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「コモンの再生」が日本を救う その2「僕が死んだあと、私有地も道場も“面倒な”コモンにする」 内田樹が門徒に苦労させるワケ

2020年11月09日 | 社会・経済

 新形コロナウイルスの危機はグローバル資本主義のあり方に急激なブレーキをかけ、疑問符を投げかけた。今後、アンチグローバリズムの流れで地域主義が加速すると分析する思想家の内田樹が、新著『コモンの再生』にこめた日本再建のビジョンを語る。(全2回の2回目。前編は昨日)

◆◆◆

――そもそも〈コモン〉とはなんでしょうか?

内田 「コモン(common)」というのは、「共有地」のことです。ヨーロッパの村落共同体には、みんなが、いつでも使える共有地がありました。そこで家畜を放牧したり、魚を釣ったり、果実を摘んだり、キノコを採ったりした。しかし、コモンは生産性が低かった。土地を共有していると、誰も真剣にその土地から最大限の利益を上げようと考えないからです。

 それならむしろ共有地を廃して、私有地に分割した方がいい。そういう考えで、コモンが廃され、私有地化したのが「囲い込み(enclosure)」です。その結果、それまでコモンを共同所有してきた村落共同体が空洞化し、私有地は大資本家によって買い上げられ、自営農たちは小作農に転落し、あるいは流民化して、都市プロレタリアートになった。

 たしかにコモンの消滅によって、土地の生産性は一気に向上しました。「農業革命」が行われ、無産化した農民たちの労働力で「産業革命」が実現した。資本主義的にはコモンの消滅は「たいへんよいこと」だったわけです。でも、それは中世から続いて来た村落共同体の消滅という代償によって果たされた。コモンの消滅とともに、村落共同体がもっていた相互扶助の仕組みが失われ、伝統的な生活文化や、祭祀儀礼が消え去った。この惨状を見て、再び「コモンの再生」をめざしたのがマルクスの「コミューン主義」です。

――その思想的背景について、もう少し詳しく教えてください。

内田 マルクスは人間の中には、おのれ一身の幸福、私利の追求だけをめざす「私人」の部分と、公共の利益のために、全員の幸福のためにふるまう非利己的な「公民」の部分と2つが併存していると考えていました。そして、できるだけ「公民」的にふるまう部分を増やすことがこの世の中を住みやすくする方法だと考えていた。マルクスって、すごく常識的な人なんです。

 市民革命によって近代市民社会が成立しました。そして、誰もが強権を持つ支配者に怯えることなく、幸福と豊かさを追求することができるようになった。でも、そういう近代市民社会を実現するために戦った市民たちは、おのれ一身の身の安全や豊かさを後回しにして、自己犠牲的・英雄的にふるまった。そういう非利己的な人々がいたおかげで、市民たちが利己的にふるまうことのできる社会が実現した。

 公共の福祉を配慮する人たちがまず存在しており、その人たちの努力の成果として、公共の福祉なんか配慮しないで暮らせる社会が実現した。というのがマルクスの考えです。おのれの私利私欲よりも公共の福祉の方を優先的に配慮できるような人間のことをマルクスは「類的存在」と呼びました。そういう人たちが一定数いるような社会を作りましょうというのがマルクスの主張なんです。まともな話でしょ?

コモンの管理は市民的成熟を果たす「訓練の場」

 公共を私利より優先的に配慮する「類的存在」のマインドセットが「コミューン主義」なんです。だから、コミュニズムを「共産主義」と訳されると意味がわからなくなる。日本語には「共産」なんて日常語が存在しませんからね。でも、マルクスが「コミューン主義」を宣言したときに彼の念頭にあったのは英国の「コモン」であり、フランスやイタリアの「コミューン」のことだったのです。

 土地や資源を共同体で共同管理するのって、すごく面倒なんです。共同的にものを管理するためには、異論と対話し、さまざまな要求を調整して、合意形成しなきゃいけないからです。だから、コモンを共同管理するためには、成員たちに市民的な成熟が要求される。

「コモンは生産性が低い」ということだけを「リアリスト」たちは指摘して、それが「絶対悪」であるかのように語りましたけれども、彼らはコモンの管理を通じて村落共同体の一体感が醸成され、共同体成員たちが市民的成熟を果たしていたというコモンの教育的・遂行的な機能を見落としていた。コモンのような複雑なシステムを統御するためにはまず「私たち」という幻想的な主体を立ち上げなくてはならない。そして、「私たち」のうちのいくたりかはまともな大人にならなくてはならない。そういう長いタイムスパンの中でしかコモンの存在理由は理解できないんです。

――コモンが人間的成熟さを醸成する場にもなっていたんですね。

内田 日本でも、地域共同体・血縁共同体はほぼ解体されてしまったので、複数の立場の利害や要求を調整して、合意形成に持ち込むための「訓練の場」が失われてしまった。ふつうの企業に勤めているだけでは、何十年働いていても、なかなかこの能力は鍛えられない。会社では上位者の決定に従うというのが基本ですから、キャリア形成したければ「イエスマン」であることを要求される。

 トップダウンの仕組みに慣れてしまうと、調整や対話のないシンプルなシステムが「よいもの」だと信じ込むようになる。そうなると、企業だけではなく、行政や、医療や、学校のようなシステムに対しても「とにかくシンプルなものに制度改革して欲しい。全部トップが意思決定し、それが末端まで遅滞なく伝えられる仕組みにして欲しい」と言い出す。

 だから、どうして三権が分立しているのか、どうして両院制が存在するのか、どうして民主主義では「少数意見の尊重」が謳われるのか、その意味がわからなくなる。全部独裁者に委ねて、あとは全員イエスマンでいいじゃないかと本気で思っている人がどんどん増えています。国についてさえも、「独裁者に丸投げした方が話が早い。うちの会社では経営者が従業員の意見なんか聞かないぜ。世の中って、そういうもんだろ」と心から信じてる人が増えて来た。

個人が身銭を切って公共を立ち上げるしかない

――そんななかで再びコモンの場を立ち上げていくにはどうしたらよいのでしょうか。

内田 国や自治体にはもう「公共の再構築」というマインドはありません。彼らが「国を愛せ」とか「公的権威に敬意を示せ」とうるさく言うのは、別にコモンを再構築したいからではなく、公権力を用いて、彼ら自身の政治的な私念を実現し、公的資産を私的に流用するためです。

 本来コモンというのは、平等な成員たちの間での合意形成の訓練と、相互支援体制の確立のためにあるものです。トップが「黙ってオレの言うことを聞け」と言って、それが通るようなシステムはどんなに規模が大きくてもコモンではありません。権力者の「私物」です。そこでは相互扶助的なマインドも生まれないし、成員たちの市民的成熟も果たせない。

 コモンの再構築のためには、近代市民社会が始まった時と同じように、まずは個人が身銭を切って公共を立ち上げるしかない。私的利害の追求よりも、公共の福祉を配慮する方が優先するという「大人の知恵」を持つ人たちが一定の頭数登場するしかない。それは市民革命の時と同じです。みんなが気分よく自由を満喫し、自分のしたいことができる社会を作るためには、自己犠牲的で非利己的な人々がまずどこかで「雪かき」仕事をしなければならない。

 だから、コモンの再生は別に市民全員が引き受けるべきタスクではないのです。全員が「類的存在」である必要はない。それはあくまで自己陶冶の目標であって、全員が「大人」でなければ回らない社会というのは、制度設計が間違っている。そんなの無理だからです。せめて共同体成員の7%くらいが「公民」的であり「大人」であれば、なんとかコモンを立ち上げて、回すことはできると僕は思っています。

 まずは自分の家の門扉を開放し、自分の財産を公共的なしかたで運用する、自分の私物をできるだけ周りの人にシェアする。そういう人が2~3人いれば、100人規模の「ご近所共同体」は形成される。それくらいのことなら自分にだってできるという人が、今の日本にだって100万人、200万人くらいはいると思うんです。いくらお金を溜め込んだって、墓には持っていけないんだから。生きてるうちにコモンのために使えばいい。

 前に、「シェアハウスをしているんですけれど、高齢者たちは自分たちのサービスを享受するだけで、若い私たちは持ち出しばかりで、割を食っている感じがする」という苦情を聞いたことがあります。私財を持ち寄って共同管理する時に、「自分が出した分だけ回収する」というルールでやっていたら、そんなシェアハウスはたちまち空中分解すると思います。そんなものは「コモン」とは言いません。

凱風館の土地、建物もコモンにするつもり

 共同管理するというのは、心理的に言うと、全員「自分は持ち出しばかりで、自分ひとりが割を食ってる」と思うということです。「みんなは公共のために貢献していて、えらいなあ。オレはその恩恵をこうむるばかりで、何もしてないなあ」と思うような人間はいません。「オレはいつもトイレ掃除しているのに、ヤマダはぜんぜんやらないから不公平だ。あいつにもやらせよう」とか言い出して、共同管理においてタスクの厳密な分配のために時間と労力を使うのはナンセンスなんです。「持ち出し歓迎」で、身銭を切って公共を立ち上げようと思う人がいるところにしかコモンは立ち上がりません。

 コモンは土地や家屋に限りません。何でもいいんです。自分の会得した技術や知識や芸能を伝えるとか、才能あるアーティストのパトロンになるとか。

――コモンの形というのは技芸の継承も含めたもっと多様なものとして捉えていいわけですね。

内田 そうです。コモンは同時代の人たちとあるリソースを共同管理するというだけのものではありません。先人から受け継いだものを後続世代に伝えていくという時間軸上でも存在する。キルトの編み方とか、田植えの仕方とか、地元に伝わる儀礼とか芸能とか、それを次世代に伝えることって、私的な活動に見えますけれど、それが実はコモンの統合を深いところで支えている。だから、目先の利便性だけをめざして共同体を作っても、長くは持ちません。長い時間軸を貫くようなミッションがないとダメなんです。

 僕の主宰する凱風館は第一義的には合気道の道場です。僕はそこで僕が師匠から学んだ技術と武道の考え方を教えている。門人たちは僕から学んだものを次の世代に伝える。そういう世代を超えた受け渡しが成り立つためには、凱風館は私的なものであってはならない。 

 凱風館の立っているこの土地はいまは僕の私有地ですが、いずれ財団法人化して、土地も建物も全部、コモンにするつもりです。いまは僕が1人で使い方を決めることができますけれど、財団法人になって共同管理することになると、そうはゆかない。なかなか合意形成はむずかしいと思います。

 だから、僕が死んだあと、残った門人たちはそれでけっこう苦労することになると思います。でも、それは仕方ない。それに、その苦労だってある意味では僕から彼らへの「贈り物」なんです。こんな狭い土地であっても、それがコモンである限り、管理するためには大人の知恵を要します。その面倒な仕事を通じて、門人たちが市民的成熟を遂げてゆくこと。それが凱風館の教育的な機能なんですから。

 

内田樹(うちだ・たつる)

1950年東京生まれ。思想家、武道家、神戸女学院大学名誉教授、凱風館館長。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。専門はフランス現代思想、武道論、教育論など。『私家版・ユダヤ文化論』で小林秀雄賞、『日本辺境論』で新書大賞を受賞。他の著書に、『ためらいの倫理学』『レヴィナスと愛の現象学』『街場の天皇論』『サル化する世界』『日本習合論』、編著に『人口減少社会の未来学』などがある。


今朝起きて外へ出るとほんの少しだけど雪が積もっていた。
「出勤」途中、江部乙。

ボンネットが入ってしまいましたね。

姫リンゴ。

園地内。

小菊。

すっかり葉を落としたイチョウ。