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森喜朗氏の発言から考える、スポーツと組織、政治~前編

2021年04月07日 | 社会・経済

五輪は多様性をもたらす「黒船」…日本の問題が海外で可視化

溝口紀子(柔道家、スポーツ社会学者、日本女子体育大学・大学院教授)

(構成・文/木村元彦)

Imidasオピニオン2021/04/07

 森喜朗氏(東京オリンピック・パラリンピック組織委員会前会長)が女性蔑視発言により批判を受け、会長職を辞任。後継者を巡り迷走したことは記憶に新しい。選手、競技とは全く別の次元で多発する問題の根底に何があるのか。バルセロナ五輪女子柔道銀メダリストであり、現在はスポーツ社会学者として活躍する溝口紀子氏にうかがった。

森前会長発言と世論

――そもそも、森氏自身は総理大臣時代から、「(日本は)神の国」「(子どもを産まない)女性を税金で面倒みなさいというのはおかしい」発言など、舌禍事件で知られた人です。「国歌を歌えない選手は代表選手ではない」と言ったこともあり、「オリンピックは国家間の競争ではない」とうたっている五輪憲章を読んだことのない人がトップにいるということはうすうすわかっていました。

溝口紀子(以下、溝口) かねてから、森氏が妄言しやすい人だったというのはもう周知の事実ですよね。私もそうですけれども、時代錯誤と思いながらも、見過ごしてしまっていた。これをよしとする雰囲気はありました。

――柔道界で言うと、溝口さんは全日本柔道連盟の内部にいながら、2013年の女子選手に対するパワハラ事件に関しても声をあげて、変革を叫んで来られました。8年前から日本のスポーツ界のハラスメント体質は変わっていないのかと思う一方で、今回は世論が大きく動いたと感じます。問題の本質を追及していくうえにおいて、社会学者でもある溝口さんはこの流れをどう見ていますか。

溝口 世論についてはまず、やはりコロナウイルス感染症の影響でしょうね。コロナで私たちの景色が一変している。日本中で五輪開催反対という声が日増しに大きくなるのは、コロナで分断されている日常があるからです。

 富裕層の人たちは、五輪の経済的な恩恵にあずかろうとして推進しようとする。その一方で、恩恵を受ける以前の段階で苦しんでいる人たちはどんどん切り捨てられていく。コロナによって、日本社会の脆弱な部分が明確に可視化されてしまった。ここまで生活が苦しくなってくると、今まで何となく見過ごしてきたことを見過ごせなくなってきた。人々の感知センサーがとても敏感になっている。

 特に今、女性の自殺率が急激に高くなりました。女性が7割近くを占めるともいわれる非正規雇用の人たちがコロナで職を失い、自己責任では這い上がれないような貧困に追い込まれた。それまで女性たちはいつも頑張って頑張って、「わきまえて」きたのに、経済的な格差は開く一方です。そこにあの女性蔑視発言ですから、響きました。

 さらには格差に喘ぐ男性たちも動いた。世論の動きを導き出したのは、これまで「わきまえてきた女たち」と「わきまえてきた男たち」なんです。

「時速300キロ」で爆走する

溝口 それともう一つは、国際的な流れがあったと思います。私に対しても海外メディアからの取材依頼が多かったのです。まず、外国の友人からの反応が多くて、「紀子の住んでいる日本って、まだこんな古い世界なのか!」「オリンピックの組織委員会にそんなトップがいて恥ずかしくないのか?」というようなことを言われました。

 世界では#MeToo運動が広がっていますし、もちろんジェンダー平等を目指すオリンピズムについてもアナウンスされています。現在はセクシュアルマイノリティであるLGBTQの人々の多様性も大事にしていこうという流れが世界の主流です。注目度のある中で、五輪開催地からああいう発言が出てしまったことが、また拍車をかけて大きなムーブメントになった気がしますね。

――カナダ人のIOC(国際オリンピック委員会)委員であるヘーリー・ウィッケンハイザーが「絶対にこの男(森氏)を追いつめる」と発言したことも反響を呼びました。IOCのバッハ会長も森前会長の謝罪を受け、最初はそれで収束させようとしましたが、途中で「不適切」という声明を出しました。

溝口 ウイッケンハイザー委員、言葉が強いですよね。バッハ会長と森前会長は、友情などと言っていますが、カネと利権で繋がっていただけで、お互いの保身しか考えていないですよ。本当の友情だったら最後までかばいますからね。

 森氏も国際的には貢献していた部分もあります。とはいえ、それはそれ、これはこれなんですよ。フランスの『ヴァンミニッツ』という雑誌で「森は法定速度時速130キロの道路を時速300キロのスピードで駆け抜けていった」という表現がありました。フランスでは、国際社会では免許没収、レッドカードなんです。ですが、日本では、森氏が時速300キロで走っていても「森さんだから」と許されてしまいます。森氏はもうオリンピックの組織委員会の会長になった時点で、国際基準の道路を走っているのに、国内のつもりでいたんでしょうね。日本国内だと誰もが大目に見てきたわけです。 

 それなのに今回の件では女性蔑視発言に対して、日本でも海外でも一発レッドカードなのだということが一気に突きつけられた。それで森氏的な人たちがみんな、「どうしよう、これ、言葉狩りじゃないか」などと混乱状態になってしまったというのが、発言当初の状況だったと思います。

 でも、五輪を迎えるというのはそういうことなんですよ。黒船がやってくるんです。人も考え方も思想も日本に持ち込まれるのです。箱モノだけ揃えるのが開催準備ではありません。本来、五輪に備える大本であるはずの組織委員会が、じつはいちばん受け入れ準備ができていなかったということが露呈した。私の中では今回のことをこんなふうに考えています。

――オリンピアンOG、OB含めて、アスリートたちは五輪憲章というものをきちんと学びます。研修もしっかりとある。ところが、組織委会長がおそらく一行も読んでいない、あるいは、目を通していたかもしれないけども血肉になっていないっていうことが、一気に世界にさらされました。よく、日本は外圧がないと変われないと言われますが、国内で看過されてきたこと自体が問題です。

溝口 五輪憲章がどういうものなのか、五輪を招致しておきながら、日本国内では主体となる組織委も報道するメディアも理解していなかったわけですね。

 もう一つ森氏の発言で、あまり問題視されてないものがあります。「女性は会議が長い」という、そちらがクローズアップされたのですが、それよりもあの発言についての謝罪会見の時の方が、完全にレッドカードの連発だったんです。特に、「皆さんが邪魔だと言われれば、老害が粗大ゴミになったのかもしれませんから、掃いてもらえればいいんじゃないですか」。

 これは老人差別です。自らを盾にするつもりだったのかもしれませんが、これを森氏が言ってはいけません。一般社会ならだいたい60~65歳で定年ですよ。それでも80歳を超えても卓越した功績があるから、能力があるからということで会長になったはずです。ところが、こういう窮地になった時に、高齢者という「弱者」のカードを振りかざすということが、もうトップの資質ではありません。

 これによって、日本社会の全体が見えてきたんじゃないかとも思います。家父長制度で、長老が常にトップに立つ。上に物が申せない上意下達の武家社会のような構造の中で、組織にいる人たちは、要は「御恩と滅私奉公」の関係になっていくんです。

 恩恵を受けている人たちは上に何も物が言えないわけです。彼らの「恩返し」というのは、組織を良くしようとするのではなくて、組織と組織の偉い人を守ろうとするほうに向かってしまう。本来だったらこういう不祥事があった時に、森氏に近い人たち、武藤(敏郎)氏(東京五輪組織委員会事務総長)とかが、森氏にノーと言わなければいけなかった。そこを、恐らく幹部の方々がわかっていなかったと思います。

フランスに息づく自由、平等、博愛と人権意識

――それとこの期に及んで、詭弁中の詭弁ですが、「森発言を女性蔑視だなんて言うが、それを言うなら人権問題を抱える中国や女性の権利を抑圧するイスラム諸国は五輪なんてできないはずじゃないか」という、擁護というか、論点そらしが出てきました。過失を認めず、まだ変わろうとしないところに根の深さを感じます。

 これは、日本語の特質にも依っていると思うんです。溝口さんはフランス女子柔道のナショナルチームのコーチ経験もあるからおわかりのことと思いますが、例えばネット上でこういう言説がヨーロッパで流されたら、英語だろうが、ドイツ語だろうが、フランス語だろうが、ボコボコに叩かれるはずです。そのような言説ですが、この島国固有の日本語でだけ発信されているから、極めて内向きになって、相変わらず温存、継続されている。

溝口 日本は内向きになっているから、よけい自分たち、身内や仲間を守ろうという空気があると思うんです。ですがそういう発言は、フランスだったら、ボコボコにされます。現状では、人権問題を抱える中国や女性の権利を抑圧するイスラム諸国より日本は低いのです。そのエビデンスとして、最新のジェンダーギャップ指数で、日本は153カ国中120位。カースト制度が残り、慣習的、宗教的に女性は男性より身分が低いとされているインド(112位)や、イスラム教徒の多いセネガル(104位)、バングラデシュ(65位)といった国々よりも日本は女性の社会的地位が低いのです。ちなみに人権問題を抱える中国は107位です。よその国がどうこうではなく、自分たちの国の自分たちの問題として批判しているのだから。

 フランスは1789年のフランス革命の時から、自分たちの命を削って人権を勝ち取ってきたのです。第二次世界大戦後は移民が入ってきて多文化共生社会を目指しました。その中では民族、宗教、性差別など、確執がいっぱいあったはずです。喧嘩になり、宗教、民族、人種、セクシュアリティなどの属性で相手を貶める現場もありました。しかし、フランス社会は共生への歩みを止めませんでした。

 もちろんフランスでのコーチ時代、チーム内でも確執はありました。しかし、スポーツ界には多様性を受け入れていくのだという信念がありました。ある時、ウェイトトレーニングの場所取りが発端で、選手同士の小競り合いが始まったんですよ。その時は黒人の女性と白人の男性だったんですが、互いに露骨な人種差別発言をし始めたんです。すると、コーチが「もうやめろ。ここはフランスだぞ。フランスの自由、平等、博愛の精神を忘れるな」と一喝したんです。すごい、ここでその言葉が出るんだ、と思いました。フランス革命のモットーが今のフランス人の中につながっている。つまりは人権でつながっているんですね。

 フランスの人たちは、あなたの意見も聞くけど、私の意見も聞いてねというスタンスです。日本は「あなたも黙ってね、私も黙るから」ですよね。そうなると結局、人権を守れないんですよ。波風を立てずに守っているようで守っていないんですよ。衝突してでも、意見を言って、傾聴するということができません。

アスリートにとって、五輪の意味とは

溝口 フランスでは、オリンピズムも徹底していました。北京五輪(2008年)の時、中国政府によるチベット弾圧に向かって、女子柔道ナショナルチームの選手たちが声をあげたんです。今もウイグル問題がありますが、彼女たちは中国の対少数民族政策への関心が高かったのです。『レキップ』というフランスの有名スポーツ紙に、フレデリック・ジョシネ、ジブリズ・エマンヌ、リュシ・デコス、こういった世界チャンピオンクラスの女子柔道選手が、みんな中国人の人権活動家の写真を持って解放を訴えたんです。それも五輪前にですよ。

 彼女たちはコーチ時代の教え子だったので、私はメールで連絡して、「こんなことしたらもう試合に出られなくなって、北京へ行っても何されるからわからない。首を突っ込んじゃダメだ」と伝えたんです。そうしたら、ジョシネが「ノリコ、何を言っているの。オリンピックは他の大会と違うんだよ」と。ジョシネはアテネ五輪の銀メダリストでフランスの顔でした。その彼女に「むしろオリンピアンだからこそ、差別問題をしっかり訴えなきゃいけない。勝つためだけにオリンピックに行く選手なんて三流の選手だ。アスリートがこういう時にメッセージを発信できるからオリンピックには意味があるんだ」と言われたんです。「オリンピズムを体現できるのは私たちオリンピアンしかいない」とも。

 その人権意識にはもう腰を抜かして、「あ、そうだね」としか言えなかったんです。ただもう一方で見ると、彼女たちの発言もフランス政府の見解に追随する形とも言えるわけで、政治的と捉えられれば政治的なんですよね。とは言え、フランス政府にも平気でモノを言う彼女たちですから、政府の代弁者になるつもりはなく、本当に純粋にオリンピズムからの発信なのだと思います。ちなみにジョシネは谷亮子氏のライバルでしたが、引退後、フランスサッカー協会の女子強化委員長に就任、現在は柔道連盟の副会長で強化委員長(男女)をしています。

――人道や人権に関することは政治ではない、という流れにスポーツ界もなってきましたね。

溝口 そうですね。今、そういった発言についてしっかりと実行できている日本人選手は、大坂なおみ選手だけではないでしょうか。

*「後編:スポーツに政治が介入したとき、アスリートにできること」に続く


 天気は良いのだが、気温は上がらず、10℃に届かず、夜から朝にかけてはまだ氷点下が続いている。さらに、明日の午前中は雪の予報が出ている。
畑の雪もまだ残っている。

それでも陽射しがあるので福寿草が咲いている。



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