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内田 樹 「コモンの再生」が日本を救う その3

2020年11月15日 | 社会・経済

日本列島をどう守るか 過疎化に“100万人の引きこもり”が役立つワケ

文春オンライン2020.11.14 

    いまや日本の過疎地域は国土の6割弱、市町村数の半数近くを占め、人口の偏在が進むなか、「所有者不明」の土地は国土の約20%を占め、手つかずのまま放置されている。新著『コモンの再生』を上梓した思想家の内田樹が、日本の過疎化問題の本質に切り込み、打開策を提言する。

――地方の「所有者不明」土地問題は全国的に深刻で、いまや九州本土を上回る約410万haもの面積が、手つかずの土地・空き家として放置されています。

内田 日本列島は森林が多く、人間が住める可住地は国土の30%に過ぎません。その上、過疎化が進行しているので、これまで人が住んでいた土地がどんどん放棄されて、人が住まなくなる。今世紀のうちに可住地の60%が無住地化するようです。

 先日ある県人会の講演に呼ばれて行った時に、地方の人口減の話をしました。講演後となりに座っていた方が「自分の故郷は、自分が子どものころは200戸の集落だったが、自分たちの子の代で引き続きこの集落で暮らすという家は2戸しかない」という話をしてくれました。1世代で人口が100分の1にまで減少するわけです。住人が2戸しかない集落だと、公共交通機関はどうなるのか、行政サービスや医療や消防はどうなるのか。バスは通るのか、ライフラインの維持はしてくれるのか。たぶん、そんな少人数のところにコストはかけられないということでいずれ切り捨てられることになると思います。そこが住めなくなると、いずれ森が集落を呑み込んでしまう。

 これまで、環境問題というと、「自然をどう守るか」という議論でしたけれど、これからはそれに加えて「過疎地の文明をどう守るか」という議論も並行して行わなければならなくなってきました。久しく人間の繁殖力が自然の繁殖力を圧倒してきたわけですけれども、そのフェーズが終わった。これからは自然の侵略からどうやって人間の文明を守るか、都市文明のフロンティアラインを守っていくかを考えなければならない。そういう発想はこれまでなかったですから。

――たしかにそうですね。

内田 自然の力は本当にすごいんです。廃屋って、外から見るとそれとわかるほど荒れ果てますよね。人が住まなくなると、すぐに壁がはげ落ち、瓦が落ち、柱まで歪んでしまう。前に東京で見かけた廃屋は、半年後に通りがかったら竹が屋根を突き破っていました。その家に人が住んでいる頃にも、庭には竹林があったんでしょうけれど、竹が家の下にまで根を伸ばして、床を突き破るというようなことはなかった。人間がそこに住んでいるというだけで、自然の繁殖力は抑制されるからだと思います。

人口減少時代は、自然の侵略を防ぐことがフロンティアの仕事

 昔はどんな神社仏閣でも「寺男」とか「堂守」といわれる人たちがいました。門の開け閉めをしたり、鐘を撞いたり、掃除をしたり、たいした仕事をするわけでもないのですが、広大な神域や境内に人が1人いるだけで大きな建物が維持されて、森に呑み込まれるということは起きなかった。これは文明を守るための、先人たちの知恵だったのだと思います。

 僕の友人で祖父母の住んでいた集落が無人になったという人がいます。親族が近くに住んでいるので、祖父母の墓参りに行きたいと言ったら、もう道が通れないから無理だと言われたそうです。集落全体が「山に呑まれて」、道路も藪で覆われて、獣や蛇が出るので、怖くてとても墓参りになどゆけないということでした。人間が住んでいると、それだけで自然の繁殖力はかなり抑制されるのですが、ひとたび無人になると自然が堰を切ったように文明の痕跡を覆い尽くしてしまう。

――日本中の過疎地域で同様のことが起きているでしょうね。

内田 人間はフロンティアを開拓して、自然を後退させてきたわけですけれど、これからの人口減少時代では、自然の侵略を防いで都市文明を守ることがフロンティアの仕事になる。

 いまの地方政策は、コンパクトシティ構想に見られるように、過疎地を積極的に無人化して、住人を地方の中核都市に集めて、行政コストを下げるという発想です。住人を1か所に集めてしまえば、交通網や通信網や社会的インフラの整備コストが一気に削減される。官僚たちはそういうことを机の上で電卓を叩いて計画しているのでしょうけれども、実際には里山が無人化すると、自然と文明の緩衝地帯がなくなる。そうなると、都市のすぐ外側にまで森林が迫り、野獣が徘徊するようになる。

 文明を守るためには、自然と都市の中間に里山が広がっていることが絶対に必要なんです。里山は自然の繁殖力を抑制し、それを人間にとって有用なものに変換する装置です。行政コストがかさむからというような理由で里山を無人化してしまうと、たいへんなことが起きます。だから、できるだける里山エリアを無人化させない。里山というフロンティアを守る必要がある。単なる社会政策上の問題ではなく、文明史的な問題なんです。

全人口の5分の1くらいは、里山エリアに住んだ方がいい

 経済学者の宇沢弘文先生によると、全人口の20-25%くらいは農村に住まなくてはならないそうです。いま日本の農業従事者は人口の1.3%です。農村人口というのは別に農業従事者のことではありません。自然の過剰な繁殖力を抑制するために里山に住む人たちのことです。宇沢先生が出した20~25%の農村人口という数字にはそれほどきちんとした統計的な根拠はないんじゃないかと思います。割と直感的な数字だと思います。でも、この直感を僕は信じます。全人口の5分の1くらいは都市ではなく、里山エリアに住んだ方がいい。そこで年金生活をしてもいいし、作家活動をしてもいいし、音楽をやってもいいし、陶芸をしてもいい。とにかく里山に「人がいる」ということが大事なんです。

――それは新型コロナウイルスのような危機に際して、里山がリスクヘッジになるということでしょうか。

内田 今回のコロナ禍で、都市が感染症に非常に脆弱であることがわかりました。狭い空間に人が密集して、労働、消費で斉一的な行動をとる。これが感染症にとって最悪の条件なわけです。SARS、MERS、新型インフルエンザ、新型コロナと、2002年から18年間で4回もパンデミックが起きました。自然破壊が進行して、それまで出会う機会のなかった野生動物と人間が出会って、人獣共通感染症が流行するようになったせいです。今世紀末までは世界の人口増は続き、アフリカや南米で自然破壊が進むことは避けられません。そうなると、数年おきに新しい人獣共通感染症が世界的なパンデミックとして襲来するということを前提にして社会制度を設計しなければならなくなる。都市に人口と資源を集中させて、都市機能がダウンするとたちまち国全体が麻痺するような脆弱な仕組みでは、これからあと定期的に訪れる感染症に対応できません。

 感染症対策として一番効果的なのは「広がって居住すること」です。他人と空間的な距離をとって生活している限り感染リスクは低い。だから僕が「田園に帰ろう」というのは何も農本主義的な発想だけで言ってるわけではありません。文明史的な要請によるものです。

 里山エリアに人口を移すというのは、1つは「日本の人口減」による自然の繁殖力の増大に対応するものであり、1つは「世界の人口増」による人獣共通感染症パンデミックに対応するものです。どちらもが同じことを要請している。

西部開拓者が理想像となった理由

 アレクシス・ド・トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』には西部開拓期の開拓民たちの「異常」な行動が記録されています。幌馬車に乗って開拓地に来た人たちが森を切り開き、畑を耕し、家を建てた。しばらくすると、その土地を棄てて、また幌馬車に荷物を積み込んでさらに西部に向かう。経済合理性を考えたら、まるで間尺に合わないことをしているわけです。でも、彼らは取り憑かれたように西に向かい、また森を切り開き、畑を耕し、家を建てた。彼らを駆り立てた情念は何だろうとトクヴィルは自問して、ある種の「狂気」だと答えています。

 僕はそれはちょっと違うのではないかと思います。西部開拓のフロントラインに立った人たちは、人間の力によって自然が屈服してゆくことを実感した。当時のヨーロッパにはもう本当の意味での自然は残されていなかったので、これは彼らにとって生まれて初めての経験だったはずです。手つかずの大自然が、人間の存在によってじりじりと後退して、そこが「人間の土地」に変わる。その経験がおそらくたとえようもなく強烈な全能感を開拓者にもたらした。そういうことではないかと思います。

 だから、西部開拓者はそれ以後のアメリカ人にとって1つの理想像になった。それは彼らが自信と自己肯定感に満たされた人たちだったからです。それ以外の時代、それ以外の土地においては見出しがたいような堂々とした人間たちがある時期に集団的に発生した。それが「フロンティア」というものの効用だったのではないかと僕は思います。彼らの全能感を基礎づけたのは、圧倒的な自然の繁殖力を自分の手で食い止めて、そこを人間の土地にしたという達成の経験でした。自然と文明の境界線を守る「歩哨」としての役割を担っていたことが彼らに深い自己肯定感を与えた。

――里山にもまた、そういう文明史的な意味があるということですね。

内田 そうです。いま里山が過疎化・無人化してゆくときに、ここをもう1度「フロンティア」として再興する。その前に1つ大きな問題があります。それは所有者・地権者がわからないという土地建物がいま過疎地にはたくさんあることです。私有財産ですから、自治体といえども勝手に手は付けられない。でも、無住の家屋は防災上も、防犯上も、公衆衛生上も非常に大きなリスクです。だから、何とか再利用したいのだけれど、できない。

 僕はそういう土地や建物はもう私有財産ではなく、公共財に戻してしまえばいいと思います。もともと土地というのは私有すべきものではないと僕は思っています。一時的に公共のものを借りて使用しているだけで、使用しなくなったら、再び公共に戻すということでよい。これらの無住の家屋や耕作放棄地をもう一度公共のものとして、地域の人々で共同管理する。

映画『シェーン』が示す土地をめぐる原理的な主題

――斬新な発想ですね。先生は本書のなかで、一定期間誰からの所有権も申請のない土地家屋をコモンにする「逆ホームステッド」法を提言していますね。

内田 ホームステッド法というのはアメリカ全土では1863年、南北戦争中にリンカーン大統領によって発令された法律です。部分的には40年代から施行されていました。国有地に定住して、5年間耕作に従事したアメリカ市民には無償で160エーカーを与えるという法律です。フランスから買ったルイジアナ、メキシコから奪ったカリフォルニアなど、北米大陸のほとんどが無住の地だったわけですから、そういうことができた。ヨーロッパの貧しい人たちがアメリカに行けば自営農になれるというので、毎年数十万単位で移民していった。西部開拓が可能になったのは、この法律があったからです。

 法律そのものは社会主義的な発想のものだったと言ってよいと思います。マルクスも、この法律を高く評価し、彼自身テキサスへの移住を考慮したほどでした。でも、これはヨーロッパから移民を北米に呼び寄せ、大量の労働者の人海戦術によって荒漠たる草原を耕地に換え、併せて巨大な市場を形成するというと資本主義的にもきわめてクレバーな政策でした。いわば社会主義的発想と資本主義的な発想がホームステッド法では矛盾なく共存していた。

 フロンティアの消滅は1890年ですが、それはもう移民たちに与えるだけの国有地がなくなったということを意味しています。わずか半世紀でアメリカのすべての「コモン」が私有地になったのでした。だから、西部開拓というのは実は大規模な「囲い込み」でもあったわけです。

『シェーン』という映画があります。主人公のガンマン、シェーンは農夫側の味方になって悪いカウボーイたちと戦うので、観客は農夫が「グッドガイ」で、カウボーイが「バッドガイ」だと思い込んで映画を観るわけですが、実はもう少し話は複雑です。この農夫たちはホームステッド法で土地を手に入れたニューカマーであり、カウボーイたちはそのはるか以前からこのエリアで放牧をしていた人たちだからです。それまで自由に出入りして、牧畜することができた「コモン」に、ある日政府発行の「土地権利書」を手にした移民たちが現れて、農地の周りに鉄条網を張り巡らして、「私有地につき立ち入り禁止」だと言い出した。「囲い込み」したわけです。

 伝統的な「コモン」を守ろうとするカウボーイたちと、「囲い込んだ」私有地を死守しようとする農夫たちの間で殺し合いが始まる。『シェーン』は果たして土地はコモンなのか私物なのかという原理的な主題を扱った、意外に深い映画なんです。

「引きこもり」が里山の「歩哨」として暮らす

――てっきり農夫かわいそうと思って観てました!

内田 映画では農夫たちが勝つわけですけれど、その農夫たちも、それから半世紀後には大恐慌のときに銀行に土地を奪われて、都市プロレタリアートに没落していく。19世紀のイギリスで起きたのと同じことがそのままアメリカでも繰り返されたのでした。

 西部開拓の時のコモンの私有化によってアメリカの農業生産力は劇的に向上しましたけれど、自営農となったと喜んだ農民たちも、やがて必然的に没落する。たしかにコモンを私有化すれば一時的に土地の生産性は上がるのですけれど、「土地の有効利用」を根拠として土地を私有化したものは、「それよりさらに高い生産性で土地を有効利用できる」という大資本家には理屈では勝つことができません。経済合理性を楯にして何かを奪ったものは、いずれ同じロジックで得たものを奪われるということです。

 僕が提案する「逆ホームステッド」法は、放置された私有地や無住の家屋を自治体が接収して、コモンにして、そこに住んで5年間生業を営んだ人に無償に近いかたちで払い下げるというアイディアです。里山に再び人を呼び戻すためには、よい方法だと思います。

 もう1つアイディアがあるんですけれど、それは「引きこもり」の人たちに「歩哨」をしてもらうというものです。

 一説によると、日本にはいま100万人の「引きこもり」がいるそうです。その人たちに過疎の里山に来てもらって、そこの無住の家に「引きこもって」もらう。里山だと「そこにいるだけで」、里山を自然の繁殖力に呑み込まれることから守ることができる。部屋にこもって1日中ゲームやっていても、ネットをしていても、それだけで役に立つ。

 それほどの給料は払えないでしょうけれども、人がいなくなった集落でも、お盆のときだけは戻ってくるから、家は廃屋にしたくないという人はたくさんいます。そういう何軒かの家からちょっとずつ出してもらえば、仕事になる。家賃は要らないし、物価だって安いし、気が向いたら、畑を耕して野菜だって作れる。

 そういうミクロな求人とミクロな求職をマッチングする仕組みができれば、かなりの数の「引きこもり」が里山の「歩哨」として暮らして、かつて西部開拓者が経験したような達成感や全能感を経験して、メンタル的に回復するというようなことが起きるんじゃないか。そんなことをぼんやり夢想しています。

「逆ホームステッド」法くらいの思い切った施策を

――やりたがる人、意外に多いと思います(笑)。

内田 フロンティアを守るのに実はそんなに頭数は要らないんです。大伽藍を守るのに「寺男」が1人いて、寝起きしているだけで十分だという話をしましたけれど、西部開拓でもそうなんです。

 映画『ダンス・ウィズ・ウルブズ』では、ダンバー中尉(ケビン・コスナー)が南北戦争で軍功をあげた見返りに好きな任地を選んでいいと言われて、フロンティアを選びます。フロンティアが消滅する前に見ておきたいという理由で。北米大陸全体が私有地に分割される前に、誰のものでもない大自然が広がっている風景を見たいと思った。彼が配属されたのはサウスダコタ州の砦なんですけれど、砦と言っても、あるのは丸太小屋だけ。そこに彼が1人で暮らす。砦ひとつで広大な辺境地域をカバーしている。軍務なんて実は何もないんです。そこにいるだけでいい。暇なので狼と踊っている。

 この映画が教えてくれるのは、見渡す限り人煙の絶えた草原のただなかに人が1人いるだけで、そこが「フロンティア」になるということです。そこが文明の最前線となる。大自然に向かって、「ここは人間の土地だ」と宣言している人間が1人いるだけで、自然はそれ以上侵食してこない。その「歩哨」としての責務を果たしているだけで、ダンバー中尉は彼に課された軍務を100パーセント果たしており、そこから深い達成感を得ることができる。

 農村人口を増やし、里山のフロンティアラインを守るには、「逆ホームステッド」法くらいの思い切った施策が必要だと僕は思います。土地は果たして私有すべきものなのか。私有してよいものなのかという問いを含めて、日本列島をどう守るかという課題を文明史スケールから捉え直すことが必要だと思います。

コモンの再生

内田 樹 文藝春秋  2020年11月7日 発売


冬支度。
ボートを沼から上げました。薄い氷が張っています。

バラ、やっぱり開花まで行きません。
 ここはネズミの害が多く、根元に網をまきつけてから支柱を立て縛ったり、保温資材で囲っています。今日はバラ・杏・梅・桃。明日はブルーベリーの予定。

今年最後のキノコ「ユキノシタ」


雨宮処凛がゆく! 第538回:アメリカ大統領選と、法廷でトランプ礼賛を続けた植松死刑囚。の巻

2020年11月15日 | 野菜・花・植物

マガジン9 2020年11月11日

https://maga9.jp/201111-1/

 

 アメリカ大統領選が終わった。

 バイデン次期大統領の誕生が決まり、4年間にわたる分断と対立と憎悪と差別を煽るトランプ政治が終わることに今、ひとまず胸を撫で下ろしている。

 「私は分断ではなく結束を目指す大統領になると誓います」「対抗する人を敵扱いするのをやめましょう」「人種差別を根絶します」、そして「私に投票しなかった人のためにも働きます」。

 このような「マトモな」言葉を聞いて、この4年間、随分異常な言葉に慣らされてきたのだということに気づいた。そうして思い出したのは、相模原事件の植松死刑囚のことだ。

 この連載でも相模原事件の裁判に通ってきたことは書いてきた。7月には、傍聴記録をまとめた『相模原事件・裁判傍聴記 「役に立ちたい」と「障害者ヘイト」のあいだ』を出版もした。そんな横浜地裁の法廷で、植松はトランプ氏の名前を何度も口にした。

 例えば初めての被告人質問(1月24日)では、突然トランプ氏の礼賛を始めている。

 「とても立派な人。今も当時もそう思います」

 弁護士に「どこが?」と聞かれると、「勇気を持って真実を話しているところです。メキシコ国境に壁を作るとか」。「それはいいこと? 悪いこと?」と弁護士に問われると、「わかりませんが、メキシコマフィアが怖いのは事実です」。

 その後も植松は続けた。

 「トランプ大統領はカッコ良く生きてるな、生き方すべてがカッコいいと思いました」

 「見た目も内面もカッコいい」

 「カッコいいからお金持ちなんだと思いました」

 そんなトランプ大統領からの影響を聞かれた植松は、言った。

 「真実をこれからは言っていいんだと思いました。重度障害者を殺した方がいいと」

 トランプ氏は「障害者を殺せ」などと一言も言っていないのだが、植松はそう「受信」したのであろうか。

 また、事件前、植松は多くの友人たちに事件の計画について話しているのだが、その際、以下のように述べている。

 「知ってるか、世界でいくら無駄な税金が使われているか。世界に障害者が〇〇人いて、そのために〇〇円も税金が無駄になっている」「殺せば世界平和に繋がる。トランプ大統領は殺せば大絶賛する」「トランプを尊敬している。自分が障害者を殺せば、アメリカも同意するはず」

 なぜ、凄惨な事件を起こすことでトランプ氏が「評価」してくれると確信していたのか。

 事件を起こす5ヶ月前、植松は衆院議長に「障害者470人を殺せる」などと書いた手紙を出したことで措置入院となるのだが、退院数日後にも異様な行動をとっている。友人の結婚式の二次会に、植松は「トランプをイメージした」という服装で現れ、人目を気にせず大麻を吸い、「障害者はいらない」と話し続けて友人たちをドン引きさせたのだ。

 ちなみに「トランプをイメージした」格好とは、髪は金髪、黒いスーツに真っ赤なネクタイという姿。事件直前、植松はTwitterに同じような姿の自身の写真とともに「世界が平和になりますように beautiful Japan!!!!!!」と投稿しているが、あの姿はトランプ大統領のコスプレなのだ。

 また、事件が起きたのは2016年7月だが、植松は裁判で、アメリカの大統領選がその年の11月に行われたことに触れ、その後に自分が事件を起こすと「トランプみたいな人が大統領になったからこんな事件が起きたと言われるのでは」と思ったので、その前に事件を起こしたとも述べている。日本で起きた障害者殺傷事件を「トランプが大統領になったからだ」と考える人などいないと思うのだが、植松は、自らが事件を起こすことが「トランプに迷惑をかける」と思い込んでいた。見る人が見れば、「この事件の犯人はトランプの影響を受けたのだろう」と気づくと思っていたのである。

 あの事件がトランプ氏のせいで起きたなどと言うつもりは毛頭ない。しかし、トランプ氏の「剥き出しの、暴力的な本音」とも言える発言は、何かのタガを外したのは事実だと思う。「綺麗事や建前を言ってた奴らが何かしてくれたか?」と理想を語る人を陳腐化し、連帯ではなく分断の種をばらまき続けた4年間。

 友人や元カノの証言によると、植松は16年頃からトランプだけでなく、イスラム国やドゥテルテ・フィリピン大統領に関心を持つようになったという。イスラム国に関しては、「恐ろしい世界があるなと思いました」と否定的に見ている様子だ。一方、トランプやドゥテルテ大統領のことは高く評価している。ドゥテルテ大統領については、裁判で「覚せい剤を根絶するのは大変な仕事だと思いました」と話している(そのせいで、無実の人が大勢殺されているのだが)。

 両者に共通するのは、賛否が分かれながらも支持する人々は「誰も言えなかった、できなかったことをやった」と熱烈に支持する点だろう。排外主義で、「敵」を設定して憎悪を煽るやり方も似ている。

 そんなふうに事件前、世界情勢に興味を持ち始めていた植松は、ヤフーニュース等のコメント欄にたくさんの書き込みをしていたことは有名だ。「イイネしかできないSNSと比べてワルイネ(BAD)が新鮮」だったという(『開けられたパンドラの箱』より)。

 もう一点、注目すべきは事件前、植松は動画投稿サイトに自らの動画を投稿していたことだ。現在は全編を見ることはできないが、そのサイトでは彼の過激な発言が多くの賛同を得たようだ。ヤフコメの差別やヘイトに満ちたコメントや、自分の動画の過激な発言(おそらく「障害者を殺す」などだろう)に賛同する人々のコメントを見るうちに、「これくらいやってもいいんだ」「これがみんなの本心なんだ」「これこそが世論なんだ」と思っていった可能性は否定できない。

 おそらく免疫がなかったゆえに、彼はネット上の悪意を真に受け、また「イルミナティ」などの都市伝説に容易に感化された。そんな時、トランプ氏が大統領選に出馬し、過激な言動を繰り返す姿が連日テレビで報じられた。その姿に、「これからは真実を言っていいんだ」と雷に打たれるように閃いたのではないだろうか。

 そのような著しく歪んだ「受信」をしてしまったのは、彼の普通ではない精神状態ゆえだと思う。

 しかし、トランプの発言や振る舞い、分断を煽るやり方は、植松だけでなく、世界中の悪意に火をつけた。例えば4年前、トランプ大統領が誕生してからのニュースを思い出してほしい。それはアメリカでヘイトクライムが急増しているというものだった。また、18年のBBCニュースは、17年にアメリカで通報されたヘイトクライムは7157件で、前年比約17%増となったことを伝えている。それだけではない。トランプ氏は新型コロナウイルスを「中国ウイルス」と呼び、欧米ではアジア人に対するヘイトクライムが急増した。

 さて、そんなふうに大統領選の結果が出る数時間前、私は興味深い体験をしていた。

 この日、渋谷のロフト9でよど号50年のイベントに出ていたのだ。よど号ハイジャックから半世紀というイベントには、北朝鮮からよど号グループの小西隆裕氏も電話出演。ゲストには森達也氏や孫崎享氏、元日本赤軍の足立正生氏や元連合赤軍の植垣康博氏も登壇したのだが、平壌から電話出演していた小西氏の話に私は密かに驚いていた。内容にではない。その、ゆっくりとした朴訥な話し方にだ。

 そのような話し方は、久々に耳にするものだった。噛みしめるようにゆっくり話す彼の言葉はわかりやすいものではなく、話はなかなか終わらない。会場の観客たちも途中から話の長さに失笑し始め、思わず「結論は?」「要約すると?」と突っ込んでしまいそうな衝動に駆られた。

 そんなふうに「話の長さ」に辟易している自分に気づいて、思った。

 小西氏は50年前に日本を離れ、ずっと北朝鮮で暮らしている。いわば彼の話し方は、50年前の日本人のものではないだろうか。それが今、私たちにはものすごく遅く、まどろっこしく聞こえてしまうのだ。申し訳ないけれど、苛立ちさえ感じるほどに。その背景には、私たちの社会の何もかもが50年前と比較して格段にスピードアップしたことや、140文字のTwitterに慣れたこと、長い記事の最初に「要約文」が表示されることに抵抗がなくなったことなんかがあるのだと思う。

 それだけではない。討論番組でもワイドショーでも、熟考などは求められず、とにかく条件反射のように「間髪入れず」「すかさず」相手を言い負かす人間が「勝ち」で、発言内容なんか問われないというテレビ的な「言い切り」に慣れてしまったこともあるだろう。そんな中、ゆっくりと議論することは「時間の無駄」とされ、最初に結論を言わずダラダラ話を続ける人間は「ダメなやつ」の烙印を押されるようになった。そんな時代に「デキる人間」としてもてはやされるのは、即断即決、時短の人間だ。とにかく何かを瞬時に判断し、断言することで相手を黙らせた人間が勝ちになる。そんなコミュニケーションの行き着いた果てが、私には植松のようにも思えるのだ。

 なぜなら彼は、あまりにも思考をショートカットしすぎたからである。

 障害者施設で働いた当初は、障害者を「かわいい」と言っていたものの、2年目からは「かわいそう」と言うようになる。かわいそうだと思うのならば、待遇を改善するよう職場で提案したり、上の人間と掛け合ったり、場合によっては内部告発やメディアに訴えるなんて手もある。しかし、彼はそれらすべてをすっ飛ばして、何段階もショートカットして、突然「殺す」に飛躍した。その振る舞いの影にちらつくのは、やはりトランプ政治的なものが作り出したある種の「空気」だ。熟考や「葛藤」を放棄させ、正しさや公正さに重きを置かず、過激なこと言ったもん勝ち、やったもん勝ちという作法は、どこかで確実に植松に影響を与えたのだと思う

 さて、とりあえずトランプ政治は終わる。かといって、バイデン大統領の誕生で薔薇色なんて思うほど楽観もしていない。この4年間で荒廃してきたものを修復していくには、長い時間がかかるだろう。アメリカの影響を大きく受ける日本社会にも負の遺産が山ほど残っている。ここからどうやって公正さや連帯を取り戻していくか、排外主義や分断を乗り越えていくかが大きな課題だ。

 トランプの敗北を、植松は獄中でどう思っているのだろう。聞いてみたくても、死刑の確定した彼とは以前のように面会することはできない。


 コロナが猛威的に吹き荒れている。北海道では3日連続200人越えである。こんな時にGo to!でもあるまい。以下「知床の旅」は「中止」いたします。