カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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A年 年間第19主日

2017年08月09日 | お知らせ


 日本では夏祭りの季節ですが、キリスト信者にとっては毎週の日曜日に、神聖な祭り、感謝の祭儀を迎え、イエス様を大きな喜びをもってお祝いします。むしろその祭りは大きな喜びの日で、感謝の祭儀を通して、神様に対する、また兄弟に対しても感謝の心を現わしながら祭りを祝います。では、聖パウロの「ローマの信徒への手紙」の言葉にも注目しましょう。聖パウロはキリスト信者としてイエス様に強く結び付いていることを確信しています。それによって自分の人生、言葉、行いを通してイエス様のみ心だけを語っています。聖パウロは真実を語り、偽りは言わないとおっしゃっています。それに聖パウロが自分の心が悲しんでいることを語っています。それは、神様に選ばれた者たちがこの世に送られてイエス様のことを紹介して告げ知らせても、それに気つかず受け入れられない者も多いからです。このようなことは使徒パウロにとって非常に不幸なことなのです。
「マタイによる福音書 14・22-36」
 当マタイの福音書は大きな励みのメッセージもたらすところです。福音書のこの場面を正確に読みとるために、象徴的な出来事として分析してみなければなりません。いつも危なそうに浮かんで、揺れている船は教会のことです。しかしその中にイエス様と弟子たちがおられるから、安全に向こう岸に渡ろうとしています。それは神様が定められた教会の歩みを例えています。イエス様にとってどんな時でも祈るのは、自分のお父さん(神様)の心と思いとのつながりの場で、それは私たちの祈りにも参考になっています。イエス様のように祈る時こそ、神様との思いと心が一つになる時です。同時にイエス様がいつもご自分の弟子たちと一緒におられます。幽霊のようなものではなく、支える力、勇気を与える存在として弟子たちと一緒におられるのです。この時にもイエス様に従った私たちのために、心に響く言葉があります。「安心しなさい、私だ、恐れることはない。」この言葉はシナイ山で神様が自分の名前を述べられたように、イエス様が、自分のことを紹介します。「私だ。」つまり「私がある。」と。イエス様がいる時、つまり私たちがペトロのようにその欠かせない存在に気付く時に幸いです。再びイエス様が私たちに呼びかけています。「来なさい、安心しなさい、恐れることはない。」この言葉を信じたペトロは、強い風に襲われてもイエス様の手を握って支えられ、救われ、無事にイエス様がおられる船に戻れました。この時こそ、このような出来事とそのメッセージは私たちの信仰のために参考になりませんか。私たちの人生も嵐の中を小さな船のように進んでいますが、ペトロの信仰さえあれば、イエス様がいつも私たちのそばにおられて、私たちの手を握って安全な所まで導いてくださいます。「安心しなさい。私だ。恐れることはない。」    
                                  モヨリ神父

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