カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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B年 待降節 第2主日 

2017年12月03日 | お知らせ


 教会の典礼により降誕祭の準備も進み、イエス様の到来を期待しながら、私たちと一緒に偉大なものたちも歩んでいきます。12月3日お祝いされた聖フランシスコ・ザビエルと、12月8日お祝いされる日本の保護者である無原罪の聖母です。聖フランシスコ・ザビエルの姿は日本人にとって、日本人の信者にとってかかせない情熱的な模範になっていますが、マリア様はどんな人物よりも、どんな女性よりもイエス様の誕生を期待された方ですから、私たちの降誕祭への準備を支え、導いてくれる方です。このような大きな力で支えられる取次によって、心を変え、目を覚ましていましょう、そしてこの世に来られた神様の愛の鏡であるイエス様を迎えるようにしましょう。
「使徒ペトロの手紙(Ⅱ)3・8-」14」
 いつもと違って今週は降誕祭のための準備として、ペトロの手紙が朗読されました。ペトロは確かに忘れてほしくない重要なことを述べています。それは「この世の存在は永久なものではありません、その終わりの時をふさわしく迎える為に目を覚ましていなければならない」とおっしゃっています。そしていくつかの心の態度が必要です。その時は誰にも知られていません。けれども神様に直接、出会う時になっています。聖ペトロがその時を迎えるために心の準備として勧めていることは信心深い生活を送ること、そして神様の約束に従って待ち望むこと、最後に忍耐をもって神様に認めていただけるように励みながら、平和の中に過ごすことです。
「マルコによる福音書 1・1-8」
 マルコ福音記者はその福音書の入門のところに「キリストの福音」という言葉を使っています。この音はだれにとっても愛(め)でたい音であり、福をもたらす言葉です。祝福を述べる言葉ですから、それを受け入れられる心だけが幸せを感じています。さて預言者のように洗礼者ヨハネは砂漠で叫ぶ声として、直接私たちの心に向かって、ふさわしい心で神様の言葉を受け入れるように勧めています。洗礼者ヨハネはイエス様の先駆者であり、イエス様の到来の準備をしています。これから降誕祭に向かって、花婿であるイエス様が花嫁である人類を迎えようとしています。だから洗礼者ヨハネは花婿の靴の紐をとく値打ちのない花婿の友人として、イエス様の世への入場のための準備をしています。洗礼者ヨハネに「私は道である」と言われたイエス様は、神様に出会う場として私たちの人生唯一の道です。その道は整えられると、イエス様と全く同じような歩みを歩まなければなりません。その道は目標までまっすぐに導くのですから、価値のないものに捕らわれてはいけません。その道の目標は人類の救いで、神様の慈しみから罪を赦されて、イエス様がなさったように、人に苦しみを通してより大きな愛をみせることです。さて私たちが受けた洗礼は、この道であるイエス様との歩みの出発点であり、神秘的な力である聖霊の導きでイエス様と同じ目標までたどることになっています。         
                              モヨリ神父

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