カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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C年 四旬節第5主日

2016年03月07日 | お知らせ
 2016・3・13

 聖周間及び一年間中でキリスト信者には信仰の頂点であるお祝いが近づいて来ました、新たな思いでそれを迎えるようにしましょう。イエス様のエルサレムの入城、イエス様の最後の晩餐、イエス様のご受難、イエス様のご復活を記念し、それを祝いながらイエス様の死と復活によって、それぞれ自分が神秘的に神様の愛に救われたことを思い起こしましょう。大自然も春の登場と共に、桜も開花しこのような大きな喜びに参加しているようです。イエス様が私たちの代わりに自分の命をささげ、私たちに神様の赦しと神様の愛を授けられました。その命によって、赦しの命、愛の命で人間が生きています。復活祭に向かうキリスト信者は、春に新しい水が湧き出るように、神様からだけ流れ出る新鮮な生き生きとした命をくんで、新たな力、新たな喜びで人生を進んでいきます。
「ヨハネによる福音書8・1-11」
 神様はいつも新しいことを成し遂げて、行きづまりになった人間の人生、死に向かう人間を新しく完全に生まれ変わらせています。このように神様の慈しみは限りがありません。神様は無条件で皆を愛し、赦しています。当福音書の中に出てくる罪を犯した女は、イエス様の赦しによって命を得ました。神様は愛によって、女の犯した罪を全て赦され命に変えられています。現在、この世では教会がこのイエス様の赦しの権威と心を受け継いで、それを寛大な心で慈しみ深く人々に授けています。当福音書のエピソードは、あくまでもヨハネ福音記者に属している個所ですから、象徴的に読むと豊かな内容が表れてきます。この段階でイエス様とファリザイ派の人々の間の対立は、ますます悪化して、イエス様の寛大な慈しみを批判するファリザイ派の人々が、イスラエルの法を尊敬せず守らないイエス様を厳しく訴えようとしています。イエス様の言葉と行動も神様の心をみせるようにしています。人間から裁かれても神様は大きな愛情、命の愛情で包んでくださいます。神様の正義は不正に思われるほど罪人を愛し、罪人を探し求めて自分のふところに止めています。より深く当エピソードを見てみれば、罪の現場で見つけた女なのに相手のことについて何も記されてありません、なぜなら罪を犯した女は教会のことを示し、イエス様はその裏切られた花婿であり、罪は裏切った相手のことを表しています。このような見方で、人類から裏切られたイエス様は、限りない普遍的な憐れみと慈しみを示しています。教会の人々には何も定められていません。罪によって死に定められた人類は、イエス様の赦しによって命と喜びに取りもどされ解放されています。イエス様の教会の人々は、このような寛大な神様の心で包まれて、全ての罪を赦され大きな喜びを持って復活祭の方へ歩んでいきます。
                          モヨリ神父

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