治の支配が続いています。橋本聖子氏が組織委員会新会長になったことで、空いた五輪大臣のポストは玉突き人事のように丸川珠代氏に決まりました。丸川氏はかねてから選択的夫婦別姓制度に反対している議員で、当然、その主張は五輪憲章と相いれないものです。これはスポーツ界とは全く関係のない自民党人事です。こういった政治による支配から今後、スポーツ界が変わっていくためには何が必要だと思いますか。

溝口 今回も感じたのですが、私たちは残念ながら、政治の世界の手のひらに乗せられて、遊ばれているだけです。しかし、選手たちにとって不条理なことがあったら、声をあげて反論できるようにしなくてはいけません。

 まずひとつは、みんなが「スポーツ団体ガバナンスコード」に忠実に、意識改革をしなければならない。そして権力が一極集中してしまうようなピラミッド構造をどう改革していくのかという課題があります。私は五輪組織委が目標に掲げていた「女性理事40%」などと言わず、あらゆる社会の組織に女性を半分くらい入れていくしかないと思うんです。もう現状のジェンダーバイアスを変えて男女平等を実現するには、それ以外あり得ません。

男女平等に必要なことは?

――ただ、女性のアスリート、女性指導者の数そのものが少ないという現状があります。今後、女性にスポーツをもっと普及させていくために、どういうことが必要だと思われますか。

溝口 私も含めてですけれども、今までの女性コーチ、指導者は、男子の指導はできないという前提がありました。男性コーチは女子を教えられるけれども逆はできないと考えられてきたんです。しかし、教育において例えば、女子の数学、男子の数学も、女子の国語、男子の国語もありません。スポーツも本来は同じです。

 1~2年前にフランスに行った時、ラグビーの有名なクラブチーム、モンペリエを訪問したことがあります。そうしたら、そこでは女性のコーチが男子のラグビー選手を教えていたんです。

 女性は男子を指導できます。だから、日本でも指導者資格をちゃんと男女平等にするというところから始めたいですね。女子・女性の枠を増やそうとすると必ず「下駄を履かせるな」と言われてしまいます。しかし現状の制度や規定が男子・男性のための建て付けになっているのですから、最初のうちは下駄もやむを得ないと思うんです。また、資格や研修など実力をつけると同時に、役職につき実学を学ぶことも大切です。「役職が人を育てる」という言葉があります。男女問わず、責任ある立場になり、その責務を試行錯誤しながらもこなしていくことにより、その役職に適した能力を身につけていくことができます。

 具体的に、女性指導者率をどのくらい上げるのか。静岡県では、高校体育の教員採用枠にはただでさえ20倍ぐらいの応募がくるんです。そこで例えば10人採用したら、女性はそのうち1人しかいないんですよ。おおむね女子のほうが優秀なんですが、不採用の理由はよくわかりません。

 部活にしても、野球には女子部がほとんどありません。女子サッカー部もまだまだ少数です。そういうところを変えて女性の指導者をどんどん生み出していく必要があります。

 一方で、競技によっては男性が入りにくい社会もあります。アーティスティックスイミングや、新体操、チアリーディングは女性の競技ですよね。チアはこれからもしかしたら五輪種目になるかもしれません。こういう競技における男性の比率もきちんと上げていって、男女の分散化、均等化を実現していくべきでしょう。

女性役員は増えるだろうか?

溝口 女性指導者を増やすには、クォータ制(性別割当制。quota)を導入しJOC(日本オリンピック委員会)やNF(国内競技連盟)の女性役員を多くすることが大切です。

 2020年に、五輪の成功を見据えて醸成された「スポーツレガシーの持続」を設立目的としている一般財団法人の「日本スポーツレガシーコミッション」のことを調べていたのですが、そこの役員の顔ぶれを見て驚きました。

 女性役員の数が40%どころか0%です。ホームページには「次世代に誇れるスポーツレガシーを」と書いてありましたが、これでは負のレガシーだ、と思わずツッコミを入れてしまったくらいです。

――最高顧問が御手洗冨士夫氏、顧問が似鳥昭雄氏、会長が河村建夫氏、以下、理事長、理事、監事、評議員の17名全員が男性なのですね。今年(21年)2月の衆議院予算委員会で、東京五輪の剰余金の受け皿になることを意図して設立されたのではないかと問われて否定されていました。その質問もさることながら、この男女格差は何なのか?という質問が出てこなかったところにまた問題の深さを感じます。

 実際に自分もいまメディアで仕事をしていますが、仕事のできる編集者やプロデューサーは女性のほうが多い印象です。いろんな分野で見ていると、偉い人の「茶坊主」になるのは、男性の方が多い。

 あとはいわゆる「名誉男性」ではない女性など、きちんと自分の言葉で発言できる人たちの起用が必要ですね。結局、組織委新会長は橋本聖子氏になったわけですが、世論は一切の忖度をせずに圧倒的に正論を発信し続けていた山口香さんを支持していました。彼女が組織委員会のトップになればまだ日本のスポーツ界も変われるのではないかという期待がありました。しかし、それだけ希求されても山口さんが、組織の上に届かないというのは、それを止める勢力があるということなのでしょうか。

正論を言う人物を組織のトップに押し上げる力

溝口 いえ、私は単に山口さんについて行くことによって生じる「うま味」としての求心力がないからだと思います。山口さんが組織に入った場合、言っていることは正論でも、ついて行った時の「うま味」はないと思われているのではないでしょうか。心の中で賛同はしても、表立って応援できないのは、結局、組織内の人たちは「御恩と滅私奉公」の関係性で実利を取るからです。

 とりわけスポーツ組織は立場が脆弱な一方で、スポーツという公共事業から受けている恩恵を手放せません。スポーツジャーナリストも真っ向から本質を捉えようという人は一握りです。ほとんどの記者とメディアは、組織委員会の方々と同じようにみんな、何かしらの「恩恵」を受けている。あんまり都合の悪いことを言いすぎると、放映権をやらないぞ、取材を許可しないぞと脅かされるわけです。

――もう代表戦の取材パスを出さないとかね。森氏が川淵(三郎)氏に会長職を後継させると発言した時も、記者は川淵氏の自宅前に押しかけて肉声を聞くわけですが、「問題を起こして辞任する人がプロセスをすっ飛ばして後任を使命するという、こんな決め方で良いのですか?」と聞く記者が一人もいなかった。しかし当然ながら、世論は組織委の決め方に反発します。

溝口 メディアはそういう弱い立場で言論や報道を発信している、つまりそこには世論とはかけ離れた感覚があるということです。

 山口さんはたとえ会長として内部に入れなくても今の立ち位置で正解だと思います。これだけ世論が山口香を支持しているんだという広まること自体が、強いメッセージになる。そうすれば、山口さんを疎ましいと言って排除することはできなくなります。その中でだんだん空気が変わってくるでしょうし、山口さんに表立って賛同してくる人は、今は少なくても増えるのは時間の問題でしょう。それでほんとうに「力」がついてきたら、山口さんを組織の内部から押し上げていく勢力が出てくると思います。今は、道半ばというか、機を見ている状態です。ただ、道半ばでも、新会長が橋本聖子氏になった。昔ならそれでも男性が選ばれたでしょう。それが女性になったというだけでも、一歩前進かなと私は思っています。

姿が見えないJOC

――以前、溝口さんが言われた言葉で「もうJOC自体が『政治』になってきてしまっている」というのが非常に印象に残っています。

溝口 JOCはIOCの傘下に入っています。そのIOCが政治なので、しかたがないですよね。

――そもそも組織委員会というのは、JOCの事務方のお手伝いをする組織です。IOCが本来直接やりとりすべきなのはJOCですが、見事に今回、JOCの姿が見えませんでした。そのための機関であり、そのための役所であるにもかかわらず。他国ではありえないことだと思います。

溝口 そうなんですよね。私もJOCの存在が見えないのはとても不安です。山下(泰裕)JOC会長はなぜいつも関係者会議に呼ばれないのかという疑問があります。IOC会長、組織委員会会長、東京都知事、五輪担当大臣の四者が並びますが、本来はJOC会長が加わって五者会議になるべきなのです。

 今回の五輪は首都東京開催であるということで、JOCが霞んでしまいました。組織委員会がJOCのようなことをしています。本当は政治的に中立の立場でいなければいけないのに、政治に凌駕されている。どんどんJOCの存在、発言が小さくなっています。

――菅首相も、最初はオリンピックを巡る人事には介入しないとは言っていましたが、そうではなかった。

溝口 今まで以上に政府の介入が強くなっていると感じます。それは、もちろん自国開催ということもあるんですが、コロナによって政権への支持が揺らいでいるからではないでしょうか。オリンピックを成功させれば、支持率が逆転して、その後の総選挙に勝てるんじゃないか。その起爆剤に五輪を利用したいという思惑が見え隠れします。そういったプロパガンダ(政治色)がより強くなって、圧力がある中だからこそ、JOCやオリンピアン、私たちが声を上げていかなくてはいけません。

 本来の五輪のあり方としては、政治とは、第三の勢力でいるべきなんです。果たして、東西冷戦という政治状況によってボイコットを余儀なくされた1980年のモスクワ五輪から学んでいるのでしょうか。当時、現役の全盛期で苦しんでいたのが山下会長ですから、いちばんわかっていらっしゃるはずなんです。こういう時ほど政府が介入してはいけないという声をもっとJOCの内側から出すべきです。

 もう一つ、二階(俊博)氏(自民党幹事長)が今回のゴタゴタでボランティアを辞めるという人たちに対して、「そんなことで」辞めると言っても、と発言しました(編集部注・後に自民党により「そのようなことで」と訂正された)。言葉というのは、思っていることが、正直に出てしまうんです。「そんなことで」。

 いまスポーツ界の最前線にいるのは、スポーツを「する」「見る」「支える」人たちなんです。だから、ボランティアとして支えてくれる人たちのことも、五輪に出場する選手と変わらず大切なんだという認識を持たなければいけません。五輪にとってボランティアの人たちは、いわば、社会生活を支える上で不可欠なエッセンシャルワーカーですよ。その人たちに対する心配りや眼差しは、今、報道も含めてまったく見られません。

――いわば政治の失態で、ただでさえ、世論の8割が中止を望んでいる五輪に対するイメージがさらに悪くなってしまいました。それがアスリートにまで波及することがないように、われわれメディアも止めなくてはいけません。そのためにも自浄作用を働かさないといけないですね。

溝口 これほど五輪開催に対して否定的な意見が充満している状況の中では、選手たちは進むも地獄、退くも地獄です。メディアの人たちは、その選手たちにきちんと焦点を当てて、頑張りを伝えていって欲しいですね。やはり選手たちがいちばん悩み苦しんでいると思います。現在のスポーツ選手は、スポーツ従事者であり、スポーツは経済活動、生計そのものでもあるからです。

――溝口さんがスポーツのことにとどまらず、政治や社会のことまで常に鳥瞰、俯瞰して発言ができるというのは、どこから来ているのでしょう。

溝口 私は、アカデミアに身を置いていて、社会学が専門です。社会の見えない空気を分析するのが仕事で、それをスポーツの視点から研究しています。だからこそ私はおかしいことはおかしいと言わなくてはいけないと思うのです。スポーツ関係者、組織委、あるいは柔道連盟の人たちから見れば、溝口は余計なことを言っていると思うかもしれません。しかし、スポーツ競技団体の内側の人間でもこうやって問題が見えているんだよ、と訴えかけることが、オリンピックの価値を上げ、スポーツの価値を上げると思うんです。


やっぱり、降ってます。

カラー写真なんですが・・・

 



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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2021-04-09 06:42:25
お早うございます!
東京オリンピック・パラリンピックを開催すべきと考えています。野球・相撲・各種イベントが、形を変えて開催しています。人数制限・ワクチン接種・PCR,抗体検査の実施して、お金をかけて大規模にするのではなく、小規模にして実施できそうに感じているのですが。アスリート達の選抜が行われている規模の大会でもいいもではないでしょうか。池江璃花子選手の遊泳の姿を動画で観戦したくなりました。 K.M
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