カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 A年 王であるキリストの主日

2008年11月22日 | 神父様からメッセージ(A年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

暑かった10月から一転、今月は急に寒い日が多くなりました。先週末からの寒さで、慌ててコートを出した方が多かったのではないでしょうか。今週後半はいったん寒さが緩み、小春日和となりましたがしかし、来週に入ると新たな寒気が流れ込み再び寒くなります。このごろ落ちつつある葉、すでに落ちた葉、ともに「おちば」と言います。その落ちる様子、音、散り敷く状態に風情があり、無常を感じさせるものがあって、多くの人が心を寄せています。それに従って、神様の出会いをいつも求める私たちに、寿命の短さを思い起こさせます。しかし、同時に神様のみ摂理には、葉が落ちても神様に大切にされます。王である主の日を迎えるわたしたちには命の日を祝い、共同体の宴会の時になっています、神様は喜びであふれるメニューを準備されています。その中に勤労の感謝の祭日にもあたって、私たちの労働の実りを貧しい人と分かち合う時になっています。

使徒パウロのコリントの教会への手紙(-)15・20-28
使徒パウロはいろんな話題に踏みつけるとキリストから発進して、キリストに戻ることになっています。言い換えれば使徒パウロにとってイエス・キリストはすべての王であるのです。イエス様は一人一人の永遠の喜びを求めながら、皆が神様の心によって生きるように願っています。使徒パウロによるとイエス様が来たのは死者が命を得るためです。使徒パウロの思う死者とは体で亡くなった者だけではなく、罪によって神様から離れた者、神様のことを信じない者も死者のようなものです。しかし復活されて、死に打ち勝ったイエス様は上記のような死者に命を取り戻すためにこの世に来ました。皆を神様の方に取りもどすためなのです。宇宙万物と人類が神様に戻るのはイエス様の目標であり、神様の本願です。だから神様の心に戻るのは確かに使徒パウロがおっしゃったように順があります。言い換えれば行きやすい順番があります。最初にご自分の命を捧げられたイエス様です、次はイエス様に従った者たち、最後にその他の者全て、そしてどんなことでも神様のところにもどります。このようなことは宇宙万物の王であるイエス・キリストの大きな望みと目標であり、イエス様が人間を悩ませる敵、その中の死にもまで打ち勝って、皆をもともとあったように神様のふところにすべて取りもどしたいのです。

マタイによる福音書 25・31-46
ローマのバチカンのシスチーナ礼拝堂の天井には、ミケランジェロにより、マタイによって語られる最後審判が力強く見事に描かれました。(ちなみに、日本の芸術家によって修復された大作でもある)けれどもマタイが福音書に書かれる物語は、あくまでもたとえ話のような話ですから、その中に解説のようなフレームの部分を見分けて、大切なポイントだけを見出さなければなりません。だから、いつもたとえ話を分析するときのように、イメージから少し離れて、メッセージの中身を深めるようにしましょう。大事なことはその中にいくつかあると思いますが、絶対、欠かせないのは私たちのすぐそばにあるものはイエス様自身です。そして周囲にあるものたちに何かしたことがあればイエス様自身にされたことになっています。そう実感することによって人間の喜びと救いが携わっています。
モヨリ神父

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1 コメント

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C 年 王であるキリストの主日 (神父)
2008-11-22 12:33:09
イエス様のことを愛される皆様へ、

美しい紅葉の季節になりました。その紅葉を愛でるそのためだけに出かける方が多いですね。是非、この神様か準備してくださった景色を楽しんでくださいね。このような素晴らしい季節も人生に例えられます。 皆さんの人生は、明るい時や暗い時、嬉しい時や苦しい時も色んな色に染められ飾られています。それで人生は美しいのです。 美しいものは必ず神様の作品です。
聖アグスチナスは、神様は人間にとって魅力ある美しさだと述べていました。聖アグスチナスが言いたかったのは、神様は美しさそのものだ、という事です。それで皆が神様を探し求めています。
さて、この感謝の月の締めくくりに、11月25日の日曜日は、典礼による1年間最後の日曜日で、王であるキリストの祝日になっています。つまり、イエス様は自分はイスラエルの王であると宣言します。十字架の上部にも書いてある通り「INRI」ラテン語で「IESUS・NAZARENUM・REX.・IUDEORUM」(訳):「イエス様はユダヤ人の王です」いつも謙虚なイエス様が「私は王です」と言っていますが、それを聞いてわたし達は驚くべき発言だと思います。けれどそのイエス様の言葉を少し深く考えてみれば、その真実と素晴らしさを発見することが出来ます。この世の王様達のことを考えてみましょう。王様は自国の民の人生の中心です。すべて王様から来る、全て王様に戻っていく。王様は王国の中心であり、国民を愛しひとり一人を見守っています。同時に国民達は王様の姿を見つめながら、思いながら生きていて、全て王様からくるから全て人生と持ち物を王様に返し捧げながら生きています。
王であるイエス様と神の国の一員である私達にとって、どこが違うのでしょうか、上記の文章をよく読み直してみましょう。理解していただけると思います。
今週、12月1日土曜日・18:00に共同回心式が行われます
特別に川添神父様をお招きして、私達を待降節の準備に導入していただきます。寛大な心を持つ神様は、いつでもわたし達を全て赦してくださいます。完全な赦しはわたし達にとって大きな喜びになり、赦しの恵みに支えられて力強く降誕祭を迎えることができます。だから是非、遠慮なく共同回心式に参加して、特別にクリスマスの綺麗な準備をし、清い心でクリスマスを迎えましょう。
今日11月23日、上記の言葉を書きながらカレンダーを見ると「聖コロンバンの記念日」にあたっていました。 菊池教会が設立され、また55年も菊池教会で働いたコロンバン会の神父達を思い起こして、彼らの為に大きな感謝の心をもつべきだと思います。コロンバン会の神父達は苦難の中で多くの種を蒔き、大きな収穫の準備してくださいました。是非、今日コロンバン会の神父達の為に心からなる感謝の祈りを捧げましょう。

                              モヨリ神父
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